21
土地にもよるが、唐の街路は概して入り組んでいる。
少し目を離すと家が建ち、少し目を離すと家が崩されているからだ。
小さな家の隣に大きな家が平然と建つ。
大きな家の窓に小さな家が物干し竿を通す。
いつの間にか二つの家の壁が崩れ、長屋のようになっている。
上から見た唐の市街地は大小まばらな結晶が窮屈そうに結合しているようにも見える。
その結晶の一つから、真っ赤な軍服の男が現れる。
彼は屋根の縁へ向かい、地を見下ろす。
眼下には隘路に突っ込んで右往左往する橙色の恐竜。
左右に身を振り、体重にあかせて建物を崩そうとしているが、できない。勢いが足りていない。
軍服の男は鉄槍を掴んでいた。
その腕がしなる。矢を引き絞るように。
筋肉の塊としか形容できない巨体目がけて鋭い槍が放擲される。
槍は硬い鱗を突き破り、皮膚にぶすりと突き刺さる。
橙色の恐竜が敵の存在に気付き、唸り声を上げた。
彼が『彼ら』になる。
同じ建物の中から赤服の男たちが溢れ出し、屋根の縁へ。
剛腕が槍を掴み、投石機さながらにぐんと振るわれる。
槍が日光を照り返す。
矢ではなく、槍の雨が降る。
鱗がひしゃげ、肉をえぐる。
痛みにのたうつ恐竜が咆哮で大気を震わせる。
身をよじり、揺らし、とうとう建物を打ち崩す。
乾いた粘土細工さながらにがらがらと家屋が崩れる。
家財が溢れ、恐竜の脚が地を踏みしめる。
――建物の中から、黒い砂のようなものが漏れ出すのが見える。
次の瞬間、弧を描いて放たれた火矢が黒色火薬を炸裂させる。
大気を揺るがす爆音。
ブソンが耳に指を入れ、ルーヴェが目を白黒させた。
足を吹き飛ばされた恐竜が苦し気に呻き、たった今自分が崩した建物の上に倒れる。
がらがらがらがら、と岩が雪崩れるがごとき轟音。
爆発が起きたのは一か所ではなかった。
街路の南部で。中央で。
家屋の中に仕込まれた火薬樽に火が点く。
何度か空気が震え、もうもうと煙が上がる。
狭苦しい唐の市街地も、目抜き通りだけは馬車がすれ違える程度の広さがある。
市街地に侵攻した恐竜のほとんどはそこに向かっていた。
彼らは異変に気付き、間抜けな鳥のように宙を見上げる。
がいん、がいん、がいん、がいん、と銅鑼がけたたましく鳴る。
屋根の上で小型のバリスタが運ばれた。
乾いた石材の上を車輪が回り、男たちの靴がかたた、と屋根を叩く。
鉄槍が装填される音。
異常な気配に気付いた恐竜が家屋に体当たりを食らわせようとするが、大量の砂塵がその目を潰す。
砂嵐のごとくばら撒かれたのは黒と白と赤の粉塵。
――香辛料だ。
一抱えもある布袋を抱えた男たちが退くと、どたんどしんと恐竜が地団太を踏む。
あるものはめちゃくちゃに走り回って家屋を破壊し、あるものは足をもつれさせて転ぶ。
砕けた家からは人の雨が降り、武器の雨が降る。
ばらばらばらばらと地を打つ。豪雨に似た音。
地に叩きつけられた男たちの幾らかは動けなくなり、幾らかは粉塵にむせ返り、幾らかは立ち上がる。
屋根のバリスタ達が唸り声を上げる。
空気を切り裂き、鉄槍が巨体の首に、脇に、腿に突き刺さる。
血の雨。そして血の嵐。
血と同じ色をした唐兵が建物の中から次々に飛び出し、恐竜に襲い掛かる。
鉤爪を持つ部隊が巨躯を這い上がり、目を潰す。
ある者はそのまま噛み殺されるが、別の者がその顎の中に火薬玉を放り込む。
恐竜の頭が吹き飛び、人の肉と混ざって降り注ぐ。
弩弓隊が屋根の上から恐竜に狙いをつけている。
鞭がしなるような音。
晴天を睨む鏃が太陽を睨み、地平線を睨み、地面を睨み、恐竜の目を睨み、その足首を睨み、突き刺さる。
先ほど森の前で矢を射た部隊とは練度がまるで違った。
束ねた槍のごとく降り注ぐ矢が一頭の脚を完全に射潰し、針鼠さながらの姿に変える。
唸り声を上げるその口にも矢が見舞われる。
痛みに呻き、伸ばされた舌が左右にびるるるるっと震えたかと思うと、十を超える矢がその肉を貫いている。
人が踏みつぶされ、恐竜が引きずり倒される。
人が食い殺され、恐竜が惨殺される。
恐竜の怒号。人の怒号。
汗と熱気と血と辛子が渦を巻き、街を戦場に変える。
(……!)
窓枠に切り取られた世界で繰り広げられる猛攻に、俺は血が騒ぐのを感じていた。
手には汗が滲み、額にも汗が滲んでいる。
恐怖や怒りを感じてのことではない。
武者震いの類だった。
「あーあー派手にやりますねぇ」
フソン=ブソンは両手をぱしぱしと叩き、饅頭の皮を床に落とす。
「初めから仕込んでいたのですか、伏兵を」
シアが目を細めると、目を持たない女が不穏な笑みを見せる。
「さあ。どうでしょうねぇ。私は直接指揮を執ってるわけじゃないですからねぇ」
「まち、もえてる」
「そら燃えるよ。いくらでも再建できるけどねぇ」
(……)
唐軍は昨夜のうちに市街地に兵を潜ませていたらしい。
野次馬のように見えた連中も大半は唐兵なのだろう。
冒涜大陸近辺での戦闘で苦戦を演じ、敗走を装い、市街地に誘い込み、罠や伏兵と共に恐竜を各個撃破する。
狭い路地が多いため恐竜は巨体や俊敏性を生かすことができず、人間側は事前に用意した道具を駆使し、四方八方から攻め立てることができる。
援軍が到着してからほんの数時間でこの備え。
俺は素直に感心した。
もちろんこの布陣は恐竜を迎撃するためのものではない。
唐軍が想定していたのは恐竜人類だ。
奴らが先陣を切って現れると踏んだからこそ、わざわざ兵を無害な一般人に紛れ込ませたのだろう。
ただの獣である恐竜相手に視覚的な罠を張る意味は無い。
目論見は外れたが、この戦いで唐の方針ははっきりと示された。
兵ではなく、将を討つ。
シャク=シャカが示した通り。
「ワカツ」
シアが俺を手招く。
「さっきの話、続けていいですか」
「さっきの話?」
「小さな恐竜がここを襲ったことについてです」
俺は窓辺を見やった。
フソン=ブソンが俺たちの話を聞いている。
「構いません。彼女に知られて困るような話ではありませんから」
ブソンは嫌らしい笑みを浮かべていた。
俺はますます女が嫌いになりそうだった。
「……一つ、思い出したことがあります」
「?」
「私の部屋、すぐ下に厨房があった気がします」
「厨房?」
「いえ、料理はしていなかったと思いますので何と言ったらいいのか分かりませんが……食材がたくさんある部屋です。すごい匂いがしましたから」
「貯蔵庫か?」
「それに近いものだと思います」
「……。ルーヴェ、匂いは?」
「したよ。シアの部屋、下に食べ物がたくさんあった」
ルーヴェはうつぶせに寝転がり、脚をぱたぱたさせている。
裾がぺろぺろめくれているので、上からぺしんと尻を叩いてやめさせる。
(食い物……)
そういえばシアの部屋に押し入った時、媚竜の多くは中央の卓に集まっている気配があった。
これはつまり、直前まで奴らが料理を貪っていたことを意味する。
ハンリ=バンリ達に包囲された後、廊下に現れた奴らも口に肉を咥えていた記憶がある。
おそらく媚竜は腹を空かせていたのだろう。その方が狂暴性が増すからだ。
だから自然に食物の多い部屋と、その真上にあるシアの部屋に誘引された。
いや、これだけではただの事実だ。
事実ではなく、アキ達の意図を探らなければならない。
シアが言った通り、アキ達がコンピーを差し向けた理由は人側に広く浅い被害を出すためではない。
投薬した個体は本来の目的からこちらの目を逸らすための罠だ。
被害を出すだけなら大量の恐竜をどかどか投入すれば済む。
彼女たちがあえて身軽なコンピーをけしかけた理由は何だ。
(――……)
逆に考えなければならない。
俺たちの身に起きた事象を、アキ達の目から見る。
アキ達はコンピーを空腹にすることで、『食料が多く貯め込まれている場所』あるいは『夜中でも食事を出している場所』に彼らが集まるよう仕向けた。
あんな真夜中に食事を出している家などありはしない。酒屋も飯屋もとっくに店じまいしている時間だ。
出しているとすれば貴人の家ぐらいか。
貴人の家。
アキ達は初めからそこを狙っていた。
だが狙ってどうする。
コンピーを山のように送り込んで、どうする。
「ワカ」
「何だ」
「おしっこ」
ルーヴェがぶるりと身を震わせた。
俺は慌てて彼女の手を引く。
「シア。ちょっと外す」
「え。私が――」
「いや、いい。薬がまだ抜けてないだろ。休んでろ」
寝室の隣には書架がある。
棚の一つに大きな陶製の甕が押し込まれており、そこが便所になっていた。
その周囲だけ本も偽物だ。棚に絵を描いている。
俺はルーヴェをそこへ導き、布を渡す。
便所の存在と使い方はシアと合流する前に教える機会があった。
「ちゃんと拭けよ」
「うん」
ルーヴェはしげしげと甕を見つめていた。
貴人用の部屋だけあって匂いを消すための様々な趣向が凝らされている。
壺に入った香油などがその最たるものだろう。
これだけの本と油があれば火を点けられるかも――なんてことも考えたが、そんなことをすればブソンの手で刺身にされる。
ルーヴェは俺が立ち去ろうと背を向けてもなお甕を見つめていた。
「どうした。何見てるんだ」
「こんなのあるのに、ほかのひとはゆかでするの?」
「? いや、便所は他にもあるはずだが」
「でも――――」
続くルーヴェの言葉に俺は目を見開いた。
そして踵を返す。
「下痢だ、シア」
再び寝室に飛び込んだ俺はオリューシアにそう叫んだ。
黒いスリットドレスの大腿部分を何とかして縫合しようとしていた彼女は、ぎょっとしたように俺を見返す。
「ルーヴェがですか? まさか何かの病気?!」
「違う。あいつらの目的だ」
俺は続く言葉をぎりぎりのところで飲み込んだ。
ブソンがこちらを見ている。
「――――」
どうする。
どう伝えれば。
コカアア、クルッ、クアアア、と。
甲高い咆哮が市街地に轟いた。
「!」
この声。
忘れられるわけがない。
盗竜だ。
巨大な恐竜に続いて現れたのは盗竜の軍勢らしい。
窓を見れば、しなる尾が家屋のあちこちに見え隠れする。
(――――!)
俺は恐竜退治の専門家ではないが、巨竜とラプトルではまるで違う戦い方が要求されることは分かる。
そして厄介さで言えばラプトルも巨竜に引けを取らない。
彼らは数が多く、しかも俊敏だ。
(まずい。このままだと唐軍は――)
俺の思考を遮るように、笛の音らしきものが響き渡る。
ぴひいい、ぴひゅうう、という聞くに堪えない音だったが、それを合図に兵たちの動きが変わった。
彼らは一斉に家屋の中へ飛び込み、何かを抱えて町中に散った。
ちょうどそこでルーヴェが戻って来た。
「!」
彼女は何かに気付いたかのように目を細めた。
「どうした」
「ち」
「ち?」
「血、いっぱい。いい匂いする」
(――――!)
彼女の言葉通り、街路のあちこちで血が撒かれた。
地面に、ではない。
斃れた仲間や崩れ落ちた恐竜に、だ。
「いい匂いってなぁに?」
ブソンが呑気に聞く。
「分からないけど、変なにおい。あぶらとか、内臓とかに、何かいろいろ入ってる」
「料理ということかしらねぇ」
くすくすとブソンが笑った。
「バンリさんかしらね、こういうこと思いつくのは」
「?」
いまいち事情を呑み込めない俺の耳元でシアが囁く。
その白い手が俺の手を握った。
俺は閃いた。
「……死体を餌にするつもりです」
「!」
その通りのことが起こった。
味付けされた血を浴びた死体はラプトルの目と鼻にさぞかし魅力的に映るのだろう。
街路に散ろうとしていた盗竜たちは一斉に路上の肉にかぶりつき始めた。
恐竜も人もお構いなしだ。
一般に、生物が狂暴性を発揮するのは空腹の時と育児の時だと言われている。
アキたちは盗竜の腹を限界まで空かせていたのだろう。
そこにこの仕打ち。
アキ達は恐竜を完全に支配できるのだろうが、所詮相手は獣に過ぎない。
人間なら、命令を空腹より優先させる。
だが恐竜は命令より空腹を優先させる。
赤い兵たちが路地裏からそっと顔を覗かせた。
手にしているのは――――網。
漁網。
黒い霞にも似たそれが四方八方からラプトルに投げつけられる。
ラプトルは爪で網を切り裂くが、首や脚、尾に絡む網までは振りほどくことができない。
網の上から槍が降り、石が落とされる。
多くのラプトルがその場で惨殺される。
かろうじて抜け出した盗竜が人間に襲い掛かる。
盾を構えた兵たちが果敢にラプトルに立ち向かう。
再び世界が血に染まる。
「これ」
ブソンが外の兵に声を投げる。
がちゃん、と石突が床を叩いた。
「は!」
「は!」
「あれをここに通さんようにねぇ」
「は!」
「は!」
「入口は封をしとるけど、あれは二階辺りなら平気で飛び込むからねぇ」
ブソンは刀を指でなぞった。
臆しているようには見えなかった。
だが、油断はしていたらしい。
「!」
ブソンが異変に気付き、つかつかと俺に駆け寄る。
俺は掴んでいたシアの白い手を離す。
手首を掴み上げられる。
女の力とは思えなかった。
手の平はごつごつしており、彼女の歩んだ人生の壮絶さを物語っている。
「こらこらこらこら」
目の無い瞳が俺を睨む。
「何書いたん?」
「あんたの悪口だ」
「ほぉぉ?」
そう。
俺はシアの手の甲に文字を書いた。
盲目の彼女は音を聞くことに長けている。
だが文字はどうだろう。
もちろん筆が走る音で何の文字が書かれているのか察することはできるのだろうが、音もなく書かれた場合、その文字が何なのか認識することは不可能だ。
「嫌ぁなこと考えますねぇ、九位?」
「あんたに言われると喜びもひとしおだ」
俺たちはくつくつと笑い合った。
俺の肝は冷や汗を流していた。
シアに伝えたのはこんな言葉だった。
『コンピーは下剤を食らわされている』
シアは黙考していた。
俺のもたらした情報が何を意味するのかを考えている。
先ほど便所で、ルーヴェは邸内のあちこちに糞尿が飛び散っていることを俺に伝えた。
さしもの彼女も糞尿の匂いや味を吟味するのはためらわれるのだろう。
きっと人間のものだろうと考え、まともに観察していなかった。
だが俺に言われ、彼女はよくよくそれを調べた。
目で、耳で、鼻で、皮膚で。――気の毒だが、味でも。
そして気づいた。
人間のものではないことに。
邸内にはコンピーの糞尿が撒き散らされていた。
それも尋常でない量だ。
いずれここが戦場に変わる可能性も鑑み、バンリはまともに掃除をさせなかったのだろう。
館の主も退避しており、ちょうど良かったに違いない。
コンピーは空腹の状態でここへけしかけられたが、同時に胃を下す何かも摂取していた。
食ったものはまともに消化されないまま糞尿として撒き散らされ、邸内のあちこちに残されている。
アキたちは何のためにそんなことをさせたのか。
決まっている。
目印だ。
そこが「コンピーが集まるほど大量の食糧が保存されている場所だ」という目印。
目印の役割は一つ。
そこを正確に襲撃するため。
(あいつら、貴人の家を狙うつもりだ)
俺は心の中で呟いた。
目的は不明だが、その目測はおそらく外れていないはず。
シアは冷徹な表情で俺を見返していた。
彼女も同じことを考えているのかどうかは分からない。
ただ、アキ達が目印を置いたということは、ここはいずれ――――
「!」
窓を見やり、真っ先に気づいたのはシアだった。
彼女は立ち上がって市街地を見つめる。
指揮系統が複雑な葦原の軍は幾何学形の陣を組むことがほとんどない。
翻ってエーデルホルンにおいて軍とはまさに陣形であり、閲兵などという風習も陣に関する異様な情熱から生まれている。
そんな国に生を受けたシアだからこそ、気づいた。
「兵の統率が乱れている……」
「……」
フソン=ブソンは何も言わなかった。
シアの目よりも先に音で何かを感じ取ったのだろう。
「統率?」
「攻め手が緩んでいます」
そういえば、銅鑼の音も笛の音も聞こえない。
あれらの合図で戦法を切り替えているはずだが、先ほどからまるでその音がしない。
なぜだ、と市街地に目を凝らした俺は気づいた。
「……指揮官がいなくなってる……?」
この軍勢には派手な鎧や剣を手にした指揮官が混じっていたはずだ。
その姿が見当たらない。
将を失い、兵たちがうろたえている。
恐竜を効果的に迎撃できなくなったのはそのためだ。
なぜ将がいなくなったのか、と考えたところで俺の背を怖気が走った。
兵が大勢いるのなら、将を潰せばいい。
シャク=シャカはそう言った。
とても合理的だと思った。
合理的なことは、当然相手も考える。
はっと我に返った俺の目に、三つの影が映る。
赤。
青。
そして黄色。
三人の恐竜人類が、路地裏から俺を見上げている。
三人は人間の頭を手にしていた。
ごとりと頭が地に落ちた。




