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万竜嵐  作者: icecrepe
【唐】
15/91

14

 


 とうという国を一言で語るのは難しい。



 そもそも、その名を冠した国は既に滅んでいる。


 大陸南部では『えん』『いん』『よう』など、十を超える国々が覇を競っているが、その中に「とう」の名を持つ国は無い。

 王宮と旧首都を擁し、最も唐らしさを残す国ですら、『こう』と名を変えている。

「唐」も「唐人」も、もはやこの世に存在しない。


 ――というのが名目上の話だ。


 実際には普通に『唐』『唐人』で通じる。

 大陸南部の民はそのほとんどが自らを『唐』の人間だと考えている。

 そこにあるのは栄華を誇った亡国への郷愁だろう。


 黄金期の唐は大陸西部を支配するザムジャハルを壊滅寸前にまで追い込み、余勢を駆って北方のエーデルホルンすら飲み込もうとしていた。

 色とりどりの文化が栄え、金と銀が飛び交い、音楽は鳴り止まなかった。

 この国の民は今もなおその時代を生きている。いや、生きようとしている。


 民草だけではない。

 大陸の統一を旗印に掲げ、泡のごとく勃興と滅亡を繰り返す十数か国もまた、『唐』を心に描いている。

 彼らが目指すのは新たな国、新たな王、新たな民ではない。

 統一国家『唐』の復活。

 そこにあるのもやはり、逝きし世への郷愁。


 唐は地上のどこにも存在せず、それでいて、誰の心にも存在する。

 確かな手触りのある幻。

 しいて言うなら、それが『唐』。



 国家としての『唐』がかくも奇怪な存在である一方、『唐人』の性質はさほど複雑ではない。

 一言で語るなら、彼らは奔放だ。


 道には痰を吐くし、大声で怒鳴り合うし、誰かが目の前で落としたものは平然と奪う。

 何でも食べようとするし、どこででも眠る。

 平気で嘘をつき、恐れを知らず、肝が太い。


 ブアンプラーナの口さがない男たちは唐の人間をヤギに例える。


 ヤギに向かって「列に並べ」と指示しても話を聞きはしないだろう。

 彼らは好き勝手に駆け回り、メエメエと鳴き、草を食べ、糞をする。

 ところが食い物を地面にぶちまけようものなら、わっと集まり、我先にそれを食う。

 尻を蹴っ飛ばしても、怒鳴りつけてもお構いなし。

 犬をけしかければ追い払うことはできるが、気を抜くとまた地に落ちたものを食べている。

 唐人の手に負えなさはヤギにそっくりだ、ということらしい。


 もちろんこれは悪辣な喩えだが、俺個人としては決して見当違いではない――ように思う。


 唐の人間にはどこか動物じみた強靭さがある。

 生命力が横溢しているとでも言えばいいのか。

 時にふてぶてしさを感じる言動の奥底には生きることに対する無限の、しかも無自覚の肯定があるような気がしてならない。


 それが良いことなのか悪いことなのかは、俺にはよくわからないが。






「よう、どうした?」






 むぐむぐと鶏肉を食むシャク=シャカが眉を上げた。

 紅玉を思わせる瞳に俺の顔が映っている。


「いえ、ちょっと考え事を」


「ぉぉい。勘弁してくれ。メシ食う時ぐらい頭ァ休めろよ」


 鳥の足を掴んだ戦士は、むちん、と肉を噛みちぎる。

 勢いよく振られた肘がテーブルを叩き、かたた、かちゃちゃ、と食器が動物のごとく鳴いた。


「今日びの人間は頭を使い過ぎなんだよ。生きる喜びってのは首から下で感じるモンだろ? 頭なんざ半分寝かしときゃいいんだよ」


 椅子からはみ出すほど手足の長いシャク=シャカは歯に挟まった肉を小指の爪で取り除き、床に投げ捨てた。

 それはごく軽い所作だったが、部屋の隅に置かれた灯りが怯えるように揺れる。

 戦いの興奮が鎮まってもなお、彼の全身は熱を発しているようだった。


(……)


 既に日は沈んでいたが、室内は驚くほど明るい。

 壁面がまばゆい金とけばけばしい黄色を基調としているからだろう。


 眼前には大きな円卓があった。

 皿数は驚くほど豊富で、料理はどれも山盛りだ。


「さあ食え。食え食え」


 俺は陶器の匙で米を掬い、口に運んだ。

 このぼそぼそする食感。

 何度食っても食い慣れない、唐の米だ。

 わざわざとろみのあるスープに浸したのだが、芯の硬さがまるでごまかせていない。


 俺は米を諦め、副菜に箸を伸ばした。


 菜っ葉と豆腐、落花生の和え物。

 ――これはなかなか良い。

 油加減に嫌味が無いし、豆腐の硬さがちょうどいい。


 豆と魚のスープ。

 ちょっと豆が出しゃばり過ぎているが、この歯ごたえはうれしい。

 使われているのが海の魚だったらもっと良いのだが。


 茄子と豚肉の炒め物。

 辛味が効き過ぎているが、柔らかい玉葱にはこれぐらいがちょうど良い。

 豚肉がなければ最高だ。


 もじゅもじゅと咀嚼しながら器を見つめる。

 青みがかった白いわんには翼を広げた鶴が描かれていた。

 その隣の碗は海のように青く、その更に隣は菱形を組み合わせた不思議な造りをしている。

 唐の料理はいちいち気の利いた皿に乗って来るので目の休まる暇が無い。


「しかしお前ぇも変な奴だな」


 円卓を挟んだ向かい側でシャク=シャカが酒を呷った。

 ぐ、んぐ、んぐ、と一気に中身を空けた男は酒瓶をテーブルにばしんと置く。

 肉やスープに浮く油が驚いたように跳ねた。


「肉を食わねえ戦士なんざ、聞いたこともねえよ」


 俺は箸を止め、口の中のものを飲み込んだ。


「……昔、食中毒になったからです。こればかりはどうしても――」


 あーあーあーあー、と。

 シャク=シャカは天を仰ぎ、濁った呻きを発した。


「敬語はやめてくれ。耳ン中が痒くなる」


「そんなこと言われても……」


 唐最強の剣士、シャク=シャカ。

 その勇名は葦原どころか大陸全土に轟いている。

 たった一人で『きゅう』『そう』『おう』三国の将、計四人を討ち取った男として。

 一夜で三つの砦を落とし、一夜で二つの船を沈め、一夜で一国を傾けた男として。

 文字通り、一騎当千の男として。


 正直なところ、それらの噂には多少の尾ひれがついていると思っていた。

 だがつい先ほど、彼は俺の目の前で異竜アロ暴君竜ティラノを屠った。

 部隊すら率いず、たった一人で。

 ただひと振りの刀で。


 目の前で安酒を呷っているのは恐竜と大差ない化け物。

 俺の胸中にはいまだ恐怖と興奮とが渦巻いている。


「たまーに勘違いされるが、俺ァ一兵だ。すいだのしょうだのじゃねえ。位だけならお前の方が上だ、ワカツ九位」


「……」


 彼こそ勘違いしている。

 シャク=シャカが階級を持たないのには理由がある。

 彼を一兵として扱えば、隊同士、あるいは将同士で奪い合いが起きるからだ。


 唐の軍に編成される場合、シャク=シャカは伝令吏のような扱いを受けると聞いたことがある。

 将、帥、団長、連長、兵といった正規の指揮系統からは完全に外れ、別の思惑の下で動くのだ。


 別の思惑。

 すなわち、シャク=シャカの思惑。

 彼に命令を下せるのは彼だけ、ということらしい。


 その話をすると、シャク=シャカは興味深そうに何度も頷いた。


「ほー。そうなのか!」


「えぇ……? 知らなかったんですか……?」


「俺の頭は半分寝てるからなァ」


 鶏を骨までしゃぶりつつ、シャク=シャカは短い金髪をぼりぼりと掻いた。

 顔には悪童じみた笑み。

 本当に自分の扱いについて興味が無いのだろう。


 階級を持たないというのは何だか寂しい話だが、仮に俺が唐の指揮官だったとして、こんな男は部下に欲しくない。

 俺の命令が原因で彼が死んでしまったら、責任が取れないからだ。


「だがまあ、どこの国でも同じように動けるってのは具合が良いな」


「……一つの国に留まらないって話、本当なんですね」


「おお。何か色んなとこの王様に『しかん』?ってのを頼まれるんだけどよ、やれ式典だのやれ『はいえつ』?だのが面倒だろ? 戦った後はサーッとずらかるに限る」


「……」


「『こう』に呼ばれた時はしゃあねえから顔出すが、それ以外はどうもな」


 歯切れの悪い言葉。

 式典や拝謁、作法や細々した手続きが面倒というのは方便なのだろう。

 おそらくシャク=シャカは自分がいずれの国にも仕官しない理由をうまく言葉で言い表せないのだ。


 俺は少しだけ身を乗り出した。


「尊敬できない相手に仕えるのが嫌……ってことですか?」


 はっ、とシャク=シャカは咳のような笑いをこぼした。


「そこまでのぼせ上がっちゃいねえよ」


「のぼせ上がるも何も、あなたは実際に唐で最強なんだから誰よりも――」


「強いから偉いってのは犬畜生の考えだ」


「……」


 それに、とシャク=シャカは宙に手を泳がせ、酒瓶を掴んだ。


「最強なんて名前、欲しくて手にしたわけじゃねえさ。向こうから勝手に転がり込んできたんだよ。……言っちまえば俺ァ運が良いだけだ。偉ぶることじゃ――あー……?」


 ぽん、とシャク=シャカは自らの頭を叩いた。


「何の話してたんだっけか、俺ら」


「敬語の話です」


「あー、それ! それだ! ……ってまァた「です」だの「ます」だの使ってやがるな、お前」


 シャク=シャカの顔に浮かんだのは怒りの表情ではなく、困惑混じりの笑みだった。


「耳に汗疹あせもができちまう。そういうのはナシだ」


「しかし……」


「気にする事ァねえよ。俺がいいっつってんだから誰も怒りゃしねえ」


 俺は再びふやけた米を蓮華で掬った。


 この辺りの土地は『ゆう』と呼ばれる国に属する。 

 シャク=シャカはこの地の名士に掛け合い、疲弊した俺たちのために豪華な部屋を用意してくれた。


 俺に宛がわれた部屋は談話室を兼ねた食堂と寝室の二部屋だったが、そのどちらもちょっとした民家より広い。

 棚には溜息が出るほど美しい調度品の数々が並び、寝台に寝そべると天蓋の裏に描かれた見事な山水画を拝むことができる。

 窓からは市街地が一望でき、その向こうには霧に覆われた森と冒涜大陸も見える。

 朝靄に包まれた風景はさぞ見事だろう。


 ここは細部に至るまで心を尽くした――――牢獄。


(……)


 座敷牢とは異なり、窓に格子は嵌まっておらず、扉に鍵もついていない。

 歓待の名目で身分の高い捕虜を囲う部屋だ。


 冒涜大陸を脱出した今、俺は一刻も早く葦原に帰還したかった。

 そして一位や二位に俺の記憶と経験、考えていることのすべてを吐露し、恐竜との戦いに備えたかった。

 ――が、そうは行かない。


 まず俺たちは唐の国土に無断で立ち入っている。

 彼らには俺を拘束し、その真意を問いただす権利がある。


 加えて――――恐竜だ。


 唐の民は既にラプトルやティラノの存在を知っている。

 それがどこからどうやって現れ、人類にどう接するのかも知っている。

 だが実際に恐竜の巣、冒涜大陸に足を踏み入れた者は一人としていない。

 シャク=シャカやハンリ=バンリが俺の話を聞きたがるのは当然のことと言えた。


「しっかし……恐竜人間、ねぇ」



 俺はシャク=シャカとハンリ=バンリ、そして彼らが連れて来た聴聞係にすべてを打ち明けた。


 戦争をしているわけではないとは言え、相手は他国の軍人だ。

 本来なら冒涜大陸に関する情報は極力伏せるべきなのだろう。

 だがあいにくと俺、オリューシア、ルーヴェは別々の部屋で聴取を受けていた。

 話した内容に食い違いがあればシャク=シャカたちの心証は悪くなるだろうし、拘束される期間もいたずらに延びてしまう。

 唐に利する行為ではあるが、あの場は真実を語るのが最善だった。


 おそらくシアも同じことを考え、行動しているはず。

 俺はそう信じて洗いざらい話すことにした。


 ――記憶の混濁にかこつけて少しだけ嘘を付け足してはいるが。



 夜まで延々と聴取を受けた俺たちはようやく解放され、今に至る。

 あとは飯を食い、眠り、朝になったら葦原へ書状を書き、迎えを待つだけだ。


「別嬪だったかい?」


 俺はアキの顔を思い浮かべていた。

 長い黒髪。緑の目。屈託のない笑顔。


「それなりには」


「ンなるほどなぁ」


 聞いた割には反応が薄い。

 興味が無いのだろう。


「シャク=シャカ」


「おう」


「葦原の様子を知りたい。何か聞いてませ――聞いてないか?」


「国境の砦が二、三落ちたとは聞くな」


「……!」


 全身の血が凍るようだった。


「そんな顔するな。しゃあねえだろ。あんなモンに備えてる国は無ぇよ。……ここだってそうだ」


 シャク=シャカの話によると、唐の霧から恐竜が現れたのもごく最近のことらしい。

 一時は市街地が上を下への大混乱に陥ったらしいが、たまたまこの土地に立ち寄っていたシャク=シャカとハンリ=バンリが事態を収拾した。

 葦原と違い、唐には有り余るほどの人間がいる。

 あっという間に兵が押し寄せ、今はどうにか恐竜の進軍を食い止めているらしい。


「他に葦原の被害は?」


「村だの街だのが食い散らかされたって話は聞かねえな」


「そうですか。……」


 帰りたい。

 一刻も早く。

 叶うならば夜道に馬を飛ばしてでも葦原へ帰りたい。


 飯を食って気力と体力が漲ってきたせいだろう。

 全身に新たな汗が浮くのが分かる。

 焦燥の汗だ。


(……)


 霧の向こうにはまだ大量の恐竜が控えている。

 あの軍勢が押し寄せれば葦原はひとたまりもない。

 ――いや、どの国だってそうだ。


「これから……どうするつもりですか、『唐』は」


「難しいこと聞きやがる」


 シャク=シャカは苦笑いした。


「よくわからんが、打って出るのは間違いねえな」


「打って出る……」


「そうさ。守りに入って戦は勝てねえ。……あの霧、明らかに前より薄くなってるからな。人が入れるようになったらワッと乗り込んでやるさ」


「……今のこの国の状態で?」


「そこが問題なんだよなァ」


 今の唐は分裂した小国が覇を競う乱世だ。

 同盟があり、裏切りがあり、また同盟がある。

 この状況で冒涜大陸攻略に兵と国力を割く国などありはしないだろう。


「まあ一致団結は無理だろうが、王宮のある『煌』が一声掛けりゃちょっとずつなら人を割くだろうさ」


 それに、とシャク=シャカは褐色の拳で卓を叩いた。 


「見えてきたこともある」


「見えてきたこと?」


「お前の言ってる『恐竜女』だ。そいつらを潰せば、恐竜なんざただの『獣』だ。『軍』じゃねえ」


 シャク=シャカの赤い瞳にぎらついた炎が覗く。

 血に飢えた戦狂いの目ではない。

 戦う以外に生き方を知らない、戦士の目。


「唐はこれから冒涜大陸に打って出る。そして恐竜女どもを討ち取る。それでぜんぶ片が付く」


 正鵠を射ている、と感じた。


 銀羽紫ぎんばむらさきのような例外もいるが、基本的に恐竜は獣の一種だ。

 散り散りにしてしまえば、各個撃破することは不可能ではない。

 現にシャク=シャカは一人で暴君竜ティラノを殺している。

 柵を設け、投石機を並べ、落とし穴を用意し、十分に迎撃態勢を整えれば、散発的な襲撃を耐えしのぐことは可能だろう。


 問題となるのは奴らが隊列を組み、確たる『戦術』あるいは『戦略』を持って襲い掛かって来た場合。

 あの図体で、あの凶暴さで、あの俊敏さを持つ恐竜の『軍』。

 そんなもの防げるわけがない。


 だから、その音頭を取る存在を潰す。

 それは間違いなくアキやヨルたち恐竜人類だ。

 彼女たちさえ殺してしまえば、恐竜の脅威度はぐんと下がる。


 だが――――


「シャク=シャカ」


「ん?」


「恐竜人類を殺しても、恐竜を滅ぼすことはできない」


 俺は極めて重大な事実を指摘したつもりだったが、唐最強の剣士はくくっと笑った。


「何で滅ぼす必要があるんだ?」


「え?」


「家畜にしちまえばいいじゃねえか。鞍つけて、爪折って、きっちり調教してな」


「……!?」


「おいおいおいおい。お前、あれをぜんぶ殺す気だったのか? そんなことできるわけがねえだろ。だったら折り合いをつけて暮らしていくしかねえ。畜生と折り合いをつけるってのはつまり――支配するってことだろ?」


 シャク=シャカは湯呑みにどぷどぷと酒を注いだ。

 溢れた酒が卓を濡らし、縁から滴ってもなお彼は酒瓶を傾けたままだった。


「ワカツ。俺ァ嘘は嫌いだ。だから教えといてやる。……いずれ唐はアレを――『恐竜』を飲み込むぞ。狼を犬にしちまったみてえに、恐竜はただのでけえトカゲに成り下がる」


 俺はゆっくりと首を横に振っていた。


「……。……ありえない」


 否定には、願望が混じっていた。


「できるさ。唐に不可能は無ぇ。いつか唐は恐竜の軍勢を率いて大陸を制覇する」


 恐竜を駆り、地を覆いつくす唐の軍勢。

 それは想像するだにおぞましい光景だった。

 ある意味、恐竜人類よりよっぽど性質たちが悪い。


「ま、俺やお前が生きてる間のことじゃねえだろうがな。五十年か、百年後の話だ」


 シャク=シャカはのんびりと背もたれに身を預けた。

 達観とも余裕とも違う、得体の知れない構えだった。

 腰に吊るした鞘の縁からは生々しい血の匂いが漂う。


(……)


 五十年後の話はさて置き、今後の唐の動きに関してシャク=シャカの推測は外れてはいないだろう。


 唐は『煌』を中心とした合従軍を組織し、そのまま冒涜大陸へ攻め込む。

 標的は恐竜人類。

 彼女たちが根絶やしにされた後、残る土地と資源、恐竜たちは余さず唐のものになる。

 十数か国の関係も変わって来るかも知れない。

 より冒涜大陸に近い国ほど優位性が高くなり、同時に侵略される危険性が高まる。


 葦原はどうするのか。

 どうすべきなのか。 

 俺ごときが考えることではないのだろうが、それでも――――




 どかかっ、どかかっ、どかかっと。

 格子のない窓の外で重たげな馬蹄の音が連なった。


 地鳴りのような音は途切れず、急須の蓋がかたかたと鳴り続ける。




「……あれは?」


「増援だな。ちと時間が掛かったが」


「数は?」


「4000だ。明日の昼には3万の部隊が到着する」


(3万……?!)


 ああ、とシャク=シャカは笑った。


「心配しなくてもお前ぇらに出すメシの味が薄くなったりはしねえ。『しちょう』?も来るからなァ」


輜重隊しちょうたいですか」


「そう。それだ。山ほどの米と野菜と水を抱えた奴らがわっと押し寄せる。それの数が確か……8000だか1万だったかな。明日の昼からはあの森の辺りに防壁を作るんだよ」


「防壁」


「そうさ。増援の数が多すぎるから街に拠点は置けねえ。だったら森をがーーーっと覆う壁を作って、そこに住んじまえばいい。どうせ攻め込む時に必要になるからなァ」


「もしかして冒涜大陸全体を?」


「最終的にはそうなるな。長城っつうのか? 冒涜大陸を囲うんだよ。……あー……逆か? 唐を囲うのか?」


 途方もない話だ。

 だが、唐にはそれを実現するだけの民がいる。


 税と戸籍に関する法が国ごとに違うので推測値に過ぎないが、唐全土の人口は既に3000万を超えていると言われている。

 もし本当ならエーデルホルンの三倍、葦原の五倍、ブアンプラーナの十倍だ。

 内紛状態にあるとは言え、動員できる人員の桁が違う。


(……)


 別にこの国のことを心配していたわけではないが、俺が口を挟む余地など無さそうだ。

 腐っても最古の王国、『唐』ということだろう。


 俺が考えるべきは俺の国のことだ。


「シャク=シャカ」


「おう」


「もう俺やシアに聞くことはありま――ないよな?」


「ああ。無ぇよ。腹いっぱい聞かしてもらった。ありがとよ」


「唐の土地に無断で立ち入った事情も分かってもらえまし――分かってもらえたって考えていい、んだよな?」


「ああ。事故みてえなもんだし、こうしてちゃあんと事情を話してくれたわけだから、じょーじょーしゃくりょーになると聞いてる」


「……本当に? 後でやっぱり罰金を払えとか……」


「そんなことは無ぇ。ゆうかしらは話の分かる御仁だ。万が一、後でいちゃもんつけるようなら俺が間に入ってやる」


(良し……!)


 俺は心中密かに快哉を上げた。


 これで言質は得た。

 無断で国内に入ったことへのお咎めは無し。

 なら彼らが俺たちを拘束する理由も無くなる。


 今夜はさすがに無理だろうが、明日の朝、馬を借りて葦原へ向かおう。

 唐とブアンプラーナの国境は居心地が悪いが、葦原の人間だと証明されれば問題なく通れるはず。


「シャク=シャカ」


「おう」


「馬を借りたい。三人分。明日の朝にはここを発つ。……それに今すぐ葦原に手紙を書きたいから、できれば――」


「……」


 シャク=シャカはぼりぼりと首筋を掻いていた。


 その所作に後ろめたいものを感じ取った俺は目で問う。

 まだ何かあるのか、と。


「……明日の夕方、敦按とんあんって街から学者が来る」


「学者?」


「冒涜大陸を調べる学者だ。土に詳しい奴、樹に詳しい奴、トカゲに詳しい奴……色々な奴らがいる。そいつらがお前ら三人の話を聞きてえんだと」


「……まだ調べるんですか」


「そりゃあ仕方ねえよ。これから攻め入る土地のことだ。入念に調べなきゃあな」


(……)


 いや、確かにそうだが。

 確かにそうだが、俺はここで足踏みするわけには行かない。

 俺たちを助けてくれたシャク=シャカに義理を果たすのは問題ない。

 だがそれ以外の唐人の命令まであれこれ聞く気は無い。


「シャク=シャカ。気を悪くしないで聞いてください」


「お?」


「金を払う。その学者、追い返してほしい」


 ほお、と彼は面白がるように顔を近づけた。


「勘違いしないでください。あなたを使い走りにする金じゃない。俺が拘束されるはずだった時間を金に換えて、そっくりそのままあなたに差し上げるだけだ」


「っはは。モノは言いようだな」


「証文ならいつでも、いくらでも、書く。……俺はここでのんびりしているわけには行かない」


 唐最強の剣士にこんなことを頼む日が来るとは思わなかった。

 俺は緊張に拳を握る。


「んー……」


 シャク=シャカは長いこと天井を見上げていた。


 湯気が消え、碗の縁を水滴が伝った。

 俺の喉はからからだった。


「……いいぜ。学者は断ってやる」


「!」


 ほっと胸を撫で下ろしたところに、その言葉は降って来た。





「だが、医者は断れねえ」





「え……」


 医者? 

 医者と言ったのか、今。


「ああ。医者だ。医者も来るんだよ。お前ら冒涜大陸の中で何か食ったんだろ? 出てきたものを調べてえって思う医者がいるのは自然なことだ」


「そんなもの――」


「いや、用があるのはお前らの出したものだけじゃねえ」


 ずいとシャク=シャカが身を乗り出した。


「変な熱を出すかもしれねえだろ、お前ら」


「……! そ、そんなことない! 俺はほら、元気だ!」


「自分で気づいてねえだけで、妙な病気や虫を持ち帰ってるかも知れねえ。これは『ボーエキ』の話だってバンリが言ってたな」


 貿易?

 いや、防疫だ。


 確かに俺たちは多くの獣に近づき、名も知れない草木に身を寄せた。

 漆のように皮膚がかぶれる可能性もあるし、喉に根を張った綿毛が芽を吹くかも知れない。

 寄生虫が毛穴から這い出し、目から血を噴く可能性も確かにある。


「っつ――」


 ありえない、と叫びたかったが、恐竜という「ありえない生物」を見た直後では何の説得力もない。

 俺は喉に言葉を詰まらせた。


「そんなわけで、ここから先は医者がお前らの身柄を預かるそうだ」


「な、何日?」


 シャク=シャカはふっと息を吐いた。




「三年」




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