露草堂
午後の休憩時間。ここ、七つ口では手が空いた女中たちを狙って、各種の御用商人がひしめいている。
「ったく、右京の奴。急遽休みをもらったとか言っているくせに、こんな雑用をわしに押し付けるとは、全く持って忠義を知らん奴だ」
ぶつぶつとぼやきながら殿がどすどすと廊下を踏み鳴らして現れた。他の女中たちは荒々しい足音に眉をひそめながら、殿に道を開ける。
普段の癖か、当たり前と言わんばかりに人ごみの前に出ると、殿は忠助と忠太郎を探す。しかし、彼らの姿は見えず、その代りに立っていたのは。
「お、お前--」
商人たちの背後に恰幅の良い身体を縮こませてたたずんでいるが、その何とも言えない存在感は群を抜いている。
「殿、お持ちいたしました」
声には出さないが、口の動きがそう伝えている。
「露草堂か」
そう言えば右京が御菓子を取り寄せるために、覚樹院様に頼んで御用商人にしたと以前話していた。
おちゃらけものの忠助、忠太郎よりも、薬の受け渡しは彼にまかせた方がよっぽど信頼できると、奥方が考えたのかもしれないが――。
殿は、眉をひそめる。
「よりによって、こいつ……か」
にこやかな笑みを浮かべながら、七つ口にぎゅうぎゅうに詰めた商人の間を手品のようにすり抜け、露草堂はあっという間に殿の目の前に立った。
「お預かり物の、飴玉、です」
腫れぼったい目を意味ありげに細めると、露草堂は殿にずだぶくろを手渡す。そして周囲を見渡し、首を傾げた。
「今日は?」
「石頭は昨夜から帰ってこんのだ」
「それは面妖な。あの几帳面な、御家――いや、おさな様が」
「ま、あいつも若い。女の園で間違いの一つや二つあっても、ま、なあ」
殿は、露草堂に同意をもとめるように言葉じりを濁す。どうやら正体はもう奥方から露草堂に告げられているようだ。
しかし、露草堂は先ほどまでの茫洋とした表情を一変させ、目の奥を鋭く光らせる。
「いや、あのお方はあなた様ではございませんから、見さかい無いことはされないと――」
殿がむすっ、と口をへの字にしたのを見て慌てて露草堂は口に手を当てる。
「いやはや、これは御無礼を。この大滑りの口を縫い合わせないと」
慌てて謝ってはいるが慇懃無礼と言うのか、どうも今一つ謝罪の気持ちが伝わってこない。
だからこいつは苦手だ。
殿は頬を膨らませる。
「おさな様に何かあったのでなければいいのですが」
「大奥に巣食う女妖怪に食べられているかもしれんがな」
殿は口を尖らかせて、そっぽを向いた。
「わしなら願ったりかなったりだ」
「でも、そうでなければ」
露草堂の問いに、殿が口ごもる。
「……まずいな」
殿は露草堂の視線を真っ向から見返した。
「私でよろしければ何かお手伝いをいたしましょうか」
露草堂は両目の目じりをぐいっと下げて、老獪な狸のような笑みを浮かべた。
「できたっ」
右京は意気揚々と、ガラクタをかき集めると袋に詰める。
そのまま、お袖のところに行こうと長局の廊下に出た瞬間。
「おい」
廊下に面した庭先から、なにやら聞き覚えのある声が。
右京の目に映ったのは、庭に植えてある松の木に泊まっている一羽の鷹。
見ないふりをして通り過ぎようとした右京の頭に、勢いよく松ぼっくりの連打が炸裂した。
「や、やめろっ、美鷹」
右京は廊下にへたり込んで、松ぼっくりを投げ返すが、悲しいかな指先しか使わない日々のため、松ぼっくりは美鷹の留まる木まで届かずにポタリと落ちた。
「このすっとこどっこい、無視するんじゃないよ」右京を睨みつける美鷹。
「こっちは急いでいるんだ、じゃまするな」
「左内様はどこなのよ」
「しらん。夕食も持ち帰らん友達甲斐の無い奴の事など、どうでもいい」
「ちょっと、今何ていったのよ」
ぷすっ。
立ち去ろうとした右京の頬に、松葉の束が刺さる。
「ぐえっ」悲鳴を上げて頬を押さえると、右京は鷹を睨みつけた。
「冗談にもほどがあるぞ」
「聞こえたのよ。昨夜、かすかに――」
良く見ると、美鷹の目が血走っている。
「左内様に渡していた、私達を呼ぶ笛。何かあの方に危険が迫って無ければいいのだけど。下総で鷹狩の最中だったからすぐには来られなかったんだけど、心配で心配で」
そのとき。
「鷹が、鷹が――」
女中たちの叫びがいくつもの足音が重なって近づいて来る。
美鷹は慌てて口をつぐんだ。
「まあ、美しい」
女中たちは、松の木の前で立ち止まると、こわごわと、しかしうっとりと美鷹を見つめた。
「あれ? あの鷹は足に紫の房を結んでいる」
「あれは、鶴格の……」
ちっ、気づかれたか。
女たちの言葉を耳にした美鷹は素早く飛び立った。
「右京、左内様を頼んだよ」
右京の耳元をかすめて飛ぶ、その瞬間。美鷹がささやく。
「あ、ああ」
呆然と立ちすくむ、右京。
「大丈夫だった?」
「鷹の爪に引っ掛けられなかった?」
女中たちが駆け寄ってくる。
「ああ、大丈夫」ぶっきらぼうにうなずくと、何やら呟きながら右京は立ち去って行った。
左内は暗闇の中に居る。
おいかが持っていた蝋燭をその手から落とした途端、炎が消え辺りは黒一色に変貌した。左内に掛けた水が辺りをぬらしていたのだろう。こんな狭いところで火災になっても困るが、光が無いのも不便ではある。
あのごぼう部屋の後遺症であろうか、おいかを倒した後刀で縄を切って一息ついた後から左内は通常で感じないような体の重さと、頭の芯から締め付けるような痛みを感じていた。
そのまま、短刀を持って彼は手探りで闇の中を進む。
先ほど、この部屋のだいたいの広さは把握している。
首領が消えたのはおいかが倒れた方向、多分そちらが出口だろう。
足で微妙な凹凸を感じながら、背を低めてそろりそろりと彼は歩みをすすめる。
突き当りの壁に手を這わすと、縦に走る溝の感触があった。
ここが戸だ。
歩哨が居るかもしれない――。
身体全体を緊張させながら、そっと引き戸を横にずらす。しかし、案に相違してその扉を開けても誰もいなかった。
腕を伸ばすと左右の手に壁が触れる。
ここは、回廊か。
手を上に延ばしても天井には届かないところを見ると、縦長の空間の様だ。そのまま手を壁に当て、左内はすり足で進んで行く。
左内の足は、その回廊が徐々に勾配を上げていくのを感じていた。
地上に向かっている。
と、彼の右手が段差を感じる。先ほどと同じ、戸口があるようだ。
前に行く道、そして横合いに逸れる道。
出口に向かうのは、多分まっすぐな道であろう。
しかし。
大奥の地下で何が起こっているのか、確かめなければ。
隙間に短刀を滑り込ませたが、光は盛れてこない。左内は隙間から覗き込んで人の気配が無いことを確認すると右横の道に身体を滑り込ませた。
ここから道はより狭くなり、そしてはっきりとわかるほど下降している。
しかし、数歩行ったところですり足の先に何か冷たい感触が走った。
風穴?
腰をかがめて、手を伸ばす。周囲よりひんやりとした床を指で叩くと、明らかに軽い音がする。
ここの床は薄い。そして地下からかすかだが風が吹き上げてくる――。左内の背筋に寒気が走る。
これは、落とし穴だ。
左内は慎重に指で板を叩き、穴の範囲を特定すると側の横一尺ほどの固い場所を、まるで壁に貼りつくようにして先に進んで行った。
この先は危険かもしれない。だが、罠があるということは、何か見られてはならない秘密があるはずだ。
彼の頭「今は我らの計画にとって大切な時期だ」という首領の言葉が蘇える。
この目で確かめねば。
左内は闇の中で唇を引き締めて、奥に進んで行った。
しばらくすると、その道も再び壁に突き当たった。
そっと開くとわずかな隙間から強い光が漏れた。
目をしばたたかせながら覗き込んだ瞬間。
「こ、これは――」
左内は息を飲む。
眼前には金網が張り巡らされ、その先には柔らかい糸が天蓋のように揺れる部屋が広がっていた。
良く見ると、大人の頭くらいの真っ白な繭が天井から所狭しとぶら下がっている。
油断するな。敵の核心部分にしては、警備が甘すぎる。
と、彼の頭上から激しい羽音が一直線に降下してきた。
12月は不定期更新になりそうです。何度か修正のための更新をするかもしれません。