39
初手を誤った。
そのことに真っ先に気付いたのはシャク=シャカでもセルディナでもなく、俺だった。
来るぞ。構えろ。
シャク=シャカはそう叫んだ。
言われた通り、漕ぎ手を兼ねる拳闘士たちが立ち上がった。
――一斉に。
全員が手練れであるがゆえの反応の速さ。
王族を護衛するという矜持。
敵方もまた王族であり、これが逃走戦であるという緊張。
そのすべてが裏目に出た。
「立つなっっ!!! 伏せろっっっ!!」
叫んだが、遅かった。
漕ぎ手たちが一斉に立ち上がったことで小舟の均衡が崩れ、激しく揺れる。
幸い、落水する者はいない。
ただ、誰もが姿勢を保つのに精いっぱいだった。
その瞬間、大量の暁竜を乗せるスピノとバリオが速度を上げた。
一頭の大型恐竜の背には五から六のエオが乗っている。鼻先から空気を噴き上げる巨体の数は六から七。
優に三十を超える黒き軍勢。
鏃に見紛う群竜が瞬く間に小舟へ迫り、先頭のエオが跳ぶ。
その爪と牙の先には唖然とする一人の拳闘士。
彼は驚愕の表情を浮かべ――――
――――掬い上げるような蹴りを放つ。
「でぇぇやっっっ!!!」
ぼっ、と。
先陣を切るエオの姿が消えた。
否、天高く舞い上がっていた。
誰も息を止め、顔を上に向けるほどの高さへ。
俺達だけでなく、後続のエオ達までもが最初の犠牲者を目で追う。
その隙を拳闘士は見逃さない。
「でぃいいいあっっっ!!!」
不安定な船上で一回転した男の蹴りが別のエオを撃ち抜く。
真横に飛んだ黒竜は水面で一度跳ね、濁った水面にぼしゃりと沈んだ。
と同時に、最初に吹き飛ばされた一頭もまた水柱と共に川へ。
衝撃は内臓にまで至ったのだろう。
数秒遅れ、二頭の吐いた血が足場たるスピノの背を汚した。
こおお、という残心の呼気。
思わず背が震える。
この気迫。
この強さ。
これがかの『唐』を滅ぼした男たちの末裔。
さっと白い風が視界を過ぎる。
「飛べ! 飛び移れ!! 叩っ斬れ!!」
既にシャク=シャカはスピノの上へ跳んでいた。
窮屈そうな白い衣服に身を包んでいるが、彼の動きは一切淀みない。
太刀が閃き、動揺する二頭のエオが首を斬り飛ばされる。
「各船二人以上は出るなっっ!! 奴らに見られている!」
セルディナが喝破すると、我も我もと立ち上がりかけた漕ぎ手たちが踏みとどまる。
彼らの視線は対岸の救助隊へ向けられていた。
そう。俺たちはザムジャハルの人間を装っている。
そう何人も『拳法』を使う者が居るのは不自然だ。
それにあまり多くの人間が飛び移ればスピノやバリオが身じろぎし、彼らを振り落すかも知れない。
水中での戦闘に持ち込まれたら、俺達に勝ち目はない。
(……!)
ぬおお、と鯨並みの巨体が小舟の真下を通り過ぎていく。
一頭。
二頭。
三頭。
背に乗るエオ達はぎゃあぎゃあと前傾姿勢で吠え、爪を振る。
居並ぶ奴らの姿は、生き餌をねだる小鳥のようにも見えた。
攻めあぐねたエオの一群が巨竜と共に俺たちの横を通り過ぎる。
思い切りの悪さは白銀のラプトルに脅されているがゆえか。それとも単に怯えているのか。
一頭の背に乗ったシャク=シャカが瞬く間に三頭のエオを肉片に変え、今、四頭目の前脚を掴んでいた。
「おいおい、どうした? 見物なら金を取る、ぜっっ!!!」
スピノの背に叩き付けられたエオが悲鳴を上げ、その喉を刀が貫く。
真っ赤な血が刃を伝い、白衣を汚した。
分かっている。
俺たちが『ザムジャハルの一団』を装うのなら、拳闘士以外の戦士は極力前へ出るべきだ。
「シア! ナナミィ! 出るぞ!」
飛び出した俺は未加工の矢、つまり直進する矢を手にした。
ミョウガヤと葦原の兵が見ている以上、『蛇の矢』は使えない。
スピノの背にどしんと着地する。
不安定さは感じない。
顔を上げる。
黒竜たちが小さく跳ねてこちらを向いた。
「前に出る! 続け!」
矢を持つ俺はまっすぐに突っ込みながら一射を放つ。
足場も動き、俺も動き、エオも動く。
この状況で小さな、しかも反応速度に優れる的を射貫くのは至難だ。
俺の矢はエオを逸れ、スピノの背びれを射貫いた。
黒竜は高らかに吠え、今だとばかりに突っ込んで来る。
俺は一切速度を緩めず駆け、飛びかかる恐竜の牙と爪を『逆巻』でかわし、再加速した。
空振りした恐竜の着地に合わせて矢を放ち、後足を射貫く。
ぎゃっと叫ぶその顔を蹴り上げ、露わになった喉へ矢を放つ。
づぱ、と鱗が削げ、血が舞う。
苦し紛れに振るわれる爪を一回転してやり過ごし、振り返りざま、頸椎に追撃の矢を放つ。
びんとエオが背を反らせ、横向きに倒れる。
その影から飛び出したシアとナナミィが俺を通り過ぎ、得物を振るった。
俺の背後に迫っていた一頭の前足が飛び、倒れたところで首が断たれる。
噴き上がる血飛沫が真っ白な俺たちを汚す。
「前に出過ぎでしょ、蛇!」
「お前が遅いんだよ」
「そうですよ」
「あんたは私と変わらなかったでしょうが!」
「っナナミィ伏せろっっ!!」
俺の一射が別のスピノから飛び移るエオの目を潰す。
と、シアがゆらりと割り込んでその喉を裂いた。
傷ついたエオの爪をオリューシアはしゃがむように、あるいは滑るように回避し、苦も無く前脚を切断する。
ぎゃっと叫ぶエオの喉に追撃の刃が突き立てられ、赤黒い血が激しく噴き出した。
その一連の動きには淀みもなければ迷いもなく、縫い目のない布を思わせた。
――――俺の知るエーデルホルンの剣術ではない、気がする。
更に別のエオが真横から飛びかかった。
ナナミィはそれを鮮やかにかわし、三日月の刃を持つ槍で脚を薙いだ。
すかさず俺が矢を放ち、顎、喉の順に射貫く。
びいんと矢羽を揺らす恐竜をシアが水中へ蹴り飛ばした。
「背中を!」
俺たちは素早く集まり、背を預け合った。
シアは珍しく興奮で顔を赤くしていた。
「悪くない動きです」
「ああ。これならどうにかできる」
シアはちらと白衣の槍兵を見やった。
「前衛は任せてくれて構いません。どうにかします。……ナナミィが」
「分かった。ナナミィ、頼んだ」
「な、何で私が……!?」
(!)
ざん、とシャク=シャカがスピノの背に刀を突き立てるのが見えた。
そして深く沈んだ刀の柄を握ったまま、首の方へ向かって駆け抜けていく。
「るァァァァァァッッッッ!!!!」
ざあああ、と鱗が飛沫のごとく跳ね、遅れて真っ赤な傷口が走る。
スピノが苦痛に首を上げると、シャク=シャカは更にその首を踏み、頭にまで至った。
肉を離れたシャク=シャカの刃は真っ赤な三日月を描いた。
次の瞬間、咆哮を上げるスピノの首が骨の中ほどまで斬られ、がくんと垂れた。
巨大恐竜は生涯見ることがなかったであろう自分の喉を見ながら絶命する。
ぐりんと裏返るスピノの上を唐最強の男は軽快に跳び回っていた。
「何なのアイツ。化け物……?」
「間違ってはいませんね」
「おい、出過ぎるな! 戻れ!」
俺の声でシャク=シャカが別の一頭に飛び移った。
死した恐竜には早くも川の掃除屋たちが群がり、水面にはばしゃばしゃと拍手じみた波が立つ。
セルディナは既に一頭のエオを討ち取り、二頭目の首をへし折るところだった。
振り返った彼の蹴りはエオの脚を刈り、その肘が顎を撃ち抜く。
怯んだエオの首が掴まれ、ぐりんと半回転すると顎からは舌が垂れた。
活躍する拳闘士は彼だけではなかった。
各船から飛び出した粒よりの男たちは瞬く間にエオを蹴散らし、その屍で山を築く。
拳が鱗を打つ軽快な破裂音。
ぎゃいん、というエオの無様な鳴き声。
どちらが優勢なのかは考えるまでもなかった。
いける。
そう確信した瞬間、セルディナが何かを叫んで上を指差した。
はっと顔を上げる。
「!」
矢だった。
矢の雨。
陸に残された救助隊が放った矢だ。
「盾っ! 掲げろ!」
さっと漕ぎ手たちが小型の盾を掲げる。
かかかか、と鏃が盾を叩いた。
威力はさほどでもない。
が、その隙をエオが突いた。
矢をかわした拳闘士が一人、エオの爪で喉を裂かれる。
ぶしっと血が噴き出し、男は両手で喉を掴んだ。
その腹部を恐竜の爪が通り過ぎ、衣服と肉がいっぺんに裂けた。
「ッガッ!」
膝をついた男の首に爪を立て、コロロ、とエオが雄たけびを上げる。
続く二射目が降り注ぐ。
エオへの防御に注意を向けた数人が顔や腹を射貫かれるが、当のエオは驚くほどの俊敏さで矢の雨をかわす。
矢を防いだ者の背に黒竜が飛びかかり、背や腿裏の肉を引き裂く。
ぼどぼどと落ちる血肉。筋。皮。
響き渡る絶叫。
立ち上がる拳闘士とそれを制する拳闘士。
悲鳴と怒号が飛び交い、エオ達が声高にそれを囃し、嘲る。
「落ち着け! 取り乱すな!」
(くっ!)
岸へ矢を向けるが、そこに居並ぶのは葦原の弓兵が五十、ブアンプラーナの拳闘士が百二十から三十、エーデルホルンの兵が二十、それに傭兵十人ほどの連合軍だ。
二十頭近い象と荷を運ぶ馬も居る。
俺が一射や二射放ったところで漣一つ立たないだろう。
蛇の矢を使えば話は別だが、あれを使うとこちらの素性が露見してしまう。
そこで全員の足並みが乱れた。
シャク=シャカは躍起になって恐竜を屠ろうとし、セルディナは妹を庇いながら離脱を指示した。
その両雄の動きに拳闘士が右往左往し、結果、俺たちはその場で無闇に散開してしまった。
ここぞとばかりにバリオが小舟の縁を咥え、転覆させる。
わっと溢れた男たちが恐竜にしがみつき、這い上がり、今度はバリオが水中で手足をばたつかせる。
「つ、次が来ます!!」
俺は咄嗟にシアとナナミィを抱き寄せ、庇い立った。
「ワカツ! これを!」
シアがばちんと外した鎖帷子を押し付ける。
弓を預けた俺は歯を食いしばって鎖帷子を持ち上げ、即席の盾とした。
矢の雨が降り、ばしゃばしゃと川面を叩く。
(……?)
妙だ、と思った。
今度はこちらの兵にほとんど矢が当たっていない。
見ればミョウガヤが象の上から兵たちに怒鳴り散らしており、四人の『花の矢』が彼らに矢を向けていた。
兵の様子がおかしい。
一部は石塔に殺到しており、一部は俺たちを射貫こうとし、一部はなおも象を左右にうろうろさせている。
ミョウガヤの首は右に左に動き、その度に赤い狩衣がせわしくなく揺れていた。
(! そういうことか)
おそらく、暗殺を指示された者の中に指揮官相当の立場の人間がいるのだろう。
そいつの指示とミョウガヤの指示、エーデルホルンの兵を束ねる者の指示が食い違っているに違いない。
「指揮系統が崩れていますね」
「ああ」
ならば付け入る隙がある。
そう考えて俺は――
「ばっ、攻城槍ッッ!!!」
ナナミィの甲高い悲鳴が響く。
はっと見返すと、象をうろうろさせていた連中がさっと道を開けた。
巨大な象の陰ではすっかり矢を装填したバリスタがこちらを睨んでいる。
既に十分に引き絞られたそれらは発射を待つばかりだった。
「い、いつの間に……?!」
さっと木立に忍者の姿が消えた。
どうやらミョウガヤ付きの忍者の仕業らしい。
バリスタの数は――――
(四、五、六……七……八……!)
数えるうちに顔から血の気が引いた。
この小舟の数に対してあの数。向こうは完全にこちらを殲滅するつもりだ。
恐竜との遭遇を見越し、奴らの命を奪うはずの武器が、今、俺たち人間を狙っている。
「と、飛び移れ!」
セルディナの言葉は一歩遅かった。
放たれた巨槍がそこかしこに着水し、水柱を上げる。
「――!」
「――……!!」
音と衝撃は鼓膜を叩くほどで、ともすれば吹き飛ばされてしまいそうだった。
小舟は破砕されるだけでなく波と水柱でひっくり返され、かろうじて持ちこたえた数艘も背や顔に槍を受け、身を上げた巨大恐竜に衝突し、転覆する。
数秒遅れ、ぱらぱらと木屑や水の粒、それに人間が水面を叩いた。
「無茶苦茶でしょあいつら……舟に向かってバリスタ撃つなんて」
俺、シア、ナナミィはスピノの上にしがみついていたため無事だった。
降り注ぐ水滴が霧となって辺りを漂う。
「と、とにかく離れましょう。もし次に――?!」
がくん、と。
足場が揺れた。
俺たちの乗るスピノが一気に潜行し始めたのだ。
見る見るうちに背が水に浸り、俺たちの足元に迫る。
「え、えっ!?」
「くっ!?」
俺とナナミィは得物を担ぎ、川へ飛び込もうとした。
「待って! 動かないで!」
シアが俺とナナミィを引っ張り、穴の空いた背びれを掴ませる。
彼女と共に天を仰ぐと、腿が水に浸り、腰が水に浸る。
「鼻が上を向いている生物です。そう長くは潜っていられないはず。耐えてください」
「た、耐えるってちょっと、私泳げないんだって……!」
「俺に掴まってろ」
喉まで水がせり上がる。
もう弓も髪も濡れている。
「限界まで息を吸ってください。……いきますよ!」
ぐぼん、と川の中へ。
雨のせいか水は濁り、小さな海藻の切れ端がそこら中に浮かんでいた。
ごぼごぼと緑の視界を舞う泡が一瞬で遥か後方へ。
スピノは馬にも等しい速度で一気に水中を突き進んだ。
(――――!!)
背びれに掴まったナナミィが片手ではっしと俺を掴む。
俺たちは誰からともなく膝をつき、許しを乞うような姿勢で背びれにしがみついていた。
濁った水の中で様々な魚たちが俺たちの傍を通り過ぎていく。
ある者は慌てるように、ある者は悠然と泳ぐ。
光差す水面が遠ざかり、また近づく。
水流によってナナミィの槍が流され、いよいよ身軽になった彼女は俺に抱き付いた。
白衣の裾から漏れ出したシアの紫布が煙のごとく揺れ、白い脚がちらつく。
腰が覗き、腿が覗いた。
(――)
俺は唾を呑んだが、彼女はこちらに気付いていないようだった。
一際激しい水流と共にスピノが急浮上する。
「ぶあっ!!」
「ぷあっ!!」
「っはっ!!」
息継ぎできたのは一瞬だった。
すぐにまた矢が射られ、バリスタが放たれる大音響が轟く。
「兄様!」
「プル! 暴れるな! 力を抜け!」
セルディナ兄妹の悲鳴が聞こえる中、俺達を乗せたスピノが再び潜行する。
水中深く沈むスピノの周囲に、無数の槍がどぼんどぶんと突き刺さる。
水に大穴を開けたバリスタたちは勢いを失って水底へ沈み、代わって水面に巨大な水柱が立つ。
振動が水を揺らし、俺たちを揺らす。
巨大な川イルカたちが逃げ惑い、ナマズたちが住み慣れた水底へ向かって泳ぐ。
群れる小魚は火事場の群衆さながらに行き交い、衝突し、方向転換する。
手足をばたつかせる人間たちが俺達を追い越し、俺達に追い越される。
バリスタをまともに受けたバリオが水面の光を見つめながら水底へ消えていく。
浮上。
「――、――――!」
「――――!」
潜行。
また浮上。
「――ル、――を――!」
「――様、――!」
潜行。
世界が緑の水に包まれる。
永遠にも思われる潜行と浮上が繰り返され、俺の肺は破裂せんばかりだった。
ナナミィはもう限界だとばかりに俺の頬をつねり、シアも時折水面を見上げ、離脱すべきか否かを考えているようだった。
何の前触れもなく、その時間は終わった。
ざじゃああ、と酷い音を立ててスピノが砂地に這い出した。
俺たちはその背から転がり落ち、濡れた砂の上に叩き付けられる。
「ぐっ!」
「うっ!」
「あっ」
俺達三人の立ち上がりは速かった。
激しく咳き込みながらも俺は弓を構え、シアは剣を握る。
今この瞬間、スピノやエオに襲われたら一巻の終わりだ。
「えふぉっ!! うぇぼっ!」
一際激しく水を吐いたナナミィが俺にしがみつき、ブーツの短剣を抜き取った。
彼女は盲人のごとく見当違いの方向に短剣を向け、やがて自分が川に向かっていることに気付くと慌てて引き返してきた。
俺たちに背を向けたスピノは二本脚で立ち上がっていた。
「はっ……はっ……!」
「っ……ふっ……!」
緑灰色の巨躯がぐらりと揺れ、真横に倒れた。
その衝撃で地は揺れ、砂が飛び、木々がざわめく。
スピノの顔面は無数の矢に射貫かれており、さながら針刺しのようだった。
「……!」
赤い狩衣を翻したミョウガヤ五位が象の上から俺たちを見下ろしていた。
距離は二十歩と離れていない。
四人の護衛も矢を構えており、じっとこちらを睨んでいる。
その周囲では蒼い袴を身に着けた葦原の兵が弓を構え、拳闘士が腰を低く落としている。
最も簡潔な言葉で表現するなら、俺たちは包囲されていた。
「ぶあっ!」
「ぇほっ! ぇほっ!」
すぐ近くにセルディナとプルが漂着した。
セルディナは一も二もなくプルの胸を叩き、水を吐き出させている。
シャク=シャカや他の兵の姿は見えない。
「ミョウガヤ五位!」
禿頭の男が一人、叫ぶ。
頭部に黄色い布を巻いた男だ。
「ただちに矢を射かけられぃ!」
「――」
俺とミョウガヤの目が合う。
奴は唇を開きかけ――
「捕縛しろ」
「何をおっしゃるか!」
禿頭の長が怒鳴る。
「見よ! 我が国の王女を略取した憎むべき――」
「初めから攫われたことを知ってたような言い草だね?」
「状況を見れば容易に考えが及ぶことだ!」
「へえ。じゃあ、何でバリスタを撃った? 王女様諸共死なせるつもりだったのかな?」
「……」
「矢もだ。勝手に指示を出して……お粗末なことだね」
ミョウガヤは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「全軍、武器を下ろせ。捕縛で十分だ」
矢が下ろされ、俺、シア、ナナミィが安堵する。
激しく暴れていた心臓が元の速度に戻りかける。
ミョウガヤと四人の護衛が石塔の方を見た瞬間、葦原兵数人が再び矢を引いた。
(……!)
立ち上がろうとするが、無理だった。
シアも、ナナミィも反応できなかった。
矢が放たれるその瞬間――――
ごおおおん、と。
遠い大地で鐘が鳴った。
恐竜すらも口を噤む、寂静な響きを持つ鐘の音だった。




