64
俺は巻物をまとめ、紐で巻く。
結構な量だ。
枝葉を削いでも良いのだが、一位にはできるだけ正確に伝えたかった。
「サギ。子供たちと合流してエーデルホルンに行け」
「はい。……重ね重ね、ありがとうございます」
「気にするな。……シア。場所を」
「地図を借ります」
彼女は卓に地図を広げ、エーデルホルン領の一点に印をつける。
「ここです。あまり大人数は入らないと思いますが、幾つか小屋があるので使ってください」
「ありがとうございます」
シアの隠れ家は霧の近くにある。
恐竜の話が世間に伝わった今、わざわざ近づく者はいないだろう。
アルケオもわざわざこの氷雪地帯に向かうことはあるまい。
「私はここでしばらく休んでから、『安』と合流します」
「分かった」
「ワカツさん達の話は口外しません」
「……。懲罰を受けない範囲でいい。どうせシアの母親やアキ達が情報を持ち帰ってる」
サギしか知らない情報があるとすればルーヴェの体質とシアの存在ぐらいだろう。
それに人類側の歴史認識と発生学周りか。
これらの情報はこれから始まる殺し合いにおいて決して重要ではない。
「安と合流したら戦えない奴らを避難させるんだったな」
「はい」
「その後は?」
「できるだけ戦闘に参加せず、状況が落ち着くのを待ちます」
「……。人に襲われたらどうする?」
「逃げます」
「アルケオに戦えと命じられたら?」
「ありえないと思いますが……戦うフリぐらいはします」
「……別に私たちに気を遣わなくてもいいんですよ?」
「いえ。本当に戦闘の意思は無いんです。私たちは」
「……」
シアは訝しむような目で俺を見た。
「分かった」
それ以上は聞かないことにした。
俺は彼女の子を救い、彼女は仲間の情報を吐いた。
既に関係は対等。
サギに何かを命じることはできない。
どうしてもの時は自衛しなければならないだろう。
俺は上着を探った。
出て来たのは矢羽だった。
「持ってけ」
「?」
矢羽を受け取ったサギは不思議そうにそれを眺めた。
羽に使われているのは黄緑色に斑模様の皮。
髪留めと同じ、ニシキヘビの皮だ。
「もし人類に襲われたら、相手にそれを見せて俺の名前を出せ。運が良ければ助かる」
「ワカツ。それは?」
「『十弓』全員がこういう『証』を持ってる。『十弓の某が信頼する人間だからむげに扱わないように』って意味がある」
「紹介状みたいなものですか」
サギは深く頭を下げた。
「もし何か重大な話を耳にしたら、必ずお伝えに伺います」
「無理しなくていい。事が始まったら俺は戦闘域を離れられないから、たぶん接触なんてできない。……」
サギは非戦闘員を避難させて、その後どうするつもりだろうか。
彼女は『戦闘の意思は無い』と言ったが、本当にそれに徹するつもりなのだろうか。
アルケオが勝った時は、それでいい。
だが人類が勝ったら?
奴らは人食いだ。しかも、鎖や首輪でつなぐことのできる弱者ではない。
上の連中は徹底的に滅ぼすことを命じるだろうし、俺もそのつもりだ。
戦後、サギ達が無抵抗を宣言して人類側に交渉を持ちかけても、待っているのは処刑だ。
それは本人にも分かっているはず。
(……)
何か考えがあるのだろう。
ただ、それは俺たちを害するものではないと信じたい。
互いに果たすべき義理は果たした。
話はこれで終わりだ。
「五つ数えたら、まいこが来るよ」
「サギ。服を着てくれ。シア。ルーヴェ。お前たちの『体質』についてはここだけの秘密だ。まだ舞狐にも言うな」
五。
四。
三。
二。
一。
とん、と。
障子の向こうに片膝をついた人影が一つ。
「舞狐か」
「お待たせした」
低く暗い男の声。
サギが僅かに身じろぎする。
「某の居らぬ間、不埒者が出たそうで」
三位付きの二人の忍者、追牛と磨馬のことだ。
不意をついて俺を襲い、あまつさえ指を落とそうとした連中。
「蓑猿とルーヴェが叩きのめしてくれた」
「重畳」
「何も重畳じゃないだろ」
「……で、あるな」
珍しくしおらしい。
どうやら本気で自分の不在を突かれたことを悔しく、申し訳なく感じているらしい。
いや――――
「……」
「……」
「ちなみにここにいるのはルーヴェと、シアと、俺に弱みを握られてる女一人だ。客はいない」
「早く言わんかひよっこ」
やはり。
今のは「お客様用」の態度だったらしい。
舞狐は吐息を漏らし、ふっと鼻で笑う。
「『十弓』が護衛もつけずにうろうろした挙句、獣面ごときに不意を突かれるとは格好が良いですな」
「仕方ないだろ。急いでたんだから」
「敗因は『急いでいたから』か。歴代の『十弓』が聞いたら何と言うでしょうなぁ」
「ぬう」
「あの二人は厳罰に処された。心配無用。……で、そちらのご婦人は良いのか」
「どちらのご婦人だ」
「我らを謀ったご婦人だ」
シアが障子を見据える。
「その節は失礼しましたね、忍者殿」
「まったくだ。貴嬢のおかげで上役にだいぶ絞られてしまった」
「不審者を素通りさせるなんて俺の護衛は優秀だな、舞狐」
「左様。何日も寝食を共にしておいて、鱗一枚にすら気づけん主には相応しかろう」
「何だと」
「けんか、だめ」
ルーヴェがてしてしと畳を叩く。
「シア、だいじょうぶだよ」
「ルーヴェ殿。大丈夫とは?」
「シア、ワカの友達になった」
「ほう」
障子の向こうから舞狐の視線を感じる。
「よろしいのか」
「よろしいんだ」
「承知。事情はナナミィ殿にも聞いておる」
「……すり替えの件、問題になりそうか?」
「ならぬでしょう。むしろ三位殿のやり口の方が問題だ。下手をするとエーデルホルンとの関係がこじれ、会談に悪影響が出ていた」
「だよな。それが分からない人だとは思わないんだが……」
「九位に対する執着のようなものを感じまする。……何か恨まれるようなことを?」
「覚えがない。そもそも俺とあの人は接点が無い。向こうは都勤めで、俺は霧の傍だぞ?」
「で、あるな」
まいこ、とルーヴェが問う。
「かんやぎ、いいの?」
かんやぎ。
噛山羊だ。
ミョウガヤ五位の護衛で、ブアンプラーナの姫君を攫った『獣面』。
舞狐が俺から離れていたそもそもの理由は、その件を討議するためだ。
こうして彼が戻った以上、何らかの結論が出たのだろう。
「どうなんだ、舞狐」
「……。そちらは?」
彼の声が示したのはサギだった。
「サギは味方だ」
「承知。……咬山羊の件、ザムジャハルが噛んでおる」
「ザムジャハルが?」
俺たちの目はシアの広げた地図の西方、砂漠の帝国に向けられた。
「葦原内部にかの国に与する者がおるらしい。それも相当数」
「あんな国についてどうするつもりなんだ」
「才覚次第ではどこまでも成り上がれる気風ゆえ、心地良い者には心地良かろうよ」
実際、と舞狐が続ける。
「九位はザムジャハルに逃れるのでは、という話がござった」
「いつだ」
「都から放逐された直後」
「あそこは敵国だぞ。行くわけないだろ」
舞狐は小さく唸り、同意を示した。
「で、ザムジャハルに寝返った忍者が何でブアンプラーナの姫様を攫うんだ」
「存ぜぬ」
「忍者が寝返った理由は?」
「調査中」
「今後の動きは?」
「検討中」
何一つまともに決まっていない。
この動きの鈍さが葦原の腹立たしいところだ。
「セルディナには?」
「伝えてはおらぬが、早晩知ることになろう」
「分かった。新しい情報があったら随時伝えてやってくれ」
「よろしいのか」
舞狐の声に鋭さが混じった。
「かの御仁が此度の騒ぎの発端であろう」
間違ってはいない。
セルディナがブアンプラーナで俺たちを足止めしなければ、色々なことがもっと円滑に進んだはずだ。
シアの素性を知ることもなかっただろうし、三位と敵対することもなかっただろうし、サギを助けることもなかっただろう。
だがそれは仮定の話だ。
現実に起きたのは――
「彼にも恩がある」
「それは?」
「シアを助けるためにナナミィが動いた。そのナナミィにセルディナが手を貸してる」
セルディナは王家の指輪をナナミィに貸し与えている。
あれがなければ老婆の死体を回収できず、シアは殺されていただろう。
彼なりの思惑あっての行動なのかも知れないが、現実に俺は助けられている。
借りは返す。
恩義には報いる。
「そこかしこで借りを作られるな、九位殿は」
「……要らんお世話だ」
それで、と俺は続ける。
「お前の方は色々と片付いたってことでいいか」
「左様。加えてお話が一つ」
「何だ」
「カヤミ一位より招集の令が」
「都か?」
「御楓」
この街だ。
都でなく御楓で開くということは、四カ国会談絡みではないのだろう。
「分かった。すぐ行く。……」
俺はサギを見た。
このひ弱な物腰。崖で見せた狼狽ぶり。
連れているのは子供が六人。
「どうされた」
「舞狐。サギの護衛を頼む」
「承知。どちらまで?」
「エーデルホルン」
「某、九位殿はその才気たるや煥発、その武勇たるや暴虎馮河のごとく、その優美たるや鶴も頭を垂れるほどであると日々感じて――」
「お前に暇を出してるわけじゃない。この人は身を隠す必要があるんだ」
入れ、と促す。
たん、と障子が開く。
そこには狐面の黒装束が膝をついている。
「驚くなよ」
ふっと舞狐が鼻で笑った。
「某、九位殿には到底及びもつかぬ血の雨、肉の雨、骨の雨を知っておる。今更――」
「サギ」
女が服を脱いだ。
緑の翼と爪を持つ全身が露わになる。
ぴたりと舞狐が動きを止めた。
「こういうわけだ。他に子供が六人ほどいる」
「……」
「舞狐?」
「失礼。九位の将来について深く深く思案しておった」
「嘘つけ。絶句してただろ」
「忍者は絶句などせぬ」
「ほーそうかい」
「……。よろしいのか」
「こいつらは市民だ。『戦争』で殺すわけにもいかない」
「『駆除』なら道理が通らぬ」
「生活圏から追い出せば問題ない」
「……」
「冒涜大陸を通ってエーデルホルンへ向かえ。六人の子連れだ。何があるとも限らない。必要に応じて手を貸してやれ」
シアが首を伸ばした。
「行きはともかく、帰りは大丈夫ですか? サギがいない状態で冒涜大陸を抜けるのは無理でしょう。通行証を――」
「不要だ。某、ザムジャハル以外は出入り自由ゆえ。……」
九位、と舞狐が呟く。
「本当によろしいのか」
「しつこいぞ」
「無礼」
舞狐が一度だけ頭を下げた。
「九位」
「何だよ」
とん、と貝殻を投げつけられる。
「膝に塗られよ」
言われ、全身の痛みが強くなっていることに気付く。
冒涜大陸でついた傷だ。中でも膝がちりちりする。
「毒は使えど薬は使えず……片手落ちよな」
「うるさい。会談までには戻れよ」
「御意」
舞狐がサギに伸ばしかけた手を止める。
「襲われたら斬るが、構わぬか」
「『襲われたら』な」
「……」
「……余計な気を利かせるなよ」
「余計とは?」
「サギや子供たちの首を差し出せば俺の功になるんじゃないかとか、そういう話だ」
少しだけ、間があった。
「九位は勲がお嫌いか」
「好きだ。『俺が掴んだ』勲はな。おこぼれだのお下がりだのは要らん」
ふ、と忍者が鼻を鳴らした。
俺は幾つかの巻物を示す。
「国益にも配慮してる」
「重畳」
「重畳だ」
舞狐がサギの手を取り、立ち上がらせた。
礼儀ではない。サギの戦闘能力を測るために手を取ったのだろう。
「ワカツさん。ご恩は――」
「お互い義理は果たした」
「……そうですね」
「もうおかしな地形を歩くなよ」
サギは小さく頷き、シアを見た。
「シアさん」
「……私?」
サギは言いづらそうに言葉を溜め、言う。
「復讐は何も生みません」
「……」
「たとえ復讐を果たしたとしても、憎悪は心に黒い染みを残します。それは一生あなたを苛むでしょう」
「……」
「差し出がましいことを言います。……どうかその憎しみを忘れてください。そして笑顔と真心に包まれた、幸せな暮らしをお探しになってください」
「それは――」
漏れ出した。
あの冷気を伴う黒い殺気が。
「それは――あなたがアルケオで、私が人間だから言ってるの?」
「!」
(!)
俺と舞狐が同時に身構えるほどの濃度だった。
ベルシェアリーゼが胸の奥にしまい込んだ『殺気』は、今や不可視の煙となって室内を満たしている。
近くにいるだけで息苦しく、肺腑が凍るほどの怨嗟。
(こいつ……)
これまで俺が感じていたのは彼女の表面的な感情に過ぎなかったのだ。
今、シアが発している禍々しい感情こそが彼女が蓄えた本物の『憎悪』。
「仲間を庇っているつもり? 『鷺の黒い柔い哀しい翅』」
シアの横顔には影が差していた。
暗がりに落ちた顔の中で、太刀の断面を思わせる瞳がサギを見据えている。
見たこともないほど冷酷な目だった。
返答次第ではこの場でサギの血肉を散らしかねない殺気。
いや、散らすどころかすり潰して畳の染みに変えてしまうかもしれない。
そんな非現実的な危惧すら抱かせる目つき。
背筋も凍るほどの殺意を向けられながら、サギはゆっくりと首を振った。
「違います。あなたがワカツさんのお友達だからです」
「……」
「あなたが不幸になれば、あなたを助けたワカツさんの努力も無駄になります。それはとても――哀しいことです」
シアの全身から放たれていた殺気が薄らいでいく。
俺と舞狐も構えを解く。
「あなたが不幸であることは理解しました。でも、だからといって自分の不幸に向き合い続ける必要はないはずです。不幸の原因が過ぎ去った出来事なら、それを忘れられるほど幸福な居場所を探すのも一つの道だと思います」
「……」
「それにこれから人類とアルケオは戦争になります。いつ死ぬかも分からない日々を憎しみで満たすぐらいなら、少しでも喜びや嬉しさを拾い集めた方が良いはずです」
何故なら、とサギは息を吸った。
「人は幸せになるために生まれてくるのですから。……それは人類もアルケオも同じはずです」
少し、間があった。
既にシアは殺気を霧散させていた。
ぬるま湯のような空気の中、シアの唇が動く。
「サギ」
「……はい」
「あなたの言っていることは正しい」
「!」
でも、とシアは黒い瞳を細めた。
「私を救う正しさじゃない」
「……」
「幸せな人生を送るより大事なことがある」
「……」
シアは母の外見を伝えた。
サギはその人物の名を知らなかった。
ただ、調べることを約束した。
「さよなら、サギ」
「……はい」
冷たい言葉が交わされる。
「あげる」
ルーヴェがサギの手に落雁を乗せた。
「ありがとう。ルーヴェちゃんもお元気で」
「うん」
笑みを残し、サギと舞狐は去った。
サギの足音が遠ざかると、シアが静かに茶を飲んだ。
「穏健派とでも言うべき集団がいるのでしょうね」
「おんけんは?」
「征服ではなく融和を説く集団です。サギはそこに属しているのでしょう」
「ゆうわ?」
「仲良くやろうってことだ」
ふうん、とルーヴェは唸った。
そして続ける。
「むり」
「……」
「あるけお、人をたべる。ころさないとダメ」
「そうだな」
シアが眉根を寄せる。
「そもそも穏健派などという集団が発生する土壌は無さそうですけどね。話を聞く限りアルケオはほぼ一枚岩のはず――」
ルーヴェの手がシアの話を遮る。
「みの、くる。五びょう」
ぴったり五秒後、障子の向こうに忍者の影が見えた。
たん、と軽い着地音が遅れて聞こえる。
「蓑猿」
「参りましてございます」
聞き慣れた若い女の声だった。
「状況は舞狐に聞いた。ご苦労だったな」
片膝をつく蓑猿は無言で頭を下げた。
「舞狐はご友人をエーデルホルンへ、ということでお間違いございませんか」
「間違いない」
「承知。では私は九位の護衛に入ります」
「頼む。……シアの顔を隠したいんだが、何かあるか?」
シアが疑問符を浮かべる。
「お前の顔は色々な奴が知ってる。堂々と往来を歩き回れるわけがないだろう。葦原にいる間は顔を隠せ」
「九位。面がございます」
「よし。あと……忍び装束も」
「お待ちを」
しゅっと忍者が消える。
後には三つ目の禍々しい狼の面と、一つ目の猫の面が残された。
「これ、わたしの」
ルーヴェが三つ目の面を取る。
シアは猫の面を手に取り、微妙に表情を翳らせた。
「ワカツ。猪とかないんですか。牛とか……」
「もう獣面が使ってる。同じ生き物の面は使えない」
「これ、可愛くない……」
しゅっと蓑猿が戻った。
障子が開かれ、猿の面をつけた黒装束が姿を見せる。
その手には珍しい本紫の忍び装束。
「高い奴だろ、それ」
「一応、シア殿は要人と伺っておりますので。……こちらに」
シアが障子戸の向こうに消えた。
するると着物が脱げ、体の輪郭が透かし見えたところで慌てて背を向ける。
ややあって、忍び装束姿のシアが現れた。
ルーヴェと同じで腿から膝にかけて側面が裂けており、網目が入っている。
白い素足が本紫の網目の向こうに見えた。
シアは困ったように腿のあたりを手で押さえている。
確かに、気になるのも無理はない。
「鱗は?」
「同色の腰布で隠しております」
「だ、そうだ。大丈夫だぞ」
「え、ええ。そうですね……」
弓を取り、靭を吊るす。
埃を払った狩衣を纏い、巻物を抱える。
「一位が呼んでるそうだな。場所は?」
「『十弓』の議事堂にございます」
「あそこか。……忍者は控室で待機だな」
「はい。差し支えなければルーヴェ殿とシア殿も私とご一緒に」
俺はルーヴェとシアに目で問うた。
ルーヴェは父親捜し。シアは母親捜し。
どちらも冒涜大陸の情報が必要で、この葦原でそれが最も多く集まるのは軍議の場だ。
二人はほぼ同時に頷いた。
ふと、気づく。
「十弓が勢ぞろいするなら……控室で三位付きの二人と鉢会うな。大丈夫か?」
「? と申されますと?」
「詳しくは知らないが、忍者の会議であいつらを糾弾したんだろ? 顔を合わせたら気まずいだろう。嫌味の一つも――」
「……聞かれておりませんか」
「何をだ?」
「追牛と磨馬なら舞狐が再起不能にしております」
「へえ。あいつもたまには役に立つな」
「座敷牢に放り込まれた二人は獣面の中でも年長でございまして、大した罰もあるまいとへらへらしておりました」
「確かにそんな感じだったな」
「ところが事情を聞くや舞狐は怒髪天を衝く形相で座敷牢に押し入り、二人の手足を小枝のように折りまして」
「……」
「散々に顔を踏みつけた挙句、『今度九位に触れてみろ。三位の糞腸にお前らの生首を突っ込んでやる』と」
「……。それ、どうなったんだ」
「改めて討議の場が設けられました。お察しの通り、『十弓』付きの我らが『十弓』に手を出すなど言語道断です。舞狐の怒りはもっともだと言うことで――二人を私的に痛めつけた件は不問と相成りました」
「い、いいのかそれで」
「あの二人、これまでも三位の意思にかこつけて色々と悪さをしておりましたので、溜飲が下がると皆申しておりました。……もっとも、舞狐が痛めつけた分、多少罰は軽くなるでしょう」
「……。舞狐が二人を懲らしめている間、お前は何をしてたんだ?」
「これは後で報告が必要になるだろうと思い、横で見ておりました」
もちろん、と蓑猿が付け足す。
「私も追牛の鼻を潰し、磨馬の股を蹴り上げました。罪は舞狐が被るということでしたので、少々きつめに打ちまして候」
シアが呆れた目で俺を見る。
俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……お前ら、もう二度と俺の短気について説教なんか垂れるなよ」
「畏まりましてございます」
「蓑猿」
「はい」
「面倒をかけた。すまん」
「それが我らの務めにございます」
屋敷には漆塗りの牛車が寄せられていた。
二頭立てで、いかにも賢そうな黒牛が待機している。
セルディナとナナミィは不在だった。
俺はひとまず二人に伝言を残し、荷物を整理した。
そして草鞋をブーツに履き替え、三人の忍者と共に牛車へ乗り込む。




