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朝の光が障子を白く染めていた。
今はまだ畳の香りも柔らかい。
日が昇り切れば、緑の湯気が立つように濃い芳香が室内を満たすだろう。
柄杓で汲んだ湯を一度釜に落とす。
こぽぽ、と耳をくすぐる快音。
抹茶の入った四つの碗に湯を注ぎ、柄杓を置く。
茶筅を手に取り、久しぶりに茶を点てる。
先端を折らないよう注意しながら、ちゃかちゃかと手首を動かす。
できた茶は炉を囲む女たちが順に受け取っていく。
女は、三人いた。
一人は、人類。
ただしその目はいずれの国家にも属さない茶色。
纏うのは藍色の忍者装束。束ねた髪は鳶色。
既に抹茶の苦味を感じ取ったのだろう。片膝を立てて座る彼女は渋い顔をしている。
色。音。匂い。味。皮膚感覚。
そのすべてが統合された少女。
冒涜大陸で生まれた人類、ルーヴェ。
一人は、人類ではない。
炉を挟んでルーヴェの向かいに座るのは、上下ひと続きのゆったりした黒衣を纏う女。
人間なら二十代後半の温和な顔立ち。
肩に乗る煤竹色の髪は柔らかく、襟と袖口に黒い羽をあしらっている。
茶碗を包む手は緑色の鱗に覆われていた。
横座りであるため、手と同じ形の脚も覗いている。
人類との違いは手足だけではない。
黒衣の下には、羽衣を思わせる緑の羽が隠されている。
冒涜大陸の覇者である『恐竜人類』の一員。
彼女の名は「鷺の黒い柔い哀しい翅」。
通称、サギ。
最後の一人は、人類でも恐竜人類でもない。
炉を挟んで俺の向かいに座るのは、色白の女。
その髪は蝋燭の火を思わせる山吹色。瞳は黒で、片方の目は長い髪に隠されている。
白い細雪の柄を入れた藍色の着物を纏っているが、窮屈なのか帯を緩めている。
ふしだらさを感じないのは、どこか冷たい美貌の持ち主だからか。
かつての名前はオリューシア。
本当の名前は――「ベルシェアリーゼ」。
呼び名はシア。
(……)
茶と落雁を配り終えた俺は、床の間の掛け軸をめくる。
中には階段が隠されており、暗い地下へ伸びていた。
「まわり、だれもいないから大丈夫だよ」
静謐な茶室にルーヴェの声が響く。
彼女がそう言うのなら間違いないだろう。
そもそも、この場所に近づく者はほとんどいない。
ここは屋敷の隅にある、「毒の貯蔵庫」だ。
蛇。蠍。蜂。茸。
葉。樹皮。砂礫。蜜。砂糖。
ありとあらゆる「毒」の素材を蓄えたこの場所へは、家人すら気味悪がって近づかない。
立ち入るのは鍵を持っている俺と、俺の護衛である二人の忍者、舞狐と蓑猿だけだ。
護衛の二人はしばらく留守にしており、代役の下忍も警護の武士共々屋敷の外で待機するよう伝えている。
家人の他にも、今この屋敷には客がいる。
ブアンプラーナを逃れた王族セルディナと、ザムジャハルの槍兵ナナミィ。
それに唐最強の剣士シャク=シャカ。
セルディナは攫われた妹の件で動き回っており、ここに顔を出すどころではない。
ナナミィは一日中ふらふらしているが、客間以外の場所へ勝手に立ち入るほど無遠慮な女ではない。
シャク=シャカは既に街を離れ、葦原の剣客を訪ねている。
――つまり、何かの拍子に彼らが現れることもない。
ここでなら、何を話しても、誰にも知られることはない。
それがどれほど後ろ暗い話であっても。
三人の女を見る。
「……」
時間は無限ではない。
近日中に「四カ国会談」が開かれる。
葦原、唐、ブアンプラーナ、エーデルホルンの首脳陣が一堂に集う、歴史的な会談だ。
既に都は上を下への大騒ぎで、『十弓』にも招集が掛けられている。
だがその前に確かめておくべきことがある。
恐竜。
恐竜人類。
冒涜大陸。
茶色の目の人類。
オリューシアの名を騙った半人半竜の女。
そのすべてについて、今この場で詳らかにする必要がある。
俺は身の丈を超える長弓を畳に寝かせた。
座布団の上にあぐらをかくと、靭がばしんと畳を叩く。
蛇皮で巻いた黒髪が揺れ、肩を撫でた。
全身の傷がじくじくと痛む。
「始めるぞ、サギ」
――まずは、『恐竜』について。




