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万竜嵐  作者: icecrepe
【家畜の女王】
82/91

75

 

 暗い通路を抜けると、上下に広い卵型の空間が広がっている。


 幾つかの燭台に灯る炎。

 まぶしく輝いて見えるのは、目が暗さに慣れたせいか。


 二階に立つ俺に気付いた者はまだいない。

 よほど油断しているのか。あるいは、俺の忍び足が上達したのか。


 見下ろす先でくつろぐのは目だし頭巾の武士二人。大太刀を枕にする傭兵が一人。

 卓に転がっているのは骰子さいころと金。瓢箪ひょうたんは行儀良く立っている。


 耳に痛いほどの静謐。

 蝋燭の火は身じろぎ一つせず、光の輪郭だけが騒々しく闇に抗う。


 灯りを咥えたアキは後方で息を殺している。

 援護をするつもりはないのだろう。


 俺は一度通路の闇に沈み、矢を番えた状態で再浮上する。


 階段を下りながら、まず一射。

 ひゅぱ、としなるむちを思わせる音。

 肩を射抜かれ、傭兵が声もなく崩れる。


「ちょっと聞きたいんだが、いいか?」


 俺は矢を番えながら声を上げた。

 武士二人はすぐさま太刀を抜き、頭巾の穴から俺を睨む。


「蠍の煮物からザムジャハルの青が獲れた時、刑部省ぎょうぶしょうの反対側には雷が泡立つのか?」


 慈しみを込めた言葉。

 男たちが疑問符を浮かべる。

 その時には既に、俺は弦のを聞いている。


 俺の手を離れた蛇の矢が、大きく迂回しながら一人の男へ。

 頭巾の死角を狙ったため、鏃は側頭部に突き刺さる。

 真横から殴られたかのように男が体勢を崩し、力むことも堪えることもできないまま倒れた。


「忍者から聞いてないか?」


 俺はゆっくりと、心配するような声を上げつつ階段を下りる。

 手は矢へ。矢は弦へ。

 番えながら、問う。


「赤い恐竜の喉からは、鳥肉の斜めにわらびはかまが浮き上がるんだって?」


「?! ?!」


「お前じゃない。後ろの奴に聞いてるんだ」


「っ」


 男は己の後方を振り返った。

 一瞬の後、背中という四角い的の中心に矢羽が生える。


 男の取り落とした太刀が、かひんと石床を叩いた。

 続いて肉体。米俵に似た重たげな音。


(……肩、頭、背中)


 まともに喋れるのは一人だけだ。

 その一人は自分の脚が動かないことに気付き、ぱしぱしと腿を叩いている。


 俺は武士二人に近づき、それぞれが取り落とした太刀で喉を裂いた。

 鮮血が噴き出し、床と壁と俺を汚す。

 出血の勢いのせいか、まだ生きていたからか、片方が両腕をわななかせた。


「名乗りが遅れたな」


 俺は傭兵に近づき、大太刀を握る手首を折るほど強く踏んだ。

 男の手を離れた大太刀の峰にブーツの爪先を引っかけ、遠くへ蹴り飛ばす。


「傘門十弓のワカツ九位だ。逆賊を討ちに来た」


 きりり、と番えた矢を顔へ向ける。


「何人かは生け捕りにするが、他は殺す。……お前はどっちがいい?」


 かひゅー、かひゅーという奇妙な音。

 男はあまりの出来事に錯乱しかけているようだった。


 無理からぬことではあった。

 突然肩を射られるだけならまだしも、下半身が完全に麻痺したのだ。

 多少荒事に慣れた男でも、理解が追い付かないに違いない。

 まして、自分を射た男は意味不明の言葉を吐きながら仲間を射殺したのだ。


 もしかすると先ほどの名乗りも聞いていなかったのかも知れない。

 その証拠に、男は化け物を見る目で俺を見上げている。


「俺が許すまで口を開くな。黙って息だけしてろ」


 俺は矢を向けたまま、じっと耳を澄ます。

 近くに敵はいないらしい。


 仕方なく、男の呼吸が落ち着くのを待つ。

 ぼうっと待つだけでは肉体の熱が冷めるので、口を動かすことにした。


「人は意味のある言葉を聞き逃すことができないらしい」


 アキが階段を下りる爪音。


「特に自分の緊張を喚起する言葉が混じると、必ず耳と頭の注意を向ける。たとえそれが意味のない言葉の羅列だったとしても」


 二人の武士は『ザムジャハル』『恐竜』といった単語に反応してしまった。

 そして俺の発した意味不明の言葉を理解しようと、耳と頭を働かせてしまった。

 奴は何と言ったんだ、と。無意識に自分の記憶を探ってしまった。

 そこに隙が生まれる。


 もちろん、ただ話しかけるだけではこうもうまくは行かない。

 弓兵の間合いは数十歩。殺すつもりなら近づく必要はないし、親し気に言葉をかける必要もない。

 だが俺はわざわざ階段を下り、敵意ではなく懇意らしきものを声に込めた。

 出会い頭に行動で男たちを惑わしたからこそ、言葉による混乱を引き起こすことができた。


 やじりに塗ったものだけが俺の毒のすべてではない。

 言葉に乗せ、手足の動きに混ぜ、目配せに仕込む。

 俺は形を持たない毒も使う。


「落ち着いたな? 三つ数える。ここにあと何人いるか言え。言ったら帰りの席を用意してやる」


 三つも数える必要はなかった。

 男はただちに「十人……!」と掠れ声で応じた。


「お前たちの目的は?」


 男の回答は明快だった。


  『大義は知らない』。

  『ただ今回は、プル王女の引き渡し』。

  『自分は用心の為に雇われた人足に過ぎない』。


「『今回は』?」


 眉根を寄せる。


「前回もあったのか? それに加わった奴は?」


 前回どころか、遡れば数年前からこの砦は稼働していたらしい。

 目的は基本的にザムジャハルへの利敵行為。

 雇われるのは名も知れぬ浪人や傭兵がほとんどで、払いの良さと機密性から顔ぶれはいつも同じ。


 赤い袴の男が最古参で、その次は黒い羽織りの男だ、と傭兵はぺらぺらと語った。

 そいつらが今夜、どの部屋で寝泊まりしているのかも。


 俺は頭に叩き込んだ砦の間取りと男の話を照合した。

 おおむね信用して良さそうだった。


「で、偉い奴の顔は見たか?」


 男は最も高圧的に振る舞っていた二人の人物について話した。


 一人は山羊の仮面の忍者。

 これは想定内。


 もう一人について聞かされた俺は、自分の耳を疑った。




「狩衣を着たやつ……?」




 呻いた俺は、危うく鏃を男から逸らすところだった。

 が、どうにか踏みとどまる。


「色は?」


 萌黄色もえぎいろ

 男はそう呻いた。


 萌黄。つまり黄緑。

 今の十弓にその色の狩衣を着る者はいない。

 では引退した十弓だろうか。

 ――いや、金さえかければ狩衣らしきものを織ることは可能だ。


 男によると、『そいつ』の顔は頭巾で隠されていたらしい。

 背は高いと言っているが、男自身が小柄なので正確なところは不明だ。

 となると、そもそも弓取りかどうかも怪しい。


 義憤に駆られかけた俺は、大きく息を吐く。


(……落ち着け)


 俺は弓取りだ。

 戦うべきは形を持たない陰謀ではなく、形を持つ脅威。

 恐竜と、恐竜人類。

 この二つを見つめ続けるのが俺の務めであり、責任だ。


 今夜、『狩衣を着た奴』の姿を見た者はいない。

 ならば目標は決まりだ。

 噛山羊かんやぎを捕縛する。それだけだ。それ以上のことを考えてはならない。

 さもなくば、檻の二人、アキの背負うプル、外にいるセルディナとルーヴェ、馬車のシアとナナミィ、この中の誰かが死にかねない。


「分かった。もういい」


 俺はほっとする男に、自分の脇差を鞘ごと咥えるよう命じる。


「お前が受けた毒は二つだ。一つは足が動かなくなる毒。もう一つは熱に反応する溶解毒」


 男は緊張した面持ちで俺を見上げる。

 まるで死病に冒されたことを告げられたかのようだ。


「溶解毒って知ってるか? 鳥や鼠だけを食うザムジャハルの蛇が使う毒で――噛みついた獲物の肉を溶かすんだ」


 男が額まで青ざめた。

 痛みのことなど忘れているのだろう。


「人の体温は毒蛇の餌より低い。だが叫んだり、騒いだり、無理に立ち上がろうとして体温を上げると、お前の肉は肩から溶ける」


「……!」


「分かったら安静にしてろ。人が溶けるところなんて俺も見たくないからな」


 かくかくと狂ったように頷く男の顔に布をかぶせる。

 その隙にアキが俺の傍を悠々と通り過ぎ、目的地へ続く道へ。


(あと十……)


 薄暗い通路を進む。

 灯りは必要なかった。

 あちこちの部屋から漏れる光で視界はある程度確保されている。


 どこかで虫の音が聞こえた。


「ねえねえワカツ」


 にゅっと俺の右手についたアキが楽しそうに声を潜める。


「さっき何話してたの? 雷がどうとか」


「かく乱するための罵詈雑言だ」


「ばりぞ……何?」


「こっちに注意を向けさせただけだ。意味なんてない」


 ふーん、と言いながらアキが後方へ。

 だがすぐにまた、左方へにゅっと顔を出す。


「ねえねえワカツ」


「何だ、うるさいな」


「何で二人、殺したの?」


 あ、とアキがにやつく。


「狙い、外しちゃった感じ?」


「狙いは外してない」


 アキの鼻をぎゅっとつまむ。

 ほへへへ、と赤いアルケオが呻いた。


 さりげなく片足が後方へ振られているので、すぐに手を離す。

 今の流れで攻撃しても返り討ちだっただろう。


「三人とも生かしたら助けを呼ばれる。騒ぎになる前にできるだけ数を減らす。……捕虜を取るのは最後でいい」


「へえ。一応考えてたんだ」


「一応って何だ、一応って」


「だってワカツ、馬鹿で有名じゃん」


「……ザムジャハルが滅ぶべき理由が一つ増えたな」


 それはそうと、と歩みを戻す。


「お前、何でここに居た?」


「さあねー」


「身内に売られた感じじゃないな。ザムジャハルが裏切ったのか?」


「……」


 アキは笑みを浮かべたまま答えない。

 こいつは快活で陽気だ。

 どことなく軽薄にも見えるが、実際は俺より頭が切れる。

 語るに落ちることは期待できない。


 だったら、情報を出すのはこちらが先だ。 


「不用心だな。ザムジャハルが裏切ることなんて織り込み済みじゃないのか、アルケオは」


「お?」


 アルケオ、という言葉にアキが反応した。

 どうやらこの呼び名はザムジャハルにも知られていないらしい。

 彼女達の協力関係は、思っていた以上に表面的なもののようだ。


「ワカツもこっちにお友達がいるの?」


「かもしれない」


「え、何それ。誰?」


「さあな」


 ぐし、とアキの脚が俺のブーツを踏んだ。

 痛くはないが、邪魔だ。


「おい」


「ねえ誰? 誰、それ」


「聞きたいならお前も話せ」


「……」


 アキの意識がプルに向くのが分かった。


「おい、その子を盾にするなよ。その子を解放する代わりにお前を護衛して、鍵を探してやるって約束だろ。ここで脅しを上乗せするなら、こっちにも考えがあるぞ」


 むー、とアキは不満そうに唸る。


「だいたい予想はつくけどさ、相手にもよるじゃん?」


「相手?」


「その人、私とどっちが可愛い?」


(……)


 サギの姿を思い浮かべる。

 アキが少女なら、サギは淑女だ。

 可愛らしさについては――――残念ながらアキの方が上だろう。


「お前じゃないのか、たぶん」


 アキの頬がてろりと緩んだ。


「へへ~」


 アキは猫のように俺に身を寄せ、ぐりぐりと体を押し付ける。


「何だ」


「匂いつけ。好き好き~」


「鳥臭くなるからやめろ」


 好き放題俺に身をこすり付けたアキは、「ねえねえ」と問いを重ねる。

 両腕が自由なら俺の腕を取ったかも知れない。


「じゃあさじゃあさ、私とその人……もし子供を作るならどっち?」


「俺は変態じゃない。鳥と子供なんか作るか」


「だから『もし』って言ってるじゃん。仮定だよ仮定」


「ありえない仮定はしない」


「もーしーもーだーよー!」


 遠慮のない大きな声。

 ぎょっとした俺は思わずアキを蹴り、通路の先を見やる。


 まだ次の部屋は遠い。

 耳を澄ますが、誰の足音も聞こえない。


「うるさい。女の声は響くんだから黙ってろ……!」


「だってワカツが答えてくれないんだもーん」


 アキは唇を尖らせ、不満を露わにした。


「で、どっち? 私とその人ならどっちと交尾したい?」


「どっちも嫌だ」


「えーらーぶーなーら!」


「っ! だから騒ぐなって……!」


 俺はアキの脚を更に蹴ったが、アルケオの戦士はびくともしない。

 プルが僅かに身じろぎしただけだった。


「選ぶならどっちがいい? ほら言わないともっと大きい声出すよ?」


「……っ」


 アキとサギ。

 どちらが女性として魅力的か。


 片方は終始丁寧な態度を崩さず、俺に貴重な情報をくれた。

 片方は人食いで、今もこうして俺を脅している。

 選ぶまでもないだろう。


「向こうだ」


「敵味方とか、そういうのを抜いたら?」


(……)


 サギは妙齢の女性らしい落ち着きと、包容力とでも呼べそうな温和さを備えていた。

 肉体的にも成熟しており、匂い立つような艶美さがあった。


 一方のアキは――


「……何やってるんだお前」


 アキは身をくねらせ、様々な角度の顔を俺に向けていた。 

 見下ろし、見上げ。左側、右側。

 物憂げに。朗らかに。寂しそうに。怒ったように。

 唇をちむちむと開閉し、時折わざとらしく舌を覗かせる。


 そうこうしている内にアキは少しだけ背を反らし、ぴょこぴょこと爪先立ちで小さく跳ね始めた。

 まさか――――胸を強調しているのか。


 俺は様々な要素を検討し、躊躇なく告げる。


「向こうの方がいい女だ」


 むーっとアキが顔を赤くし、何度も俺に体当たりする。


「ばかー! ばかワカツー! 匂い返せー!」


「うるさ――――っ」




 ぱらら、とどこかで土が落ちた。


 自然に落ちたようには思えない。




 それに――――聞こえる。


 決して傷つけられないほど遠く、しかし振動を感じるほど近くで、巨大な何かが動く音。

 この圧倒的な存在感。


「おい、アキ。今の――」


「来るよ」


 静かな声。

 見れば通路の先の部屋から一人の男が飛び出してくるところだった。


「おっ――」


 何かを言おうとした男は、立ったまま喉を射抜かれた。

 そして両手で矢を掴み、後ずさる。

 俺は素早く駆け、男が倒れないよう支えた。


 喉に刺さった矢を掴み、ぐっと捻る。

 ぶはっと口から血が飛散し、抉られた喉から鼓動に合わせて血が溢れ出す。


 返り血で緑の狩衣が赤く染まっていた。

 ちょうど、青葉が紅葉へと変わるかのように。


 向かう先の部屋で男たちが走る音。

 草履が擦れ、かたかたと何かが落ち、静かな囁きが交わされている。


 俺は闇を抜けるや、死んだ男を突き飛ばす。


 あっと何人かが声を上げた。

 その内一人が俺の矢で顔面を射抜かれる。

 そいつの両手はばたばたと宙を泳ぎ、矢を抜こうと動く。


(――)


 全員、入口に近い。

 それに一人、反応の早い奴がいる。

 小細工は悪手。


 矢を番え、二人目に突進する。


「く―――」


 曲者、とでもいうつもりだったのか。

 体当たりの衝撃で言葉が途切れ、鏃が深く刺さるとその両脚が痙攣する。

 倒れ伏した男の喉に、新たに引き抜いた矢を直接突き刺す。


 振り返る。

 最後の一人が上段に太刀を構え、猪のごとく突っ込んで来る。


 逆巻で大きく距離を取り、番え、射る。

 横に大きくかわされる。


 続く矢を放つ。

 男は同じ動きで回避しようとしたが、そうは行かない。


「『蛇の矢』」


 しゃおお、と矢が生き物のごとく曲がる。

 毒牙に見紛う鏃が男の腕を掠めた。


 掠っただけで十分だった。

 がくりと男が膝をつき、信じられないといった顔でうつ伏せに倒れる。


 都合の良いことに、『赤い袴』がそいつだった。

 俺は先ほどと同じように他の連中の息の根を止め、『赤い袴』に向き直る。


「『十弓』のワカツだ。階位は九位」


 最適な距離から三射放ち、両腕を潰す。

 むぐ、という濁った呻き。

 助けを呼ばないのは古参ゆえの高慢か、それとも潔さからか。


 室内は赤い実を潰したように血だらけだった。

 俺は頬の血を手の甲で拭ったが、汚れが広がるばかりだ。


「ここに来るまでに四人仕留めた。お前以外にあと六人いる。間違いないか?」


「――ああ」


「山羊の忍者はどこだ?」


「知らん」


 うつぼの矢を抜き、直接男の頬を貫く。

 ほぶぐっと苦悶の声。

 舌はかろうじて鏃から逃れている。


「ひらん! ほんろうに……!」


「首謀者の名前は?」


「それもひらん!」


「今夜ここには?」


「お、おらん!」


「そうか。正直に話した礼に抜いといてやる」


 ぎゅぶんと頬の矢を抜く。

 鏃が肉を抉り、血が噴いた。

 長く伸びる苦悶。それでも悲鳴を上げないのは見上げた心意気だ。


「外で何が起きてる?」


「ひょ、きょ、ひょうりゅうだ! 外にきている!」


 やはり恐竜か。

 この辺りは冒涜大陸から離れているというのに、どうやって入り込んだのか。


「ばひゃが、馬車がふぶさえる!」


 馬車。

 やはりプルは今夜中に護送される予定だったらしい。


「安心しろ。潰れるのは馬車だけじゃない。お前らも一緒だ」


 鞘ではなく猿轡さるぐつわを噛ませる。

 もっとも、ここまで来たら騒ぎになっても構いはしないが。

 六人なら正面からでも――




 かたたた、と近くの卓で何かが揺れた。

 それは水を張った碗だった。


 水面に波紋が広がっている。




「――――!」


 ラプトルが少々騒いだところで、こんな振動は起こらない。

 ティラノか、アロか。首の長い奴か。

 いずれにせよ、かなりの大型だ。


「アキ。外にいるのは何だ?」


 俺は後方からのそりと現れたアルケオに問う。


「何って恐竜じゃない?」


「お前が呼んだのか」


「しらなーい」


 アキはぶすっとしている。


「恐竜が暴れたらここが崩れるかも知れない。鍵が土に埋もれるぞ。暴れるのを止めさせろ」


「私、檻の中にいたんですけど。どうやって恐竜なんか呼ぶのさ」


「……。……確かに」


 では、向こうが勝手に探しているのか。

 その可能性は低いだろう。

 恐竜の嗅覚で地中深くに埋もれたアキの居場所を探り当てられるとは思えない。


「それに止めろって言われてもねー。外にいるのが何なのか分からないと、止めようがないし」


 いや、待て。

 外にいるのが『恐竜』だけとは限らない。


 もしかして――『恐竜に騎乗したアルケオ』なのではないか。

 そう考えた途端、背が冷える。


(アキを探しに来た『誰か』……?!)


 ヨル、あるいはユリ。

 奴らが恐竜を駆り、何らかの手がかりや推測を元にここへ来たのではないか。


 だとしたら――――かなりまずい。

 今ここでアルケオ二人を相手にすれば、俺たちは全滅する。

 獺祭が手元にあったとしても同じだ。

 万全の状態のアルケオは矢を回避するだけでなく、平然と掴んで防ぐ。


(さっきからこいつが与太話ばかりするのは、俺の注意を仲間から逸らすため……?)


 俺は背中に感じるアキの気配に怖気を覚えた。

 問いただしたいが、答えてはくれないだろう。


 今の俺にできることはただ一つ。

 外の恐竜またはアルケオが砦内部に入って来る前に、アキとの決着をつける。


(あと六人――――!)


 俺は適当な陶器を掴み、壁に叩き付けて割った。






 六を三に減らすのは、さほど難しくなかった。


 俺は陶器の破砕音で二人を誘い、一人を捕虜とした。

 更に進む先で一人を仕留めた。

 これで残るは三人。


 そして次の部屋では、思わぬ幸運に見舞われた。


「あ。ワカツ、あれあれ!」


 アキが嬉しそうに声を上げた。

 その視線の先には棚がある。


 棚には数種類の物々しい拘束具。

 どうやらアキを戒めるものと同じらしい。


 そのすぐ傍にはよく磨かれた刀や斧、それに鎖を結んだ木の棒、鎌。

 拷問に使うつもりだったのだろうか。


「鍵あるよ! ほらあそこ! 同じやつだから一緒じゃないの?!」


「騒ぐな」


 俺は棚に近づき、手を伸ばす。




 吊るされた白刃に、山羊の面が映っている。




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