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万竜嵐  作者: icecrepe
【恐竜人類と傘門十弓】
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 恐竜人類の特性と生態についてはある程度理解した。

 以前から感じていた通り、彼女達は人類を上回る身体能力の持ち主で――――人食いの習慣がある。

 人と交わり、子を作ることもできる一方で、人を隷従させ、人を食う。


 恐竜人類の来歴と人類との関わりについてもおおよそ把握した。

 彼女達は猿と鳥の中間生物から派生した種族。

 どちらの特徴も備えており、恐竜以上に「良いとこ取り」の生物だ。


 一方で人類は彼女達から派生した、いわば劣等種。

 言葉は借り物で、命すら拾い物。

 俺たちは柵を飛び出した鶏、俎上そじょうを逃れたこいに過ぎない。


 ここで重要になるのは、彼女達アルケオの社会性だ。


 鳥と猿の中間生物から派生したという彼女達が作るのは、鳥のように繋がりの緩い『群れ』なのか。

 それとも猿のように上下関係の強い『集団』なのか。


 これまでの話から、女王が存在することは分かっている。

 だがそれ以外の組織についてはまるで分からない。




「……。その二種だと猿寄りですね」


 サギは少しだけ困惑を滲ませた微笑を浮かべる。

 お前は猿なのか鳥なのか、とは確かに失礼な問いだろう。

 だが他に言いようがない。


「――」


 口を開こうとすると、あ、とサギがそれを制止する。


「私たちの祖先は鳥ではなく、シソ様です」


「シソ様?」


 その名は先ほども聞いた気がする。

 女王を示す名だろうか。

 そう問うと、サギは首を振った。


始祖シソ様です。私たちの元となる姿をお持ちで、最も清らかなる生き物です」


「……鳥、なんだよな?」


「始祖様です」


 サギにしては珍しく、押し付けるような口調。

 顔には一滴の悲壮を混ぜた柔和な笑みが浮かんでいるものの、どこか威圧的だ。


「外見が思い浮かばないんだ」


「私たちを小さくして、猿らしい要素を取り除けば始祖様のお姿になります」


(アルケオの外見から猿の特徴を引く……)


 俺はサギの姿をじっと見つめた。


 全体的な色彩は――瞳と同じ青竹色だろうか。

 頭部を鳥に変え、胴体を鳥に変え、下半身を鳥に変える。

 残ったのは左右の腕から背中にかけて生える翼。

 いや、腕ではなく『前脚』になるのか。


 そして少し縮める。

 その姿は――


(鳥だ……)


「ああ、始祖様にはうっとりするほど美しい尾羽があります」


 出来上がった生物に翡翠色の尾羽をつける。


(鳥だな……)


 鳥類の仲間であることは間違いないのだが、サギは頑なにそうだと言わない。


「いかがでしょう。姿は思い浮かびました?」


「ああ。……でも見たことはないな。……シア」


「いえ。ルーヴェは?」


「……わからない」


「始祖様は山にお住みですから、平地で見かけることはないと思います」


(……)


 話が逸れかけている。

 俺が聞きたいのはアルケオの社会と政治、それに経済や軍の規模だ。

 彼女達が好いている動物のことなど本来なら後回しでいい。


 ――後回しでいいのだが、どうにも気になった。


 サギがここまで興奮するのを見るのは初めてだ。

 アルケオが執着する『始祖様』は、もしかすると彼女達の社会において重大な役割を持つのかも知れない。


「『始祖様』はアルケオにとってその……どういう立ち位置なんだ。囲って繁殖でもしてるのか?」


「まさか! 私たちの先祖に当たる生物ですよ?」


 サギは信じられないとばかりに手で口を覆う。


「お見かけしたら頭を下げ、爪を下ろすのが習わしです。傷ついたり病気の始祖様がいらっしゃったら速やかに保護します」


「保護……」


 意外といえば意外だった。

 この強靭な生物が、たった一種の鳥をそこまで持て囃すとは。


 仮に人類全体が『お前は鳥と猿の末裔だ』と聞かされたとして、実際に鳥や猿に敬意を払うことはないだろう。

 木の芽を齧る猿に頭を下げる葦原人はいないし、唐人の屋台から鳥の串焼きが消えることもない。

 この特異な習慣はアルケオが自分たちの『祖』と同じ大地で長く生きて来たからなのか。


「……一応聞くが、始祖様との間に子供は?」


「それは無理だと思います。そもそも、女王様が行為自体をお許しにならないでしょう」


 つまり、完全なる『畏敬の対象』。

 聞くまでもなく、始祖を食べる習慣はないだろう。


 俺は始祖について書き留め、続きを促す。


「アルケオの女王は大始祖様の加護を受けています」


「だいしそさまは、なに?」


「始祖様の中でも最も大きく尊いお方です」


「……生きてるのか? 大始祖様ってのは」


「いいえ。アルケオの建国時にはご健在だったそうですが、今はいらっしゃいません」


 つまり何千年、あるいは何万年前のことだ。

 その当時生きていた鳥ということか。


「でも見えない姿となって私たちを見守ってくださっています」


「見えない姿?」


「はい」


「大始祖様は死んでるんだよな?」


「ええ。肉体は」


(……。何言ってるんだこいつ)


 死者は何も語りはしない。

 夢で見ることはあっても、それは夢だ。


 まして相手は鳥。

 死んだ鳥が見えない姿となって人間を見守るだなんて、ありえないだろう。


 だがサギの目には熱を感じた。

 頬は紅潮し、うっとりと目元を緩ませている。


「アルケオの繁栄に寄与した者は男女を問わず、死後は大始祖様の元へ行けるのです」


「……死後に?」


「はい」


「目には見えない大始祖様の元へ行ける?」


「はい」


「……」


 サギ、とシアが口を挟む。


「アルケオの繁栄に寄与したかどうかは、誰が決めるんです? 何かそういう法典があるのですか? こういう振る舞いをしたら寄与であり、こういう言動は種族に害をもたらすとか……」


「いえ、そういった決まりはありません。寄与の有無は女王様がお決めになられます」


「大始祖様の加護を受けた女王が、ってことか」


 我が意を得たりとばかりにサギがばちんと手を叩く。


「はい! ですから皆、様々な形でアルケオに貢献しようとするのです」


 嬉しそうにそう話すサギは、娘の可愛らしさを語る母親のようにも見えた。

 ただ、熱意が違う。

 サギの纏う熱は、俺の知るどんな愛情とも違っていた。

 太陽のごとく圧倒的で、光さえ纏うようにも見える熱。そして愛。


「……。……アルケオにとっての始祖様というのは、ブアンプラーナの象みたいなものかな」


「え、ええ。それより少し上位のようですね」


「サギ。らくがん、もっといる? わたし、もっととってくる」


「あ、ではお言葉に甘えて」


 俺とシアはちらと目配せし、呆れの感情を共有する。


(大始祖様、ね)


 人は死んだらそれで終わりだ。

 その後なんてものは、無い。

 ――だがアルケオにはあるらしい。


 死者は何も語らない。

 死した者は灰あるいは土塊つちくれへと還るだけだ。

 ――だがアルケオの大始祖は女王を見守り続けているという。


 笑い話のようでもあった。

 恐竜を犬のように従える彼女達が、「目に見えない死者」などというものを信じ、「死後の世界」などという不確かなものに踊らされているのだ。

 言い方は悪いが、生きている女王より、とっくに死んだ鳥の方が権威を持っている。

 俺やシアからすれば、不気味さすら感じる風習だ。


 だがこれは重要な点でもあった。


 アルケオという種族全体に影響を及ぼす『始祖様』。

 通りがかるだけですべての恐竜人類をひざまずかせる存在。

 サギだけでなく他のアルケオも同じ反応を示すのなら、決して見逃せない。


 もし始祖様の巣を突き止め、捕獲することができたら俺たちは圧倒的優位に立てるのではないだろうか。


「サギ」


「はい?」


「もう少し、始祖さ「ワカツ」」


 シアが鋭い声を投げた。


「私は彼女達の軍について知りたいです」


「……。いや、しかし」


 シアのさりげない目配せで気づく。


 そうだ。

 始祖様は明らかに彼女達の『腱』で、俺たちにとっては見逃せないアルケオ全体の『弱点』だ。

 一方で、サギはまだ俺たちが始祖様を害する可能性に思い至っていない。

 今ここで根掘り葉掘り聞けば、サギが不信感を抱く可能性がある。


 この様子だとサギは非常に始祖様を敬愛しており、死後の世界を信じている。

 下手をすると協力を打ち切られる危険性があった。


「あ、ああそうだな。サギ。もう十分だ」


「いえ。もし始祖様についてもっと知りたかったら後でお話ししますね」


 サギは機嫌よく落雁を噛んだ。

 まるで始祖様について語ること自体が喜びだとでも言わんばかりに。


「では改めてアルケオの『社会』についてお話しします」


 既にご存知かも知れませんが、と彼女は前置いた。


「私たちの社会は女王様を中心としています。その血脈は建国以来、一度も途絶えたことはないそうです」


「兄弟姉妹で争わないのか」


「女王の血を引く男の子は例外なく殺されます。姉妹同士での争いは……聞いたことがありませんね」


「そんなことはないはずです。国の長でしょう? その座を奪い合わないだなんて……」


「ですが、身重になったら誰かに引き継がないといけませんから」


「? 女王の座をか?」


「はい。基本的に女王の座は長姉様に引き継がれるのですが、長姉様のお怪我やご病気、ご出産、あるいはご自身のお気持ち次第では別の姉妹に譲渡されることもあります」


「……。それは先代から女王の座を引き継ぐ時の話だろう?」


「いえ。譲渡はいつでも可能です」


「そう、なのか」


「はい。逆に、出産を終えたら女王の座を戻されることもあります」


(夜回りの当番じゃないか……)


 要するに、王族の間でなら女王の座は自由に譲渡できるらしい。

 まったくもって理解できないが、彼女達なりに合理性があるのだろう。

 エーデルホルンやブアンプラーナで同じことが起きたら国は大混乱に陥るに違いない。


 シアは自国の状況を思い出したのか、苦い顔をしていた。


「放っておいたら女王候補が増え続けませんか、それ……」


「いえ。長姉様が四十歳を迎えられたら、もう他の姉妹に王座を譲渡することはできません。そうなったら、長姉様のお子様だけが女王候補になります」


「長姉が死んだら?」


「その時は一つ下の妹様が女王になります」


「王座欲しさに妹が姉を殺したことは?」


「ありません」


「……」


「継承に関する細かい部分は女王様次第ですので、代によっては一切女王の座が変わらないこともあります」


 シアが深いため息を吐いた。

 アルケオの幼稚な女王制が自国の複雑な王制より安定しているように見えるのだろう。


「1200人の国だ」


 俺はシアの肩を叩き、サギに顔を向ける。


「内訳を聞いてなかったな」


「はい。1200人の内訳は、女性が900、男性が300ほどです」


(900が女か……)


 ひどい偏りだ。

 だが考えてみればアルケオの雌は人間とも交配できる。

 一定数の家畜が確保できているのなら、アルケオ側の男女が同数である必要はない。――ということだろう。


「900人の女性のうち、政治を司る『』が10名、学問に携わる『さぐる』が10名、軍務に就く『つめ』が800名ほど、それ以外の雑事に携わる『あん』、それに傷病者や身重の者が100名程度です」


「! 大部分が軍人なのか」


「生きるとはすなわち、戦うことですから」


 違いない。

 それは人間も同じだ。


「『爪』……軍人のやることは何だ? 他の恐竜人類の殲滅とかか?」


「いえ。アルケオは私たちだけです。軍の仕事は餌や食料の確保ですね」


 狩猟と採集。

 それを軍務と呼んで良いのかは分からないが、確かに種の存続に関わる重大な仕事だ。


「解体や運搬なども軍の仕事です。力仕事全般と理解していただければ」


「『探』はその逆か」


「逆……かどうかは分かりませんが、そうですね。野草や地理、生物や歴史などを調査研究して、アルケオ全体にその知見をもたらします」


「『座』……政治の概念もあるんだな。法律を決めたり、予算を配分したりするのか?」


「いえ、法律はありません」


「無いのか」


「無いことはないのですが、廃れたそうです。個人の争いは女王様か『座』が仲裁してくださいますから」


(それに記録する文化が薄いんだったな……)


「予算というのは貨幣のことですよね? それもかなり前に廃止されたと聞きます」


「金が……無い……?」


「はい。肉や骨、花や珍しい石での『交換』で物品が動きます」


「……不便だろう」


「いえ。むしろ多くの貨幣を持ち歩く方が不便だと、昔の女王様が定められたそうです」


 これもたった1200人の『国』だからできることだろうか。

 あるいは、冒涜大陸という特殊な環境ゆえか。


「決めごとやお金の管理が無いのなら、『座』は何をするんです?」


「確かに決めごとは多くはありませんが、仲裁や食糧の管理は大変ですから……。『座』は女王様を補佐する知恵者の集団です」


「知恵は誰が計るんだ」


「成人になった際、女性は適性に応じていずれかの役職に振り分けられるのです。『座』に就く者は極めて稀です。幼い頃から頭角を現したものだけが『座』に選抜されます」


「役職を移り変わることは?」


「あります。珍しいことではありますが……」


「男が爪や座に就くことはるのか?」


「絶対にありません」


「……。そか」


 サギは俺の筆を受け取り、巻物に三角形を描いた。

 そして何本かの線を引く。


「頂点は、女王様」


 先端に指を置く。


「その下が『座』。その下が『探』。その下が『爪』と『安』。その下に男性。最下層が家畜です」


「……」


 下々の者はただひたすらに強さを追求する。

 その中で生じた面倒事は自動的に女王と『座』に集まって来る構造だ。

 そして女王が疲弊したり子を持ったら姉妹がそれを引き継ぐ。


 組織としてはかなり単純だ。

 だが単純ゆえに、崩しづらい。


「はぐれ者が集落を作ったりは?」


「しませんね。過去に記録はあるようですが、軍によって抑えられたそうです」


 そもそも、とサギは笑う。


「女王様も大始祖様の加護もないのに自分たちの群れを作っても仕方ありませんから」


「……」


「軍の内部はどうなっていますか?」


「どう、とは」


「軍の内部にも同じ三角形の組織があるはずです」


「いえ、ありませんが……」


「……。つまり、個々人が好きなように動く、と? 指揮官は?」


「強さによる指揮はありますが、それは各集団の中でおのずと決まります」


「?」


「流動的なんじゃないか。あらかじめ決められた階位や部隊で動いてるわけじゃなくて、狩りの度に適宜集団が構成されて、中でも一番強い奴がなんとなく指揮を執る」


「! それです。そういうことです」


 シアが片眉を上げた。

 ワカツにしては鋭いですね、とでも言いたげだ。


「葦原も似たようなものだからな」


「そう言えば武器によって組織が違いましたね。……それ、合理的だと思います?」


「知らん。学者に聞いてくれ」


 あ、とサギが大きな声を上げた。


「どうした?」


「言い忘れました。『座』の上に特別な十人がいます」


「特別な十人?」


「はい。女王様が直々に指名し、従える十名です」


「護衛か」


「いえ。アルケオの繁栄に欠かせない、様々な知識や技芸を持つ十人です。軍人ばかりではありません」


 呼び名は、とサギの唇が動く。




「『賜天十哲してんじゅってつ』」




「……」


 ただならぬものを感じ、身震いする。

 そしてはたと気づく。


「もしかしてその中に……『百合の黄色い清い熱い蜜』がいるか?」


「ええ。います。最も剣の扱いが巧みな方です」


「アルケオで一番強い女か?」


「? いえ、そんなことはないかと。戦いは剣の巧みさだけで決まるものではありませんし」


「そうだな。……他にどんな奴がいる?」


「私は末席なので全員は知りませんが……分かる限りでお伝えしますね」


 サギはつらつらと十哲の名を読み上げた。

 俺はそれを記していく。


 彼女はユリ含め六人の『十哲』を知っていた。

 俺はそれぞれの名を眺め、目を細める。


「……。研究者はともかく、『美食家』なんてのもいるんだな」


「アルケオに恵みをもたらすのは戦士だけではありませんから」


「それに……建築家、疾走者……剣士、料理人……」


「今の女王様は技芸の巧みさに重きを置くと宣言されていますから。代替わりしたら、新たな女王様のご意向に沿った十哲が再指名されます」


「十哲はどれほどの権力を持つんですか?」


「軍や座、探とは別に、自由に活動することができます。あらゆる行動が女王様の名のもとに行われますので、その活動を妨げることはできません」


(まるでシャク=シャカだな)


「女王直属の精鋭……といったところですね」


「強いのか?」


「いえ。軍の出身者はごく僅かです」


「分かった」


 俺はいくらか安堵していた。

 葦原の『十弓』や『七太刀』が強さの頂点であるため、『十哲』も同じだと思ったのだ。

 もしユリのような奴が十人もいたら、人類はとてつもない苦戦を強いられる。


 だが出て来たのは、美食家だの建築家だのという職人ばかり。

 しかも女王直属ならアルケオ全体に多大な影響力を持っていることが窺える。


(潰すなら女王と、こいつらと、始祖様だな……)


 それに『座』だ。

 女王には替えがいても、座の替えはいない。

 そして王制というものは、知恵袋を潰せば容易に瓦解する。


 この戦いの終わらせ方が見えてきた気がする。

 三角形の上位にいる連中を狙い、徹底的に踏み潰すのだ。


「サギ。一人の『爪』は何人の恐竜を指揮できる?」


「突撃、転回、退却といった簡単な指示なら大きさに関わらずいくらでも出せるはずです。直々に率いることができるのは大型の種で十頭程度でしょうか」


「複雑な指示は出せますか?」


「それは科学者にしかできないようです」


 俺は筆を滑らせる。


「『あん』は何をするんだ? サギはここなんだよな?」


「はい。安の役目は男性や、彼らの仕事の管理ですね」


「家畜の世話や農耕、子育てや繕い物……」


「ええ。そうした仕事に加えて、爪の皆さんのお手入れや身の回りのお世話も安の務めです」


「料理や掃除も、ですか?」


「はい。爪の皆さんがなさらないことは何でもやります」


(要は召し使いか)


 異性を完全に下に置いているので、召し使いとも少し違うのかも知れない。

 おそらくアルケオの男は、昼間は安の言いなりで、夜は爪の言いなりなのだろう。

 その憂さは家畜で発散する、といったところか。


(……)


 私見を交えず、ひとまず事実を記す。


「霧の外に攻め込む理由は?」


「……。霧の外には逃げ出した人類が大量に繁殖しているはず、と以前から科学者が話していました」


 サギは障子をぼんやりと見やった。


「そいつらは我々を真似て『国』を作り、『文化』を持ち、岩場の貝のように数を増やしているはずだ、と」


「……」


「以前から、霧が薄くなったら速やかに外へ攻め込めるよう備えは進んでいました」


「霧の内側だけでも十分に食っていけるだろう」


「……」


「アルケオにとって人類は奴隷であり、食料であり、肉欲を満たす嗜好品です」


 シアが冷ややかな目でサギを見る。


「それが霧という分厚い門の向こうで大量に繁殖していて、しかも自ら清潔さを保ち、美意識に沿って着飾っている……と考えたらどうでしょう」


「……」


「狩猟本能がかき立てられませんか、ワカツ」


 思い出されるのはアキやヨルの目だった。

 異様な情熱と共に俺を見る目。

 涎を垂らした恐竜女。


 単純だった。

 あまりにも単純だ。

 奴らは捕え、犯し、食うために人類の領土に攻め込んでいる。


 思想あってのことではない。権勢を轟かせるためでもない。

 捕えれば飼う。犯せば増える。食えば育つ。

 極めて原始的な欲求が彼女達を衝き動かしている。


 和平の余地は、無い。

 交渉の余地も。


 侵略は終わらないだろう。

 アルケオは気が済むまで人類を狩り尽くし、奪い尽くし、殺し尽くすに違いない。


 俺は自分でも気づかない間に茶碗を取っていた。

 ぐっと呷り、乾いた喉を熱く濡らす。


 サギ、と短く告げる。


「アルケオはどこに棲んでる?」


「世界の中央です」


「お前たちの世界の、か」


「はい。ちょうど領土の中央付近に『大山脈』と呼ばれるものがあります。そこが私たちの本拠地です」


「……書けるか?」


 俺はサギに地図を描かせた。

 地理については心得がないらしく、要領を得ないものだった。

 彼女達、『安』の役割は移動を伴わないため当然と言えば当然なのかも知れない。


 大山脈は文字通り世界――つまり大陸の中心にあった。

 周囲に目印はないが、どの国からもほぼ等距離に存在するらしい。


「いくつかは女王のみが立ち入りを許される禁域です。それ以外は私たちの居住区です。洞穴を利用したり、山の地表をくり抜いて造られています」


「禁域には何があるんだ?」


「さあ……」


「財宝、でしょうか。あるいは本当に重要な事項を記録した石板とか」


「噂によると禁域のいくつかは大きな洞窟になっていて、木が生えていると聞きます」


「木?」


「はい。木だそうです。貴重な果実が実っているのかも知れません」


 王族や座、十哲の部屋は崩落を防ぐため高所に設けられる。


 住居には子作り用の部屋や倉庫、食堂、便所、それに談話室などもある。

 寝所もあるが、アルケオは屋外でも問題なく休めるため数は多くない。

 それは裏返せば『長期間野戦することになっても人間ほど心身に疲労が溜まらない』ということでもある。


 水源。牧場。農場。

 集会所。墓所。しばしば始祖が訪れる大庭園。


 おおよその設備について書き留め、筆を置く。


「サギ」


「はい」


「アルケオは『霧』について何も知らないのか?」


「少なくとも私は何も。……科学者なら何か知っているかも知れませんが」


「とは言え、核心に迫るような情報は持っていないでしょう」


 シアがゆっくりと茶を点てる。

 手つきは優美そのもので、初めてにしては堂々とした茶筅捌きだった。


「霧を人為的に晴らせるのであれば、とっくにそうしているはずです。対処法を知っているのなら、アキやヨルが霧の前で止まることもなかった。つまり―ー」


「アルケオの手にも余る、ってことか」


「ええ。人類もアルケオも、霧にはお手上げということですね」


 サギは頷きつつも、言葉を添えた。


「霧が薄くなったことは過去にも何度かあったようです」


「! 本当か」


「ええ。ですが誰かが外部へ飛び出すまでには至らなかったと聞いています」


「さっき、『霧の外に出る備えをしてた』ってのはそれもあるからか?」


「はい」


「……」




 恐竜人類、アルケオについての情報は一通り理解した。


 足りない部分は今後手に入るであろう捕虜に聞き出す。

 臓器の造りについては解剖報告を待つのが一番だろう。


「アキやヨルは今、女王様の元へ戻っています」


 サギは神妙な顔に戻った。


「彼女達の手元には地図がありました。文字は読めませんが、地形から察するにこの辺り一帯のものだと聞いています」


「ああ。葦原とブアンプラーナだ」


「戻り次第、彼女達は攻勢をかけるでしょう」


「……」


 そして俺たちはそれを迎え撃つ。

 ただ、向こうもこちらの『数』について当たりをつけているはずだ。

 無闇に突っ込むのではなく、ある程度の戦術ありきで攻めて来るはず。


 それまでにこちらも『勝ち』への道筋を見出さなければならない。

  『こちら』とは葦原一国のことではない。

 四カ国会談に参加する葦原、唐、ブアンプラーナ、エーデルホルンが連携しなければ事態は混迷を極めるだろう。


 もっとも、そこは俺の領域ではない。

 俺の役目は弓を引くこと。

 一人でも多くのアルケオを殺すこと。


「……」


 サギは安堵したように茶を啜っている。


「お前、これからどうするつもりだ」


 と言うか、と俺は続ける。


「そもそも何のためにこの辺をうろうろしてたんだ?」


「……私たち『安』は戦うのではなく、男や子供たちを世話し、アルケオの土壌を肥やすためにあります」


「ああ」


「このまま大規模な戦いになった場合、本拠地を破壊される危険性もあるでしょう。そうなった時のために、避難する場所を探していました」


「……それはサギの判断で、か?」


「……。ええ。そのようにお考えいただければと」


 何か隠しているな、と察する。

 サギは本拠地の破壊を恐れているくせに、問われるがまま本拠地のことを喋った。

 何か別の意図が介在しているような気がしてならない。


 だがそれが邪なものだとは考えられない。

 サギは子供たちを助けるために必死だったし、俺との約束もこうして律儀に果たしてくれている。


「……」


 サギはじっと俺を見つめていた。

 問うのなら答えます、と言っているように感じる。


「この後はアルケオに戻るのか?」


「……今、それを考えているところです」


 単純な暮らしを営んでいるとは言え、アルケオも間抜けの集団ではない。

 早晩サギの裏切りに気付くだろう。


 俺としても、今すぐサギをアルケオに帰したくはない。


「エーデルホルンに」


 シアが唐突に呟く。


「比較的安全な土地があります。私個人が所有している土地です」


「え?」


「寒地ですので備えは必要ですが。他のアルケオが寄り付くことはないでしょう。ひとまずはそこに身を寄せてはいかがですか」


「……。わかりました」


「……」


 沈黙。

 ややあって、サギが問う。


「あなたが、ワカツさんが助けようとしたシアさん、ですよね?」


「ええ」


「あなたは何者なんですか? なぜ私にそんなことを……?」


「……」


「その話を」


 俺はシアに目を向ける。


「――今からするんだ」


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