52
「聞いていた話と違うな」
首の裏側に銛を乗せ、両手を引っかけたウズサダが軽い歩みで近づいてくる。
濡れたようにも見える黒髪は日焼けした胸元に垂れている。
腰には扇状に広がる網。目は細かく、袴のようにも見えた。
「子供の居場所が確認でき次第、ワカツ九位は女を殺す――じゃなかったか?」
十数歩先でその言葉を受けたアブラオが、ウズサダの方を振り向きもせず嗤う。
「だってそれが一番でしょう? 九位殿は『死体でもいい』みてえなことを言ってたじゃないですか。だったら子供を見つけ次第そっちの女を殺しちまえば、両方の死体が手に入る。……私ならそうしますね」
「で、今の状況をどう説明する?」
「さぁて。私の見立てが外れたとしか」
アワノが苛立った様子で鼻を鳴らす。
「何が『さぁて』だよ。それがあんたの仕事だろうが」
「っへへ。すいませんね姐さん」
くつくつと笑うアブラオの腕の中で子供が怯え切った顔をする。
彼の手には柄の無い短刀が握られていた。
アワノもまた、解体包丁と思しきものを子供の喉に突きつけている。
――――不用意に動くことはできない。
「他は報告通りだな。黒い鳥女に、鳥女の子供が……六匹か」
六傑と呼ばれる男が歩む度に濡れ葉が足裏に張り付き、また離れる。
からからと。銛の先端に引っ掛けられた恐竜の頭蓋が揺れる。
アワノ、アブラオの二人に合流したウズサダが俺たちを睥睨する。
距離は約三十歩。
「あんたは恐竜人類の死体を持ち帰って成り上がるつもりなんだと思ってた。……違うのか」
「違う」
「そうか」
ウズサダはまだ怒気を発してはいなかった。
銛で軽く肩を叩き、軽い調子で問う。
「どういうつもりなのか聞こうか、九位。何で敵の子供を助けた?」
「……聞いてるんだろ、アブラオに」
「確か『子供を助ける代わりに女の身柄を拘束する』って約束を交わしたそうだな」
「ああ」
こりこりとウズサダが分厚い胸板を指で掻く。
言葉には呆れ。
「敵だぞ」
「約束は約束だ」
そして――
「お前の部下が殺そうとしているのは子供だ」
「誰だって誰かの子供だ」
「そういう話じゃ「そういう話だ」」
叩き割るような言葉。
そこで初めて、海の男が怒りを見せた。
「特別な奴なんていない。赤子だろうが身重だろうが、殺すべき時は殺せ」
「できない」
「『やりたくない』の間違いだろう」
ルーヴェが身じろぎすると、ウズサダの視線が彼女を縫い止める。
忍者であるアブラオとほぼ同じ反応。
彼の虚を突くことはできない。
「勘違いするな。誰だってそんなことやりたくはない。だから俺やあんたには高い俸給が支払われてる。誰もやりたくないことをやるためにな。……違うか?」
「違わない」
「だろう? だから「だからといって」」
今度は俺がウズサダの言葉を叩き割る。
「そこに正しさがあるとは限らない」
「……」
「『やりたい』『やりたくない』の問題じゃない。敵とは言え、害意の無い子供まで殺すのは『間違ってる』」
ぶんと長弓を強く振る。
姫反りに残る水滴が落ち葉を叩いた。
「俺が高い俸給を貰ってるのは間違ったことをやるためじゃない」
「……」
「大将。話すだけ無駄だ」
アワノが鋭い言葉を差し挟む。
「子供を殺すのがそんなに気に入らないのなら、大きくなるまで育てて、それから殺してやるよ」
「ふざけるな。お前らこそ俺との約束を守れ」
「『恐竜人類はぜんぶ俺がもらう。俺が殺した奴はもちろん、あんた達が殺した奴もだ』……って奴かい?」
「そうだ」
「守ってるじゃないか。ここには『あんたが殺した恐竜人間』も、『私らが殺した恐竜人間』もいない。こいつらはあんたが『殺さなかった恐竜人間』だ。私らがそれをどうしようと文句を言われる筋は無いね」
俺が睨み返すも、彼女は怯まなかった。
発せられたのは低い唸り声。
「……こっちは六傑を一人殺されてるんだ。引き下がるわけがないだろう」
アワノの手にする包丁がぎらりと光り、俺の顔を映す。
「そっちの子供も寄こしな、九位」
「……」
サギが後ずさると、アワノが子供の喉に刃を押し当てる。
「順序はどっちでもいいよ。こいつらを殺してからそっちを奪ってやってもいい」
「よせ。お前を射るぞ」
本当に射ることはできそうになかった。
矢を取り、番え、狙いを定めている間に子供が殺される。
子供を取り返すのも至難の業だ。
アワノはともかくウズサダとアブラオの挙動に隙が無い。
囚われた『彼女』を助けることを目的とするのであれば、この場は俺が譲歩すべきだ。
ウズサダ達に子供を引き渡し、俺はサギを連れ、帰還する。
俺は『岩場に落ちた子供を助ける』という約束は果たしたのだから、引き揚げた後に彼らが死のうと知ったことではないと開き直ることもできる。
サギが抵抗したら獺祭で殺せばいい。
――そんなやり方は納得できない。
少なくとも一位や二位、そして俺の信じる『葦原』という国はそのような振る舞いを是としない。
だが、現状を打破する術が無いことも事実だった。
ゆっくりと沼に沈むように、俺の意地がどうしようもない現実に飲み込まれつつあった。
「待ってください」
硬直を破る者がいた。
サギだ。
「私はどうなっても構いませんから」
「っ。余計なことをするな!」
前へ出ようとするサギの脛を蹴る。
硬質な感触が伝わり、自分が護ろうとしている相手がどういった存在なのかを思い知る。
「……約束は守る。だから勝手に動くな」
アワノが歯を軋らせ、目を細めた。
「利敵行為だよ、あんた」
「駆除だと言ったり戦だと言ったり、はっきりしないんだな」
ちらとアブラオを見る。
奴は相変わらずへらへらと笑っていた。
「まあまあ。ちょっと考えてみましょうや、九位」
アブラオがぬるりと言葉を挟む。
「そいつら相手に筋を通すのは大いに構わねえ。このまま脅され続けたら股が緩くなりそうだし、子供を離してやってもいい」
「っアブラオ!」
「まあ聞いてくださいよ姐さん。……九位。子供は離してやってもいい。……が、しかしだ。私らだって一応は葦原の兵。戻ったらあんたの所行は全部報告しなきゃならない。全部ね」
太刀傷が開くようにしてアブラオの目が薄く開かれた。
「昨夜と今朝の様子を見るに、あんた、何か後ろ暗い事情があって鳥女の死体を探してますな? ……それって、誰かとの取り引きじゃないですかね」
「……!」
「図星か。だったらその黒い女を連れ帰っても、公に自分の手柄にはできねえでしょう?」
ってことは、とアブラオは舌なめずりする。
「紙の上に残るのは、突然あんたがここへ来て、殺すべき相手を殺さず逃げ帰ったって事実だけだ」
「子供は『殺すべき相手』じゃない」
「私らが『大人だった』って言っちまったらどうなりますかね」
「!」
「こっちは私、姐さん、大将の三人。そっちは当事者の九位と、そちらの頭の鈍そうな姉ちゃん。上はどっちの言葉を信じますかね」
「……」
「上に睨まれてるからって何やってもいいわけじゃねえ。いくら腕が良かろうと、私らが正式に抗議すりゃ、弓衆はあんたを処罰しないわけにはいかない」
最悪、とアブラオは気の毒そうに呟く。
「あんた、『十弓』の位を剥奪されますぜ?」
俺は息を吸い、吐いた。
「だから何だ」
「……へ?」
「欲しけりゃ誰にだってくれてやるよ……!」
上に行きたいと思ったことはある。
ミョウガヤのことを妬ましく、疎ましく感じることも日常だ。
だが位を惜しんだことは一度もない。
正しいことができないのであれば、『十弓』の称号など何の意味も無い。
これは損得の問題ではない。
『彼女』が死ぬ死なないといった人情や恩義の問題でもない。
俺が直面しているのは人が歩む正道の問題だ。
他の何を失えど、それだけは踏み外すわけにはいかない。
炭が赤熱するように全身が熱を帯びる。
痛みを覚えるほどの速度で赤い血が管を巡り、毛穴から汗が噴く。
恐怖と緊張ではなく、怒りによって俺の鼓動が激しさを増す。
「それだけか?」
「え」
「それだけかって聞いてるんだよ! もう言うことは無いんだな?!」
怒鳴った俺は靭に手を乗せ、歩き出す。
瞬間、アブラオとアワノが身を強張らせた。
「一度しか言わないからよく聞け。俺より多めに詰まってる脳みそをよく絞って考えろ」
空気は張り詰め、ひりつくようだった。
木々が息を止め、葉を散らすことをやめる。
風が息を呑み、天の雲がぴたりと停止する。
「その子達を放せ」
取り出した矢を弦に引っ掛ける。
まだ番えはしない。番えるまでもない。
俺の矢には触れれば即死の『獺祭』が塗られている。
その威力を目の当たりにした二人は動きを止める。――当然だ。
当然ではない振る舞いを見せる者もいる。
灼海六傑のウズサダ。
奴は一歩前へ出た。
「動くな、ウズサダ」
「動く」
「殺すぞ」
「いや、お前に俺は殺せない。意地で人を殺せるほどお前は思い切りのいい奴じゃない」
(……)
綱が朽ちた吊り橋に立っているような感覚があった。
ほんの少しでも踏み損なえば、国賊。
ほんの僅かでも歩み損なえば、非道。
分かっている。
彼女を助けると決めた時から、その危険な橋を歩んでいる自覚はあった。
だがここまでとは。
ここまでぎりぎりの橋を渡ることになるとは、思っていなかった。
「いきなり現れて鳥女を殺すと言い出す。言い出したかと思えば女は殺すが子供は助けろと怒鳴る。……利達でも私怨でもなければ何が目的だ? アブラオの言う通り、いかがわしい取引か?」
ウズサダは少しだけ声を和らげた。
「事情があるなら聞く。力になってやれるかも知れん」
「……」
「勘違いするなよ。余計な揉め事を起こしたくないだけだ」
さすが、船団を率いる長。
男としての度量に関して、俺は彼の足元にも及ばないだろう。
(……)
喉の辺りまで言葉がせり上がってきた。
いけ好かない恩人の女を助けるために、どうしても恐竜人類の死体が必要なのだ、と。
だが――普通に考えて「ただの人間」を助けるために恐竜人類は必要ない。
恩赦は他の形で求められるのが普通だ。
つまり、助けられる側もきな臭い奴。
ウズサダを納得させるためには、彼女の素性まで語らなければならないだろう。
さすがにアワノとアブラオがいる前でそんなことまで話すわけにはいかない。
――――いや。
そもそも、俺とウズサダを結ぶのは金だ。
忘れたわけではない。俺は彼の縄張りに立ち入るために賄賂を支払っている。
金で道を開けた者は、必ず金で道を閉ざす。
それに、子供たちの生死は彼女の問題とはまったく別だ。
事情を知ったところで、ウズサダが俺と同じ道を歩いてくれるとは思えない。
つまり、この場の面倒が解決する見通しは、無い。
「ウズサダ」
「何だ」
「悪いが、あんたには関係ない」
「そうか」
男は小さく頷く。
「アブラオ、アワノ」
「へい」
「ああ」
「ワカツ九位は乱心だ。行動不能にする」
きゃりり、と銛に結ばれた金輪が鳴る。
「十弓をそううまく半殺しにできますかね」
「殺すなとは言ってない」
部下の二人の目に物騒な光が宿った。
今にも子供の喉を掻き切るか、サギに何かを命じてしまいそうだ。
話が決まったその瞬間、俺は肩を落とした。
「気配を消して近づくのはやめてくれって言いましたよね」
誰かが反応するより早く、その反応を誰かが認めるより早く、言葉を放る。
「シャク=シャカ」
もちろん、嘘だ。
大貫衆の三人もすぐさまそれを嘘だと見抜いた。
俺が彼を連れて葦原へ帰還したことは国中に知れ渡っているが、その彼がこんな場所に現れるわけがない。
第一、忍者であるアブラオやルーヴェがいるのだから、彼が接近していたら確実に気づけるはずだ。
だが相手は事実上、人類最強の剣士。
自由で野放図で、誰の命令にも従わない無頼の剣士。
そして俺の顔には確たる自信。
『まさか』という考えが三人の脳裏を過ぎる。
だから、僅かでも後方に注意を向けざるを得ない。
その瞬間、矢を射る。
びょう、と地面すれすれを飛んだ矢が斜め上方に浮き上がり、アブラオの腕に突き刺さった。
と同時に、嘘をもう一つ重ねる。
「『獺祭』」
「!!」
アブラオが子供を取り落とし、自らの腕に素早く縄を巻いた。
薄目がかっと見開かれる。
「姐さん! う、腕っ! 落としてくれ!」
「っ!」
事態を飲み込んだアワノが子供を放り投げ、包丁をアブラオの肘に添えた。
二人の子供がこちらへ駆ける中、ウズサダが叫ぶ。
「馬鹿野郎! こけおどしだ!!」
「!」
遅い。
子供たちは既にこちらへ駆け、サギに抱き止められている。
忍者刀を抜いたルーヴェが素早く前へ出た。
「ころす?」
「だめだ。足を切るぐらいにしてくれ。……サギ! あんたは下がってろ!」
きりり、と次の矢を番えながら前へ出る。
俺は弓兵。後方へ下がった方が有利ではあるが、距離を取れば狙いが正確ではなくなる。
腕や脛を狙うつもりが首や大腿を射貫いてしまうかも知れない。
だから前に出る。
殺さず仕留めるために。
「上等だ」
ウズサダが信じられない速度で走り出す。
矢を放つ。
もちろん、無毒の矢を。
ひゅぱっと弦が鳴った次の瞬間、浅黒い肌の男は腰の網を振り抜いていた。
手で煙を払うがごとき所作。
振られた網の中に、俺の矢が絡め取られている。
「!」
「鯨撃ちの敵は鯨だけじゃねえ。夜の海のダツ、嵐の後のクラゲ、群れて襲い掛かる鮫。海の生き物すべてだ。人か、せいぜい犬ぐらいしか殺したことのない武士と同じだと思うな」
ウズサダは矢を絡め取った網を振り、肩に乗せた。
「俺に『矢』は当たらない」
「今日まではな」
「ぬかせ……!」
ルーヴェが俺を突き飛ばした。
一瞬遅れ、俺の居た位置を銀色の雨が通り過ぎる。
棒手裏剣。
放った当人は怒り混じりの笑みを浮かべている。
「獣面でもないのに今のを避けるのかい。ただ者じゃねえな、姉ちゃん」
アブラオが忍者刀を逆手に構える。
針に似た殺気が肌を刺した。
「あいつらは私がやる」
言い残し、ルーヴェが藍色の風となって駆ける。
そちらを確認している場合ではなかった。
既にウズサダは地を蹴っており、鮫さながらの速度で突っ込んで来る。
「しっ!」
直射。
網で防がれる。
「しッ!!」
蛇の矢。
急停止で回避される。
逆巻で後方へ走り出し、蛇の矢を更に二度続けて放つ。
一射目はウズサダの視界を塞ぐように大きく曲がり、本命である二射目はさりげなく迂回し、奴に迫った。
六傑と呼ばれる男は急加速で一射目を回避し、二射目を悠々をやり過ごす。
その瞬間、ぶわりと全身に汗が噴いた。
(こいつ――!)
距離が詰まる。
十歩から七歩。七歩から五歩。
矢を引く暇が無い。
ならば後方へ――
「っ」
一歩。
前へ出る。
ウズサダの放った網が蜘蛛の糸さながらに俺の頭上を飛び越え、広がった。
逆巻で後方へ加速していたら直撃を喰らい、行動不能に陥っていただろう。
網を放ったことで無防備となった肉体へ迫る。
至近距離。
矢は掴んでいるが、射ることはできない。今、射れば胴に刺――
「!」
膝が振り上げられる。
すんでのところで身を捻り、横回転しながら着地。
鏃を上げ、顔を上げる。
目が合う。
広がった網が手首の動き一つで手元へ戻り、銛が手の中で踊る。
「……」
「……」
きりり、と。
脚に狙いを定める。
僅かに速く、ウズサダの腕がしなる。
弓兵である俺の目をしても捉えることの難しい銛の一撃。
後方へ跳躍した瞬間、土が大きく抉れ、間欠泉のごとく泥が散る。
「シッ!」
ぱらぱらと降り注ぐ礫の中、俺の放った矢が飛んだ。
ウズサダは体側をこちらへ向ける形で巧みに矢をかわし、更にその場で一回転した。
勢いを乗せた蹴り。
こちらは得物が大きく、回避が難しい。
やむなく蹴りを合わせる。
「ギッ!」
足袋の裏と靴裏がぶつかった瞬間、膝から骨が突き出すのではないかと思うほどの衝撃が走った。
分かってはいたが、体術では勝ち目がない。
さりとて距離を取る余裕もない。
ウズサダの上半身が下半身の回転から僅かに遅れていることに気付く。
気づいた次の瞬間、ぐっと頭を下げる。
びゅお、と振り払われた網が頭を掠めた。
(――――!)
刺突と網の連続攻撃。
武士や忍者と手合わせしたことはあるが、まるで動きが違う。
次の動きがまるで読めない。
顔を上げると、銛が構えられている。
弓を振り払い、手首を打つ。狙いを違えた銛が脛を掠め、地面を抉る。
銛を突き出した硬直をごまかすかのように、再び網が振られる。
今度は上から下。
転がってかわし、泥だらけになりながら矢を放つ。
ウズサダは掬い上げるような蹴りを放ち、網を広げていた。
絡め取られることはなかったが、軌道を変えられた矢が地面に突き刺さる。
「――!」
「――!」
互角。
そんな言葉が浮かぶ。
なら、工夫を凝らすだけだ。
矢を番え、銛を構えたウズサダに突っ込む。
矢を弦から外す。
「?!」
「『獺祭』」
投げ槍のごとく、下から上へ矢を放り投げる。
斜め上方に飛ぶ矢に毒は無い。
だがあの凶悪な威力を目にしたウズサダは「万が一」に怯え、回避せざるを得ない。
やぶれかぶれで銛が撃ち込まれる。
俺はたやすくそれをかわし、新たな矢を手の中で回す。
踏み込み、放擲の姿勢を取り――すっと腕を引く。
長弓を振り抜き、思い切り膝を殴る。
「ヅっ!」
矢を番え、また外す。
僅かに動きの遅れたウズサダの腹部に蹴りを入れる。
「っ」
効いてはいない。
だが、動きを乱すことはできた。
よろめいたウズサダの口からは、苦悶。
今度こそ、番えた矢を放つ。
鏃が黒足袋を掠めた。
「死ぬぞ、お前」
嘘だ。
だが、ウズサダの心拍は上がる。
俺の毒矢は刺さらなくとも敵を退かせることが――
かしゃん、と。
銛の中ほどから何かが飛び出した。
「!」
刺突に特化した武器である銛が『振り抜かれる』。
回避を誤った俺の脛に熱が迸る。
「グッ?!」
飛び退く。
赤い血が十数滴、落ち葉を叩く。
(あれは……)
銛は姿を変えていた。
中ほどから突き出した二本の刃が溝を滑り、傘が開くように先端部分から左右に広がっている。
例えるなら三つ辻。あるいは――――錨。
ぎろりとこちらを睨んだウズサダが地を蹴る。
突きではなく、薙ぎ払いが放たれた。
びゅ、びゅお、と風が悲鳴を上げる。
視界に銀の筋が走り、俺は完全に攻め手を見失う。
「……くっ!」
後退。
後退に次ぐ後退。
更に後退。
――網の射程に入ってしまう。
「!」
放たれる黒網をかわし、また後退する。
ウズサダは速度を上げ、掬い上げるような動きと振り払う動きを繰り返す。
進退窮した俺は一旦しゃがみ、振り抜かれる銛を回避した。
予期していたかのように黒足袋が振り上げられ、俺の側頭部に直撃する。
「ッ!」
二転、三転、四転。
ようやく止まり、片膝を立てる。
顔を上げ、矢を構える。
――――ウズサダの手に網が無い。
「ッ?!」
はっと天を仰ぐ。
網は天高く放擲され、宙に広がっていた。
ぎゃりりり、と細い金属が溝を走る音が聞こえる。
見ればウズサダの錨は中央から真っ二つに割れ、一対の鎌へと姿を変えていた。
(まだ形が……?!)
鎌。
鎌の二刀流。
戦った経験がない。
いや。そんなことより上だ。上から網が。
後退では間に合わない。逆巻でも。
「っ!」
やむをえず、側転する。
身を屈めた最悪の姿勢。
案の定、立ち上がるより早くウズサダが急加速する。
距離を数えようとしたところで、既に三歩にまで迫られている。
「――――!」
闇雲に矢を放つ。
さっと左方向へ肩を落とし、六傑が矢をかわす。
こちらの悪あがきまで読んだ動き。
踏み込まれる。
二つの鎌がそれぞれ別の高さから迫る。
一本は俺の側頭部。
一本は俺の大腿部。
防御。――不能。
回避。――不能。
反撃。――不能。
迫る衝撃に身を強張らせる。
「――!」
肉薄していたウズサダが、大きく後方へ跳ぶ。
五歩、七歩。十歩。
まだ跳ぶ。
数十歩も離れた彼は俺をじっと睨んでいた。
その姿が、巨竜の太い脚に隠れる。
地が揺れた。
一度。
二度。
三度。
四度。
砦どころかちょっとした城並みの巨体を誇る首長竜が悠然と俺たちの間を歩いていた。
ウズサダはこいつの接近に気付いたため、攻撃を中断したのだろう。
正しい判断だ。
あのまま戦い続けていたら、ティラノより遥かに巨大な首長竜に踏み潰されていただろう。
太い脚が四本、視界を塞ぐ。
ずしん、ずしん、と一歩ごとに地が震動する。
「……」
「……」
この太い脚に身を隠されたら厄介だ。
そう考えた俺はウズサダが上下左右のどこから来ても良いよう、矢を番え、身構える。
「ワカ――……、……――!!」
ルーヴェが警句らしきものを叫ぶ。
正面から目を逸らさず、周囲に異変を探す。
首長竜の胴体を駆け上がる薄紫色の恐竜に気付く。
(――!)
トロオ。
名を思い浮かべた瞬間、奴らは一斉に長い首に噛みついた。
オオオオン、と。
哀し気な悲鳴が遥か樹上で聞こえる。
四つ足が暴れ、俺とウズサダはそれぞれ別の方向へ飛び退く。
「野郎っ!」
ちょろろろ、と。蟻の素早さでトロオが首長竜を滑り降りる。
そして――なぜか俺やウズサダの周辺を走り回った。
「?」
黒い影が周囲の大地を覆った。
顔を上げる。
俺たちを見下ろした首長竜が、巨大な前脚を振り上げている。




