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万竜嵐  作者: icecrepe
【唐】
24/91

22

 


 戦いの喧騒が水の膜を隔てたように遠く聞こえていた。



 路地から俺を見上げる恐竜人類は三人。

 いずれも腕から背中にかけて緑の羽を生やしており、胸と下腹部を布で覆っている。

 手首から先は鱗に覆われ、強靭な恐竜の脚に長い爪が生えている。


 一人は黒髪に赤い髪飾り。――『秋の赤い甘い懐かしい風』。

 一人は亜麻色の髪に青い首飾り。――『夜の青い暗い鋭い星』。

 最後の一人はまばゆい金髪を流した女だった。

 背はかなり高く、腰には骨あるいは石を切り出したと思しき白い剣を吊るしている。


 六つの緑目は窓辺に立つ俺に向けられていた。


 ふっとアキが笑い、薄暗い路地に消える。

 ヨルと金髪の恐竜女は何事か囁き合い、二手に別れる。

 一人は建物の中へ。一人は別の建物の中へ。


 三人が立っていた場所には三つの生首が残される。

 兜や頭巾の意匠から明らかに指揮官と分かる男たちの生首。


(……!)


 顔を上げる。

 冒涜大陸の霧は未だ晴れてはいない。

 ここに来ることは彼女たちにとっても相応に危険な行為だったはずだ。

 なのになぜわざわざ足を運んだのか。


 ――嫌な予感がした。


「ワカ」


 ルーヴェの切羽詰まった声。


「きた。あいつら、きたよ」


「分かってる」


「……へえ。あれが」


 フソン=ブソンの反応は淡白だった。

 ただ、先ほどまでは感じなかった彼女の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 皮膚に滲んだ微量の汗が香を溶かしたせいだろう。


 汗だ。

 彼女は汗をかいている。


「嫌ぁな音が聞こえとったけど、そうか。あれがそうなんねぇ」


 彼女は曲刀を一度掴み、離した。

 手ごたえを確かめるように。


「ブソン。……すぐに備えを」


「してるってさっき言ったでしょうに。ここには人が詰め――」


「ワカツが言っているのは迎撃の準備ではなく、撤退の準備です」


 シアの言葉にぴくりとブソンの頬が動く。


「主力は恐竜に目を奪われている。指揮系統はズタズタ。おまけに向こうは足が速い」


「ああ。もうあそこで戦ってる主戦力を引き返すには遅すぎる」


「彼女たちの狙いが何なのか分かりませんが、大人しく街の外へ引くべきです」


「武器を返してくれ。少しは役に立つ」


「はっ! 体の良い事を言いよりますなぁ」


 ブソンは口を歪めて笑う。


「だいたい、何を根拠にあれらがここに来ると? 近頃は恐竜も金目のモノが欲しいのかねぇ」


「!」


 ルーヴェがぴくんと反応する。


「何か来てる」


「何……?」


「恐竜じゃない。これ……たぶん鳥」


「鳥?」


「……あれですかね」


 ブソンが路地の一つを示す。


 主戦場から僅かに逸れた通りを大型の鳥が駆け抜けていくところだった。

 羽毛に覆われた胴部は丸っこい栗のようで、異様に長い足が二本伸びている。

 首は長く、胴部と合わせると発芽を始めた種のようにも見えた。


 十を超える鳥の軍団は臆病なのか、戦地を避けるように大きく迂回している。

 足の速さはかなりのもので、人間ではまず追いつけないようだ。

 外見も爬虫類的ではない。仮に兵が見かけても無視するに違いない。


 鳥たちはすいすいと路地を駆け抜ける。

 水路を走る水のように。


 と、数羽がある路地で足を止めた。

 そして振り上げた首を露店の木箱に突っ込み、じたばたばと胴から下を暴れさせている。


「? 何を……」


「ワカ。あれ!」


 鳥たちが何かを咥え、首を上げる。

 強靭な嘴に捕らわれているのは――――媚竜コンピーだ。


「!」


 一羽が首を激しく左右に振る。

 小型恐竜の肉が引きちぎれ、血が顔を濡らした。

 一羽は長い首をしならせて床に媚竜を叩きつけた。何度も、何度も。


 一羽はうまく咥えることができていなかったのか、コンピーをするりと逃がしてしまった。

 が、すぐさま追いつき、鋭い爪で押さえつける。

 如雨露のように首を曲げ、その嘴が胴の肉を裂く。

 ぶちぶちと筋繊維を引きちぎりながら、鳥が頭を上げる。


 はっと路地を見ると、鳥のほとんどがこちらに向かって駆け抜けていた。

 数羽は別の家屋に飛び込んでいる。

 きいきいと揺れる看板には唐の文字で『食事処』と書かれていた。


 シアが俺に近づく。


「つまり、ああいうことのようですね」


「ああ。……あいつらの好物が媚竜コンピーなのか」


 おそらく探知手段は嗅覚。

 小型恐竜の糞尿を嗅ぎ分け、居場所を探るのだろう。


 コンピーが撒き散らした糞尿を追うのがあの鳥たちの仕事。

 アキ達はそれを追い、目的地へ――


「!」


 すっと建物の陰からアキが顔を覗かせ、消える。

 ヨルが緑色の翼を翻し、建物の一つから一つへ飛び移る。

 金髪の女はきょろきょろと辺りを見回しながら路地から路地へ消える。


 こちらへ向かう鳥の大群を追うように、三人の恐竜人類が近づいてくる。

 鳥の足は凄まじく速い。数分も経たず邸へ辿り着くだろう。

 アキ達の歩みは暗殺者のようにゆったりしたものだが、それでも到着まで五分とかからないに違いない。


「ブソン。もう聞こえてるだろ?」


「……」


「来るぞ。……来るんだよ、あいつらが!」


 俺が肩を掴んで揺さぶると、彼女は鬱陶しそうにそれを振り払った。


「向こう、たった三人ですやろ? 何ができますかね」


 三人。

 確かにたった三人の女だ。

 彼女たちと実際に戦ったことのない者がそのように侮るのは仕方ない。


「その三人のうち一人は、私たち三人がかりでもまるで太刀打ちできなかった相手です」


「それはあんた方が弱いせいでしょぉ?」


「本気でそう思いますか、フソン=ブソン」


 シアの声は冷ややかだった。

 冷ややかであると同時に、諫めるような響きも帯びていた。


「弓兵のワカツはともかく、私とルーヴェのことはわかるでしょう?」


 要するに「自分とルーヴェの二人で勝てない相手は、ほとんどの人間の手に負えない」と言っているのだ。

 不遜な物言いではあったが、見当違いでもないだろう。

 シアとルーヴェの身のこなし、機敏さ、胆力は二流三流では断じてない。

 単純な一対一、あるいは少数対少数の接近戦なら大抵の男はかなわないに違いない。


 その二人と俺の三人ですら、ヨルにたやすくあしらわれた。

 それが事実だ。


「フソン=ブソン。あいつらは畜生じゃない。網だの粉だのでどうこうできる相手じゃない。こんな狭い場所でかち合ったら皆殺しだぞ」


「……」


 ブソンの指がかたかたかたかたと落ち着きなく窓枠を叩いた。


 どずん、どどお、と今もなお橙色の恐竜が崩れ落ちる音が聞こえる。

 その数はかなり減っていたが、赤服の兵のまたかなり数を減らしているように見えた。


「バンリさんは何してるんかね……っ」


 ラプトルの甲高い声が響く。

 爪と剣がぶつかる不穏な音も聞こえていた。

 満身創痍の兵たちが戦っている。

 恐竜と。剣一つで。


 舌打ちを一つ残し、ブソンは肩を落とした。


「ええわ。下がりましょ」


「……!」


「あんた方死なせたらあっちこっちから叩かれますからなぁ」


 ぱたん、とブソンは窓を閉じた。


「下に厩舎があります。そこから東の方へ逃げましょ」


「東?」


「増援はそっちから来るはずです。三万も四万も人が移動しとるんやから、恐竜人も耳で気づくでしょ。深追いはできないはずです」


 ブソンは顎を動かした。

 早く行くぞ、ということらしい。


「……。ブソン。俺たちの武器は?」


「武器は渡せません。あんた方、自分らの立場分かっとらんの?」


「あの、服……」


 シアが居心地悪そうに腿をすり合わせる。


「そんなもの後でしょ、後」


 すり足に近い早足で部屋を出るブソンに、俺、シア、ルーヴェが続いた。


「これ」


「はっ!」

「はっ!」


 見張りの二人は頭を下げた。

 まだかなり若いようだった。


「ここ、今何人残っとる?」


「わ、私たちも含めて三十名ほどかと」


 部下二人の傍を通り過ぎながらブソンは一言告げた。


「恐竜の女が来よる。詰めとるモン連れて迎え撃ちなさい」


「はっ!」

「はっ!」


「殺せるなら殺してええよ。できないんなら火ぃでも油でも使って時間を稼ぎなさい」


(!)


「……はっ」

「……承知しました」


 ブソンは早足で廊下を歩いていく。

 シアが続き、ルーヴェが続く。


 俺は足を止めていた。


「ワカツ?」


 シアが振り向く。

 その勢いでドレスの裾がまためくれ、彼女は困ったように手で押さえる。


「どうしました?」


 俺は彼女の方を向いたまま、横に立つ二人の兵に問うた。


「……おい」


「はっ?」

「はっ?」


「俺の部屋を消火した二人は?」


「ああ、あの二人は――」


「ちょっと九位? 何をぼうっとしてますの?」


 すぐ近くの部屋の扉が開き、あの二人が姿を見せた。

 俺が部屋を出ていることに驚いているようだった。


「ワカツ九位!」

「なぜ部屋の外に――」


 俺は先を行く女たちに声を投げた。


「……フソン=ブソン!」


「何ですかこの忙しい時に」




殿しんがりには俺も付く」




「はぁぁ?」


 ブソンの口から飛び出したのは呆れと驚きと苛立ちの声だった。

 徒弟の不手際に怒る親方ですらここまでの声は発しないだろう。


「な、何を頓狂なことを――」


「さっきはありがとう」


 俺はまだ毛先や頬を焦げ付かせている男二人を見上げた。

 兵たちは事情が飲み込めていないようだったが、廊下の奥にいるフソン=ブソンとオリューシアを見て察したらしい。


 彼女たちは逃げる。

 自分たちはここに残り、肉の盾になる。

 その残酷な命令を察しても二人は顔色を変えなかった。

 ただ、槍を掴む手が震えていた。


「手を貸す」


 俺がそう言うと、二人はぎょっとしたようだった。


「は……?」

「九位が?」


 フソン=ブソンが慌てて口を挟む。


「ちょ、あ、あんたが死んだら元も子も無いでしょうが!」


「誰が死んでも元も子も無いだろうが。そいつの人生にとっては……!」


「……!」


 度を越えた怒りと呆れのためだろう。

 ブソンがその場でよろめいた。


 その顔面に怒りの表情が浮かぶ。


「格好つけの小物が……!」


「部下を盾にして逃げる方が小物だ」


 昨夜からずっと引っかかっていた。


 この二人の兵は消火の役に立つ指示を残した俺に恩義を感じてくれているようだったが、その感情は偽物だ。

 脱走の意図こそなかったが、俺が自室に火を点けたのは事故ではなく故意なのだから。

 だが俺の後ろ暗い行動に彼らは恩義を感じ、俺への懲罰を控えるようバンリに忠言してくれた。

 俺はそこにどうしようもない罪悪感を覚えていた。


 嘘をついたことを申し訳なく感じているのではない。

 それを至誠と信じた者がいて、その二人が俺を生かすために命を差し出さざるをえないこの状況が申し訳ないのだ。


 このまま彼らと死に別れれば、俺の心には洗い流せない汚れがこびりつく。


「ワカツ……?」


「弓がいる。ブソン。寄越せ」


「でっ、だっ……ちょ、シアさん、お友達、止めてくれません?」


 ブソンはシアにそう乞うていたが、シアの方はじっと俺の真意を見定めようとしているようだった。

 あいにくと、俺の方に他意は無い。

 ブソンを出し抜く計略でも、駆け引きでもない。


「俺たち全員が逃げ出してこいつらが残るより、俺とこいつらが残ってお前ら三人が逃げる方が確実だろう?」


「……!」


「ワカ、残る?」


 ルーヴェがずいと前へ出た。


「じゃあ、わたしも」


「!? ちょ、何を……」


 シアだけは俺を見返していた。


 分かっている。

 彼女は国を優先する。

 それを咎めるつもりはない。


「シア。俺が自分の意思でここに残ったことを証言してくれ」


 俺たちをただ見捨てれば、ブソンも懲罰を受ける。

 だが俺が自由意思で残留を決めたと証言する者がいるのなら、彼女は大手を振ってシアと共に逃げ出すことができる。


「死ぬつもりですか、ワカツ」


「そんなつもりはない」


 活路は、ある。


 今回のアキたちの目的は俺たちを殺すことではない。

 明らかに何か別の目的ありきでここへ向かっている。

 それが何なのかを見極めれば、彼女たちを撤退させることも可能なはずだ。

 そしてそれを知ることは今後の恐竜人類との戦いにおいて大きな意味を持つはず。


 昼になれば援軍が到着する。

 三万を超える軍勢だ。

 ブソンも指摘した通り、その気配を感じればさしものアキたちも逃げ出すだろう。


 勝利条件はアキたちを殺すことではない。

 彼女たちの目的が何であるかを理解し、それを妨害すること。

 もしくは、援軍到着まで粘ること。

 俺の話を静かに聞いていたシアが頷き、唇を開く。


「ワ――」




 男の悲鳴が響いた。




「!」


 声は一階から聞こえるようだった。

 おそらくこちらが撤退することを見越し、速度を上げてここへ駆けつけたのだろう。


「ブソン。弓寄越せ」


「~~~~!」


「俺を見殺しにする気か? シア聞いたか? 後でバンリに伝えてくれよ」


「分かりました」


「ああ、もう!」


 フソン=ブソンは靴で床を叩き、兵に一言命じた。

 それからシアを連れ、そのまま階下に消える。


 しばらくして、兵が俺の弓を手に現れた。

 ルーヴェの剣も一緒だ。


「ワカ。どうするの?」


「詰め所は?」


「各階に一つずつあります」


「……一階はもうダメだな」


 この邸宅は五階建てになっている。

 構造は中庭を挟んだ対称形で、二つの建物が渡り廊下で繋がっている形だ。

 ただし五階は主の部屋となっており、片方の建物からしかたどり着けない構造になっている。

 一見すると似たような構造の建物だが、本邸と別邸の区別があるのだろう。


 俺たちがいるのは四階の別邸だ。

 すぐ近くにシアが監禁されていた部屋がある。

 俺が焼いた部屋があるのが本邸。


「ルーヴェ」


 俺の言葉を受け、彼女はじっと宙を見つめた。


「……中にいるの、二人。赤いのと、黄色いの」


「どこにいる?」


「あっち」


 彼女が示したのは本邸、つまり五階に通じる階段がある方だ。


 恐竜人類もまた恐竜に近い鋭敏な感覚を持っているのかも知れないが、純粋な索敵能力ならルーヴェに大きく劣る。

 向こうがこちらの位置を把握するより先に、こちらが向こうの位置を把握できる。

 背後を衝かれる恐れはない。


 勝てはしないが、戦える。


 俺は弓弦を軽く鳴らした。

 一番良いのは生け捕り。次が殺害。

 二番目に良いのは彼女たちの目的を潰し、時間まで粘り切ること。

 三番目は彼女たちに目的を完遂させながらも時間まで粘り切ること。


「目的を探る必要がある。少し離れた場所から追跡するぞ」


 俺はボロボロになった狩衣の袖を紐で結んだ。

 と、兵たちの視線に気づく。


「九位。我々は――」


「……あのむかつく女のために死にたいのか?」


 男たちが顔を見合わせた。


「来い。生き延びて、いさおしを立てて、逃げ出したフソン=ブソンに恥をかかせてやろう」


 俺たちは靴を脱ぎ、静かに廊下を走り出す。




 アキ達が向かう先は五階だった。




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