蟻と蜂
風切音に身体は素早く反射していた。
その速さは、左内が今まで対してきたものの中で最速。手加減する余裕も無く白刃が一閃し、猛然と突っ込んできた相手を二分する。
ぼとり。
足元に落ちてきた、一尺(30cm)もあろうかと言う物体。
大きな目を持つ三角の頭、毛の生えた黒い胴体、そして尖った臀部。臀部の先には弓なりに曲がった鋭い針が覗いている。
「これは……蜂か」
これまで見たことも無い大きさの蜂を、左内は身体をかがめて覗き込む。
その時。再び激しい羽音が左内の背後から押し寄せた。
目にも留まらない速さで、黒い影が疾風のごとく左内に襲い掛かる。
この繭はこの蜂たちのものだったのか。
押し寄せる巨大な蜂を小刀で切り払いながら、左内は徐々に繭に近づいていった。一つでも繭を持って帰れば、首領たちが何を企んでいるのかが、明白になるはずだ。
左内の意図を察したのか、蜂たちの攻撃が激しくなった。
彼の足もとに次々と蜂の躯が転がった。
蜂たちは残り3匹。しかし、それらはさすがに今までの蜂とは違い、なかなか手ごわい。まるで連携をとるかのように左内の周りを取り巻きながら、刀が振り下ろされると引き、その反対のものが襲い掛かり、巧妙な波状攻撃を仕掛けてくる。
こいつらには知性がある。
もとより身体は本調子ではない。疲れ知らずの攻撃に徐々に左内の顔から血の気が引き、額には汗の粒が浮かぶ。
それでも、わずかな隙を見つけ、左内は一匹、また一匹と蜂を落していった。だが、青い顔をしながらも着物の袖を空に舞わせながら軽やかに動いていた左内の足取りも、徐々に重くなってきていた。
あと一匹。
蜂が左内の間合いに入った。
蜂の胴体を、小刀が貫く。と、その瞬間。
ぐい、とありえないほどに曲げられた臀部から鋭い針が飛び出て、左内の右手を刺した。
あまりの激痛に、小刀を落す左内。
左手で右手を押さえ、崩れ落ちる。
痛みで、ではない。全身が急速に麻痺し、足に力が入らなくなったためだ。
まるで他人の者のように感じる左の手の平を床に付け、身体を起こそうと肘に力を入れる。
上半身が何とか起きた――と、その時。
「大切な戦闘員を……よくもやってくれたな」
背後からの低い声とともに、太い腕で左内の髪が鷲掴みにされる。
むりやり引きずるように、声の主の方に顔が向けられた。
顔は見なくても、その声で誰かはわかっている。左内の目の前には、怒りの炎を目に浮かべて、荒い息で肩を上下させる首領が立っていた。
「お前らの企みは、この蜂どもか」
左内も負けじと睨み返す。
いきなり、容赦ない平手打ちが数度その顔を襲い、左内の唇から血が飛び散った。
対峙していてもどこか余裕のあった以前とは違う、首領の怒りは頂点に達しているようだ。
「とんでもない娘だ、もう手加減はせん」
襟を鷲掴みにし、首領が顔をぐいと近づけた。
「お前の目的と背後の黒幕を白状してもらおうか」
するわけがない。左内は言葉の代わりに、口を一文字に結ぶ。
「いつまで、その我慢が続くかだな」
首領は目を細め、口角を上げる。
必要以上に迫る相手の顔。なけなしの力でその身体を両手で押し返そうとするが、抵抗も空しく両手首は相手の大きな手ですぐさま束ねられ、紐で結わえられる。
「心を折る方法は一つではない。恐怖、痛み。そして、屈辱――」
そしてまるで袋のように全身に力の入らない左内を担ぎ上げると、首領は繭の垂れ下がる部屋を出て行った。
「それで本当に閂が開くのか?」
「まかせておけ」
右京はギラギラとした目でアリの吸い込まれていく隙間を見つめ、廊下の反対側に何やら細長い機械を設置していく。
「これは強力な磁石だ。出力を上げていくと錠前がこちらにすっ飛んでくる」
半信半疑のお袖を尻目に、右京は機械からのびている取っ手をぐるぐると回した。
「鉄は身に着けてないだろうな」
「あ、ああ」ため口の右京に、さすがのお袖もたじたじである。
右京が取っ手を回すと、錠前が徐々に浮き上がって来た。戸板も閂に引っ張られる形で弓なりに膨らんでいる。それとともに機械も閂の方に引っ張られて床からズルズルと動き始める。
「押さえろ」
二人は慌てて、浮きかけた機械に飛びつく。
閂が水平になり、飴細工のように変形を始めた。
右京とお袖の顔が紅くなってしばらくたったころ。
ばしゅっ。という音とともに錠前が戸から引きちぎられるように離れて、機械にぶちあたった。吹っ飛ばされる二人。
「やった」
右京はすぐさま飛び起きると、部屋に駆け込む。
と、そこには地下に通じる階段があり、アリたちがぞろぞろと地下に向かっていた。
「大奥に地下室なんてあったのか?」
呆然と立ちすくんだ右筆は、首を横に振る。
「食べきれなかった砂糖は、この地下に貯蔵されていたんだな」
右京はいそいそと地下への階段を下り始める。
「こ、こんなものがここにあるとは。高岳様にご報告せねば。お、おい待てっ」
慌てて右京を追うお袖。もちろん砂糖の亡者と成り果てた右京は待つはずがない。
お袖は物置の中に入って、地下への階段が見えないようにきっちりと戸を閉める。
「いやに明るいと思ったら、また、妙なからくりを出してきおって……」
右京が手にしているのは先端に灯りの付いた棒。お袖はそれを見て不思議そうに首を傾げた。
急な階段を降りると、そこから水平に伸びる細長い廊下が続いている。道の両側の壁は積み上げられた石垣で作られていた。
「誰が、いつこのようなものを……」
お袖は自分が知る限りの城の歴史を頭の中で振り返る。
「かなり高度な石組みがされているな。これは築城のころの組み方ではない。最近作られたものだ」
右京が平らにならされた壁の表面を撫でてつぶやく。
「しかし、いくらなんでもこんな大がかりな普請をすれば、大奥の者達にわかるはず」
お袖はかすかな光を頼りに階段を下りながら首をかしげた。
「建て替えはしてないのか」
右京の言葉に、お袖が小さく息を吸いこむ。
「明暦の大火……」
明暦3年1月18日から二日にも及んだ大火は江戸城にもおよび、西の丸御殿以外は焼失し、ここ大奥にもたくさんの犠牲者を出した。
大火の後で、大奥の普請が行われたのだが、その時に誰かが秘密裏にこの地下道を計画し、作らせた可能性が高い。
なぜ、そして、誰が――。
闇の中でお袖の目が鋭く光った。
暗い道は下方に向かって延々と続いていく。歩いていく途中、左右にいくつもの扉があるが、「甘い匂いはもっと奥からだ」と、右京はひたすらにまっすぐに突き進んでいた。
「妙なからくりを作り出す進んだ頭脳の持ち主かと思えば、アリの上前をはねようとする動物的な貪欲さが同居した妙な奴だ」
先を進む右京に続きながらお袖は顔をしかめる。
「ここだ」
右京は右手の大きな戸を押す。
そこは真っ黒な空間が広がっていた。右京の持つ淡い光は闇の中で薄まり、部屋の奥まで届かない。
「ずいぶん広いところだな」
くんくん、と鼻を蠢かす右京。「しかし、甘い匂いは強くなってきたぞ」
そう言われてみれば、かすかだが甘い香が漂っている。
「しかし、なぜ砂糖をこんな地下に――」
どんっ。
急に先を行く右京の足が止まり、背中にお袖の顔がぶつかった。
「一体どうしたって……」
足を止めて動こうとしない右京を押しのけ、前を覗き込んだお袖は息を飲む。
暗闇の中、右京の光に浮かび上がったのは、等間隔に並べられたギヤマンの細長い箱。アリたちの行列はその箱につながっていた。
それは、まるで透き通った棺桶。
ねっとりとした水飴のような液で満たされたその箱からは確かに、甘い香りが漏れ出している。
その中に何かが横たわって――。
「きゃあああああああっ」
さすがのお袖も悲鳴を上げてへたり込む。
その箱の中には失踪した月山が横たわっていた。
あけましておめでとうございます。今年の初投稿です。昨年はいろいろバタバタとして更新が宣言通りにできずにすみませんでした。風邪が治りきらず、仕事や雑事で忙しくしております。すみませんがしばらく不定期更新にさせてください。今年もよろしくお願いいたします。