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「ランゼツ。イチゴミヤ」
銀色の咆哮がまだびりびりと鼓膜を震わせる中、カヤミ一位が呼びかける。
普段より少しだけ大きな声で。
「よていにないが、やれますか」
返答はない。
ランゼツ三位とイチゴミヤ四位は赤紫と桜の狩衣を翻し、ただ一位に背を向ける。
「飛んでいる個体は?」
「わたしが」
「お一人でやれますか? 予定外ですが」
三位の口から皮肉がこぼれると、一位はぼんやりと天を仰いだ。
魚影を思わせる黒い影はなおも地を這い回る。
「ひとりでじゅうぶんです」
一位の両脇を兎と鰐の獣面が抱えた。
そして後方へ大きく跳ぶ。
向かう先には武士の曳く馬。
「九位。はなしがあります。きなさい」
跳びながら、一位がそんな言葉を残す。
蚤さながらに飛び跳ねる忍者は瞬く間に馬上へ。
「!」
俺も追わんとしたが、蓑猿は膝をついている。
舞狐はいない。
走るしかな――
「蛇飼いを連れていけ。ボクに補助は不要だ」
七位の獣面が俺の両脇を抱えた。
梟と蛇の面。
地を蹴る気配に、思わず身を硬くする。
「七位! 俺はいいからあいつを――」
銀色の異竜を突き刺すように指差す。
長い咆哮を終えた恐竜は後足で軽く土を掻き、頭部を上下させている。
目線の先には三位と四位、それにツボミモモ六位、ネコジャラシ七位、やや離れてアマイモ十位。
それらを順に見た銀竜の目には、どこか邪な光。
開いた口から、熱く獰猛な息が漏れている。
「疲弊している! やるなら今が――――」
「うるさい。指図するな。呼ばれてるんだからさっさと行け」
かっと身体が熱くなる。
「っっ!! 話を聞け! 銀色の奴は危な――」
かん、かん、かん、と。
御楓から警鐘が聞こえる。
手近な家屋への避難を呼びかける合図。
――『家屋への避難』。
堅牢な城ではなく。
門の外でもなく。
猪の襲来や嵐と同じ危険度。
(!)
振り返ると、十弓が連れていた武士や弓兵は後方へ退くところだった。
取り乱しても、慌てふためいてもいない。
魚群や雁を思わせる統制された動き。
銀竜と対峙するのは三位、四位、六位、七位、十位の五人と、それぞれの獣面だけ。
「……え、その数でやるの? 本気?」
いつの間にかアロの頭に登ったアキが薄く笑う。
「あ、もしかしてそれも知らないのかな? この『銀斬銀青』は普通の恐竜とは違「奇遇だな」」
三位が小さく肩を揺らした。
「私も同じことを考えていた。お前相手にこの数……一位の本気を疑うよ。どう考えても――――」
親指を仲間に向けながら、嘲笑。
「多すぎる」
「……へー。どこから来るの、その余裕」
「それを聞きたいのは私の方だ。九位を何度も殺し損ねたお前が、どうしてそう自信満々なんだ?」
「……」
「ああ、その家畜がいるからか? なるほど。こちらを家畜家畜と嘲ったお前が、家畜の強さに頼るのか。これは恥ずかしいな」
乱火車。
三位の手の中で三つの矢羽が踊る。
「いいから来い。お前のキンキンした声は耳に障る」
アキが目を見開き、喉の奥から声を上げた。
グロロロロ、という遠雷を思わせる音。
右脚、左脚の順で地を踏んだ巨竜が咆哮でこれに応じる。
「~~~~~~~~!!!!」
土砂崩れさながらの轟音。
十位の声などとは比べものにならない、草を根から吹き飛ばすがごとき咆哮。
銀竜が十弓に突撃する。
逆巻ですら回避できない速度。
獣面が主を抱え、左右へ大きく飛び退く。
その音と光景がぐんぐん遠ざかる。
視界の隅では下忍数名がプルを確保し、更に遠くでは大豆程度の大きさとなった馬が駆ける。
戦地が遠ざかり、草地が遠ざかる。
すとん、と忍者が着地する。
一位は馬の尻に腰かけていた。
「かいしゃくだけでよいとつたえよ。つねにさんにんでうごき、つねにうえをみよ、と」
兎と鰐。
一位の獣面は一言も発せず、主の言葉に耳を傾けている。
「あとはてはずどおりに。みかえでにはちかづくな、と」
一位の獣面が頷き、左右に散った。
その場に俺を残し、七位の獣面も戦地へ舞い戻る。
カヤミ一位は正面から俺を見た。
細い指が馬の鞍を示す。
「たづなを。とんでいるものをいかけます」
「! は、はい!」
馬に飛び乗る。
二十を越える怪鳥はいまだ天を旋回していたが、いくつかが御楓へ向かい始めていた。
「まず、みかえでへ。あれとへいそうするぐらいのはやさで」
馬の腹を蹴りつつも、ようやく血の巡った俺は叫ぶ。
「一位! あ、あの銀の恐竜は――」
「いまはよい」
「しかし……! 俺は何度も「九位」」
「はい?!」
「もんだいありません」
「っ! しかし……! うっ」
急降下した怪鳥が一匹、俺たちの傍を過ぎる。
俺は両手が塞がり、弓は握れない。
かろうじてかわすと、怪鳥は嘲るような鳴き声を残し、再び天へ。
「一位! と、とにかく御楓に指示を――」
ふう、とカヤミ一位が息を吐く。
「九位」
「何ですか?!」
「しずまりなさい。みぐるしい」
「っ」
「……」
機を窺う呼吸。
御楓へ向かう烏帽子頭の怪鳥はぐんぐん高度を下げて行く。
揺れる馬上に立ち、一位が矢を取った。
静かに、淑やかに。
きりりり、と小気味よく弦が引かれる。
つと、つとと、と何かが滴る音。
「『星の矢』」
ぴしゅ、と。
細く短い音を伴い、一直線に矢が飛ぶ。
斜め上方へ、線を引くように。
線は淡い緑色に濡れている。
いくつかが矢の軌道に従って滴り、地に落ちる。
まるで青天に生まれた裂け目から、中の果汁が滴るかのように。
矢は狙い違わず、一匹の頭部を射抜いた。
低く飛ぶものではなく、高く飛ぶ一匹を。
射抜かれた怪鳥がぐらつく。
だが所詮一匹。群れ全体に影響はない。
一瞬の後、矢の軌道に火炎が咲く。
油の筋を伝うように。あるいは稲妻が夜天を切り裂くかのように。
鮮やかな橙色の炎が宙を走っていた。
真昼の空に咲いた炎は、ばぢぢぢ、と奇怪な火花を散らす。
続いて、ぱ、ぱぱぱ、と軽い破裂音。
無数の火球がまき散らされ、しゅおおお、と箒星のごとき支流すら生まれる。
火炎に巻かれ、火花に目を焼かれ、火球を浴びた群れが大混乱に陥る。
隊列は乱れ、甲高い悲鳴が轟く。
いくつかは急降下し、いくつかは急上昇し、いくつかは互いの身にぶつかってもつれ合う。
数匹の怪鳥は燃え上がり、身悶えしながら落下していた。
(!)
最も大きな一匹が体勢を崩した刹那、俺は見た。
背に一人のアルケオが乗っている。
「そくどそのまま。まっすぐ」
きりり、と一位が次なる矢を番えた。
次に放たれた矢は、敵を射止めるより先に炎を纏った。
空中に描かれる複雑な火炎の螺旋。
明るい朱色の炎は不規則に破裂し、飛び散り、怪鳥に降り注ぐ。
まるで炎の綿が中空でちぎれたかのように。
落下した怪鳥は武士の手で息の根を止められ、再起を許されない。
地に落ちるまでもなく、低空に至った個体は下忍の放つ手裏剣と弓衆の矢で針鼠に。
見る見るうちに群れは散らされ、怪鳥の死骸が地に積み上がる。
――『隕石』と呼ばれる現象がある。
季節も時間もお構いなしに、天から降り注ぐ正体不明の岩石。
夜天からすべりおちた星と説く者もいれば、大気から生み出された鉱物と説く者もいる。
世界中の学者がいまだその正体を知らない、青天の向こう側からの便り。
一位の鏃は隕石から取り出される『隕鉄』で造られる。
この矢に、隕石と共に採取される正体不明の緑色の液体、『星涙』を絡めたものが『星の矢』。
あまりにも複雑怪奇で予測不能の炎を発するため、一位以外の人間は取り扱うことができない。
不用意に射た者は目鼻を焼かれ、その身を炎に包まれる。
運が良ければ焼死できるが、そうでなければ世にも惨い目に遭うと噂されている。
(これが……)
間近で見るのは初めてだった。
なぜなら一位が『戦う』こと自体、俺の前ではほぼなかったからだ。
曲芸だ、花火だ、などと揶揄する声があることは聞いていたが――――
「!」
怪鳥がぐんと速度と高度を落とした。
烏帽子頭がこちらを向く。
雀蜂の大群さながらに馬へ突っ込んで来る。
「……。くるか。ではもうすこし、へらすか」
馬の尻に立つ一位は茶碗を取る気安さで矢を番えた。
そこには僅かな動揺すら感じない。
「すこしみぎへ。……よい」
弦が鳴る。
ぴしゅ、と。
「『星の矢』」
空を切る矢。
今度は火炎でなく、もうもうとした黒煙を纏っている。
鏃から尾を引く黒煙は墨が滲むようにして天を覆い、怪鳥の視界を塞ぐ。
宙でよろめく怪鳥の一匹が顔を射抜かれ、落ちる。
そこへ次の矢。
射抜かれた一匹の落下より早く、淀みない。
今度の矢は敵を射抜くや、不吉な赤黒い炎を膨らませた。
喩えるなら、焼け爛れた人肉色のシロツメクサ。
その周囲に、ぼ、ぼ、ぼっと忌まわしい花が小さく咲く。
数匹の怪鳥が焦げ、苦しみながら地面へ。
「……!」
曲芸や花火などでは断じてない。
火矢などともまるで違う。
これが『星の矢』。
九位、という声で我に返る。
「いくつかといます。うまはみかえでにいれず、しゅういをめぐらせよ」
俺は呻くように「はい」と答える。
「ひとつ。あなたのじゅうめんは?」
「ひ、一人はエーデルホルンに。もう一人は俺と共に……いや、今しがた戻りました」
「エーデルホルン? ……。……もしや、『さぎのくろいやわいかなしいはね』のごえいですか」
「! はい」
なるほど、と頷きながら一位は接近する怪鳥を射抜く。
後方ではアロが吠える音。
どだん、どだん、という振動がここまで届く。
「ひとつ。よなかにほうこくもなくがいしゅつしたりゆうは?」
「っ」
譴責を含んだ問い。
俺は謝罪しかけたが、一位は重ねた。
「二位がとおでをひかえよといっておったはず。それをおしてまで、みかえでをはなれたりゆうは?」
「……。申し訳ありません。友人の妹が囚われていると聞いて……」
「なぜわたしや二位にそうだんしなかったのです?」
「っ。それは……」
「いっこくをあらそうにせよ、でんれいのひとりやふたり、よこせたのでは?」
(……)
セルディナとプルの件に関われば、一位、ひいては十弓とブアンプラーナ王室との関係がこじれる。
彼らの一件は俺個人の問題であり、一位や十弓は巻き込みたくなかった。
動くのが俺一人なら、「ワカツ九位がセルディナに与した」で話は済む。
ひとまず、そうした事情を話す。
「あなたなりのはいりょですか、九位」
「……はい」
「はいりょにもよしあしがある。たにんにただしくはいりょできるほど、あなたはじんかんにふかくみをおいてきましたか」
「……」
「ひとをきらい、ひとをうとめば、みえなくなるものがあります」
弦が鳴る。
先ほどまで騒がしさに包まれていた世界が、冷たく静かなものに感じられた。
「ブアンプラーナおうしつとのかんけいがほんとうにもんだいになるのなら、ほうこくをうけたわたしはだれかべつのものをたよったでしょう。セーレルディプトラさまをしじするもの、りようしたいとおもうものはけっしてすくなくない。……ですがそれいぜんに、かれにくみしたていどでかんけいがあっかするほどわたしのたちばはひくくはないし、ブアンプラーナのおうはきょうりょうでもない」
「……」
「まつりごとのせかいはあなたがおもっているほどちいさくも、あさくもない。がくしゃやぶんかんがおもうほど、ゆみのみち、ぶのみちがちいさくもあさくもないように。……まつりごとはおろか、じゅっきゅうきぼのせいじからもきょりをおいていたあなたがわたしのたちばにはいりょするなど、わらいばなしにもなりません。やおやがいしゃのちりょうにくちをだすにひとしい」
「ぅ」
「わたしはあなたのじょうしです。つまらぬはいりょなどいらぬ。もんだいがおきたら、すぐにたよりなさい」
「はい……」
水色の狩衣が俺の後頭部を撫でた。
馬の呼吸が聞こえる。
「それで。てにあまるもんだいをじりきでかいけつできるとおもいちがえ、ほうこくはおろか、ことづけすらおこたった。そういないか?」
「……はい」
すぐ傍の地面を、どおっと落ちた怪鳥が燃えながら転がる。
「ひとつ。あなたのひみつのほうこくをよんだわたしが、しんやにあなたをよびだすとはおもいませんでしたか?」
「その可能性は……あるかも知れないと」
だが、すぐに戻れると思っていた。
相手は二十かそこらの雑兵で、こちらもそれなりの手練れ揃いだったからだ。
人は恐竜より弱く、アルケオよりはるかに弱い。
敵にアルケオが混じっている可能性はあったが、対処できると思っていた。
以前と違い、手元には獺祭があった。
俺は万全だった。
万全なら遅れは取らないと思っていた。
――いや、違う。
心のどこかで、「アルケオを返り討ちにしてやりたい」という想いがあった。
奴らにはさんざん脅かされ、振り回され、煮え湯を飲まされてきた。
確かに冒涜大陸では、アキからただ逃げるばかりだった。
だが未踏の大地を脱した俺は着実に強敵を打ち破ってきた。
唐では複数人がかりとは言え、アキと五分に持ち込んだ。
不意を突いたとは言え、ヨルの片目を奪った。
ブアンプラーナでは巨竜を仕留め、怪鳥の群れを仕留めた。
シャク=シャカを含む強者と共に、アルケオの一人すら討ち取った。
葦原に戻ってからは大貫衆の戦士と引き分け、首長竜すら仕留めた。
十位も、八位も、七位も。
俺が成長したと言っていた。
俺もそれを感じないわけではなかった。
俺は、少なくとも以前よりは、真っ当な俺になれていた。
強さでも賢さでも測れない『成長』があったことを感じていた。
それを確かめたい気持ちが、心のどこかにあった。
確かめるとはすなわち、過去の自分を越えること。
アキ相手に惨めに逃げ回っていた頃の俺を越えること。
――――アルケオを、自分の手で討ち取ること。
俺はおそらく、逸っていた。
そして、判断を誤った。
万全でありながら不覚を取った。
俺の考える『万全』など、アキには大した意味を持たなかった。
「ふそくのじたいはよそくできない。わたしにも、あなたにも、だれにも」
一位は俺の考えを見透かしたかのように呟く。
「ふそくのじたいに、おもいがけないこんなんに、ちえとゆうきでうまくたいしょする。たしかにそれはすばらしい。ですがそれはじぜんにすぎない。さいぜんのみちは、そうしたじたいにおちいらぬよう、あれこれそなえること。おのれのしっぱいをよそくできず、ぜんごさくもよういしないのは、しりょがあさいというほかない」
「もっとも、です……」
「『へいにとってのさいあくは、しなどではない』。これはなんどもといたはず。いまいちどきもにめいじなさい。あなたがねなしぐさのようへいでなく、あしはらのへいならば」
「はい……」
そして、と一位が静かに唇を湿らせる。
「ゆうべ、ほうこくにめをとおしたわたしはあなたをさがさせたが、みつからない。じゅうめんもいない。かじんもゆきさきをしらない。やむなくわたしは七位をむかわせ、たいきさせた」
「! それで七位は俺の家に……?」
「ほかになんだとおもったのです?」
「茶を飲むためだと……」
「にぶい」
「ぅ」
一位が再び矢を放つ。
今や周囲は火と煙に包まれており、そこかしこで怪鳥が焼けていた。
香ばしくもおぞましい肉の匂い。
だが、一位の攻めは苛烈ではなかった。
その気になればまだまだ多くの死骸を積み上げられるだろうに、ほどほどのところで手を休めている。
俺の振る舞いを責めるためではない。
何か意図があるらしい。
「ひとつ」
白煙に紛れたところで一位が声を小さくした。
「サギがあるけおのぐんじんではないことは、しっていましたか?」
「? ……はい。確か彼女は雑事を担当する『安』だと」
「そうです。いわば、あるけおの『じょちゅう』です」
そこで気づく。
怪鳥が空を飛んでいる理由に。
サギの話と目の前の光景が食い違っている理由に。
「かのじょのはなしはおおむねただしいのでしょう。ですが、じょうほうりょうがふそくしているぶぶんがあった。それはとりわけ、『つめ』にかかわるはなし」
一位の水筒がちゃぷりと音を立てた。
「なぜならかのじょは『あん』だから」
「……サギも知らされていない情報があった……」
そうです、と一位が応じる。
「さぎのこどもをたすけるときに、とりとたたかったそうですね」
滝裏での戦いを思い出す。
あの時の相手は、トロオと怪鳥だった。
「それは、あれににていましたか」
一位は焼け焦げた死体の傍を指差した。
「はい」
「はねのないとりです」
「……。……はい?」
「きゃつらのほうじる『しそさま』と、にているようでちがう。つまりそういうことです」
「?」
つまりどういうことなのか。
「サギのこどもをたすけながらあのおおきなとりとたたかった九位は、こうおもったことでしょう。『もしかするとこのとり、あるけおがてなずけているかもしれない』と」
「!」
思わなかった。考えもしなかった。
死線をくぐるのに必死だったから。
「うっかりものなら、とりをくんれんしたあるけおがそらをとんでくるかもしれない、とわめきちらしたかもしれない」
ですが、と一位は続ける。
「九位はけんめいでした。さぎのはなしによると、あるけおはとりをたべないという。しそさまというそんざいがあるから。……なら、あのおおきなとりをてなずけたり、ちょうきょうしているかのうせいはひくい。そうかんがえた」
「……」
「そうかんがえましたね?」
「え、いえ……どうでしょう」
「……」
「……」
一位の醒めた表情が目に浮かぶようだった。
「あれは『はね』をもっていない。とりではなく、とかげのいっしゅ。ブアンプラーナでも、あなたはにたせいぶつとたたかっている。つまりぼうとくたいりくにおいて『はねのないとり』はけっしてめずらしくない」
「……!」
「ティラノすらしたがえるかのじょらが、なんぜんねん、なんまんねんものあいだ、そんないきものをみすごすわけがない。ましてかのじょたちにはつばさがあり、わずかなきょりをかっくうすることができる。『そらをとぶ』ことへのしょうけいはおそらくつよい」
「一位。それは――」
「あなたのほうこくをよみ、わたしはこうかんがえました。『あるけおにはそらをとぶぶたいがそんざいする』。そして『サギはそれをしらないのだ』と」
「……」
「すいそくにすぎませんが、『あん』にしらされていないのは、のりてがかるいもの――つまり、わかいこたいをちゅうしんとしているからでしょう。あるけおとてむてきではない。くんれんであれあそびであれ、そらからおちればしぬ。そんなきけんなやくめをわかいこたいにまかせていると『あん』にしられれば、はんぱつをまねくかもしれない。……また、あくようをふせぐためでもあるでしょう。そらとぶきょうりゅうのことがしれわたれば、どれいににげられるかもしれないし、わんぱくなこどもがきょうみほんいであれにのり、しそさまをきずつけるかもしれない」
そうだ。
一位の務めは俺の報告をただ見聞きすることではない。
俺では気付けない『何か』に気付くこと。
俺はそれを見届け、聞き届けなければならなかった。
だが――――
「すでににくしょくきょうりゅうをしたがえているきゃつらが『そらとぶぶたい』をつかうことはたえてなかった。だが、いまはわれらがいる。やつらは『そらとぶぶたい』をようしゃなくつかってくる。そしてつかうなら、それはおそらく『てきのじゅんびがばんたんでないとき』か、『じょおうをにがすとき』のいずれか」
「!」
「あるけおにとっては、いまがぜっこうのきかい」
俺は視界に映るものに気付き、声を上げる。
「一位! 鳥が……!」
かなり数を減らした怪鳥が、御楓へ向かっている。
こちらを襲ってもいたずらに数を減らすだけだと察したのだろう。
「ん。……いくか。ぐあいがよい」
「御楓に入られます! 急ぎ迎撃を!」
「いれてよい。げいげきはかれらがやります」
御楓の家屋の屋根に、弓取りの姿が見えた。
数十名の弓兵を束ねるのは、赤い狩衣のミョウガヤ五位。
それに白い狩衣のギンレンゲ八位。
更に遠く――城に見えるのは青い狩衣のニラバ二位。
「ゆうべ、でんしょどりがきました。エーデルホルンに、そらとぶきょうりゅうをつかうあるけおがでたと」
「!」
「九位のほうこくがあったので、じょうきょうはだいたいわかりました。きゃつらのもくてきもけんとうがついています」
「空を飛ぶ恐竜の……ですか」
「それと、アキです」
「?!」
「どちらももくてきはおなじです。おそらくですが。……わたしのかんがえどおりなら、あしはらがあとまわしにされるのもむりからぬこと」
「それは……?」
「あとでよい」
みかえでへ、と一位は短く告げる。
「わたしはいっけいをあんじました。……とてもかんたんにいえば、まちぶせです」
一位が橙色の城を見やった。
「みやこをかこうさんとしのうち、ぼうとくたいりくにもっともちかいのはここです。しろというめじるしもあり、いかにもおそいやすい。ねんのため、みかすみとみやなぎにもつかいをだし、みやこにもぼうびをかためるようていげんした。これでそらとぶぶたいはかえりうちにできる、と。……ですが、かんじんのあなたがいない。じゅうめんもおらず、れんらくもいっさいつかない。しかも、もどってきたかとおもえばあるけおをつれている」
「……」
「じゅっきゅうのうち、おうらいのたたかいにむかぬものをぶかとともにそとへだし、『そらとぶぶたい』のえさやくと、ついげきやくをまかせるつもりでした。が……あるけおがまちなかにいすわっている。しかもようじんをつれて」
「……」
「みやこへいかせぬためにも、そらとぶてきにはみかえでをおそってほしい。そのためには、たみくさにふだんどおりのくらしをつづけさせるひつようがある。けいしょうをぎりぎりまでならさず、できるだけふかくくいこませ、きしゅうがせいこうしたとおもわせるひつようがある。たしょうひがいをだしてでも、そらとぶぶたいはそうきゅうに、かくじつにうちとらねばならない。……なのにあるけおが、ちゃやでもちをたべている」
「……」
「あまりぐあいのよいはなしではありませんでした」
「俺も……同じ立場なら、そう思うと思います」
「ですよね」
一位の声は冷たかった。
俺も指先が冷えていた。
「アキがかいわをひきのばしていることにはきづきましたか?」
「……いえ」
「われわれがあなたのていあんをあっさりのんだことに、ふしぜんさは?」
「……特に、感じませんでした」
「もしかしてアキはえんぐんのとうちゃくをまっているのでは、とは? われらがそのけはいにきづくか、あるいはべつのおもわくで、アキをそうきゅうにみかえでのそとへおいだしたかったのでは、とは?」
「思いません、でした」
もしかして、と俺は気付く。
「餅をお召し上がりになっていたのは……お怒りだったから……?」
「……。なぜそういうつまらぬことだけきづくのです」
「す、も、申し訳ございません」
呆れの気配。
しばらく、一位は何も言わなかった。
「これがさいごです」
すっと一位が息を吸う。
「ひとをたよらないくせがあること、じかくしていますか?」
「……。いえ……」
「わざやどうぐ、ちえはよくつかう。でも、九位はひとにたよらない。みにおきたもんだいを、すぐにじぶんひとりでかかえこむ。ひとをつかい、ひとをまきこみ、ひとにたすけをこうというかんがえが、あたまからすっぽりとぬけおちている」
そこで一位の声が鋭くなる。
「たにんにたすけをもとめないのは、びとくでもなければりっぱなふるまいでもない」
「……」
「わたしとニラバ二位はとおからずあしはらをさります。のこるのは、あなたのだいきらいなランゼツ三位と、あなたをさいげんなくあまやかすイチゴミヤ四位。……四位はあなたがいっぴきおおかみをきどることを、そんちょうするでしょう。そしてあなたは、つぎこそとりかえしのつかないあやまちをおかす」
「……」
「きょうここで、あとすこしだけのびなさい」
馬が御楓の門に至る。
既に往来に人はなく、矢の飛び交う音だけが聞こえる。
城から二位。
民家の上から五位と八位率いる弓衆が、それぞれ怪鳥に矢を射かけている。
どだっと落ちた一匹が瓦を道連れに往来へ。
ぱかっ、ぱかっと瓦が割れる。
空中で身を折り曲げた一体が橋の欄干を叩き、川面をばしゃっと叩く。
屋根でばたばたと身悶えする怪鳥を、家人が槍で突き上げる。
「たいぎでした」
ひらりと一位が馬を降りる。
待ち構えていたかのように、二人の獣面が傍に降り立った。
兎と鰐。
「わたしはこれからあれをいます」
御楓の中央に、怪鳥に乗るアルケオが降り立つところだった。
前髪が頬の辺りまで伸びた、当然ながら雌のアルケオだ。
ひどく小柄で、エーデルホルンの外套らしきものを羽織っている。
兎の獣面が一位に何かを囁く。
「つかうわけがないでしょう。みかえでがやけのはらになる」
鰐の獣面が一位に何かを囁く。
「かまわぬ。あまどもとじておらぬいえが……ご、ろく……。おおすぎる」
獣面がさらに何かを囁く。
「ええ。二位に、ながれやをたしょうまちへいかけよと。……われらのひざもととはいえ、このぶようじんさ、あんのんにすぎる。たしょう、きもをひやしてもらいましょう。……三位のてなみもみたい」
九位、と一位が振り返る。
馬を降りた俺は肝が縮んだ思いで膝をついていた。
「はい……」
「はんせいはあとにしなさい。いまははっぷんせよ」
頬を張るようなひと言。
「九位は『やこうしゅ』をころしなさい」
俺が消沈している様を見て、一位が鼻を鳴らす。
「サギがいっていたでしょう。『こがたのやこうしゅは』あるけおのなかまだと。……あれがこがたにみえますか」
一位が暴れ回るアロを示す。
俺は首を振った。
「あれはおそらく、あるけおの『おくのて』です。そらとぶぶたいとおなじで、あんすらしらないつめの『おくのて』」
「……」
「アキもろともここでころせば、やつらはあわをくうでしょう」
「っ!!」
「おもったよりながびいているようです。えんごにむかい、みなときょうりょくしてあれをころしなさい」
小さく、一位が微笑む。
「わたしのもとに、あれのくびをもってまいれ」
膝をつく。
我ながら単純だとは思った。
思ったが、全身を巡る血が熱くなるのは止められなかった。
「承知しました!」
すとん、と傍に蓑猿が降り立つ。
既に呼吸は整っており、門には自前の馬を用意している。
「九位。遅参にてあい済みませぬ」
一礼し、一位に背を向ける。
馬に飛び乗り、手綱を握る。
獺祭はない。
あるのは弓と、脚を封じる毒のみ。
(……)
だがこれでいい。
獺祭は一人で戦う時の毒だ。
今は要らない。
「事の顛末、聞きましてございます。……申し訳ございません。私でなく舞狐なら「蓑猿」」
獣面も手綱を握る。
「恥ばかりかかせて済まん」
暴れ回る銀竜の周囲を、獣面に抱かれた十弓が蚤さながらに飛び交う。
放たれる矢の雨。
空気を震わせる咆哮。
「行くぞ」




