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4.

 リーシェンと別れたエマは門限が迫っていることに気がついて夜道を小走りにサーカスのテントを目指していた。<パンドラ>がこの町に来てから一月が経つが複雑に枝分かれした路地の多い花街の周辺はいつになくエマに意地悪だった。

 リーシェンと話していたことや、あの青年のことを考えてついボーっとしていたのがいけなかったらしい。気がついたときには自分がどっちの方向から来たのかすら判らなくなっていた。

 貧しいレンガ造りの民家が立ち並び、硝子すらはめられていない開けっ放しの窓からは子どもたちの笑い声と懐かしい夕食の香りが漂ってくる。

 異郷の町で完全に迷子になってしまったエマは、ふと自分には帰る場所がないような気がして心臓を冷たいものに撫でられたような気分になった。

 サーカスは常に移動するものだから故郷と呼べるところなんてどこにもないし、団員だって毎年少しずつ減ったり増えたりで気を許せる人なんてほんの一握りしかいない。いるだけマシだと思うけど、例えばリーシェンだって、この町を離れてしまえばもう二度と会うこともないかも知れないのだ。

 言い知れぬ孤独感がエマの心を侵食した。

 長い冬があけ、ようやく春になったというのに夜風は身震いするほど冷たかった。


 「おい、そこのお嬢ちゃん」

 いきなり肩を捉まれたエマは、背後の人物から発せられる強烈な酒と煙草の臭いに辟易した。相手にすると面倒くさそうだ。しかも近づいてきた時の足音からして三、四人はいる。

 これからいったいどうしたもんかと立ち止まってキョロキョロしていたエマは酒の入った男たちからすれば、格好の絡み相手というわけだ。


 「何の御用でしょうか? 」

 まずは丁寧に対応する。

 どんなに失礼な相手でもこっちが我を失えば負けだ。

 「『何の御用でしょうか?』だってよ、似合わねぇ言葉遣いやがってクソ餓鬼じゃねえか」

 ぎゃははははっという下卑た男たちの哄笑が耳につく。

 「ですから、そのクソ餓鬼に何の用かをお尋ねしているのですが。もしも、用がないのでしたらその手を離していただけませんか? 」

 「おおーっと、だからよお、そーんな綺麗な言葉で言われたってわかんねえって言ってんのよ」

 不快な爆笑が巻き起こる。

 話している言葉は間違いなくこの国の言葉のはずなのだけど、とエマはわざとらしく首を捻った。

 「どうすれば、わかっていただけるのでしょうか? 」

 「そーだなぁ、俺たちと遊んでくれたらちゃーーんと答えてやってもいいぜぇ。お嬢ちゃんってば、道わかんなくなっちゃったんだろう?優しいお兄さんたちがせーっかく助けてあげようとしてんのにつれない態度とるからいけないなぁ」

 「勘違いしないで下さい。わたしは、手を離して欲しいとお願いしているんです。では、ご親切ありがとうございました」

 エマは強引に肩に喰らいつく手を振り払って歩き出した。

 「ったく、慇懃無礼なむかつく餓鬼だぜ。おめぇら、ちょっと痛い目見せてやれ口もきけないくらいぶちのめしてやりゃあちーとはマシになるってもんだ」

 エマの肩を掴んでいたリーダー格の男が手下の男たちにわざと大きな声で命令する。

 エマは立ち止まってため息をついた。

 逃げたら余計に迷ってしまう、これ以上闇雲に走りたくないから仕方がない。

 「では、一度目の忠告です。今すぐ、止まるか家に帰るかして下さい。わたしの不幸に巻き込まれたくなければ決断は早いほうがいいですよ」

 しかし、せっかくの忠告は逆に相手を逆上させただけだった。

 親切にしているつもりのエマにとってそれは全くの理解不可能。

 そして、案の定忠告を無視した悪質な酔っ払いがエマめがけて突っ込んできた。


 「もう一度、言いますけど。やめたほうがいいですよ」

 エマは動じる素振りすらみせずに淡々と告げる。

 

 「聞こえねぇーーーって言ってんだろうがよぉ! 」

 奇声をあげてエマに殴りかかろうとした屈強そうな男は次の瞬間彼女の頬に拳がめり込んだ感触がないことに気がつく。

 代わりに隣の酒場で起こった別の騒ぎの中心から飛んできた酒瓶が顔面にヒットしてその場で昏倒してしまった。

 それは男たちに絡まれていなければエマに当たっていたであろう不幸の弾丸。

 エマは自分の不幸に巻き込まれてしまった男に申し訳なさそうな顔で言った。

 

 

 「二度、忠告しましたよね? 寛容な神様でも、三度目は無いって言いますから気をつけたほうがいいですよ」

 これも逆効果。

 本心から言われると余計に腹が立つというものだ。


 「ふ、ふざっけんじゃねーぞっっ! 」

 生き残った二人の男が怖気づいたように懐からナイフを取り出した。

 尋常でないエマの落ち着きっぷりと、タイミングの良過ぎる不幸な事故に恐れをなしたようだ。

 「二度忠告したので、次からは知りませんよ? 」

 エマは隠しもっていた、はずだった包丁を取り出そうとした。

 

 「あ、あれ!? 」

 エマは今朝の朝食当番でその包丁を新入りの団員に貸したことをすっかり忘れていた。

 「どうした嬢ちゃん、得物はなしかい? 」

 よりにもよって・・・・・

 エマはまたしても自分に襲い掛かった不幸を呪いつつ、両手をあげた。


 「ざーんねん。俺たちだって一応忠告してやったんだぜ?」

 「悪いが腕の一本くらい置いてけぇや」

 二人の男が同時に刃物を振り上げる。

 まさに絶体絶命、そんな瞬間にもエマは瞬きひとつしなかった。


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