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万竜嵐  作者: icecrepe
【葦原】
59/91

54

 


 手足に残る戦いの余熱が俺たちを救った。



 首長竜が地を踏み抜く勢いで前脚を振り下ろすより早く、俺とルーヴェは逃げ出した。

 両手を無様に振り回し、宙を泳ぐように。


 犬のごとき呼吸を繰り返しながら、かろうじて二十歩ほど距離を取る。

 次の瞬間、轟音と共に背後で泥が噴き上がる。


 地を駆ける震動が俺たちに追いつく。

 震動は大腿骨から背骨を伝い、歯を揺らす。

 脚をもつれさせ、どちらからともなく転ぶ。


「~~~~!!」

「…………ッ!!」


 数秒、痺れのあまり身動きが取れなくなる。

 巨竜の起こした震動は『衝撃』に近く、心臓が助けを求めるかのようにばくんばくんと強く打つ。


「わ、ワカ!」


 ようやく立ち上がったルーヴェが声を上げた。


「あいつ、おこってる!」


「見れば分かる!」


「わたしたち、何もしてないのに!」


「……俺たちに怒ってるわけじゃない」


「?」


「トロオと区別がついてないんだ、たぶんな……!」


「!」


 冒涜大陸での様子を見る限り、首長竜は完全な草食性だ。

 彼らは草地に隠れたうさぎを探知する鼻も、機敏な動きで逃げ回る鹿しかを見極める目も必要としていない。

 五感の発達していない彼らにとっては俺たちもトロオも同じ「小さな生物」に過ぎないのだろう。


 もしくは、「区別するに値しない」と考えているか。

 赤蟻に刺されたから黒蟻も潰す。

 その程度の気安さで俺たちを殺そうとしているのかも知れない。


 どっちなんですかと聞いてみてもいいが、親切に答えてくれるようには見えない。

 やめてくださいという哀願が通じるようにも見えない。

 なら戦うか、逃げるしかない。


 ――逃げる?

 歩幅が違いすぎる。不可能だ。


 では戦うか。

 矢を番え、巨体を見上げる。




 百年を数える古木さながらの太い四つ足。



 象の倍以上もある、家屋のごとき巨体。



 長く、長く、長く伸び、人を丸呑みにできるほど太く育った首。




(……!)


 目が泳ぐように、鏃の先端が泳いだ。


 どこを狙えばいいのかまったくわからなかった。

 どこをどう射ても、こいつを斃す光景を思い描くことができない。


 城。

 そう。まさにこいつは城だ。

 弓矢一つで城を破壊することはできない。


 俺は後ずさりながら首を振った。


「こ、ろせるかこんな奴!」


「じゃあ……逃げる!」


「それも無理だ!」


 喚くように返す。

 既に巨竜は脚を引き抜き、俺たちに狙いを定めている。

 こいつがどれほど執念深いのかは知らないが、追いかけっこになった場合、歩幅の差で俺たちが敗ける。


「ど、どうにかして足を止める!」


「どうやるの?!」


「今から考える! お前も頭絞れ!」


 逆巻で走り出すと、ルーヴェが続いた。

 遮蔽物の多い森に分け入りつつ、『獺祭』を塗った矢を放つ。

 しゃっと短く鳴いた矢は迫る巨竜の脚に突き刺さった。

 ――――何も起こらない。


 更に一射。

 もう一射。

 ――反応、無し。


(でかすぎるだろ……!)


 肉の厚さもさることながら、体が巨大過ぎる。

 これでは多少『獺祭』が入ったところで無意味だ。

 殺すつもりなら大量の矢毒をぶち込まなければならない。


 首や脚は太い。胴も肉が厚い。

 なら狙うべき部位はカルカロと同じだ。

 すなわち、口内。


(――――)


 背走しながら巨竜を見上げ、絶望に襲われる。


 もちろん、首長竜にも口腔と舌がある。

 ただしそれは長い長い首の先端にある、ひどく小さな頭に。


「ワカ! くち! くちに獺祭!」


「的が小さすぎる!」


「うそ! そんな小さくない!」


「大きさはな! 問題はそこじゃない! あいつら口を開けないんだよ!」


 ティラノ。カルカロ。アロ。ラプトル。

 俺がこれまで遭遇した『肉食恐竜』は例外なく獲物に咆哮を浴びせた。

 一部は爪を武器にしていたが、とどめの一撃には必ず『牙』を用いた。

 つまり、攻撃の前後で必ず口が開いた。


 翻って首長竜は咆哮で獲物を脅す必要に迫られることがない。

 戦いにおいて牙を使うことがない。

 つまり、口が開かない。

 首長竜は『誠に不愉快である』という顔のまま、槌のごとき脚を振り下ろし続ける。

 口が開かなければ、急所に獺祭を打ち込むことはできない。


 ――鼻の穴?

 流鏑馬やぶさめと違い、敵も自分も絶えず動き続けている。

 しかもまとは揺れ続ける長い首の先端にある小さな穴だ。

 賭けてもいいが、この状況で奴の鼻腔を射貫ける弓兵はいない。


 要するに。


(打つ手が無い……!!)


 首長竜は木々を薙ぎ倒し、蹴り飛ばしながら突進してくる。

 木立の影や土中に隠れてやり過ごすのは不可能だ。

 この巨体が相手では、進路上にいるだけで轢き殺される。


「っ。さいごの、つかう!」


 ルーヴェは膝、脛、肘に順に手をやった。

 忍者刀が三本、握られる。

 かちゃちゃ、ぎゃりり、と鉄の突起が鉄の溝を走る。


「それ、何だ?!」


「『かがりまきびし』……!」


 ルーヴェが握るのは長い鉄の刃を連ねた巨大な撒き菱だった。

 以前、ミョウガヤの忍者が象の足を止める際に使ったものだろう。


 それが彼女の後方、つまり背走する俺の前方へ放り投げられる。

 炎の名を持つ撒き菱は正確に首長竜の足元へ転がり――――ぐしゃりと踏まれた。


「やっ――」


 踏まれた。刺さった。

 が、何の反応も起きなかった。


「グっ……!」


 大木に等しい脚だ。あの程度の道具では効果が無いのかも知れない。

 あるいは象と違って足裏の感覚が鈍いのか。


「……ワカ。ごめん。もうなにもない」


 俺に続き、ルーヴェも手詰まり。

 逃げるしかない。


「走れ!!」


 走った。

 逆巻では到底逃げられないと悟り、反転した俺は猛然と走った。


 木々が、腐った椎茸のように根元から蹴り飛ばされる。

 巨木が倒され、押し開かれ、首長竜の足音がぐんぐん近づいて来る。


「も、もりだめ!! ワカ!!」


 ルーヴェが叫ぶ。

 十分に引きつけたところで俺は叫び返した。


「二手に分かれて逆走しろ!」


 ぱっと左右に分かれる。

 俺たちを猛追する首長竜の反応は遅れた。

 地団太を踏むような停止。

 巨竜がようやく振り向く頃、俺とルーヴェはかなりの距離を駆け抜けている。


「ぎゃく、走ってもなにもない! いきどまり!」


「行き止まりじゃない」


「?」


 百。

 九十。

 八十。


 六十歩。

 四十歩。

 二十歩。


 半ばルーヴェと競うようにして滝の傍にたどり着く。

 白煙のごとき水しぶき。

 断崖に面したところでようやくルーヴェが俺の意図を理解する。


「落とす?」


「落とす」


 靴裏に触れる土は柔らかい。

 恐竜の存在を想定していないこの辺りの土地は脆く、崩れやすい。

 あとひと押しで、豆腐の角が欠けるように崩落するだろう。

 そのひと押しを首長竜にやってもらう。


 とは言え、心中するつもりはない。


 振り向く。

 動く山のごとき巨体が迫って来る。

 あんなものに追われていたのか、と今更ながら恐怖を覚えた。


「俺を抱えて跳べるか?」


「うん」


 ルーヴェが腰を低く落とす。


 予定より早く地面が崩落するかも知れない。

 あるいは想定以上に地面が持ちこたえ、巨竜の突進を許すかも知れない。

 慎重に「その時」を見極めるべく、ルーヴェが緊張する。


 首長竜は一切速度を落とさず突進してくる。


 二百。

 百五十。

 百。


(来い……来い……!)


 心拍が鼓さながらに何度も打つ。

 汗がじっとりと滲む。


 八十。

 六十。


 踏みつけの射程に入る。

 地は、まだ崩れない。


 首長竜がと俺たちを見据えた。


「来るぞ!」






 ゆらり、と。


 巨竜はこちらに背を向けた。






「?!」


 跳躍の体勢に入っていたルーヴェが拍子抜けしたように足踏みする。

 首長竜はこちらに背を向け、まるきり反対側へ首を向けている。


(何だ……?)


 何か別の脅威が迫っているのだろうか。

 それとも滝の水に触れたことで怒りが薄らいだのか。

 ともあれ――




 何かが視界の隅で真上に飛んだ。

 ――長い尾がなぎ倒した木々の一つだった。




 鞭のごとくしなる尾が俺たちに迫る。




 尾撃。

 こちらに背を向ける動作と一体化した一撃であったため、ルーヴェですら反応が遅れた。




「!!」

「!!」


 ほぼ真横に薙ぎ払われた尾は反応を許さず進路上のすべてを薙ぎ払う。

 土くれ。若草。川の水。

 すべてがかき混ぜられ、真横に走る土石流と化す。


 もっとも、俺がその光景を視認することはなかった。

 横回転する俺は音だけで尾撃のもたらす惨状を知覚する。

 正確に四回転した後、地面に叩き付けられた。


「づッ!」


 痛みと衝撃に顔を上げる。

 俺を抱えていたのは浅黒い肌を持つ偉丈夫、ウズサダだった。

 胸まで届く黒髪は汗で濡れていたが、呼吸は落ち着いている。


「弓兵がはしゃいでんじゃねえよ」


 諌めるような声。

 そこに「本当ですよ」と合いの手が入る。


「囮になってくれるのはありがたいんですが、『十弓』の層の薄さに泣きたくなっちまう」


 よよよ、と手の甲で一掬いっきくの涙を拭う所作を見せたアブラオがひっくり返った。

 彼に抱き上げられ、救出されたルーヴェの蹴りのせいだ。


「おい! 助けてやったってのに礼も無しかい?!」


 彼女はアワノを無視し、俺に目で問うた。

 俺は一も二もなく首肯する。


「争ってる場合じゃない」


「……それぐらいは分かるのか。十弓の未来は明るいな」


 既に首長竜は小さな目をこちらへ向けていた。

 尾が敵を撃たなかった感触を不思議に思ったのだろう。

 その顔にウズサダが銛の切っ先を向ける。


「滝から落とすって発想は悪くない。……だが野生動物に『おびき寄せる』って策は効かねえ。やるなら『追い込む』だ」


「勉強になるな」


 唾を吐き、歯を剥く。


「で、あんたならあのデカブツを追い込めるのか。たった三人で」


「そんなことはしない」


 首長竜が再び全身をしならせた。

 尾撃の気配。

 ウズサダが嗤う。


「乗るぞ」


「の……?! え、何を――」


「散れ!!」


 俺を含む五人は地に落ちた団栗どんぐりのごとく方々に散った。

 首長竜の尾は再び空を切り、持ち主は不快そうに鳴く。


 真っ先に動いたのはアブラオだった。

 奴はいたちの速度で巨竜の脚に取りつくと、短刀二つを突き刺した。

 あっという間に巨体を登り切り、背から鉤縄を投げている。

 その縄には既にアワノが掴まっていた。


 ウズサダは円を描いて動き、巨竜の注意を引いている。


「ワカ。わたしと」


 ルーヴェは俺の手を握り、走り出す。


 ウズサダに翻弄される首長竜の動きは鈍重だった。

 四つ足はその場でおろおろと上下するばかり。


 藍色の忍者は餅をつくきねの動きを見極めるかのように何度か頷いた。

 そしてやおら駆け出し、アブラオの垂らす鉤縄に飛びつく。






 巨竜の背は温かい。

 大きく強靭な心臓がゆっくりと打ち、湯のごとき血液を巡らす。

 その血が通う背の上に俺は立っていた。


(――)


 小さな家一軒分はあろうかという巨体。

 地を走り回るウズサダが手に乗る小人のように見える。


 さっと浅黒い肉体が速度を上げた。

 六傑と呼ばれる男を見失った首長竜は、自らが敵勢すべてを見失ったことに遅まきながら気付く。

 オオオオン、という悲壮感のある鳴き声。


「全員いるか」


 ひょいとウズサダが姿を現した。

 銛を突き刺すのではなく、岸壁を這い上がるように両手両足でここまで来たらしい。


「良~い乗り心地ですなぁ」


 ぺしぺしとアブラオが背を叩くと、首長竜が吠え、揺れた。

 滑り落ちかけた俺たちは温かい皮膚にしがみつく。


「っとと!」


「下手に動くな。暴れるぞ」


 巨竜の背は広いが、平たいわけではない。

 ウズサダの言う通り、ちょっとした震動で転げ落ちかねなかった。


 首長竜は滝に背を向け、悠然と歩き始めた。

 怒りはまだ収まらないのか、時折尾を振り、前方を横切ろうとする怪鳥を打ち殺している。


「……次はどうする」


 問うと、六傑は口を噤んだ。

 代わりにアワノが応じる。


「このまま運ばれて……適当なところで降りりゃいいだろ」


「駄目だ」

「駄目だ」


 俺とウズサダの声が重なると、アワノは唇を尖らせた。


「何でさ。それが一番無難だろ? 要は見つからなきゃいいわけだから、縄垂らしてそっと降りりゃいいだけだ」


「『俺たちは』それでいい。けど――――」


 俺は目を細め、首長竜の向かう先を見やった。


「……このまま進むと砦にぶつかる」


「あ」


「こんなでかい奴が近づけばあんた達のお仲間がぞろぞろ出て来る。そうなったら――」


 銛を少々投げたところで、この巨竜は止まらない。

 鯨撃ちたちは象に立ち向かう蟻のごとく蹴散らされるだろう。

 最悪の場合、そのまま砦が踏み崩される。

 ――いや、ウズサダにとっては部下を殺されることこそ『最悪』だろう。


 俺とてここで悠長に構えているわけにはいかない。

 こいつがうろうろしている限り、サギを連れ帰ることができない。

 止めるか、あるいは殺す。その方針に変更は無い。

 そして時間はあまり残されていない。


 船のように揺れる背の上で、俺はウズサダに声を掛けた。


「鯨を殺す時、あんた達はどうやってる?」


「追い回して疲れさせる。その後は――鼻を潰す」


「鼻」


「知ってると思うが、鯨には鼻がある。えらは無い」


 知っている。

 えらを持たない鯨は無限に潜行することができない。

 海中深くに身を沈めたとしてもいつかは必ず水面に顔を出し、呼吸する必要がある。

 鯨撃ちはそこを狙う。

 銛による刺傷ではなく、呼吸器への一撃で致命傷を与えるのだ。


「こいつも鰓は持ってない……よな?」


 鯨と同じようにこの巨竜を殺せはしないか。

 そんな淡い期待が胸を過ぎったがゆえの問いだった。

 だが――――


「……」

「…………」

「……………」


 誰もが長い首を目で追った。

 それは高く長く伸びており、俺たちは天を仰ぐかのごとく斜め上方を見上げる。


 確かに、首長竜にも鼻がある。

 だが鼻のついた顔は遥か遠くだ。

 銛など届くわけがない。


「……あんたの『獺祭』ならこいつをやれるんだろう?」


 アワノの問いに首を振る。


「何発か打ち込んだが、駄目だ。効いてない」


「これだけでかけりゃ、そうだろうな」


「じゃああの、曲がる矢は? あれで顔をやれないの?」


「……。試してみるか」


 自信は無いが、他に方法が無いことも事実だ。

 俺は弓を構えた。


(……)


 足場が上下するせいで狙いをつけるのが難しい。

 しかも射貫くべきは俺と同じ方向を向いた顔だ。


 目を細めたまま、十秒、二十秒が経過する。


 弦が鳴る。

 しゃおお、と斜め前方へ放たれた矢は首長竜の鼻先を掠めた。


「んなあ! 惜し――」


 巨体が揺れた。

 危うく落下しそうになった俺たちは必死に背にしがみつく。

 首長竜は予期せぬ刺激に慌てているようだったが、やがて大人しくなった。


「……やめた方が良いな。鼻を潰す前にこっちが落ちる」


 弱点である顔は狙えない。

 自然、俺たちの視線は長い首を滑る。


「首を切って落とせませんかねぇ?」


「この首をか」


 ウズサダが長い首の付け根に触れる。


「武士か木こりならともかく、俺たちじゃ無理だ」


 シャク=シャカがいてくれたら、と。

 そんな弱気な考えが浮かぶ。


「おなかは?」


 ルーヴェに全員の視線が向けられる。


「おなか、柔らかい。上からぶらさがって、切る」


 ウズサダは巨竜の背から下方を覗き込んだ。


「……駄目だ。足は四つもあるんだぞ。とてもじゃないが、くぐって腹を裂くことはできない」


 顔が駄目。首が駄目。胴が駄目。

 尻尾も当然、駄目。


(どうする……!)


 火で炙られるような焦燥と緊張を覚える。


 こちらの武器は限られている。

 あるのはウズサダの銛。俺の弓。

 ルーヴェとアブラオの忍者刀や手裏剣、アワノの包丁。

 どれもこの巨竜を殺す上で決定的な威力を持たない。


「時間が無いよ、大将」


 包丁を握るアワノが腕まくりをした。


「とにかく背中を掘るんだ。それで、一番太い血管を切ればいい」


「暴れ出すだけだ。やめろ」


「それに刃がダメになるのが先ですよ、姐さん」


 舌打ちしたアワノは得物を引っ込めた。

 と、ルーヴェとアブラオが飛び上がる。


「またあれ、される!」

「いっけねえ……! 大将!」


 首長竜が前脚を振り上げた。

 背の皮膚に落ちた俺たちの汗が尾部へ向かって滑り落ち始める。


「掴まれ!!」


 全員が渾身の力で背のこぶを掴み、皮膚に浅く爪を立てた。

 大きく前脚を持ち上げた巨竜は一気にそれを地へ落とした。

 先ほどより角度は緩やかだったものの、真下から突き上げられるような衝撃に誰もが呻く。


「ぐっ! この野郎、まだ暴れるか……!」


「小さい奴なら見境無しだ。ティラノより始末に負えない……!」


 俺の目には木立へ逃げ込む鹿の親子が映っていた。

 この調子で疲弊してくれれば良いのだが、野生動物がそこまで間抜けということもないだろう。


「大将。そろそろ砦が見えちまう……! やるならさっさと何とかしねえと……!」


「分かってる。だが――」


「いっそ降りて砦の連中と合流しないかい? 全員でやれば何とか」


「ここは陸だぞ。船も無いのにこんな奴と戦えるか」


「じゃあ……もう放っておかないかい? 餌場も無いんだ。人里には出ないだろ」


「妙案だな。ここらの土地を鳥女に差し出すのか? ――」


「――、――――」


(……)


 言い争う声を聞きつつ、俺はじっと首長竜を観察した。


 生物は必ず何らかの欠陥を抱えている。

 そしてその欠陥は、『特長』に起因することが少なくない。


 筋力と俊敏さを併せ持つ豹は、それゆえに長時間活動することができないと聞く。

 優れた嗅覚を持つ犬や熊は、鼻を攻撃されると取り乱す。

 長所は裏返せば短所たりうる。


 こいつの長所は何だ。大きな体か。

 ――いや、違う。長い首だ。高所の草を食むことに適した長い首。そして遠くを見渡すことができる長い首。

 急所は遠く、誰も手を出せない。


(!)


 閃く。


「ウズサダ」


「何だ」


「この首、長すぎる」


「見りゃ分かる。長かったら何だ?!」


「支えるのにかなりの力が要るはずだ」


 数秒の黙考を経て、六傑が目を見開く。


「……けんが首を支えてるってことか」


「たぶんな」


 筋肉と骨だけでこの長さ、この重さの首を支え続けることは不可能だ。

 普通に活動していたら半日とせず疲弊し、でろりと首を垂らすことになるだろう。

 だが俺の見て来た限り、『首を休めている』首長竜はいなかった。こいつも今のところ休憩する素振りを見せない。

 おそらく何か補助的な器官で「首が伸びきった状態」を保っているに違いない。

 それは首の骨かも知れないが、最も分かりやすいのが『腱』だ。

 とてつもなく強靭な腱が首を支えているのであれば、この生態にも説明がつく。


「そいつを切れば首を支えられなくなる」


 腱を断たれれば首は垂れ、頭が地に着く。

 銛も通じるし、獺祭を急所に打ち込むこともできる。


「この首を登って――のこぎりを引くみてえに首を切るってんですかい?」


 何をバカな、とアブラオが手を振る。


「違う」


「へい?」


「切るんじゃなく、傷つけるんだ」


「?」




「絞めるんだよ、首を」




 一瞬、空白が流れた。


「こいつの首に傷をつけて、縄を回す。縄を引っ張って肉をぞりぞり削ってやれば腱を傷つけることができる。……もしうまくいかなくても、血管を傷つければそれでいい」


 策は十重二十重とえはたえに巡らすに限る。

 腱だけを狙えば失敗した時に取り返しがつかないが、同時に血管を狙えば失敗してもごまかしが利く。


「馬鹿な! 道具が無ぇ! あたしの鉤縄なんかじゃとても――」


「いや、ある」


 俺はルーヴェを見た。


「鎖がある。長くて丈夫な奴がな。……ルーヴェ」


「いるよ。ゆっくり追いかけて来てる」


 首をかしげるウズサダとアワノを無視し、俺はアブラオの鉤縄をひったくる。

 それを掲げ、首長竜の背を尾部へ向かって歩く。

 目を凝らす。


 ――いた。サギだ。

 俺との約束を果たそうと、律儀に追いかけてきている。


 俺は鉤縄を高々と掲げた。

 そして首長竜の首を示し、自らの首に縄を巻く。


(気付け……!)


 子供を連れたサギはこちらを見つめていたが、困惑しているように見えた。

 無理もない。

 俺は同じ所作を繰り返す。


(こいつの、首を、絞めるから、鎖を、持って、来い!)


 一度。二度。

 利発な女ではないのか、なかなか気づいてくれない。

 木立の間から俺たちを追う女は謎の形で両手を上げ下げし、横に開くばかりだ。


(気付け! 気づけよバカ!)


 ぐっとアブラオが呻いた。


「大将! 砦だ!」


「……!」


 その声が聞こえたわけではないだろうが、首長竜が速度を上げた。

 自分に喧嘩を売った小さな生物が小さな土塊をちょろちょろと動き回っている。

 その光景は巨竜にとってひどく腹立たしいものに違いない。


 歩みが速まり、滑落しかける。

 ルーヴェに支えられながら、俺はなおも縄を掲げた。


(サギ、気付け……!)


 そこでようやく、サギが顔を輝かせるのが見えた。

 子を伴う恐竜人類は木立の向こうへ消えると、首長竜が二十歩と歩まぬうちに鎖を抱えて戻って来た。

 彼女は細心の注意を払いながら首長竜の横に並び、いとも易々と背に這い上がった。


「お待たせしました!」


「……!」

「こいつっ!」


 ウズサダとアワノが身を乗り出そうとした。

 その前にルーヴェが立ちはだかる。


「だめ」


 サギは緊張した面持ちだったが、そろりと俺に近づいた。


「首を絞める……おつもりですか?」


「ああ」


「何も殺さなくても良いのではないでしょうか」


 俺は手短に状況を伝えた。

 この先に砦があり、そこに大勢の人間が詰めていること。

 トロオのせいで怒り心頭に達しているこいつはそこを踏み荒らしかねないこと。

 首尾よく逃げ切ったとしても、砦を破壊された場合、俺の国はとてつもない不利益を被ること。


「方向転換させてはいかがでしょうか」


「こいつの真正面に立ってか?」


「……え、と。進路上に障害物を置くとか」


 話している間にも首長竜は進む。

 最善の道は他にあるのかも知れない。

 だが最善の道を選んでいる間に事態が悪化しては元も子もない。


 俺は鎖の端を握り、長い首を睨んだ。

 太いが、不安定だ。

 うまく傷をつけることができるか。


「ちょっと待ってろ! すぐ戻る!」


 走り出そうとすると、にゅっと伸びた四つの手が俺の肩や腰を掴んだ。


「お前が待て!」

「ワカ!」

「何やってんですか!」

「やめな!」


 絡め取られるようにして後方へ。

 ウズサダに鎖を奪われる。


「お前は『弓兵』だろうが! 大人しくしてろ!」


 言葉の拳で俺を殴り、六傑は鎖の端を部下に放る。


「アブラオ! やれ!」


「へい!」


 海の忍者は鎖の端を持ち、縄を走るを蟻のごとく巧みに駆けた。

 十歩ほど進んだところで奴は忍者刀を振るう。素早く首に切り傷を作ると、首に鎖を渡した。

 ただ渡すだけではなく、ぐるりと一周させていた。


「九位! そう言や重りは?! 重りがなきゃ首なんて絞めれませんよ!」


「いるだろ、ここに」


「へい?」


「俺が重りになる!」


 駆けだそうとする俺の両腰をウズサダが掴んだ。


「だから――」


 ぐっと子供のように持ち上げられ、尻から巨竜の背に落とされる。

 顔を上げると浅黒い顔に怒りが浮かんでいた。


「指揮官が軽々しく前に出るなっつってるだろうが……!」


「指揮官『だから』だ……!」


 一瞬、ウズサダの顔にミョウガヤの顔が重なった。

 似ても似つかない顔だが、発せられる言葉が同じなら然したる違いは無い。


「命を懸けない指揮官について来る部下がいるか……!」


 だがウズサダはミョウガヤとは違った。

 俺に怒鳴り返すのではなく、すっと目を細めた。


「命を懸けるだけなら誰にだってできる」


 浅黒い親指が俺の胸を突いた。


「俺やお前はとっくに『懸けられる側』なんだよ。その渋みを呑み込めるのが『指揮官』だ」


「……!」


 俺を見据えたまま、男は吠えた。


「アワノ、アブラオ! 行け!」


「承知!」

「へいよ!」


 長い首にしがみつくアブラオが傷口に鎖を嵌め込んだ。

 そして片方を長い首の根元に立つアワノに放る。


「お前みたいな奴のせいで木っ端みじんになった船を幾つも知ってる」


 ウズサダは両腕を組み、二人を見つめている。


「人に好かれて喜ぶなとは言わない。だが、俺やお前が果たさなきゃならないのはそんな下らないことじゃない」


「……」


 胸に宿る炎のごとき怒りが、すっと引いた。

 熱だけが肺腑の辺りに残っている。


「アブラオ!」

「へいっ!」


 鎖を握るアブラオが首長竜から飛び降りた。

 ほぼ同時にアワノは斜め前方へ身を投げ出し、アブラオの逆側の鎖を掴む。

 ぶらりと吊られた二人の重みで鎖が軋んだ。




 ――が、首長竜は身じろぎもしなかった。




「クソ……! 足りねえか」


 かしゃんと銛の金輪を鳴らし、ウズサダが吠える。


「アブラオ! アワノ! 引け!!」


 二人は応じ、全身をしならせて鎖を引いた。

 うまいやり方なのかは分からないが、交互に鎖を引き合うことで首に嵌まった部分がごりごりと傷口を抉り始める。

 肉が削げ、黄色い脂が滲む。

 だがそれでも、首長竜は平然と歩を進めていた。


「た、大将! ダメだ! びくともしねえ!」


「軽すぎるんだよお前らが! 待ってろ!」


 おい、とウズサダがルーヴェに声を掛ける。


「俺がアワノにつく。お前はアブラオだ」


「わかった」


「! 待てルーヴェ! 俺が――」


 ルーヴェとウズサダの手が俺の胸を押した。


「ワカはそこ」

「お前は弓兵だろうが。周りの状況を見てろ」


「――」


「お前にはお前の役目がある。それを果たせ」


 ルーヴェとウズサダが長い首の上を数歩駆け、それぞれの鎖に飛びつく。


 二人が掴まった瞬間、鎖が大きく揺れた。

 アワノとウズサダ、アブラオとルーヴェの掴まる鎖が一度交差し、二度交差した。

 かなりの重量が掛かっているにも関わらず、首長竜は止まらない。


「アブラオ! 合わせろ!」


「へい! せえええ、の!!」


 ぐいん、と。

 鎖が引かれた。

 鎖が肉にめり込み、黄色い脂が飛び散る。


 そこで初めて、首長竜が高らかに吠えた。

 オオオオオン、と悲しげに。

 憐憫を催す声ではあったが、直後に起きたのは嵐もかくやの大暴走だった。


 どだっ、どだっ、どだっと四つ足を暴れさせ、首長竜が吠える。

 尾がしなり、木々を薙ぎ倒す。

 首が左右に振られ、鎖にしがみつく四人が枝を離れる寸前の葉のごとく激しく揺さぶられた。


「――」

「――!!」


 その間、俺にできることは何も無かった。

 矢を射ても巨竜は止まらない。むしろ暴れる時間が長引くだけだ。


「ワカツさん……」


 俺と共に残されたサギは困惑しているようだった。

 彼女に掛けるべき言葉もまた、無い。


(……っ!)


 苛立ちと焦燥で鼓動が速度を増した。

 今にもどちらかの鎖に飛びつくか、傷ついた首を抉って血を噴かせてやりたかった。


 だが、それではダメだ。

 それで事態が好転することはない。

 俺は歯を食いしばって耐えた。


 ――――やがて、暴走が収まった。


 幸い、落ちた者はいない。

 だが首長竜もまた歩みを止めていない。


(まだ足りないのか……?!)


 首にめり込んだ鎖はかなりの深さまで届いている。

 それでもまだ、血管や腱に届かないのか。


 ぶら下がるルーヴェが、ばっと前方を見やった。




「カルカロ、きてる!」




「!」


 ルーヴェの言う通りだった。

 見れば進路上に二頭のカルカロが出現し、左右から首長竜に迫っている。

 首から滴る脂の匂いに惹かれたのか。

 あるいは首に何かを巻き付け、歩みの鈍った巨竜が怪我をしていると思ったのか。


 大口を開けたカルカロは首長竜に噛みつこうと迫る。

 いや、ウズサダ達を食うついでに長い首に噛みつこうとしているのか。


「ワカツ!」


「分かってる!!」


 俺は既に弦が軋る音を聞いていた。

 放たれた矢は弧を描き、一頭の口内へと消える。


 更に二射。

 続けて三射。


「獺祭……!」


 相手はカルカロだ。そう簡単に死にはしない。

 だが歩みは乱れた。


 そこで首長竜が一回転する。

 サギが背にしがみつき、弓を掴む俺を片手で支えた。 

 世界が水でふやけたように歪む。

 猛烈な回転で危うく弾き飛ばされそうになる。


「~~~~!!」

「っっ」


 振られた尾が一頭のカルカロを直撃した。

 俺の目に映ったのは体側に尾がめり込み、口を開けたまま身を折る巨竜の姿だった。


 びゅお、と巨竜が吹き飛ばされる。

 木々がへし折れ、どおっと土が巻き上がる。


「何つうことだよこれは……!」


 ぶらんぶらんと揺れる鎖に掴まり、アブラオが呻いた。


「化け物の戦いじゃねえか!」


 その通りだった。

 その化け物の内一体が彼に迫っている。

 口を開けたカルカロだ。


「させん……!!」


 ――『獺祭』。

 その名を心で口ずさみ、片膝をついた姿勢で続けざまに矢を放つ。

 一射。二射。

 三射。


 舌を射貫かれ、目を潰されたカルカロがたたらを踏む。

 そこへ再び首長竜の一撃が入る。

 めぐん、と。

 今度は骨の軋む音が聞こえた。


 巨竜は一撃の元に吹き飛ばされ、木々の間に倒れ込む。

 広がる血が池となり、巨竜は苦悶を漏らしていた。


 首長竜はそちらには注意を向けず、ぴくりと鼻先を進行方向へ向ける。




 ぶおおおお、と。

 不穏な音が響いた。




「た、大将! あたしらの法螺貝だ!」


 鎖を掴んだアブラオが真っ青になっている。


「物見がこっちに気付いてる! っつうことはこっちからも向こうが見――」


 どだあん、と。

 巨竜が力強く一歩を踏み出した。

 鎖が跳ね、俺も飛び上がりそうになる。


「まずい! 気づかれた!」


 首長竜の視線は今や進路上に見える砦にのみ向けられていた。

 正面を横切る鳥にも、周囲をちょろちょろと歩き回る恐竜もまるで見ていない。


 地を揺らし、土を割り、巨竜が猛進を始める。

 血相を変えたウズサダが吠えた。


「おい! もっと引け!」


「無茶言わんでくだせえ! 腕が攣っちまう!」


 だがアブラオ達は必死に鎖を引いていた。

 鎖は間違いなく首にめり込んでいるのだが、まだ力が足りないらしい。


「……鎖を一周させたせいで、力の伝わり方が悪くなっている気がします」


 サギが耳元で囁いた。


「もっと重りを増やさないと……!」


「これ以上何を吊――」




 ぴゅいいいい、と。

 聞き覚えのある音が響いた。




「な、何だ?!」


 大貫衆たちは何事かと周囲を見渡した。

 だが俺はその音の正体に気付いていた。 


蟇矢ひきや……!?)


 まさか、と前方を見やる。


 そのまさかだった。

 今や物見の姿が見えるほど近づいた砦。

 その砦から右方へ視線をずらすと、蟻の一軍を思わせる一団が木立に紛れつつこちらへ向かってきている。

 身の丈を超える長弓を握る数十の男たち。

 ――葦原の弓衆だ。


「ど、どうしたんですか九位!」


「弓衆が来てる……!」


「うえええ?!」


 おそらく突進してくる巨竜を目の当たりにした大貫衆が援護を求めたのだろう。

 状況判断としては間違っていない。

 間違っていないが――――最悪だ。


「矢の雨を降らせるつもりか……!」


 おそらくそうなる。

 こちらの首に人間がぶら下がっていることなど向こうは知りもしないはず。

 知っていたところで、砦に突っ込ませるわけには行かない。

 問答無用で矢を射るだろう。


(止める……?! いや、その前にこいつを……!)


 俺の鏃は右を向き、左を向く。


「ワカツさん!」


 サギに呼ばれ振り向き、はっと息を呑む。

 恐竜人類の子供達だ。

 数は―――――四人。

 いつの間に這い上がっていたのだろうか。


「お手伝いします」


「?! 馬鹿か! 落ちたら死ぬぞ!! あの脚に巻き込まれて――」


「ですが、このままでは約束どころではないでしょう?」


 サギはそう告げ、俺の傍を颯爽と通り過ぎた。


「来なさい」


 はい、と明るい声が四つ重なった。

 緊張しているようには見えない。

 サギが共にいることによる安堵か、それとも崖よりは安全だと思っているのか。


 子供たちはするすると首を這った。

 手足の爪は長い首をしっかりと掴んでおり、安定している。


 三人が片方の鎖を、一人がもう片方の鎖を、するすると降りた。

 サギは一人の方へ。


 重量が乗った途端、首長竜が脚を止めた。

 効いている。それが目に見えて分かる。


「いきます!」


 鎖を掴んだサギが、ぐっと両脚を持ち上げた。

 そして勢いよく、鎖を引く。


 反対側の連中が引っ張り上げられかねないほどの力。

 子供達が「せーの!」と声を揃え、鎖を引く。

 めぎりりり、と嫌な音が響いた。

 首の上部にめり込んだ鎖が、首の骨を擦っているのだ。

 絞られた雑巾のように脂がぼたぼたと落ちる。




 その瞬間、首長竜は大きく呻いた。




 長い首が左右に動くが、その力は弱々しかった。

 腱が断たれたのではなく、呼吸に支障を来たしているようだ。


 動き出そうとする脚を抑える。

 今俺がやるべきは彼らを手助けすることではない。


「もう一度!」


 サギが凄まじい力で鎖を引く。

 巾着袋の口を締めるように巨竜の首がぎゅっと締まる。

 悲鳴が薄れ、四つ足がもつれる。


 長い首が、どおっと地に落ちる。


「!!」


 きりり、と弦を鳴らす。

 まず蟇矢を天に向けて放つ。

 一射、二射。

 蟻の大群のごとく進軍する弓衆が足を止めるのが見えた。



 続いて『獺祭』を塗った矢を地に落ちた巨竜の顔へ向ける。

 一、二、三射。


 小さな頭部に次々に矢羽が立った。

 開いた口から哀れな呻きが漏れる。


 四射。

 首長竜の全身がわなないた。

 前脚を折った巨竜は前のめりになるようにして首全体を地に垂らす。

 ウズサダが、アワノが、アブラオが、ルーヴェが、子供たちが、サギが、地面の上を転がる。


 俺は巨竜の首を伝い、滑り降りた。


「おい! 大丈夫か?!」


 言いながらも、矢を射る。

 既に矢羽だらけの巨竜の頭に、更に数射が突き刺さる。


「あいたたた! あたし、腰打ちましたよ、腰ィ!」


「邪魔だ」


「痛ぇ!」


 俺は横たわるアブラオを踏み、他の面々の様子を窺う。


 大丈夫――のようだった。

 よろよろとアワノが身を起こし、ウズサダが立ち上がる。

 子供たちは既にサギの元に集まっており、ルーヴェが俺の傍に寄った。


「ワカ。まだ遠いけど、人、いっぱい来てる」


「ああ」


 サギのことを言い繕う理由を考えなければならない。

 いや、今はどこかに隠れてもらうべきか。

 俺たちはさりげなく、巨竜と大貫衆の三人から距離を取る。


「……」


 アワノの包丁を奪い取ったウズサダは物も言わず首長竜の顔へ向かう。

 そして鼻腔と思しき場所に留めの一撃を入れた。


 ぶしっと血が飛沫を上げる。

 口の隙間から漏れていた唸り声が、ぶひゅるるる、という何とも言えない不快音に変わった。


「危ねえ橋を渡った」


 前脚を折り、首を垂らした巨体をウズサダが見上げた。

 アワノとアブラオは巨体をしげしげと眺めている。


「はえー……こういう触り心地なんですなぁ」


 アブラオが巨竜の後ろ脚を撫でると、アワノもそれに倣った。


「鱗っぽさが無いね」


「要らねえんでしょ。これだけでかけりゃ襲われることも無いでしょうし」


 太い胴を見上げたアブラオはぺしぺしと後足を叩いた。


「大将。これ、どうしやす?」


 ウズサダは二人と共に巨竜を見上げていた。

 獲物を殺すだけでなく解体し、持ち帰って生計を立てる鯨撃ちとしては、この巨竜の体構造が気になるのだろう。


「当然、切り分けて持って帰るさ」


 アワノが俺を睨む。


「ここらは私らの縄張りなんだからさ」


「……」


「やめろ」


 ウズサダが肩をすくめた。


「どうせ他の奴らの餌になる。それより――」


 どう、と。

 大きな音が聞こえた。

 巨竜が折った前脚を持ち上げ、立ち上がる音だった。


うっそでしょ……」


 愕然とするアブラオの横でウズサダが首を振る。


「よく見ろ。頭は降りたままだ」


「あ。本当だ」


「こいつのことは一旦」




 次の瞬間、三人の姿が消えた。

 一瞬遅れ、強い風が俺の顔を掠める。


 三人が立っていた場所を、長大な尾が通り過ぎていた。 




 悪あがきの尾撃を放った首長竜は、とうとう四つの脚すべてを曲げ、ずうんと地に倒れ伏した。

 土が跳ね、俺の服を汚す。


 首を巡らす。


 吹き飛ばされた大貫衆の三人が、木々に赤い染みを作っていた。

 ウズサダが濡れた布のごとくずるりと木の幹を伝う。






 大貫衆や弓衆の到着を待つわけには行かなかった。

 なぜならこの辺りには肉食恐竜が徘徊しており、既に巨竜の死を悟った連中が押し寄せているからだ。

 俺たちは三人を運ばなければならなかった。


 それは容易ならざる作業だ。

 ウズサダは全身の骨が折れている。

 アブラオは悪運が強いのか、下半身の骨ばかりが折れていた。

 アワノは尖った木が背中に突き刺さり、額が割れていた。


 初め、子供たちは彼らを殺そうと提案した。

 無理もない。命を取られかけたのだから。


 だがサギがそれを拒んだ。

 彼女は俺やルーヴェと共に、三人の敵を運んだ。


 砦が近づくと大貫衆と弓衆が現れ、三人を引き取った。

 息を吹き返すかどうかは、運次第だろう。


 大貫衆は俺のことなど気にも留めなかった。

 ウズサダ達の傷を見るや、あっという間に砦へ引き返していく。

 弓衆は六位の息が掛かった連中らしく、必要以上に俺と言葉を交わさず、持ち場へと去った。


 残された俺はサギと向かい合った。

 木々の隙間に身を潜めていた子供達もただならぬ空気を悟り、顔を覗かせた。


「約束です」


 彼女は目を閉じなかった。


「私を連れて行ってください」


「……」


「待って!」


 飛び出したのは一人の子供だった。

 俺が最初に助けた子供のようだった。


「お母さんを連れて行かないで!」


「……」


「お母さんに酷いことしないで!」


 子供は瞳を潤ませた。


「私が行くから!」


「……」


 女の子を突き飛ばし、別の女の子が前に出た。

 その女の子を押しのけ、別の女の子が前に出ようとする。


「私が行く!」

「ううん! 私が!」


「……」


 サギが両手を広げ、女の子たちを抱きすくめた。

 抱かれた女の子の目から、大粒の涙が流れた。

 すすり泣きが聞こえた。


「~~~~~~~!!!!」


 分かっていた。

 サギが律儀に約束を守ってくれた時点で、こうなるであろうことは、薄々気づいていた。

 ただ、責任感が俺の心を鉄のように硬くすると思っていた。


 そんなことはなかった。

 心臓は引きちぎれ、肺腑に汚水が溜まり、指先の筋肉が腐り落ちるようだった。

 罪悪感が毒のように全身を巡っていた。


 俺が直面しているのは人が歩む正道せいどうの問題。

 そう思っていた。

 その通りだった。

 俺は子供の命を盾に、彼女に死ぬよう強いた。

 正道に悖る行いをしていたのは俺自身だった。


「――」

「――、――!」

「―――――?!」


 なおも恐竜人類たちは俺に食い下がり、サギを庇い、泣き、喚いている。

 代替案を出す者もいるし、ただ怒る者もいる。


 害意がないことを察しているのか、ルーヴェは何も言ってくれなかった。

 ただ、時間が無いことを示すように爪先で地面を掘った。


 誰かを連れて行かなければ、彼女が死んでしまう。

 その誰かを、俺が選ばなければならない。



 誰に救いを求めることもできず、天を仰ぐ。

 憎らしいほどに眩しい太陽が、俺の目を焼いた。


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