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万竜嵐  作者: icecrepe
【唐】
18/91

17

 

 状況を整理する必要がある。


 無害な小型恐竜に紛れ、人を襲う小型恐竜が忍び込んでいる。

 奴らは壁面の凹凸を伝って三階の俺の部屋に侵入できるほど俊敏で、シアが軟禁されている部屋にも忍び込む可能性がある。

 そのシアは――――薬で眠らされている可能性が高い。


 助けに行きたいが、この部屋を離れれば俺は唐の法を犯すことになる。

 その場合、ハンリ=バンリとフソン=ブソンは俺に罰を与えることができてしまう。

 彼女たちを敵に回すことなく外へ出るには、ルーヴェの体質について洗いざらい喋らなければならない。

 だがそれを話せばルーヴェの身柄が確実に唐に拘束される。


 単なる国益の問題ではない。

 ハンリ=バンリのやり口は誠実さに欠けている。

 一時的とは言えルーヴェを保護した身として、奴に彼女を差し出すことはできない。

 当の本人もまた、嫌がっている。


 だがそうなると、シアを助けられる者がいない。



「待て」


 その場を去ろうとするフソン=ブソンの背に俺は言葉を投げた。

 紫陽花あじさい色の袖が踊る。


「あんたたちの保護下でシアが死んだら、あんた達の責任になるんだぞ……!」


「世の中には事故というものがありますからねぇ」


 両目を閉じた剣士は首だけをこちらに向けていた。


「恐竜が来て大騒ぎなんですから、事故の一つや二つ起きるのは自然なことですよねぇ」


 残念ながら、その通り。

 唐ではよく事故が起きる。

 貴賤を問わず、命が安い。


「不測の事態なのですから、誰に責任があるわけでもなし、ということです」


 盲目の剣士は恐竜の頭を掲げて見せた。

 灰緑色の恐竜は開いた口からだらりと舌を垂らしている。

 頭部には丸っこい鶏冠とさかがついており、小さな口には肉食魚を思わせる牙が並ぶ。


 話しぶりと焦り方から察するにフソン=ブソンはこいつのことを知らなかった。

 つまり、本当に事故だ。

 運悪く小型恐竜が邸内に侵入し、運悪くハンリ=バンリがオリューシアに眠り薬を飲ませていただけ。


「ああ、もちろんお屋敷のお偉い様については万全に警備していますからご安心あれぇ。窓にはねずみ返しもついていますからね」


「……フソン=ブソン」


「はぁい?」


「武人としてお願いする。シアにも警護をつけてくれ」


「人はついていますよぉ?」


「別室に、だろう。窓から入られたら終わりだ。寝室に一人つけてくれ」


「できませんねぇ。女性のお客様の寝室に男性の兵は入れられませんの。これも規則でして」


「女の兵は?」


「あいにくと私だけしかおりません。夜勤は本来殿方の務めですから」


「……だったら、あんたが行ってくれ。音で気配を探れるんだから他の誰よりも適任だ」


「えぇ? あらあら。困りますねぇ」


 ブソンはくすぐったそうに笑った。


「では私も『武人としてお願いします』けど、バンリさんに隠している秘密とやらを教えてくださいますぅ?」


「……」


「できないでしょぉ? ごめんなさいねぇ」


 ちっとも申し訳なさそうには見えなかった。

 からかっているわけではなさそうだが、それが余計に神経に障る。


「一方的なおねだりしかできない立場なのに、軽々しく『武人として頼む』だなんて口にしないでほしいですねぇ」


「……。あんたやハンリ=バンリと話していると女が嫌いになりそうだ……!」


「うっふふ。私も女は嫌いですの。気が合いますねぇ」


 フソン=ブソンはくるりと背を向けた。

 腰の曲刀がずるると床を擦る。


「それじゃ、九位は行きずりの女の子のために苦楽を共にした女性を犠牲にする、ということでよろしゅうございますぅ?」


「……」


「うふふ。それじゃ失礼しますねぇ?」


 鍵のついていない扉は軽い音を立てて閉じた。

 ずず、ずるる、ず、と刀を引きずる音が来た時よりも速やかに遠ざかっていく。

 このままあの恐竜のことを報告しに行くのだろう。



 しばし、沈黙が漂った。

 じじ、と灯りが揺れ、ルーヴェが俺に顔を近づける。



「ワカ」


 ああ、と俺は応じる。

 俺はルーヴェの秘密を隠し通した。彼女をハンリ=バンリに引き渡したくなかったからだ。

 だが、だからと言ってシアを見捨てたつもりもない。


「シアを助けに行く」


 俺は既に長弓を掴んでいた。

 矢も矢筒もある。

 これ以上の準備は必要ない。


「……あいつ、ころす?」


 ルーヴェは鞘から刃を覗かせた。


「ブソンはすごく強いけど、わたしとワカの二人なら、ころせる」


「……」


「バンリもそんなにつよくない。シャカシャカはむりだけど」


「それは正面切って戦ったら、の話だろ? あいつらはあいつらで得意な状況がある」


「とくいなじょうきょう?」


「銀のラプトル、覚えてるか」


 う、とルーヴェの顔に苦いものが浮かぶ。

 竹林を飛び移り、天から槍を降らせた銀の追跡者。


「人間はああいう戦い方をする。強さを簡単に測らない方がいい」


 ハンリ=バンリは奇策を巡らす。フソン=ブソンは闇に乗じる。

 そうなった時、俺とルーヴェで太刀打ちできるとは限らない。


「でも、戦わなかったら出られない。出られなかったらシア、助けられな――ワカ?」


 俺は食堂へ向かった。


 皿はまだそこに残されている。

 良い油加減の皿が。


「ワカ? ……またごはん食べるの?」


 いや、と首を振りながら俺は皿の一つを手にした。

 それにとぷんとぷんと波打つ酒瓶。


「もう食べなくていい。それに、戦わないと出られない、ってことはない」


「?」


「出してもらうんだよ。そうすれば戦う必要はない」


「出してもらう……?」


「ああ。出してもらう」


 フソン=ブソンも言った通り。

 恐竜なんてものが湧き出しているのだから、得てして事故は起きるものだ。

 そして、事故なら責任を問われない。








 食堂の半分ほどが煙に包まれたところで、ようやく数人の唐兵が到着した。


 既に寝室に続く扉からはもうもうと黒煙が漏れ出しており、ごおお、と炎に煽られた風が渦を巻いている。

 ぱりん、ばきん、と壺が割れる音。

 赤い光が明滅し、食堂を照らす。

 吹き付ける熱風で顔が焼ける。


「九位! ワカツ九位!」


「げほっ! 遅いぞ!」


 俺とルーヴェは濡れた布を口に当て、食堂の床に這っていた。

 もう少し遅ければ本当に煙に巻かれていたかも知れない。


 具合の良いことにフソン=ブソンの姿は無い。

 先ほどの恐竜の件と俺の態度について報告を上げているのだろう。

 少しだけ運が向いてきた。

 少しだけ。


「な、なぜ火が出ているんですか?!」


「恐竜だ!」


 俺は二人の兵に肩を借りながら立ち上がる。


「小さいコンピーとか何とかいう奴がいるだろ! さっきそいつが入り込んでそこら中を走り回ったんだよ!」


 うぇほっとむせた俺はルーヴェの手を掴んで立ち上がらせる。

 彼女はひどく具合が悪そうにしていた。

 無理もない。五感すべてで『火事』を知覚しているのだから。

 炎の味や煙の味はさぞかし舌に苦いのだろう。


「は?! あ、あの小さいのが?!」


「そうだよ。どうにかして捕まえようとしたんだが駄目だった! あいつらが灯りをひっくり返してこのザマだ」


 俺が寝室を示すと、折良くがたんと何かが落ちた。

 おそらく寝台の天蓋だろう。


「ほ、本当にですか?! 本当にそんな……」


「他に何がある! 俺が自分で火をつけたとでも言うのか?」


 二人の兵は顔を見合わせた。

 その可能性はある、と考えているのだろう。


 だがここまでやるとは思っていなかったはずだ。

 油を飛散させ、酒をまき散らし、そこに火を点けるなんて正気の沙汰ではない。

 下手をすればこの家の半分ほどが焼け落ちるほどの大火事だ。

 そんなものを起こしたと知られれば俺はハンリ=バンリの手で吊るし首にされかねない。


 だから彼らは事故だと信じる。

 俺がそんなバカげたことをするわけがないと思っているから、俺に騙される。


 扉から漏れ出す黒煙はいよいよ食堂をも覆い始めていた。

 もはや立っているだけでも皮膚が焼けただれてしまいそうだ。


「えふっ! おほっ! ひ、避難していいか?!」


「ぇ、ぁ」


「避難だよ。まさかこのまま焼け死ねって言うんじゃないだろうな?!」


 俺は利発そうな兵を睨んだ。


「お前らが仰せつかったのは俺を監禁することであって殺すことじゃないだろ? 違うか?!」


「ち、違いません」


「だよな。じゃあ助けてくれ。どこの部屋へ行けばいい?」


「二つ隣の部屋なら火を通さないはずです」


「二つ隣ぃ?! この規模だと上下に延焼するだろう! 崩落したらどうする!」


「いや、しかし――」


「そもそも、フソン=ブソンはどこだ? 責任者はあいつだろう!」


「フソン=ブソン様は現在ハンリ=バンリ様のいらっしゃる詰め所の方でして――」


 情報ありがとう。

 ハンリ=バンリもフソン=ブソンもやはり邸内ではなく外に居るのか。

 だったら彼女たちが駆け付けるまで、少しだけ時間がある。

 シアを助けて、素知らぬ顔でここへ戻ることもできるはず。


「おい教えろ! ここより安全な避難場所はどこだ?!」


「そ、外はどうでしょう」


「外に出たらハンリ=バンリに何言われるか分かったものじゃないだろ! 家の中でだ」


 兵たちは少しだけほっとしたようだった。

 俺がこの機に脱走するのが彼らにとっての「最悪」だが、それは免れそうだと考えているらしい。


「渡り廊下の向こうなら安全かと」


「渡り廊下?」


「あちらの通路の先に中庭があります。そこを渡れば火の手もさすがに……」


「分かった。ご苦労」


 俺は二人の肩を叩き、駆け出した。

 ルーヴェが後に続く。


(――――)


 廊下を十数歩走ったところで振り返る。

 唐兵はまだそこでわたわたと右往左往していた。


「ワカ? 急いで。急がないと――」


「……ああ、もう!」


 俺は駆け戻り、二人に怒声を飛ばした。


「一人は伝令だ! もう一人は誰か呼べ! 水と砂を集めろ!」


「砂ですか?!」


「濡らして撒け! 火の手を止めろ! それから上下の部屋を崩して火が点きそうなものを――――」


 俺は手早く指示を出し、その場を離れた。






「シア、あっち!」


 俺が軟禁されていたのはそれなりに大きな屋敷だったらしい。

 通路は奥が見えないほど長く、階段を二つ降りた先には大きな魚の像が並んでいた。


 中庭に架かる渡り廊下からは大きな池を見下ろすことができる。

 まるで橋のようだった。


 元来た場所を見やると、まだ黒煙が上っていた。


(……やり過ぎたか)


 あの二人を騙したことは悪いと思っている。

 シャク=シャカにも申し訳ないことをしたと思っている。

 だがこれはあくまでも事故だ。

 俺たちは悪くない。


 これからたまたま道を間違えて、シアの部屋へ向かってしまうのも事故だ。

 ゆえに咎められる筋合いは無い。


「!」


「どうした」


「ブソン、来てる」


「……!」


「もう中に入ってる。人もたくさん動いてる。火のところにいる」


「……急ぐぞ。見つかったら面倒だ」


 シアの部屋は橋を渡り、階段を上った回廊の先にあった。

 扉の鍵はつけられておらず、僅かに隙間が空いている。


「シア、いる。……恐竜もたくさんいる!」


「……!」


 ルーヴェが剣を抜いた。

 俺は矢を番え、扉を蹴り破る。


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