81
陽光照り返す銀の巨体。
『銀斬銀青』と名付けられた異竜の動きは、犬を思わせた。
開いた顎を宙でがちんと噛み合わせ、尾を振り抜き、ゆらりと方向転換する。
何かを真っ直ぐ追い回したかと思えば急停止し、今度は後方へ駆ける。
その視線の先には、常に弓取りがいる。
獣面に抱えられ、蚤あるいは蝗さながらに跳ぶ弓取り。
アロの動きは迅速の一語に尽きる。
逆巻きはおろか、忍者の脚でも振り切ることはできない。
追い回されることは死を意味する。
だが、象と同じで『横』の動きに対応できない。
象との戦いなら、俺たちは徹底的に仕込まれている。
引きつけて、横へ跳ぶ。
誘い込み、横へ跳ぶ。
自力で難しければ獣面の補助を得て。
間合いが近ければ煙玉、矢の雨で牽制して。
アロには長い尾がある。
回避後すぐに踏み込めば、地を掃くがごとき一撃で吹き飛ばされる。
だが俺たちは武士ではない。
回避と同時に攻撃できる。
十歩、二十歩、いや三十歩離れた場所から。
「間合いに入ります、九位……!」
「ああ……!」
蓑猿と共に戦地へ舞い込む。
銀竜の身を汚すものがある。
赤い血。
薄い青みを帯びた銀の鱗がところどころひしゃげ、めくれている。
桃色の肉が覗き、白い脂の混じる血がこぼれている。
巨大な体躯を鑑みれば、それはかすり傷に過ぎない。
だが戦いで生じた傷には違いない。
流れているのは銀竜の血だけではなかった。
「卑怯じゃない、そういうの……!」
戦地に到着した俺が最初に聞いたのは、アキの声だった。
アロの首付近に陣取る彼女は、右半身を血に濡らしている。
突き刺さっているのは七位の矢だ。
一見すると針にも似た矢。
十弓も、獣面も、誰一人欠けていない。
傷ついている者もいない。
「卑怯? 何がだ? 我々は弓取りだぞ?」
三位がせせら笑う。
アロは百歩弱の距離を挟み、扇状に包囲されていた。
「『触れず、触れさせず』」
桜の狩衣。
イチゴミヤ四位が矢を番える。
「『寄らず、寄せ付けず』」
橙の狩衣。
ツボミモモ六位が矢を番える。
「『組まず、組み付かせず』」
黄の狩衣。
ネコジャラシ七位が矢を番える。
「『近づかず、近づけさせず』」
灰の狩衣。
アマイモ十位が矢を番える。
「それが我らの戦いだ。正々堂々、お前の手の届かない場所から一方的に嬲らせてもらう」
赤紫の狩衣を翻し、三位が俺をちらと見た。
こりりり、と骨の矢が開く。
三つの矢を手に取り、回す。
やや離れた場所で、俺も矢を番える。
そして突出しないよう、横目で皆の動きを見る。
「休憩は終わりだ。……行くぞ」
次々に弦が鳴り、幾つもの矢が空を切り裂く。
一直線に飛ぶ矢の雨が、吸い寄せられるようにしてアロとアキに降り注ぐ。
象すら慄く連射を前に、アルケオが薄く笑う。
銀竜はこちらに尻を向け、太い尾で宙の矢を打ち払った。
「ッ!」
びびび、とほぼすべての矢が散らされる。
尻を向けた銀竜は頭を地面すれすれまで落としており、一射たりともその急所に届くことはない。
乗り手の身を掠めることも。
三位は鼻で笑った。
「またそれか。芸のない奴」
が、それで防げるのは『急所』へ向かう矢だけだ。
十弓の矢は狙いを変える。
黒い雲霞と化した蜂の大群が、一斉に別の獲物へ向かうかのごとく。
二射。
三射。
四、五、六、七。
八、十、十二、十五。
誰よりも多く、誰よりも速く、ランゼツ三位は続けざまに矢を放った。
それらはすべて、アロの巨体を支える後ろ足、その先端に突き刺さる。
すなわち、趾。
「『骨の矢』」
ぶぱっと矢が破裂し、銀の鱗と血を散らす。
刺さった部位を破壊する、三位の矢。
呻いたアロの脚目がけて、更なる矢が飛来する。
人間なら足首や足の甲に当たる部位に、次々に矢が突き刺さる。
いくつかは骨で弾かれるが、幾つかは薄い肉を貫き、破った。
ごるるる、と呻いた巨竜が真っ直ぐ三位へ突っ込む。
虎さながらの初速。
そして馬さながらに加速し、巨竜は恐竜の速度で駆ける。
目にも留まらぬ銀の残像。
「っ」
思わず、矢を射かけそうになる。
蛇の矢でかく乱。
アキを狙って注意を逸らす。
俺には様々な選択肢がある。
どれかを使えば、三位へ向かう攻撃を止められるかも知れない。
だが、踏みとどまる。
誰も援護をしないことに気付いて。
「獣面っ!」
馬と牛の面が三位を抱え、真横へ大きく跳ぶ。
が、このアロはただの恐竜ではない。
銀羽紫と同じ『夜光種』。
高い知能を持つ巨竜は土を巻き上げながら急停止した。
そして、跳ぶ三位へ向けて尾を振り上げ――――
「『蠍の矢』」
真横から飛来した矢がアロの眼前を過ぎる。
いや、眼前と呼ぶには遠い。
眼球から槍数本分は離れた場所を通り過ぎた。
だが、その一撃は確かにアロの動きを止める。
アキの動きも。
その隙に三位は安全な場所へ着地。
片目を持たないイチゴミヤ四位が静かに告げる。
「やらせはしない」
「っ。またこれ……!」
アキは片目を手で塞いでいたが、無駄だ。
俺も片目を塞いでみるが、消えない。
――四位の放った『矢の軌道』が。
俺の目に映る世界に、黒い線が引かれている。
それは顔の向きを変えても、前後左右に移動しても視界に残り続ける。
消えるまでに要するのは十数秒。
それまでは、眼球そのものにこびりついた墨のごとく、黒い直線が残り続ける。
これがイチゴミヤ四位の『蠍の矢』。
ザムジャハル由来の『世界で最も黒い』塗料を使った矢。
放たれた矢の軌道は、見る者すべての視界に残る。
薄くぼんやりした残像ではなく、墨を引くような濃い像として。
防御は不能。
矢が放たれる一瞬前に目を閉じなければ、確実に影響下に置かれる。
例外はない。
一位や二位、シャク=シャカやアルケオにも効く。
四位本人、観衆、飛ぶ鳥や犬猫にすら。
当然、恐竜にも。
槍数本の間近で『見』れば、視界の半分ほどが墨したたる筆を走らせたかのように塗り潰されたことだろう。
銀竜が大きく唸り、尾を左右に振り回す。
砂礫と土が飛び散り、顎が見当違いの場所を噛む。
巨体がうねり、辺りに暴風に近いものが巻き起こる。
「っ!」
矢を射かけることもできない暴威。
十弓は更に十数歩、距離を取る。
――――一人を除いて。
「銀! 落ち着いて! こんなの目くらま「隙あり」」
アキの背後に、七位。
いつの間にかアロの巨体を登り、剣弓に薄刃の矢を番えている。
ちょうど、二振りの刃を交差させるように。
「『氷の矢』」
薄刃の矢が放たれる。
注視しなければ分からないが、そこには無数の筈があり、透けるほど薄い矢羽がある。
細長い鏃を持つ、針のごとき矢を束ねた薄刃。
その歪な造りのため、射程は十弓最短。威力もまた十弓最弱。
ただし命中率は、十弓最高。
弦を離れた薄刃は空中で飛散する。
まるで束ねられた楊枝が紐を解かれたかのように。
しゃりりん、という快音と共に矢が針の雨と化した。
『氷の矢』は放射状に広がりながら敵を襲う。
敵。
つまり、アキ。
蠍の矢で視界不良を起こしたアキの肩を、脇を、腿を、針が穿つ。
髪をかすめ、耳を掠め、羽根の幾つかを射抜く。
この針の雨が、七位の『一射』。
「っ」
七位は既に次の矢を番えている。
放たれる次の矢。
だがそれを、アキは空中で掴んだ。
飛散する直前に。
一歩大きく踏み込むことで。
浮かぶ笑み。
七位が目を見開く。
緑の残像を残し、アルケオが蹴りを放つ。
俺なら絶対にかわせない速度。
「!」
アキの蹴りは空を切った。
俺なら絶対にかわせない速度の蹴りを、七位はやすやすと回避している。
忍者の敏捷。
「『氷の矢』」
十歩圏内では回避不能の針の雨。
アキが顔を歪め、思い切り脚を突き出す。
飛散直前の矢を掴み、赤きアルケオが僅かに安堵した。
「甘い」
七位がアロの尾部へ跳ぶ。
入れ替わりに、巨竜の体側を登った獣面が現れる。
放たれる黒き雨。
手裏剣。
「っ」
アキは慌てたように地に臥せ、これを回避。
だが肉体ほど機敏に動かない黒髪はざくざくと裂かれ、散る。
手裏剣はアロの後頭部に向かい、いくつかが突き刺さった。
巨竜は怒りに身悶えし、七位と獣面は一斉に飛び降りる。
飛び降りざま、放たれた『氷の矢』が三位の作った趾の傷を穿つ。
着地と同時に七位たちは更に大きく跳び、アロの尾は届かない。
「どこを見ている」
イチゴミヤ四位がアロの正面に立っている。
きりり、と番えられる矢。
「『蠍の」
アロの顔が矢のごとく後方へ引かれた。
ぼぶぶ、と。
恐竜が唾を吐く。
「!!」
予備動作が見えていたのか、すかさず獣面が四位を連れ去る。
一瞬の後、地を大量の唾液が叩いた。
ここでアロが大きく動いた。
ぐりんと一回転。
不穏な動きに誰もが身構えた直後、尾が打ち払われる。
尾自体による攻撃ではない。
巻き上げられ、めくり上げられた土を打ち払っての目潰し。
「!」
三位が跳ぶ。
四位が跳ぶ。
六位が跳ぶ。
七位が跳ぶ。
十位が僅かに遅れる。
攻撃態勢に入ろうとしていたためか、重量のためか。
獣面がもたつき、三人はその場で身じろぎする。
すかさず、アロが突っ込む。
一瞬で銀の嵐と化して。
(!)
確信する。
回避は間に合わない。
鏃をアロへ向ける。
止めなければ。
他の十弓が回避に専念しているのなら、俺だけでも――――
(――!)
違う。
他の十弓にできないわけがない。
やらないのだ。
俺にできることを、他の奴がやらないわけがない。
踏みとどまり、俺を抱え跳ぶ蓑猿に身を任せる。
突進するアロと十位の距離が縮む。
百。九十。八十。
六十。五十。四十。
ゴルルル、とアキが鋭く吠える。
銀竜は急停止し、前方を睨んだ。
そこにあるのは巨大な撒き菱。
以前、誰かが投げたものと同じ。
象を仕留めるほど巨大な――『篝撒き菱』。
足を止めたアロは忌々しそうに足元の棘玉を見た。
足裏に頑丈な鱗は無い。
踏めば夜光種とてただでは――
「どこを見てるんだい?」
ねっとりした七位の声。
アロが素早く振り向く。
そこにいるのは七位――と、四位。
「『蠍の矢』」
再び、黒い線が走る。
今度の矢はアロの片目横を通過。
俺はかろうじて目を閉じ、視覚不全を防ぐ。
ゴロロロ、と雷鳴に似た音を立て、アロがよろめく。
アキは歯がゆそうに唸った。
おそらく恐竜にも瞼あるいはそれに似た器官はあるのだろうが、反応できないのだろう。
アキは降りて戦うこともできる。
だがそれをすれば巨竜の動きは大きく制限される。うっかり尾で打ち払われればアキとてひとたまりもないからだ。
十弓を分断し、アロとアキが離れた場所で戦えば優位に立てるのだろうが、それを許すほどこちらは甘くない。
それゆえの、歯噛み。
「散ッッ!!」
七位、四位が左右に別れる。
アロはそれを追わんとするが、獣面が放った煙玉が妨害する。
視界を切り裂く黒に、視界を覆う白。
銀竜は身を振り、怒りに任せて地面を踏み散らす。
ふっ、と傍に人の気配。
「ネチネチとしつこかっただろう?」
獣面に抱えられた三位が俺の傍に立っている。
顔には苦味と渋味の混じる笑み。
「都の女だからな、あの人は」
「……。ありがたかったです」
本心からの言葉。
三位は小さく肩を揺らした。
「一度目はな。五度、六度と続けば嫌になる」
「それは……誰が相手でもそうです」
「もっともだ」
一瞬の後、三位は戦士の顔に戻っていた。
見据える先には銀の異竜。
「見えるか。今、『氷の矢』を弾いた。……硬い。それに賢い」
「変異種です。知恵があります」
「報告にあったヤツと同じか。だが知恵を生かせない平地で戦いを挑むあたり、甘いな」
「ラプトルとは脳の大きさが違うのかも知れません」
「埒も無い話は学者に投げておけ」
こりり、こりりり、と白い腕甲が開閉する。
「野放しにはできない。……今ここで仕留める。確実に」
無言を交わす。
敵を確実に仕留めるからには、『逃がさない』という前提が必要だ。
攻め過ぎては後退に転じられる。
重要なのは程々に痛めつけ、隙を見て――――
「お前は四位につけ。かく乱だ」
三位が歩き出す。
「攻めは私と七位。六位が援護。毒は使って構わんが、誤射は許さん。できるか?」
「はい」
「出過ぎるなよ。一つでも脆い輪があれば、鎖はそこからちぎれる」
「……はい」
ふっと三位は鼻を鳴らした。
薄笑みに得体の知れない感情が滲む。
「今日ぐらいは日和るがいいさ」
蓑猿に抱かれ、戦いの渦中へ跳ぶ。
足が地を離れ、自重が地を離れる。
着地。重みを感じる。
再び地が遠ざかり、宙に浮く。
地を踏む。跳ぶ。
蝗にでもなったかのような気分。
殴るほど強い風の中、敵を見据える。
銀竜、青天、草地。
跳躍の度に世界は水彩画のごとく歪む。
銀、青、緑の残像。
銀竜、青天、草地。
銀、青、緑の残像。
銀竜、青天、草地。
三色に黒が混じる。
十弓の衣。
「四位! 加勢します!」
蠍の鎧を着こむイチゴミヤ四位の傍へ。
アロは最も厄介な四位を狙い続けているが、真横から獣面の手裏剣と七位の矢を浴び、幾度となくたたらを踏んでいる。
ただ刃を浴びるだけでは痛手にならない。
問題は、趾を狙われ続けていること。
いかに強く賢くとも、体重を支える足を潰されれば転倒し、あとは死を待つだけだ。
徐々に、アロの注意が七位へ割り振られ始める。
だがそれではまずい。
射程の短い七位に攻撃が集中する事態は避けたい。
それに、今の攻撃役はイチゴミヤ四位ではなくネコジャラシ七位。
「七位を空けます! 九位はアキを!」
「はい!」
並び、矢を番える。
獣面と七位の猛攻でアロはこちらに気付いていない。
同時に弦を鳴らす。
「『蠍の矢』!」
「『蛇の矢』!」
巨竜の視界に割り込む、蠍の矢。
乗り手たるアキを狙う、蛇の矢。
一直線に飛ぶ黒い矢と、弧を描く毒の矢。
アロが呻く。
アキが回避の為に身を傾がせる。
(良し――――!)
好機。
そう判じた瞬間、アキの顔に笑みが広がる。
アルケオはアロの首元から身を乗り出し、腕を振り上げた。
その手には七位の矢。
「じゃァ――――」
しなる腕から、矢が飛ぶ。
「まッ!!!」
ただの放擲に過ぎないそれは、アルケオの筋力によって恐るべき一撃と化した。
矢は中空で飛散し、乱雑に飛来する。
狙いは四位。
更に視界を妨げられたアロが大きく脚を振り上げ、下ろす。
振動。
回避に移ろうとした身がぐらつく。
「御免!」
さっと獣面が俺たちを抱き、跳ぶ。
地面が遠ざかり、空中へ。
顔を上げる。
アキが槍を構えるがごとく、放擲の姿勢に入っている。
槍の代わりは、己の身に受けた針。
「!!」
アキが腕を振り下ろす。
「ったああぁ「御免」ぁぁぁっっ!!!」
衝撃。
俺と四位が空中で真横に吹き飛ばされる。
獣面だ。
俺たちを抱える獣面ではなく、別の獣面。
「?!」
俺たちを空中で蹴り飛ばしたのは六位の獣面だった。
アキの投げる矢は空を切り、遥か彼方の土に刺さる。
着地。
震動が骨と歯を揺らす。
(こんな動きが――――!)
獣面が別の獣面を援護する。
俺の知らない戦い方だ。
――いや、知ろうとしなかった戦い方。
ガルルル、と犬じみた低い声。
銀竜は着地したばかりの六位の獣面目がけて駆けだし――
「もらった。『骨の矢』」
真横から飛来する三位の矢。
脛に当たる部位に直撃。
破裂音。
ごがあ、とアロが苦悶を上げる。
「さっきからこの繰り返しです」
着地した四位が呟く。
「アロも乗り手も良い動きをする。七位と三位によく食らいついている」
「俺がいます。これ以上の繰り返しはありません」
蠍の目が俺を見る。
柔らかな笑み。
「もちろん。信頼していますよ、九位」
「はい……!」
呻く銀竜に更なる矢の雨。
「アキ! さっきまでの威勢はどうした?!」
三位が挑発と共に矢を放つ。
一。二。三。
一二三。
一二三、一二三。
一二三、一二三、一二三。
真横から降る驟雨の矢に、銀竜はたまらず尾を振り、吠える。
矢を弾いたアロは顔を三位に向けた。
邪さを感じる小さな目。
低い唸りを発する顎。
激怒そのものの表情。
「逃げたらどうだ? こっちは一人増えたぞ?」
アキの目が俺に。
浮かぶのは嘲り。
「笑わせないでよー! 一人じゃなくて半人ぐらいでしょ?」
三位は否定しない。
誰も否定しない。
俺も、否定できない。
少なくとも今は。
「引き下がらないか、アキ!」
ぎょっとする。
「?! 三位?!」
「何それ? 交渉のつもり?」
「そうだな。今なら見逃してやる」
三位が骨の矢を折りたたむ。
「捕虜への尋問を中断してここへ来たんだ。お前の相手などさっさと切り上げて、続きをやりたい」
「捕虜……?」
「名前、何と言ったかな? お前のお友達は確か――――」
三位はアルケオ数人の名を上げた。
おそらく、二位が捕えた連中だろう。
「助けてください許してくださいとよく泣いていたよ、小鳥のようにな!」
アキの顔色が変わる。
「キンキン喚くうえに、猿だ猿だとうるさいから――――」
三位が浮かべるのは嗜虐そのものの笑み。
「――羽をぜんぶ毟らせたよ! はははっっ!!」
「……!!」
「見たいか? 傑作だぞ? ……ああ、そうだ! 冒涜大陸に攻め込む時は、奴らを柱に括って先頭に立てよう! 肉の盾だ!」
三位は骨の矢を開く。
こりり、こりり、と嘲るように。
「いや、大人では盾にもならないか。……そうだ、子供にしよう! なあ、お前は帰っていいから巣の場所を教えてくれないか?! 忍者を山ほど送り込んで、片っ端から攫ってやる!」
「お――――」
アキの顔面が憤怒で歪む。
「前ええええっっっ!!!!」
銀竜の出現にも劣らぬ殺気。
空気はびりびりと痺れ、肌がちりつく。
もはや鳥すらいなくなった世界で、葉が木々を離れる。
が、奴は一直線に突っ込んでは来なかった。
アキは怒りで我を失わなかった。
むしろ怒りこそが彼女に新たな血を巡らせ、新たな視野を開かせた。
「……!」
顔面を歪めたアキが何かを吠える。
アロの顎が向きを変える。
その先は――――
(御楓……!)
アロの頭の先に見えるのは橙色の城、そして門。
数を減らした怪鳥が、矢の雨の中を逃げ惑う。
全員の時が、一瞬止まる。
アロは後ろ足の筋肉を曲げ、舌なめずりした。
跳躍のために力を溜めるかのごとき仕草。
「獣面!! 行かせるな!!」
獣面のうち六人が一斉に飛び出す。
直後、アロが地を蹴る。
半秒早く飛び出した忍者。それを追う銀の風。
どだっどだっどだっという泥散らし音。
六つの黒粒は風のごとく駆けるが、巨竜の速度の方が遥かに上だった。
競うように駆ける六人と一頭。
追い抜かれるまさにその瞬間、忍者が一斉に撒き菱を放る。
抱えるほど大きな棘玉。
重量を乗せて踏めば「馬ァァ鹿」
「!」
アキが嗤う。
どっ、どぼおお、と。
大量の土を巻き上げながらアロが急停止。
地面に生じたのは、牛が埋もれるほどの畝。
アロが両脚を曲げ、身を斜めに傾けながら止まる。
「行くのは――」
放られた撒き菱の山を背に、アロが俺たちを見る。
獣面の庇護を失った十弓を。
「お前らを―――――」
乗り手、アキ。
怒りに歪んだ顔。
曲がったアロの脚が、伸びる。
「殺してからだああああっっっ!!!!」
ぼっ、と。
土砂を巻き上げたアロが反転する。
「!!」
全速力で駆けていた獣面は止まれない。
急停止しているが、すでにアロに置き去りにされている。
銀竜は瞬く間に最高速に乗る。
津波。
あるいは土石流のごとき速度。
「……!」
向かう先には、ランゼツ三位。
距離、百歩ないし百五十歩。
旋逆巻で逃げるにも遠すぎる。
(っ)
体が救助に動こうとする。
矢を射るか。
直接飛び込んで助けるか。
蓑猿もいる。
命じれば――――
四位に肩を掴まれる。
「!」
目が合う。
七位の目を見、六位の目を見、踏みとどまる。
三位は一歩も引かず、吠えた。
「アマイモ十位っっ!!」
葦原で最も鈍い弓取り。
額に芋蔓を巻いたアマイモ十位は、既に攻撃態勢に入っている。
弓を引く時、彼女はまず両脚を大きく開く。
そして左を向く。
弓を握る左拳が左足の爪先につくよう、ぐっと身を屈める。
ここまでが、攻撃態勢。
十位は右手で掴む矢を弦に添える。
そこから、一気に。
水底の漁網を引き揚げる漁師のごとく、一気に。
身を持ち上げながら、弦を引く。
めぎぎぎりり。
帆船の軋むがごとき怪音。
十人がかりで張った弦。
切り出すだけで斧数十本、加工に鋸百本を要する堅木の弓。
世界で最も強い弓が、楽器と化して異音を奏でる。
めぎりりり。ぎりりり。
鳥。犬。魚。虫。
命あるものすべてが逃げ惑う。
雲。風。草。土。
命持たぬものすべてが強張り、歪む。
星の矢。
骨の矢。
俺の獺祭。
当たれば死ぬ矢は少なくない。
だが十位の矢は違う。
彼女の矢は、『射線に立つ』だけで死を意味する。
死を招く一弓。
アマイモ十位の顔が、感情で歪む。
悲哀と怨嗟。
「『弔の矢』」
次の瞬間、何かが真上に飛んだ。
矢ではない。
腕だ。
いや、正確には、脚。
――アロの前脚。
真上にひゅんひゅんと飛んだそれを見上げながら、誰もが音を聞く。
ぼっ、という、弓にありえぬ異音。
空気が破裂したかのように震える。
矢は遥か彼方へ去り、既に誰の目にも映らない。
残されるのは結果だけ。
アロが速度を緩め、ゆっくりと立ち止まる。
その首が僅かに動いた。
人間の『肩』に当たる場所に――――溝が生まれていた。
十位の矢が通り過ぎた痕。
溝は桜色。
まだアロの肉体が、矢を受けたことに気付いていない。
一拍遅れ、血が噴き出す。
嘆くように。
ぶぱっと溢れたそれは銀の肉体を汚し、竜は腕をもがれた痛みに吠える。
ぐるるる、という呻きに似た咆哮。
「……!!」
怒りに浮かび上がって見えたアキの黒髪が、ふわりと肩に落ちる。
彼女の視線もまた、ゆっくりと己の傍へ向けられた。
バリスタに匹敵する致死の一射。
ほんの少しでも狙いがずれていたら、アロの頭もろとも己が射抜かれていた。
それを悟り、アキの顔が白く、蒼くなる。
「あの……ごめんなさい」
十位は残心に移っている。
顔には無慈悲な慈愛。
「死なせてあげられなくて……ごめんなさい」
人間を串団子に変える、最強の一射。
海を割り、雲を散らし、地を引き裂く、葦原最強の一弓。
アキとアロの脳内で鳴り響く警鐘が、俺の耳にも届くようだった。
「畳みかけるっっ!!」
四位が駆け出す。
最適な距離、角度へ。
「『蠍の矢』!!」
一射。
倒れ込みかけるアロから視力が奪われる。
均衡を失う巨体の上で、アキが動こうとする。
「『蛇の矢』!!」
立て続けに放った俺の矢が、アキの右方、続いて左方より迫る。
アルケオの戦士は一射を回避し、二射目を掴む。
「『氷の――「っらああっっ!!!」」
己の背後で聞こえた七位の声目がけて、アキが掴んだばかりの俺の矢を放つ。
が、矢が貫いたのは被衣一枚。
傍には忍者一人。
声帯模写。
「!」
アロの傷口を蹴った七位が、アキの真横へ。
「『氷の矢』」
交差した剣弓から、針じみた矢が飛ぶ。
アキはアロの後頭部を蹴って回避。
更に針一本を掴み、地面へ落ちる七位に向ける。
「『影の矢』」
びす、とアキの傍を矢が駆け抜ける。
それは一瞬の後、大量の粉塵を吐いた。
ツボミモモ六位の袖が強い風で揺れている。
「毒よ。吸ったら大変」
「……!」
勢いを削がれ、七位を見逃したアキを狙う者がいる。
赤紫の狩衣。
乱火車で矢を手に。
「『骨の矢』!」
矢を番えた三位が、獲物を前にした虎のごとく歩む。
涎が見えるほどの艶めかしい足取り。
矢が飛ぶ。次々に。
鮮血を噴く溝に。
突き刺さる矢が次々に破裂し、血と肉と脂が飛散した。
ごろろろ、とアロが呻く。
「十位!! やれ!!」
「!」
アキの注意が十位に向いた瞬間、俺たちは一斉に矢を放つ。
蛇、蠍。
影、氷。そして骨。
五種五様の矢の嵐。
「!?」
その狙いはすべて――――アロの趾。
無数の矢が爪の肉を削ぎ、筋を裂き、突き刺し、えぐる。
外れた矢も足首の肉を削ぎ、腱を痺れさせる。
「~~~~~~~!!!!」
再び、アロが吠える。
アキもまた吠える。
出し抜かれたことへの怒りと悔しさで。
攻め手のすべてが空を切る怒りと悔しさで。
顔の向きを三位に向け、再びアロが駆け出す。
巨体にあかせた突進。
ずどん、と地に頭突き。
持ち上がった頭から、土塊の雨が降る。
「……!」
旋逆巻で離脱しようとしていた三位の上方と前方から大量の土砂が降る。
四位と俺は同時に矢を放つ。
視界を削ぐ矢と命を削ぐ矢。
その双方をものともせず、アキの駆るアロが勢いを増す。
「獣面!」
三位が叫ぶや、アロを追っていた獣面六名が舞い戻り、三位を抱える。
二人が踏み台に、四人が三位を抱え、跳ぶ。
中空で更に二人が踏み台となり、三位を押し出す。
馬と牛の面に抱えられた三位は、アロの目と同じ高さで矢を構える。
「『骨」
両脚を曲げ、黒髪を靡かせながらの一射。
それは開いた顎に吸い込まれる。
「の」
回転し、落下しながらの一射。
それは柔らかい喉に突き刺さる。
「矢』ッッ!!」
着地。
衝撃を散らしながら、逆巻に移行しながらの一射。
それは狙い違わず、血を噴く溝に突き刺さる。
三度。
手拍子を打つようにして肉が爆ぜる。
その度にアロが身を震わせ、悶える。
「『氷の矢』」
アキが振り向く。
その背に向けて、俺は矢を放っている。
「『蛇の矢』」
しゃおおお、と迫る矢。
アキがすんでのところでこれに気付き、側転しながら回避。
そこへ、アロの身を蹴った七位が飛び上がる。
「『氷の矢』」
「……!」
アキが矢を掴むべく、手を開く。
――だが七位は構えたまま、射ない。
一瞬の後、七位の左右に忍者が飛び上がる。
「!」
手裏剣とくないの雨がアキに降り注ぐ。
濁った女の悲鳴。
「! 七位!」
アロが尾を振り上げ、落下する七位と獣面を打ち払わんとする。
着地すればそのまま全身の肉を潰される。
その間合いで――――六位が矢を放つ。
かららら、と天輪の回る音が遅れて聞こえる。
「『影の矢』」
放たれた矢はアロの鼻先を掠める。
何らかの液体が飛散。
ぎゃろろろ、と悲鳴に近い声。
おそらく目と鼻を潰す酸だろう。
六位と目が合う。
頷くまでもなく、俺は矢を構えている。
「『蛇の矢』」
「『蠍の矢』」
四位と呼吸を合わせた射撃。
黒矢がアロの動きを封じ、曲矢がアキの再起を妨害する。
おごろろろろ、という苦しみに満ちた咆哮。
アロの口から涎がまき散らされた。
泡立ち、粘る唾液。
銀竜が赤く染まり始めている。
腕を失った身は揺らぎ、執拗に趾を傷つけられたことで姿勢が崩れかけている。
(――――)
静かな昂揚があった。
いつかのブアンプラーナの戦いとは違う。
偶然に偶然を重ね、奇跡的に呼吸を重ねたことによる興奮ではない。
ある種の予定調和を含んだ、何かが積み上がり、噛み合うような達成と満足。
バラバラの木材が組み合わさり、釘一つ使わず家屋の形を造るように。
まったく異なる色彩の糸が交じり、一枚の絵画を織るように。
皆、本気だ。
だが全力、死力を尽くしてはいない。
熱血に任せて駆け回り、息を切らし、ぜえぜえと疲弊しながら戦っているわけではない。
ただ、呼吸を合わせる。
信を置き、命を置き、心を置く。
信を置かれ、命を置かれ、心を置かれる。
一射と一射を噛み合わせ、繋げ、連ねる。
一に満たない力を六つ束ねて、十にも二十にも至る力を発揮する。
これが『十弓』の戦い。
「ぐ……!」
銀竜もろとも縫い留められたアキが、よろりと身を起こす。
既に肉体は傷だらけで、そこかしこに七位の矢が突き刺さっている。
アキが竜に何かを囁く。
「とどめを!!」
三位の号令で全員が矢を番える。
アキは銀竜から降りようとしたが、獣面が斜め上方に手裏剣を放ち、それを妨げる。
三位の矢。
最も警戒するそれを、アキは屈んでかわす。
七位の矢。
何度も受けたそれを、アキは素早い疾駆でかわす。
四位の矢。
軌道すら見えぬその矢は、アキの視界を削り取る。
六位の矢。
粉塵を散らす正体不明の矢が、アキの動揺を誘う。
そして――――
「『蛇の矢』」
間隙を縫う俺の矢。
アルケオの意表を突き、一直線に飛ぶ矢。
こちらを見たアキは怒りと共に手を伸ばす。
矢を掴もうと。
手を開く。
曲がる矢。
伸びる矢。
アキはその二つしか知らない。
「――『蝮』」
アキの手元で矢が跳ねる。
藪から飛び出した蛇が噛みつくかのごとく。
三位と違い、アキは防具など着けてはいない。
鏃は肘に突き刺さった。
「……ァッ?!!」
痛みに呻いたアキが、ずるりと滑り落ちそうになる。
両脚。
アルケオの両脚から力が抜け始めている。
「う、く……!!」
麻痺。
両脚を無様に垂らしたアキは、かろうじてアロの首にすがりついている。
「――――!」
主の異変に気付き、銀竜が動きを止める。
ごるるる、ごろろろ、とアルケオと竜が吠え合う。
それは互いを慮るようにも感じられた。
アロは下半身の動かないアキを乗せて走ることができない。
少しでも動けば主は落下し、踏まれるか矢の雨を浴びて死ぬ。
だがこのままでは敵に何の損害も出せず、諸共に死ぬ。
アキは動けと命じる。自分のことはいいから、一人でも多くを殺せと。
思うままに暴れ、敵を討てと。
逃げろ。
できない。
そんなやり取りがあったのかも知れない。
それを無慈悲に切り裂いたのは――――帆船の軋む音。
ぎぎぎぎりりりり、と。
アキが顔を上げる。
アロが気づく。
だが既に――『攻撃態勢』。
「さようなら、アキちゃん」
アマイモ十位が別れを告げる。
「弔の」
直後、何かが十位の傍に落下する。
石。
ただの石。
高高度から落ちたそれは獣面の手で受け止められ、遠く放られた。
が、続いて黒い影が十位を通り過ぎる。
甲高く、不気味な鳴き声。
その瞬間、ほんの僅かに、十位の集中が乱れる。
「アキ!」
巨大な怪鳥が舞い降り、アキの両肩を掴んだ。
そこかしこに矢が突き刺さっており、痛々しい悲鳴を漏らしている。
怪鳥の乗り手もまた、深手を負っている。
前髪を頬まで伸ばした女は血だらけだった。
アキを掴んだ怪鳥が飛び上がる。
鷲が魚を掴むように。
「トビ!!」
「アキ! おかしいね、おかしいよ……!」
飛び上がりながら、小柄な女は抗議するように吠える。
「いっぱいいたいよ?! いっぱいいた……!!」
見る見るうちに離れ行く怪鳥。
俺はそれを呆然と見送る。
(っ。一位と二位が仕損じた……?!)
「トビ!! 離して!! 私はまだ――――」
「だめ!! 死んだらだめ、死んだらだめよ……?!」
二人の声がぐんぐん離れていく。
「――――! ――!」
「――? ――――、――――?!」
「――――!」
(っまだ届く……!)
下半身をだらりと垂らしたアキはこちらに背を向けている。
俺は矢を構えたが、四位の手が制した。
「……」
「……」
目配せ。
怪鳥が完全に飛び去ろうとするその刹那、ツボミモモ六位が矢を番えるのが見えた。
しゅっと放たれた小さな矢は怪鳥の尻に刺さった。
麻酔でも塗り込んでいるのか、怪鳥はまったく反応しない。
アキもこちらに背を向けているので気づかない。
「!」
矢羽付近から青い塗料が滴る。
自然界にはあり得ないほど濃く鮮やかな青。
(あれは……!)
刹那、銀竜が動く。
回転するように、一度。
放たれた十位の矢が、長い尾を破る。
衝撃で狙いが逸れ、矢はアキにも怪鳥にも当たらない。
それは目視してからの反応ではなかった。
アキと十位を結ぶ直線に、無理やり己の尾を割り込ませたのだ。
「!!」
ぼだっ、と尾が地を叩く。
血が噴き出す。
悲鳴に似た咆哮。
「――!!」
アキが顔を僅かに動かし、竜の名を叫ぶのが聞こえた。
だがアルケオと怪鳥はすぐに遠ざかり、豆粒となって消える。
ごろろろろ、と。
俺たちの視線を遮るように、銀竜が吠えた。
右脚、左脚。
順に地を踏み鳴らす。
己の健在を示すかのように。
だがあちこちで血がしぶき、趾を傷つけられた脚は曲がりかけている。
尾を失い、腕はちぎれた。
満身創痍。
否、もはや死に体。
だが、放たれる殺気は帳のごとく俺たちの行く手を塞ぐ。
いささかも衰えぬ怒気と覇気。
鞘打ち棄てた武士のごとき佇まい。
「~~~~~~~~っっ!!!」
ごろろろろろ、と。
枷を外されたかのごとく、銀竜は高らかに吠えた。
これで思うがままに戦える、と言わんばかりの、快哉にも似た咆哮。
「剛毅」
四位がそう声を漏らした。
七位もまた、神妙な顔でアロを見つめている。
「傘門十弓、お相手仕る」
矢が番えられる。
銀竜が地を蹴る。
弔の矢。
その声を最後に、戦いが終わる。
――――俺の長い一日も。




