12
樹林から次々に現れる恐竜人類は、一人残らず女だった。
髪に紫色の蝶をあしらった女。
銀色の髪の女。剣を携えた女。
被布らしきもので顔を隠した女。
その目の色はどれも緑色だ。
顔や髪色、装飾品の意匠こそ様々だが、その装いはアキとほぼ同じだった。
手足はラプトルを思わせる鉤爪で、腕の側面から肩、背中にかけて緑の羽が生えている。
胸と下腹部だけが申し訳程度の布で覆われており、それ以外には衣服を身に着けていない。
10人近い恐竜人類は枝に腰かけ、木の幹に背を預け、梢にぶら下がり、面白がるように俺を見つめている。
「『秋の赤い甘い懐かしい風』」
ひときわ背の高い恐竜女がアキに近づいた。
結った髪は亜麻色で、青い首飾りを巻いている。
顔立ちはアキよりやや年上に見えた。
「その男、もらってもいいのかしら?」
「『夜の青い暗い鋭い星』。だめ。ワカツは私がもらうの」
途端、恐竜女たちがざわついた。
驚くと同時に嬉しがっているようにも見える。
夜の青い暗い鋭い星と呼ばれた女は感極まったように喉を鳴らす。
「とうとうあなたもお肉を食べるようになったのね」
「そうだよ。だって――」
アキは後ろ手を組んだ屈託のない仕草でこちらに近づく。
そして凍り付く俺の耳元に口を寄せた。
「こんなにいい匂いがするんだもん、ワカツのお肉」
くすぐるような声。
「ね? いいよね? ワカツ、あなたを食べていいよね?」
逃げろ、逃げろ、と血の一滴、肉の一片までもが訴えかけている。
だが俺の足は動かなかった。
動いても無駄だと分かっているからだ。
「まあ待ちなさい」
夜の青い暗い鋭い星はアキの肩に手を置いた。
「久しぶりの男なのだから、皆で楽しんでからでも良いでしょう?」
「え~。だってみんな骨とか折っちゃうじゃん」
アキは唇を尖らせた。
女たちはそれを否定せず、含み笑いと共に俺を見つめている。
涎に濡れた舌を口に隠す者、爪を研いでいる者もいる。
「壊さないから」
「そうそう」
「嘘ばっかり~。……それよりも、さ」
アキは俺の胸中を見透かすような眼を向ける。
「質問の答え、聞いてないよね? ワカツ、お仲間はいる?」
「……!」
俺は唇を噛みながら気づいた。
あの洞窟に住んでいたのはこいつらだ。
設備や状況からして、一時的に身を寄せていたのだろう。
道具の類が無い理由も今なら分かる。
こいつらは鋭い爪をインクに浸して文字を書くことができるし、包丁のように肉を切り裂くこともできるのだろう。
切り裂いた肉は哺乳類や恐竜のものだけではない。
こいつらは人間の肉も裂いている。
虚飾を省いて表現すれば、こいつらは人食いだ。
「私はワカツを食べるから、ヨルさんたちはお仲間を食べてよ」
「そうね。最初に見つけたのはあなただし、記念すべき『初お肉』なのだから心のままに食べると良いでしょう」
夜の青い暗い鋭い星はうっとりと頬に手を当てた。
「他にも男はいるのかしら? 個人的には子持ちの女でも良いのだけれど」
俺はこいつらを恐竜人類と呼称したが、彼女たちの本質は人類ではなく恐竜だ。
人間の肉を食う野蛮な恐竜。
それでいて、人語を理解し、社会を構成し、軍を組織し、獲物をいたぶる知性を持っている。
いうなれば知性を持つ肉食恐竜。
「あれ~?」
アキが俺の顔を覗き込んだ。
「言わないつもりかな~?」
素肌の上に狩衣一枚しか着ていない俺はあまりにも無防備だった。
だが衣服を一枚や二枚着ていたところで、この爪の前では薄紙同然ではないだろうか。
「ふふっ。じゃあ……カラダに聞いちゃおうかなぁ」
「あらアキ。そっちも絶つのをやめる?」
「そうだねぇ。私、そろそろ卵産んでみたいなぁ」
明るくも下卑た女の笑い声が響き、頭を垂れた鳥は膝を折った。
その衝撃でようやく呼吸を思い出した俺は天を仰ぐ。
(……)
今まさに俺を食い殺そうとしている彼女たちはラプトルやティラノと違って人間に近い知性を持っている。
知性を持つ敵。
こんなことがあっていいのだろうか。
俺は何て運が――――
「!」
ぴく、ぴくくっと恐竜女たちが気づく。
この場に迫る圧倒的な存在感に。
彼女たちが次々に木立の向こうへ目をやった
その中心から――――
「ワカッッ!!!」
鳥を駆るシアとルーヴェが飛び出した。
ルーヴェは長い骨を騎兵のごとくぶんぶんと振り回し、アキとヨルの頭をかち割ろうとする。
が、二人の恐竜女は助走もつけず後方へ大きく跳んだ。
十数歩分もの後躍を見せた二人はくくっと喉を鳴らす。
「ざ~んねん。女の子が二人でしたー」
「子持ちでもないのね。本当に残念」
シアとルーヴェは素早く俺の傍に鳥をつけたが、その顔面は蒼白だった。
血色が良い分、ルーヴェの方がより驚いているように見える。
「な、なんなの、こいつら。こんなのわたし、しらない……!」
「……無事ですか、ワカツ」
「ああ……」
「思わず攻撃してしまいましたが、問題は?」
「無い。――」
ちゃ、ちゃちゃっと恐竜女たちが木から飛び降りた。
俺は彼女たちを睥睨する。
「こいつらは敵だ……!」
「ふふっ。……ふっ!」
アキが地を蹴り、ほんの一瞬でルーヴェの目の前に現れた。
反射的に骨の槍を突き出した少女は次の瞬間、ぴたりと静止する。
「ぅっ?!」
アキが真正面から槍を掴み、持ち主の挙動を封じていた。
更に恐竜女は足に力を込め、ルーヴェを槍ごと宙に持ち上げる。信じられない膂力だった。
「そぉ、れっっ!!」
ぶおん、とアキが槍を振り回す。
とっさに骨から手を離していなければルーヴェはそのまま茂みの奥へ投げ飛ばされ、恐竜女たちに貪り食われていただろう。
「お、っとっと?!」
一回転し、その場に転ぶアキを見、女たちがけたけたと笑う。
「何してるのアキ」
「恰好悪~い」
「あーあー……えへへ……」
照れたように頭をかいたアキはきらりと光る眼でこちらを見た。
その瞬間、大気が張り詰める。
「~~~~!!」
ルーヴェが毛を逆立てる猫よろしく鳥の上で丸くなり、シアが唇を噛んだ。
俺は弓を手にしたが、矢を取る手は震えていた。
「あれ? やる気? やめた方がいいと思うけどなぁ」
アキのにやついた笑みを見た俺は察する。
おそらく彼女たちに挑んだ人間はことごとく殺されてしまったのだろう。
それも、彼女たちに大きな傷を負わせることもできないまま。
挑めば、負ける。
そう直感した。
だがそれは挑まない理由にはならない。
「逃げた方がいいんじゃない?」
「そういうわけには行かない……!」
こいつらは霧の外へ攻め込むと口にした。
それどころか俺の故国を狙うとまで言い放った。
おめおめと逃げ出すわけにはいかない。
「愚かね」
ひゅお、とヨルが残像を残しながら俺たちの目の前に。
その挙動を目で追えたのは俺だけで、反応できたのはルーヴェだけだった。
がぎい、と骨の手甲と爪が衝突する。
「食い物の分際で私たちに逆らおうだなんて――――不愉快っっ!!」
ヨルが長い足を鳥の腹に滑り込ませ、そのまま振り上げた。
それだけで鳥が宙に飛ばされ、乗り手であるルーヴェは転がり落ちる。
俺は即座に番えた矢を放った。
頬を射抜かんとする一撃をヨルは見もせずにぱしんと掴み、そのままへし折った。
シアが鳥をけしかけたが、ヨルは横回転しながらしゃがみ、その足を払う。
黒い剣士は転ぶ鳥から放り出されながらも一撃を見舞ったが、ヨルは身をのけぞらせて刃をかわした。
そして俺が立て続けに放つ骨の弾弓をひょいひょいとかわしながらこちらに近づき、子供をあしらうように鳥を蹴った。
くけーっと立ち上がった鳥から俺は転げ落ち、そのまま地面に叩きつけられる。
この間、わずか数秒。
「くっ」
「っ」
「おふっ!」
地に伏す俺たちを見下ろし、ヨルがせせら笑う。
「じたばたせずに大人しくなさい。余計な運動をした肉は風味を損なうの」
恐竜女たちがじりじりと包囲を狭め始める。
力量差は明らかだった。
彼女たちを力ずくで突破することはできない。
「さ~て。いただきましょうか~♪」
ルーヴェが絶望的な目をし、シアの顔に暗く冷たい表情が浮かぶ。
(……!!)
今まさに俺を食い殺そうとしている彼女たちはラプトルやティラノと違って人間に近い知性を持っている。
知性を持つ敵。
こんなことがあっていいのだろうか。
俺は何て運が――――
運が、良いんだ。
「シアッッ!! 銃を抜けっ!!」
俺が出し抜けに怒鳴ると、恐竜女たちがびくりと反応した。
「え?」
「銃だよ!! 抜いていい! 犬死するぐらいなら、こいつらも道連れにしてやるんだよっっっ!!」
「……! いいんですか?」
意図を察したシアが剣を鞘にしまい、中腰のまま身をひねらせた。
その動きが異様に映ったのだろう。
振り向いたヨルがシア目がけて爪を振り上げ――――
「遺言はありませんか?! この姿勢を少しでも崩したらみんな一緒に挽き肉です!!」
「!!!」
ヨルが慌てて爪を止める。
アキは手を伸ばして周囲を制止し、樹林はざわめきに包まれた。
「構うな!! やれ!! 俺ごとでいい!!」
ルーヴェは何が起きたのか分からず、目を白黒させている。
「すまんルーヴェ! 俺と一緒に死んでくれ!! シア! 数えるぞ! 三! 二ぃ!!」
「……!」
「何か来るっ!! み、みんな離れてっっ!!」
アキが叫ぶや、緑の女たちはばっと包囲を広げ、距離を取った。
そうだろう。
そうするしかないだろう。
何せこいつらは葦原のことすら知らないのだ。
銃が何なのかも分からないし、それが何に使われているのかも知らないはずだ。
「いいぃぃぃち!!!!!」
知性を持たない恐竜は恐ろしい。
知性を持つ恐竜人類はもっと恐ろしい。
もっと恐ろしいが、勝機はある。
知性を持つ生物には嘘が通じる。
「ゼロ!!! 走れっっ!!!」
俺とシアは同時に駆け出し、ルーヴェをひっ掴んで一羽の鳥に飛び乗った。
どん、ど、どん、という三度の衝撃に鳥が呻いた。
俺は後方へ向けて弓を構える。
「シア! 飛ばせ!! 霧まで!!」
「ええ!」
シアが鳥の腹に思い切り踵を入れた。
げげーっと鳥が甲高い声を上げ、びゅんと走り出す。
恐竜女たちは一瞬ぽかんとしていたが、はっと我に返った。
「追え!! 追いなさい!!」
ヨルの合図で一斉に女たちが迫って来る。
だが――――
「させねえ」
びびっと矢羽が頬を掠る。
俺の放った矢はわれ関せずを決め込んでいる大型鳥の目に突き刺さった。
けけーっと喚いた鳥はめちゃくちゃに暴れ回り、アキとヨルの進路を塞ぐ。
さしもの彼女たちも鳥の蹴爪をまともに受ければただでは済まないのだろう。たたらを踏んでいる。
「っ! このっ」
早くも三十歩ほど距離を離した俺は更に一射を放つ。
座り込んでいた役立たず鳥の腹に矢が立ち、ごげえっと濁った悲鳴が響いた。
乱舞する二羽の怪鳥が羽を散らし、血を散らし、悲鳴をまき散らした。
恐竜女たちはその場を右往左往するばかりで、俺たちを追うことすらままならない。
――――そもそも追おうとしていない奴もいるようだったが。
そうこうしている間にも鳥は駆け、俺たちの間の距離はどんどん広がっていく。
(逃げ切れるか……?!)
淡い希望を抱いた瞬間だった。
「アキ!!」
「お~まかせっ!!」
仲間二人の肩を蹴ったアキが高らかに飛び上がる。
俺は慌てて斜め上方へ鏃を向けたが、放たれた矢は強い風に弾かれた。
「くっ!!」
アキに続き、恐竜女たちが軽業師のごとく飛び上がる。
樹木ほどの高度に達した女たちは両手を大きく広げた。
(まさかっ?!)
そのまさかだった。
奴らは翼膜らしきものを広げ、びゅおおお、と空中を滑空して来たのだ。
あっという間に距離がつまり、目の前に緑の女たちが迫る。
「う、おおおっっ!!!」
弾弓を放つ。
ムササビじみて宙を舞う女の一人がそれをかわし、背後を飛ぶ女の顔を打った。
骨の弾を放つ。
放つ。
放つ。
放つ。
ひゅ、ひゅお、と女たちは軽やかにそれをかわし、数人が俺たちを追い越した。
アキは俺の方へ一直線に突っ込んでくる。
「ワァァァカツぅぅぅぅ!! あははははっっっ!!」
「気安く呼ぶなトカゲがっっ!!!」
矢を番えようとした俺はそれが間に合わないことを悟り、弓の上部、鳥打と呼ばれる部位を振り下ろした。
――――が、その一撃は空を切る。
アキは俺の真横へ滑空し、すれ違いざまに鋭い爪で弓弦をぷつんと断っていた。
「うっ?!」
「これでもう使えないね? ざんねーん!」
すとんとアキが着地する。
彼女より一足先に着地した恐竜女たちは鳥の真横を並走していた。
いずれ振り切れるほどの速度ではあったが、それでも凄まじい脚力だ。
「くっ!」
シアが狂ったように鳥を蹴った。
速度がぐんぐんと上がり、並走する恐竜女は後方へ流れ、アキの姿が遠ざか――
「シアだめっっ!!! まえっっ!!」
ルーヴェの悲鳴に俺は振り向く。
いつの間に先回りしていたのか、二人の恐竜娘が進路上に太い蔓をびいんと張るところだった。
ちょうど、人の腰ほどの高さに。
鳥はそこ目がけて突進している。
「あっばか――」
蔓に引っかかった鳥は盛大にすっころんだ。
俺たちは宙へ投げ出され、どたんばたんと派手に地上を転がる。
「おふっ」
「かっ!」
「っ」
見事に転倒した俺とシア、ルーヴェの背を恐竜娘たちが踏んだ。
一人はまだ子供のようだが、その力強い蹴爪はルーヴェをくぎ付けにしている。
シアを踏む女は二人だった。一人はいかにも好戦的な顔をしており、金髪の一人はシアに似た冷たい表情の持ち主だ。
俺の背も誰かに踏みつけられている。
「ふい~。びっくりさせないでよ。もぉ」
黒髪を靡かせるアキがぱんぱんと腿についた砂を払っている。
「これはお仕置きが必要ですねぇ」
アキがねっとりとした声で笑う。
すぐさま俺は立ち上がろうとしたが、背を踏まれているので何もできない。
いや、立ち上がったところで弓弦は切られている。
「く……!」
俺は顔を横に向けた。
もうすぐそこに霧が見えている。
なのに、ここで死ぬのか。
「腱を切っておく? 秋の赤い甘い懐かしい風」
「だめだめ。大事に扱って」
地に伏す俺の目の前にアキがしゃがみこんだ。
腿の付け根まで見えそうな姿勢だが、うれしくもなんともない。
「元気が良いねぇ、ワカツ。これは卵にも期待が持てるな~」
どうする。
もう嘘やはったりは通じない。
では交渉すれば良いのか。
他の人間を差し出すから、国に招じ入れるから、手引きをするから、俺たちだけは助けてくれと。
――――そんなことするぐらいなら死んだ方がマシだ。
風が吹き、アキの黒髪が顔を覆った。
彼女ははらりと手で髪を払い、醒めた目を女二人に向ける。
「あ、そっちの二人はどうでもいいんで。もう食べちゃっていいよ?」
言われ、ルーヴェを踏む恐竜娘が爪を振り上げた。
踏まれた少女の顔に怯えがよぎる。
俺は思わず目を閉――――
恐竜娘たちの重さが消えた。
背中にはぎゅっと爪が食い込む感覚が残されており、俺は彼女たちが一斉に飛び退いたのだと気づく。
肘を地につき、顔を上げる。
次の瞬間、白銀の盗竜が俺の眼前に降り立つ。




