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万竜嵐  作者: icecrepe
【冒涜大陸】
11/91

10

 

「猿の骨でしょう、きっと」


 ようやく口を開いたシアはそんな言葉を漏らした。


 きちちちち、と闇のどこかで虫が鳴く。

 灯りに照らされた頭蓋骨の眼窩はどこか恨めしそうに見えた。


 俺は猿と人間の頭蓋骨を見比べたことなどないが、断言できる。

 これは人間の骨だ。


「……歯を固めた痕がある」


 俺は闇に浮かぶ頭蓋骨の前歯を指で撫でた。

 灰や骨粉を使ったのか、それとも石膏を使ったのかは知らないが、犬歯を加工した痕跡がある。

 猿はそんなことをしない。


 鳥。馬。恐竜。人。

 風雨にさらされた骨はどれもかなり傷んでいた。


「ルーヴェ。お前のお父さん、歯を固めてたか?」


「わからない」


 状況からしてルーヴェの父親である可能性は低くない。

 だが、この骨を集めた奴がルーヴェの父親である可能性もある。

 どちらにせよ、状況は良くない。


「はやくはいろう」


 ルーヴェは俺の手をぐいぐいと引いた。

 行く手には真っ暗な洞穴が続いている。

 灯りをかざしても三歩先が見えないほどの闇。


「ま、待て」


 と、シアが俺の背を無造作に押した。


「ぼうっとしていたら他の恐竜に見つかります。行きましょう」


「な、中に何かいたらどうするんだ?!」


「? なにもいないよ?」


「いや、何を根拠にお前……」


「ワカツ。彼女が今日まで生き延びることができたのは竹藪があったからだけではないと思います」


「どういうことだ?」


「野生の勘のようなものが働くのかもしれません。……見てください。この辺り、獣の糞や毛が落ちていません。本当に安全なのかも知れません」


(……)


 勘。

 勘だと?

 そんなあやふやなものを信じるのか?


 俺の猜疑の表情に気付いたのか、シアが肩をすくめる。


「勘というものは統計と経験則に依拠する即時状況判断です。間に有形の思考を挟んでいないとは言え、信憑性はあります」


「……シア。お前、人にものを教えるのが下手だって言われなかったか?」


「ワカ、シア」


 ルーヴェは既に洞穴の中へ入っていた。

 真っ暗だというのに臆した様子もない。


「はやくいこう。あいつがきちゃうよ?」


「……」


 俺は渋々中へ入ることにした。

 風が吹き、頭蓋骨がからからと揺れた。






 内部は思いのほか広く、乾燥していた。

 湿った糞尿の匂いはほとんど感じられず、床には砂埃が堆積している。

 どうやら本当に生物は入り込んでいないらしい。


「!」


 壁に手をついて歩いていた俺はふと気づいた。

 四角い窪みがある。

 そこに指を滑らせると、硬くつるりとした感触があった。

 水たまりを思わせるそれは――


「シア。これ、蝋燭の跡じゃないか?」


「……」


 シアが灯りを掲げる。

 彼女の表情は冷淡そのものだった。


「の、ようですね」


「の、ようですね? ……人がいるんじゃないのか、ここ」


「正しくは『人がいた』です。今いるようには思えません」


 愕然とする俺を見たシアは片眉を上げる。


「そんなに驚くことではないでしょう? 現にルーヴェがこうして生きているわけですから。彼女以外にもこの土地へ迷い込んだ人間がいる、という……ただそれだけのことです」


「……エーデルホルンはそれを知ってたのか」


 俺が鋭く告げると、彼女はひらひらと手を振った。


「国の事情を探り合うのはやめましょう」


 シアは灯りを掲げ、先へ進む。

 俺はきな臭さを感じながら彼女に従う。


(こいつやっぱり何か隠してやがるな……)


 むっつりした俺の視線に気づいたのか、シアが振り返った。


「ワカツ。私たちの目的は?」


「……」


「ワカツ」


「……。冒涜大陸から無事に脱出すること」


「よろしい。よくできました」


 ふふんと口元を緩ませたシアに頭を撫でられ、かっと血が昇る。

 腕を振って彼女の手を払いのけたところでルーヴェの呻きが聞こえた。


「ワカ。……ワカ……」


 ばっと顔を見合わせた俺とシアは声のする方へ向かった。

 洞穴は蟻の巣状に分岐しており、ルーヴェはその一室に立ち尽くしていた。

 よく転びもせずに進めたものだと感心する。


「どうした?」


「これ……」


 ルーヴェは闇を指さした。

 うっと俺の喉から呻きが漏れる。




 そこには人間の頭蓋骨が積まれていた。

 一つや二つではない。

 少なく見積もっても二十人分の頭蓋骨が三角錐を描くように積み上げられている。




「……」


 俺はそろそろと中へ入り、骨の一つに手を伸ばした。

 その手首をぎゅっと掴む者がいた。

 シアだ。


「ワカツ」


 俺の表情を見たシアはやや語調を緩めた。


「調べるなとは言いません。他の部屋をあらためて、安全を確保してからにしましょう」


「分かった。……」


 ルーヴェはその場にうずくまり、じっと頭蓋骨を見つめていた。

 その背中がどことなく不安そうに見えた。


「お前のお父さんは弱い奴だったか?」


 ルーヴェはふるふると首を振った。


「なら心配はいらないだろ? その中にルーヴェのお父さんはいない」


「うん……」


「おいで」


 俺はルーヴェの手を握り、立ち上がらせた。




 洞穴はかなり深い場所まで続いていたが、出口は一つだけだった。

 各部屋は独立しており、それぞれに役割があるようだった。


 岩壁が段差状に削られた部屋もあれば、中央がキノコ状に加工された部屋もある。

 骨を格子状に組んだ牢屋らしきものもあったし、浴槽のようなものが扇状に並べられた部屋もある。

 腐敗しきった肉片が液状に溶け、そのまま固まっている部屋は食糧庫だろうか。

 だとすれば俺の腰ほどの高さに石棺らしいものが据えられた部屋は厨房だろう。

 火を使ったと思しき部屋には石造りの暖炉。その奥には大量の灰。

 寝室には朽ちた毛皮が綿毛のように堆積しており、鳥の羽のようなものが混じっていた。


 生物こそ存在しなかったが、そこには生活の痕跡があった。


「人間がいたようですね。少し前のようですが」


 シアの言う通り、ここに人間が住んでいた可能性は高い。

 規模を考えれば複数人だろう。


 ――――だが彼女は嘘をついている。

 いや、屁理屈をこねればそれは『嘘』ではない。

 彼女は重大な違和感をあえて口にしなかった。


(……)


 ここに人間が居住していたと仮定した場合、決定的に欠けているものがある。

 道具だ。


 本棚には脚立が無く、テーブルにはペンとインク壺が無い。

 厨房には包丁が無く、暖炉には火かき棒が見当たらない。

 これは一体どういうことだろうか。


 それにあの頭蓋骨の山。

 仮にここに住んでいたのが野蛮な人食い人種だとすれば、あの規則的な積み方は不自然だ。

 あの行動の底にあるのは死者への嘲笑と人体の一部すら玩具扱いする残酷さだ。人を食う人間はそんなことをしない。

 そもそも首から下の骨を食ったのなら、頭蓋だけ残すのも妙な話だ。


 さりとて理性ある人間なら身内をあんな風に殺したりはしないはず。

 仲間無しで乗り切れるほどこの冒涜大陸は甘くない。

 病や怪我で没した仲間の肉を食った可能性も否定はできないが、だとすればあんな風に頭蓋を積んだりしないだろう。



 何かが、おかしい。


 ここに住んでいたのは本当に『人』なのか。



 漠然とした恐怖に総毛立つ俺の目に、闇は何倍にも濃く見えた。

 安全を確認した俺はシアと二人がかりで頭蓋骨を検分したが、衣類や装飾品といった残留物が無かったため、ほとんど何の情報も得られなかった。






 入口に骨と枝葉、予備の弓弦を組み合わせた鳴子を設置した俺たちは洞穴の一室に身を寄せた。


 休息も仕事の内だとシアは言ったが、それは真理だ。

 どんな人間も三日三晩戦い続けることはできない。

 頭も、体も。


 注意力が散漫になることや判断力が鈍ることは、今の俺たちにとって命取りだ。

 鳥の代わりをどうするのか。霧に着いたらどうするのか。

 他に人間はいるのか。ルーヴェは何者なのか。

 葦原の皆に何をどう報告すれば良いのか。

 そんな些細な思考すら億劫になるほど、俺の脳は疲れていた。


 シアも同じらしい。

 冷淡な顔からはますます感情が薄れ、もはや彫像のようにすら見える。

 口数も少なくなった。体力を使わないよう意識しているのだろう。


 ルーヴェは平然としていたが、そちらの方がむしろ不安だった。

 世の中には疲労を自覚しない人間というものが存在する。

 そうした連中は、元気いっぱいだ、元気いっぱいだ、と言いながらころりと死んだり倒れたりする。

 現に彼女は何度か足をふらつかせていた。



 小さな、小さな灯りをともした俺たちは肩を寄せ合った。

 眠るよう促すとルーヴェは首を振る。


「いい。わたし、ねない」


「だめだ」


 俺が諫めると、ルーヴェはむっとしたようだった。 


「ワカとシア、め、みえてない」


「見えるよ」


「みえてない。ここ、いきものがいないってわからなかった」


「それは鼻の話だろう」


「ちがうもん」


 それ以上話しても埒が明かないので、俺は目の前に置かれた竹の皿を見た。

 文字通り竹を縦に割った皿。

 淡黄色の皿には赤い果実が乗っている。


「……本当に食べる気ですか、ワカツ」


「ああ。この実、ブアンプラーナで一度見たことがある」


「へんなにおいはしない」


 入口に生えていた果樹には栗そっくりの赤い実がついていた。

 棘は柔らかく、先端部分が黄緑色の奇妙な実。


 試しに皮を剥いてみると、驚くほど白くみずみずしい果肉が姿を見せた。

 おそるおそる噛んでみると、爽やかな甘みが脳を痺れさせるようだった。


「うっっっっっま!!!!」


 思わず、そんな間抜けな感嘆符が飛び出す。


「! ほんとだ」


 果肉を口にしないままルーヴェが呟いた。

 シアも指を伸ばし、はにりと果肉を噛む。

 途端、その頬がへにゃりと緩んだ。


「! なんですかこれ! おいし~い!」


「ん。ん~!」


 ルーヴェも果肉をつまみ、ぱくぱくと口に運んでいる。

 しゃぷ、ちゃぷ、と俺たちはしばし果実を食うのに没頭した。

 青竹の皿には次々に赤い皮が残され、果汁が点々と床を濡らす。


 更にシアとルーヴェは懐に干し肉を隠し持っていた。

 一体いつの間に忍ばせたのだろうか。

 そんなことを考えているとシアはもそもそと腰帯を緩め、腿の辺りから細く小さな竹筒を取り出した。

 とぷんという音。水筒だ。ルーヴェの家からくすねて来たらしい。


「……女ってすげえな」


「褒め言葉と受け取ります」


 はい、と渡された肉を俺は辞退した。


「優しさのつもりですか?」


「いや、普通にこっちの方が好きなだけだ」


 今はとにかく水と糖分だ。

 シアが腿に巻いていた水筒から大事に大事に水を飲む。


 ふと、気づく。

 確かにこの果実は甘い。

 だが普通、野生種の果物は酸っぱいものだ。


(食いやすいように交配されてる……?)


 さすがにそんなことはないと考えたい。

 もしそれができるとすれば、この土地にいた何者かはどこかからこの植物の苗木を持ってきたということになる。

 それはつまり、この場所以外にも――――


「……、……。……」


 ルーヴェが膝を抱えたままうつらうつらし始めた。

 小さな骨の皿で親指ほどの火が揺れる。


「昼間よく寝ましたから、火は私とワカツが見ています。一晩ぐらいなら脂が持つでしょうし」


 シアはルーヴェの頭をさらりと撫でた。

 汗と泥で汚れた髪。

 早く洗ってやりたかった。


「ん。わたし、ねていい?」


「ああ。おやすみ」


「おやすみ……」


 その言葉を口にしたのは久しぶりだったのだろう。

 どこか満足そうにルーヴェは眠りに落ちた。


 俺とシアは言葉もなく火を見つめる。




 静かな夜だった。

 枝を離れた葉が地に落ちる音すらはっきりと聞こえそうだ。




 親指を口に含んだルーヴェは、あぐらをかいた俺の上で丸くなっている。

 筋肉質なせいか、少々重い。

 その体は猫のようにぽかぽかしている。


「っくし!」


 素肌に狩衣を着ただけの俺は少々寒い思いをしていた。

 だが自業自得だろう。

 結局のところ、卵を踏んだのは俺の不注意だ。


(……)


 白銀のラプトル。奴は確実に俺を追って来る。

 この場所を見つけることができるだろうか。

 次に接触した時、奴を退けるか、殺すことはできるだろうか。


 思考が熱を帯び、俺は呻いた。

 昼間あれだけ眠ったというのにまだ肉体が疲弊している。シアと交代するまで休まなければ。


「寒いでしょう、ワカツ」


「我慢できる」


「我慢が物事を良くすることはありません」


 シアが身を寄せ、俺の肩に頭を乗せた。

 指先や頬はひやりとしているが、彼女の身体も温かい。


「光栄に思ってください。私とここまでお近づきになれたのはあなたが初めてです」


「……お近づきになりたいって奴がそんなにいたのか?」


 冗談めかして言うと、シアはふっと冷笑を浮かべた。


「失礼な。こう見えても私、もてるんですよ?」


 余裕の笑みが消え、その表情に影が差す。


「……女の子に」


「……」


「女の子に」


「反応に困るからやめてくれ」


 シアにはあまりなよやかさが無い。

 加えてこの凛とした顔立ちに精鋭という肩書。

 女にもてるのも道理だろう。


 そんな他愛のない話をしているうちに俺の瞼もすとんと落ち始めた。


「……シア」


「はい」


「おやすみ」


「ええ。良い夢を」


 外を恐竜がうろついているかもしれないというのに、俺は安らぎを感じていた。

 極上の墨に浸されたかのような、心地良い夜が過ぎていく。

 俺は夜桜の夢を見ていた。






 鳥の囀る声で目を開ける。

 ルーヴェは俺にしがみつくようにして眠っていた。

 人のぬくもりが恋しいのだろう。


 皿の火は消えていた。


「……シア?」


 隣で眠っていた黒衣の剣士の姿は見当たらなかった。

 猛烈に嫌な予感を覚えた俺は立ち上がり、通路に出る。


「シア! どこだっ!」


 便所かもしれない、と気づいたのは言ってしまった後だった。

 が、彼女は便所ではなかった。


「大声を出さないでください」


 冷淡な声が入口の方から聞こえた。

 見れば入口の穴から桃色に染まる空が見えていた。

 シアはそこに立っている。


「驚かせるな」


「驚いたのはこっちです。朝から元気ですね、ワカツは」


「んぅ」


 ルーヴェが寝ぼけ眼をこすっていた。

 猫のように俺にしがみつく彼女を連れ、洞穴の入口へ。 


「!」


 相変わらず、声を失うほどの絶景だった。



 桃色の空を大きな鳥が飛んでいる。

 翼を力強く上下させる鳥は遮るもの無き空を堪能している。


 首長竜が湖に首を突っ込み、その水を飲んでいる。

 遠目にも喉がぐびぐびと動いているのが分かる。


 豹のような生き物が小さなウサギを追い回している。

 蛇の矢そっくりの曲線を描いた豹はついにウサギを仕留めた。



 ふと、シアの足元を見る。

 一度掘り返したのだろう。地面の一部の色が変わり、土が盛り上がっている。

 そこには一本の竹が突き刺さっていた。


(……)


 竹にはエーデルホルンの言葉が刻まれている。

 死者の安らかな眠りを願う言葉。


「本当は武器にするつもりだったんですけどね」


 シアは自分の行動を茶化すように指で髪を弄んだ。


「目的を忘れるな、じゃなかったっけ?」


「忘れていませんよ。これは身体をなまらせないための運動です」


「……」


「……」


 どこで見つけたのか、シアは小さな白い花を手にしていた。

 彼女はそれを胸に近づけ、それから竹の墓標に添える。

 俺たちはしばし、目を閉じた。


「ルーヴェ。霧はどっちだ?」


「たいようがいなくなるほう。もうすこしでつくよ」


 西だ。

 出発地点が葦原で、距離と方角、気候を考えると霧はブアンプラーナに続いているようだ。


「シア。ルーヴェ」


 俺は片時も手放さない長弓を担いだ。


「行こうか」



 冒涜大陸に朝日が昇る。



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