76
汗の滴が前髪の一本を垂らす。
虫の重みで細長い葉が垂れるように。
粒はまだ落ちない。
まるで俺の体感する『時』が止まったかのようだ。
忍者との戦いに長期戦は無い。
あるのは即殺。あるいは即殺。
距離、十数歩。
噛山羊は既に攻撃態勢。
アキは気付いている。
声。息遣い。そのどちらも感じないが、緊張が肌に触れる。
垂れた前髪から、汗の粒が離れる。
ゆっくりと落ちていくそれを見ながら、止まった時が動き出すことを知る。
振り返らず、しゃがむ。
頭上を通り過ぎた手裏剣が壁の刃を叩く。
すぐさま、側転。
俺を追う棒手裏剣が、た、た、た、と次々に壁を貫く。
実際には、たたた、と間断なく壁を叩いているはずだ。
だが俺の耳にはひどくゆっくりな攻撃に感じる。
体感時間が何十倍にも引き延ばされているせいで。
音も、空気も、歪んでいる。
泥中を泳ぐような緩慢な動き。
棒手裏剣の追撃が止まる。
アキ。
俺はそう信じ、忍者に背を向けたまま矢を番える。
ぎりりり、とひどくゆっくりと弦が軋る。
あまりにも隙だらけの挙動。
だが、俺の背を貫くものはない。
ただ、何倍何十倍にも引き延ばされた轟音が耳を叩く。
まるで水の中。
敵に背を向けたまま地を蹴り、跳ぶ。
海老のごとき動きで後方へ。
回転しながら着地。
鏃を上げ、初めて敵と相対。
アキの両脚が、二本の小太刀を握る腕を掴んでいる。
アルケオの肉体は宙に浮いており、噛山羊はその重みにやや前のめりとなっている。
忍者の足がびくりと動く。
爪先。あるいは甲に武器。
俺の矢は忍者の胴から脚へ向く。
手を離す。
びいん、と振動。
ゆっくりと離れた矢が足首へ向かう。
池泳ぐ鯉の速度で飛ぶ矢。
噛山羊の黒足袋から短い刃が突き出す。
振り上げられんとした刃が宙で止まり、飛来する矢を弾いた。
きぎい、と音が遅く響く。
既に俺は矢筒に手を入れている。
既に俺は矢を掴み、放擲するための筋肉をしならせている。
既に俺は腰に、脚に力を込めている。
だから、忍者の次の動きに危機感を覚える。
噛山羊の重心が動く。
自らの両腕を掴むアキを、振り回すように俺へ。
濡れ腐る泥色をした貫頭衣の残像。
小さなプルが描く橙色の残像。
つまり己の腕を掴む怪物を盾にする腹。
引くしかない。矢を投げればアキあるいはプルに当たる。
アキなら好都合だが背負っているプルに刺されば、最悪、死ぬ。
だが引けば噛山羊に『間』を許す。
忍者の攻め手は無数。攻勢を許せば不利。
一瞬の判断。
俺は勢いを緩めない。
靴裏で地を蹴り、振り回されるアキに自分からぶつかる。
肩と肩が触れる。衝撃が全身を揺らす。
竜巻あるいは渦潮に飲まれるようにして、噛山羊の回転に巻き込まれる。
俺と忍者の間に障害は無い。
アキとプル諸共振り回されながら、腕を振り上げる。
鏃には毒。
それを知らぬ獣面はいない。
噛山羊の腕が焦りで軋む。
が、俺の体勢が崩れる。
アキが忍者の腕掴む脚を離し、宙で回転していた。
このまま振り回されれば、どう着地しても背中の少女が重傷を負うからだと気づく。
爪が離れるや、噛山羊の上腕がしなる。
忍び装束の手首を破り、無数の針が飛び出す。
ゆっくりと飛来する針が、まだ宙にいる俺の頬を刺し、耳を刺し、首を刺す。
勢いを削がれたところへ、忍者の掌底。
悪あがきの一撃だったが、俺は後方へ突き飛ばされる。
後方には卓。ぶつかれば背を強打し、動きが止まる。
動きが止まれば忍者に『間』を与える。
攻勢を許せば、死。
俺は守勢に転じない。
片方。片方だけ、宙で足を曲げる。
突き飛ばされた先で靴裏が卓に触れ、衝撃が伝う。
蹴り、跳ね返るように飛ぶ。
『毒だ』
針を喰らった顔の半分が、同意するようにずきりと痛む。
だがその嘘は俺に通じない。
針は殺傷部位が二か所ある。
己を傷つけかねない暗器に忍者は毒を塗らない。
燕のごとく飛びながら弓を振り抜く。
振り抜き始めた時には既に、噛山羊が虎のごとく伏せ始めている。
半歩先を読む目。
半歩先に動く身。
これが獣面。忍者の頂点。
噛山羊は振り抜かれた弓をくぐる。
矢のごとく飛ぶ俺の下へ忍者が滑り込む。
まるで交差する天の鷹と地の虎。
忍者の手に小太刀。
狙いは俺の脚。
飛びながら膝を引く。
脛に衝撃。
銀の三日月が二つ閃く。
僅かに遅れ、金属音。
ブーツに仕込んだ鉄板が凶刃を防いだ。
己の臍を見るように頭を動かす。
頭頂部が地を向き、目には逆さまの世界。
矢はとうに番えている。宙を飛びながら、放つ。
逆さまの忍者は残心の最中。
当たる。そう信じ、放つ。
忍者が小太刀を手放す。
残心放棄。
目が合う。
手が伸び、矢が掴まれる。
迷いのない動き。
至近距離で『蛇の矢』が使えないことを知られている。
肩から地に落ち、回転。
振り返らず、忍者に背を向けたまま横へ跳ぶ。
一拍前に自分が居た場所に、矢と針が突き刺さる。
強い。勝てない。
そう頭が叫ぶ。
だが勝つ。弱くとも勝つ。
そう心が叫ぶ。
弱ければ弱さのままに勝つ。
心が喉を裂き、吠える。
決断と共に振り返る。
脚に力。
跳ぶための備え。
姿勢を低くした忍者が、一瞬で距離を詰める。
否、詰めて『いた』。
知覚した時には既に過去。
一歩で、三歩分。
目の前。
振り上げられた腕。握られる刃。
追撃のため力む脚。
完璧な攻撃態勢。
退かず、前へ。
なおも前へ。
仮面に唇が触れるほど前へ。
忍者の膝を踏み、蹴りを封じる。
小太刀を弓で受け、地に残した足裏に力を入れる。
踏んだ膝を蹴り、肩を踏み、飛び越える。
宙で弓を手放す。
両手を靭に。
矢を二つ取り、着地より早く一射。
射撃ではなく、投擲。
忍者が半身を逸らし、かわす。
二射。
弓ほどの速度無し。
そう判じた噛山羊は悠然と回避し、俺の噴いた唾を目に浴びる。
呻き声。
好機。
斜め上に飛び上がる膝蹴り。
骨と肉の感触。
衝撃に貫かれ、忍者がのけ反る。
後方では弓が軽やかに地を叩く。
忍者が背中から倒れ、呻きながら一度跳ねる。
跳ねたところへ、ブーツを振り下ろす。
顔砕き。
かわされ、土を踏む。
焦げ茶の飛沫。
足を払うため、忍者の腕が動く。
先読みではなく、対応。
俺の思考が半歩先。
足払いより早く両脚を土から離し、自ら浮く。
跳ぶのではなく、浮くだけ。
ただし、仰向けの忍者の真上へ。
宙で片膝を折る。
全体重を乗せ、胸へ落ちる。
当たれば心肺を潰す一撃。
何かが腰を絡める。
忍者の脚。
下半身が蛸のごとく動いている。
宙で絡まれ、振られる。
予想不能の角度、速度で土に叩き付けられる。
受け身を取れず、立ち直りが僅かに遅れる。
忍者が飛び跳ねる音。
危機感と共に地を押し、立つ。
僅かに速く、忍者が刃を振り下ろす。
かわせない。防ぐしかない。
刃が濡れている。
毒。
心臓がぎゅっと縮む。
死と相討ちを覚悟する。
刃が止まる。
忍者の顔が激しく揺れる。
粉々に砕けた面が左方へ飛び、顔の半分を打たれた男の顔が露わとなる。
青目に無精髭。若くはない。
飛び蹴りを見舞ったアキが着地。
両手は後方に回したまま。
弾かれるように靭から矢を抜く。
ぐらついた忍者の口から、針。
アルケオの戦士は僅かな動きで回避し、しゃがみながら回転。
頭をぐっと地に寄せた、顔面への回し蹴り。
空を切る。
武の心得なき蹴りは、動きに無駄が多い。
忍者は容易に回避し、刃を振るわんと構える。
花弁のごとくアキの五指が開く。
人間ではありえない、『蹴りからの掴み』。
忍者は既に趾の動きを見ている。未知の動きではない。
だが目に唾。そして涙。
顔を痛打された直後という状況。
判断。反応。行動。
そのすべてが遅れる。
アルケオの脚に掴まれた忍者の頭が、そのまま地面へ。
ぶぐ、と鼻がひしゃげる。
更にもう一度、アキの脚が蹴りさながらに動く。
掴まれた忍者の頭は、果実も同然。
振るわれた勢いで卓に叩き付けられ、骨が鳴き、鼻血が噴く。
アキが俺を見る。
矢を掲げ、忍者の脚に深く突き立てる。
痙攣。
続いて、麻痺。
戦いが終わる。
半分ほど。
「――」
「――」
息遣い二つ。
アキが五指の力を緩め、忍者を手放す。
どさりと土に落ちる噛山羊。
その片腕を――へし折る。
苦悶。
逆の腕をアキが脚で掴み、折る。
また苦悶。
戦いが終わる。
八割ほど。
忍者の口に両手を入れ、左右に。
がぶん、と顎が外れる。
戦いが終わる。
九割ほど。
時間にして、ほんの一分足らず。
まず耳が時を取り戻す。
土、砂、刃、風の音が聞こえる。
続いて目。
ぱらららら、と驟雨さながらに砂粒が床を叩く。
肉体が激しく上下する。
限界を超えて打った心臓が、空気を求め暴れている。
口を開けたままの忍者が喘ぐ。
片目だけがぎょろりと動き、俺を見る。
「自害は――」
言葉を出すのが、何年ぶりにも感じられる。
「――させん……!」
思い出したかのように、全身が熱に包まれた。
ぶわりと汗が噴き出し、肌を濡らす。
ややあって、ふいい、とアキが安堵の息を漏らした。
「いやー、びっくりした」
俺はどうにか呼吸を整え、周囲に敵の気配がないことを確かめる。
両手を戒められたまま、アキは爪で噛山羊を示す。
「これ、強い人? さっきの人と顔が似てるけど」
「俺の部下の方が強い」
「ふーん……」
鍵に向かおうとするアキを「待て」と呼び止める。
山羊の獣面はすっかり脱力しているが、俺は騙されない。
脚に麻痺。腕をへし折り、顎を外した。
それでもまだ忍者を無力化するには足りない。
戦いは九割しか終わっていない。
「手伝え」
「? 何を?」
小首をかしげたアキが、ぴくんと身を震わせる。
やはり察しが良い。
「いいよ。じゃあ、やろっか」
忍者に近づく。
憎悪に満ちた目に、悔しさが滲む。
二人同時に、足を振り上げる。
大の字となった忍者が投げ出した手を、踏む。
踏む。踏む。踏む。
骨を割り、砕き、すり潰す。
砂利を踏むような音が聞こえるまで。
蝋燭に照らされた俺たちの影は、踊っているようにも見えた。
戦いが終わる。
完全に。
小太刀を受けた弓には亀裂が入っていたが、重傷ではない。
僅かに狙いは狂うが、誤差だ。
そもそも、俺の矢は精密さにこだわらない。
アキは忍者をほぼ丸裸に剥き、脚で手裏剣を弄んでいる。
プルはその近くの地面に寝かされている。
戦闘中、やや乱暴に振り落とされたにも関わらず、完全に寝入っているようだ。
(……)
問題はここからだ。
それを思い出させるように鼓動が高鳴る。
どくっ、どくっと。
また全身に熱い血が巡る。
錠を外せばプルは解放される。
だがアキは俺を逃すつもりがない。
なら、戦いが始まる。
アキと俺の戦い。
万全のアルケオと、獺祭を失った弓兵の戦い。
――いや。
鍵を外す時点で弓を置き、靭を外すよう命じられることは目に見えている。
その状態で戦いが始まれば、ほぼ一方的に俺が不利だ。
(……)
檻に囚われていた蓑猿はまだ来ない。
鍵を開くのに手間取っているのか。
それとも本人が言った通り、あえてルーヴェの元へ向かったのか。
俺の護衛より優先するということは、やはり外にいるのはアルケオなのか。
それとも他の要因が――――
「ねえ、ワカツ」
アルケオの戦士は後ろに回った手を持ち上げる。
物欲しげな表情。
俺は殺意を隠さず、彼女を見据えた。
「この枷なんだけどさ」
屈託のない笑み。
「このままにしよっか?」
数秒、ぽかんとする。
ゆっくり、染みるように理解する。
「……は?」
「鍵、ワカツが持ってていいよ。私はこのままで」
「――――」
まるで訳が分からない。
俺は針で射抜かれた頬に触れ、その熱と痛みでどうにか気持ちを落ち着ける。
枷を解かない。
それによってアキに何の得があるのか。
両腕が動かなければ彼女の戦闘能力は大幅に落ちる。
アルケオの巣に戻ることも、何らかの役割を果たすこともできないはず。
「今ここで解いたらさ、ワカツと私、殺し合うことになるでしょ?」
「……」
「その内、さっきのお姉さんも来ると思うのね。で、外のお仲間も来るでしょ? それはアキちゃんに具合が悪いから、今のままがいいなって」
「嘘だ」
「うん。嘘だよ」
赤いアルケオはあっけらかんと言い放つ。
目には緑の光。
「嘘だけど、ワカツは断れないよね?」
「……」
「だって鍵を外したら、私とやり合わないといけなくなるし。今さっきの動きで分かったでしょ?」
ごく単純な真理。
「私、ワカツより強いよ? 脚だけでも全然勝てちゃう」
もちろん、と明るい声が続く。
「やりたいならやってもいいけどさ。……ワカツ、負けず嫌いっぽいし? アキちゃんに勝ちたいって気持ちは分かるな~」
「……」
「でも、軍人なら他にやることがあるでしょ? それに責任とか何とか、ね」
「……」
「私にもあるの。だから、まだワカツと殺し合いたくはないかなって」
「俺とやり合ったら、勝ち負けに関わらずお前の任務に支障が出るのか」
「そーそー! そういうこと」
「……」
「もちろん最終的には外してもらうけどさ。今ここじゃなくて、もっと後の方が都合がいいの」
ぱららら、とまた砂粒が落ちる。
まだ三人の敵が残っているはずだが、物音はまるで聞こえない。
プルを護送する馬車の方にいるのだろうか。
外の恐竜は少し離れた場所で暴れているようだ。
セルディナとルーヴェは無事だろうか。
シアとナナミィは。
「どうする? 選んでいいよ?」
今この場でアキの錠を解き、十中八九負ける戦いに臨むか。
互いの務めと立場のため、あえて休戦を続けるか。
運が良ければ、アキを倒せるかも知れない。
麻痺毒を食らわせるだけでも、蓑猿やシア、ルーヴェ、ひいては葦原に寄与することになりうる。
だがその可能性は細く頼りない。
事実上、俺はプルだけなく自分の命をも盾に取られている。
(……)
先ほど、アキがこう言った。
自分は戦士だから命惜しさに好機は逃さない、と。
俺も戦士だ。
命惜しさに好機は――
(……違う)
好機ではない。
今陥っているのは危機。
行く手に見える光はやぶれかぶれの先にある幻。
アキに挑み、傷一つつけることができなければ俺は犬死にだ。
気持ち良く死ぬことを選ぶな。
務めを思い出せ。
(――――待て。そもそも……)
俺はアキをじろりと睨んだ。
「お前、錠をつけたままどうするつもりだ」
「どうって?」
「どこにも行けないし、何もできないだろ」
「それをワカツに手伝ってもらうんだよ~」
「……」
選択が固まりかける。
敵に与するぐらいなら、今この場で死んだ方がマシだ。
「あ、これは任務とか女王様は関係ないよ。個人的なお願い」
「?」
アキは、にたーっと笑った。
山を下ると、そこら中の木々が薙ぎ倒されていた。
めくれた土から湿った香りが漂い、そこかしこで動物が逃げ惑う。
馬車には誰も残っていなかった。
灯りだけがぽつんと残されている。
シアも、ナナミィも、下忍もいない。
ルーヴェも、セルディナも、蓑猿も。
彼らとの合流を待つことは許されなかった。
アキは速やかに『俺がここへ来た手段』へ案内することを求めたからだ。
拒めばアキは暴れ、プルが死ぬ。少し遅れて俺も死ぬ。
情けなさを噛みしめながら、同時に、得体の知れない疑念を抱きながら、俺はここへ来た。
(……)
山から音は聞こえない。
もう恐竜あるいはアルケオは討ち取られたのだろうか。
それとも――――
「おおー。いいねいいね」
アキは二頭の馬をしげしげと見つめている。
背中にはプル王女。
枷はそのままだが、よく見ると拘束されているのは手首だけだ。
つまり、爪はある程度動く。
その気になれば少女の脚を引き裂くことも可能だ。
「後ろ、誰も来てないみたいだね」
アキは闇の中を見やった。
アルケオの視力は人間より上だが、化け物の域に達しているわけではない。
心から確信しているわけではないのだろう。
だがルーヴェは違う。
彼女は確実に俺が下山したことを察知している。
それを知れば蓑猿も動く。彼女はアキの知覚範囲に入ることなく、俺を追跡できるはず。
問題は、その二人のどちらが来てもこの状況を打破できないことだ。
シアでも、ナナミィでも、セルディナでも不可能だろう。
欲しいのはアキを一瞬で――つまり、獺祭以上に確実に仕留められる人間。
あるいは、プル王女を殺すことに何の痛痒も覚えない破廉恥な人間。
もしくは、アキと対等に交渉できる人間。
そんな奴がいるだろうか。
――いる。
いるのだ。
ここにはいないが。
これから向かう先に、いる。
それも大勢。
アキが顎で御者席を示す。
「じゃ、行こうか」
二人でのそのそと席へ。
俺は弓を置き、手綱を握る。
んふー、とアキは俺に顔を寄せた。
背にプルを負うため、彼女は背もたれに身を預けない。
預けるのは体側だけで、体の正面は俺に向けている。
「嬉しいな~。ずっと行きたかったんだよねー」
「――――」
「『葦原は良いところだ』」
やや険しい表情となったアキが、低い声で言う。
「『ここから出たら連れて行ってやる。旅費は俺が持つ』」
脅すような声音。
「それ、俺か?」
「他に誰がいるのさー」
「……そんな不機嫌な顔じゃなかった」
「んーん。こんな感じだったよ?」
「……」
手綱を振るうと、馬が歩き出す。
夜風が頬を撫でると、寒くもないくせにアキが俺にへばりつく。
(……)
じきに朝陽が昇る。
弓取りの朝は早い。
腕利きなら誰もが、ともすれば夜明け前から弓を引く。
そして護衛の獣面は眠らない。
俺では無理でも、『彼ら』なら。
「楽しみだなぁ。どんなところかな」
俺たちの目的地は――――
「……御楓」