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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
99/110

大火

「おのれ、たぶらかしたな」

「勝手に勘違いしたのはお前だろうが。こちらの方こそいい迷惑だ」

 お前はいつも勘違いが甚だしい。素早く肌襦袢の襟をかき寄せると、左内は首領を睨みつけた。

 一瞬でも隙を見せれば、たちまち首領の構えた刀の餌食になる。憤怒の表情を浮かべている目の前の仇敵は、面子にかけても左内を生きて地上に帰すつもりはないだろう。

 微妙に位置を変えていく素足の裏が、ざらついた冷たい床を擦る。右足の指には切られた帯の感触。先ほどまではわからなかったが、手や足の感覚がはっきりと戻っている証拠だ。

 それとともに、柔らかかった手が骨ばって、筋肉が戻ってくるのがわかる。

 あの薬の効果が切れたため起こった身体の中の変化が、毒の作用を薄めているのだろうか。

 しかし、その幸運を喜んでいる暇はない。

 相手も、相当な使い手。素手の左内の分が悪いのは火を見るよりも明らかだった。

 こうなれば。

 左内は素早く足先に触れていた伊達締めを拾って、鞭のように振り切る。

 風切り音の、その先には燭台。

 だが、一瞬の左内の隙を逃さず、鋭い円弧を描いて白刃が襲いかかった。

 燭台が音を立てて倒れ、炎に揺らめく刀の残像が暗闇の中を走る。

 ざくり。

 首領の刀は何かに切りつけた。

 が、手ごたえだけで相手が倒れた気配はない。

 それどころか、すでに部屋の中に人の気配はなかった。

 逃げられた。

「出会えっ、奴を逃すな」

 大声で呼ばわっても、灯火を持って駆け込んでくるはずの手下どもの足音が聞こえない。

 首領は闇の中、出口の方向に走る。

 片杉左内であれば、一瞬のうちにこの部屋の構造を見切り、光が無くても迷うことなく出口に向かっているはずだ。おそらく出口の警備の者は一瞬にして、昏倒させられたのだろう。

 この地下通路はからくりが多く、全貌がわかっている訳ではない。探索には手間がかかるであろう。首領は苦々しげに舌打ちする。

 今となっては、素手の上に手負いの者など己一人で充分と、人を呼ばなかった判断を悔いるしかない。

 あの蜂の秘密を知られたからには生かしてはおけない。

 しかし、一つ大きな収穫がある。

 大奥に入り込んだ鼠の素性が露見した。

「またあの脳天気な馬鹿殿がしゃしゃり出て来たようだな」




「はっくしゅんっ」

 しいいいいいいっ。

 お袖、右京、露草堂、三方から睨みつけられて、殿は口を尖らせる。

「悪かったな、わしはこの世の女の数だけくしゃみが出る宿命なのだ」

「何を訳の分からない事を言っているの」

 まさか相手が大名とも知らず、お袖が殿の鼻をつまんで振る。

「口に手を当てて頂戴。敵に見つかったらどうするの」

「しかし、このまま漫然と歩いていても敵に見つかるのは時間の問題でしょうな」

 他人事のように、肩をすくめる露草堂。

「だいだい、大奥の地下にこのような場所が作られているなんて思いもよりませんでした」

 露草堂は、がっちりと石が組まれている壁面を撫でながら首を傾げる。

「いやね、もちろん抜け穴とか、そういう簡単なものはあるとは思っていたのですが、まさかこんな立派な地下通路が形成されているとはね。一体、いつ誰が何のために作ったものか。お袖様とやら、大奥の頭脳ともいうべきご右筆ならそこらの歴史にも詳しいのでは」

「い、いや。私とてこのような通路があるなどとは、聞いたことが無い。第一これだけ掘れば土も出ようし、もちろん大量の石も運び込まねばならぬ、工事中に怪しまれるのが必定じゃ」

「この古さ、少なくとも田沼が作った、ということではなさそうだな。ただ、この仕事相当な手練れが作ったようだ、国元の城のスカスカの石垣とは大違い――」

「石垣に御金をかけられなかったのは、どなた様かの無駄遣いのせいだと存じますが」

 露草堂の静かな突っ込みに、殿は口をへの字に曲げる。

 と、いきなり先頭の右京が足を止めた。

「どうした?」

 右京の指さす先には、黒っぽく変色した石が積まれている。中にはヒビの入ったものまで混じっている。

「焼け焦げたような石が」

「まるで、あの中途半端に焼け残った天守閣のようだ――」

 殿は登城の際に天守閣の跡を見ている。その石組の中にはこの石のように変色し焼けた跡が残っていた。

 あっ。うおっ。

 お袖と殿が同時に声を上げる。

 普請をしても、怪しまれない時。すなわち、あの天守閣が炎上した時。

「110年前の明暦の大火か」

 明暦の大火。

 それは4代将軍、徳川家綱とくがわ いえつなの治世。明暦3年1月18日から20日にかけて起こった火災で、これによって江戸の町のみならず江戸城の大半が焼失した大きな事件であった。

「大火は由井正雪や丸橋忠弥らの変が起こってから、6年後か」

 後に慶安の変と呼ばれる幕府転覆計画が明るみに出たのは、3代将軍徳川家光の死の直後である。家光の後を継いだ将軍家綱はその時、わずか11歳。

 幸い、保科正之などの優れた家臣に恵まれて彼は29年の治世を無事勤め上げてはいるが、将軍就任直後の大事件は幼い将軍の心を少なからず震撼させたに違いない。

「振袖火事の後、江戸城再建の際に万が一に備えて秘密裏に作られたのがこの地下通路という訳か。わしの城もこのような通路があれば、口うるさい左内を撒いて遁走できるのだが」

「戯言はまず質素倹約をされて資金を貯めてからになさいませ」

 露草堂も呆れたのか溜息をつく。

「一刻も早く左内様をお助けせねば、あなた様が楽しまれる鬼ごっこもできませぬぞ」

「心配などする必要はない。あいつのしぶとさはごきかぶり並みだからな」

「左内? 城? 何のことだ、およし」

 お袖が怪訝そうな顔で殿を見つめる。

「お袖様、明暦の大火のあとに大きな普請があったという話は?」

 すました顔で露草堂が話をすり替える。

「私は右筆になってからというもの、大奥に残された記録、書き物をことごとく読んでいるつもりだが、大火の後に行われたのは通常の普請の記録のみだった」

「おそらく、口伝や、一握りの老中たちにのみ明かされてきた秘密なのであろうな。百年が過ぎ、この存在を知るものも少なくなっているのかもしれん」

「しかし、それにしても沢山の者達がかかわった普請だと思うが」

 殿の言葉の後に、しばしの沈黙が訪れる。

「すべて、口封じされたか」

「まて」

 お袖が自らのこめかみに両手をあてて、頭を垂れる。

「何か、その、引っ掛かっているのだ。何か大切な――」

 その時。

「見つけたぞ、こっちだ」

 通路の前方、そして後方から灯火を掲げた黒装束の男たちが飛び出してきた。

 しばらく、奈良時代に浮気しており間が空いてしまいました。不定期更新になってすみません。頭を江戸に戻していきたいと思います。

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