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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
93/110

ダンジョン

 ここは一体どこなんだ。

 おいかとともに暗い部屋に取り残された左内は辺りをそっと窺った。

 暗くて良く見えないが、灯りの広がりから考えてここはかなり広い空間であることが推察される。

 大奥の出口には常在の役人がおり、そして深夜でも中はお火の番が巡回している。意識が無かったとはいえ、ひと一人を人目に触れずに運搬するのは並大抵のことではない。それにおいかはおいそれと外には出られないはずである。

 と、するとここは大奥の内側か。

 しかし、男である首領が現れたということは、ふつうの場所ではない。

 左内は、ごぼうの部屋で倒れ伏す直前の事を思い出した。

 出口が無いかどうか駄目でもともと、とばかりに壁に体当たりしたとき、一側の壁だけ、まるで隣に戸板で隔てられた空間があるようなぼこっという音を立てた。覗き込んだ時には四方が石垣の壁と思っていたのに。

 ここは地下、か。

 もしや、大奥の地下に、田沼一派しか知らない隠された地下構造が存在しているのか。

 行方知れずの者達は、もしかして――。

 左内ははっ、と息を飲む。

「それにしても、この状況で顔色一つ変えないなんて。大人しい顔をして、とんだ鼠だったんだねえ、お前」

 おいかが、ちらりと左内を横目で見る。

「料理もできない箱入り娘のふりをしてうまく隠していたつもりだったんだろうけど、おたこを締め上げたあの技の切れ、身のこなし。あれを見ただけで、ただ者ではないとすぐわかったよ。それに、今考えて見りゃ――」

 薄い唇をほころばせ、おいかは、蝋燭を左内の鼻先に突き出す。

 炎の熱さが容赦なく顔を炙るが、左内はじっ、とおいかを睨みつけるのみ。

「ふん、可愛くない小娘だね」

 ちっ、と舌打ちするとおいかは袂から短刀を取り出した。

「御膳所勤めなのに、名前が「おさな」。通例の海産物の名前ではない。これは大奥の中の誰かに接触することなく自分が鼠と言うことを知らせるための符牒なんだろう」

 左内の目がわずかに開く。

 それは、自分では気づかなかったが――そのような意図が働いていてもおかしくは無い。

 自分達の存在を、長い時間姿を隠して大奥に潜む誰かに伝えるために。

 もしかして、ここには自分達は知らない味方、が居たのか。

 左内の頭の中に今まで見知った大奥の女中たちの顔が次々と現れる。

「お前からいろいろ聞かなければならないが、まずはその心をぽっきりと折ってからだ。さ、立つんだよ」

 おいかは薄い唇をほころばせて、左内の襟首を掴んで引き上げる。後ろ手に縛り付けられた柱と身体にはわずかな余裕があり、彼は柱にそってなされるがままに立ち上がった。

 おいかは楽しそうに笑うと、すらりと刀を引き抜いた。

「私は明日は非番だ。まあ、今夜はお前とゆっくり楽しませてもらうよ」

 小刀が閃き、ずばっと帯を切り裂く。

 帯が落ちるとともに、小袖の前がばらりと開いた。

「あんたのその顔を切り刻んでやりたかったのさ」

 左内の目の前の刀が炎の光を反射しギラリと輝く。

「二度と他人の恋人に色目なんか使えないようにしてやるわ」

 おいかが刀を振り上げた。

 その瞬間。

 後ろに回された左内の手がぐっと柱を引き付ける。

 薄桃色の肌襦袢を鮮やかに開いて、長い足がおいかの顎を蹴り上げた。手から短刀を落して、倒れ伏すおいか。

「帯さえなければ、こっちのものだ」

 左内は素早くその短刀を足で確保した。




「今日は、忠助達があの薬を持って来る大切な日なのに、左内は帰ってこなかったな」

 寝ぼけ眼で身支度を終えた殿が、先ほど朝食の膳に付く。下級の女中たちで金を出しあって雇っている飯炊きの娘が配ってくれた炊き立ての玄米が朝焼けに輝いている。横の小皿には二切れのきゅうりの糠づけがそえられていた。

 椀には左内の言いつけどおり、白湯が入っているのみ。

「1粒で7日間女性化が続くが、前回飲んだのは多分6日くらい前。残り1粒しかないし、絶対に今日受け取っておけねばならんな」

「薬の効果が切れると、数刻のうちに姿が戻ってしまいますからねえ」

 どこかおざなりに右京が答える。目の前の玄米を瞬く間に平らげた後も心ここに非ざるという様子だ。

「しかし、奴が無断外泊など初めてだな」

「あいつが持ち帰るおかずの残りで夕食を食べていたのに、昨日はご飯のみ。ったく、己の職務の重大さを忘れていい気なもんです」

 右京は顔をしかめる。

「覚えてろよ、食べ物の恨みは怖いんだからな――」

 ぶつくさ言いながら、と右京が立ち上がる。

「えらく早いな、呉服の間はまだ仕事が始まらないだろう」

 殿は右京を怪訝な顔で見る。

「ちょっと探索があって」

 失踪事件の解決に向けて協力を頼まれても渋い顔なのに、自らで探索? 眉をひそめる殿を尻目に右京はさっさと自分の食器を片づける。

「一体、何のたんさ――」

 殿の呼びかけの声も耳に入らない態で、右京は憑き物に浸かれたようにふらふらと部屋を出て行った。

 給料をすべて菓子代につぎ込んではいるが、もちろん化け物に近いその砂糖摂取欲を満足させることはできず、お富の資金も尽き、今の右京は極限の餓えを覚えている。

 彼はふらふらと焦点の定まらない目で大奥の中央あたりに伸びる出仕廊下を歩き始めた。ここはその名の通り、居室から各々の仕事場に出仕する女性達が通行することが多い場所で、特に朝は混雑する。右京は早足で行きかう女中たちにぶつかり、あからさまに嫌な顔をされながら物置の並ぶ一角にやって来た。

 出仕廊下から右に折れたところにあるそこは、廊下の片側をずらりと物置が占めている。ここまで来るとさすがに人通りはほとんどない。

「そう、ここだ、ここ」

 右京はそう言うといきなり廊下に這いつくばって、何かを追うようにそのまま四つん這いで進んだ。

 がつっ。

 下を見ながら進んでいたため、勢いよく頭をぶつけて右京は動きを止めた。

 獣のように低く唸りながら、彼は上を見上げる。

 そこも物置らしいが、なぜかがっちりと閂が掛けられている。ここだけは木製の引き戸が鉄で四方を補強され、おいそれとは破れないようになっていた。

 単なる物置とは風情が違う。

 ためしに引っ張ってみても、もちろんびくともしない。

「くそう」右京は歯噛みをしてつぶやいた。

「開かぬなら、この右京様が開けて見せようではないか。きっとこの奥には巨万のお宝が潜んでいるに違いない」

 巨万の富、もちろん右京にとっての巨万の富は常人が思い浮かべる金銀財宝とは異なる。

 それは、うずたかく積まれた黄金色の砂糖、に他ならない。

 それは右京が何かの折に小耳にはさんだ大奥の噂話。なんとここ、大奥では1日千斤(約600kg)もの砂糖を消費しているらしい。しかし、ここ最近さらに砂糖の購入量が増えているという。追加購入した砂糖は御膳所とはどこか別の場所に保管されている、と。

 自分に食べさせもせず、一体何に使っているのか。逆恨みに近い恨み節を心のなかで唸りながら右京は四つん這いのままで、目の前のがっしりした戸板を睨みつけた。

 その時。

「何を呆けておる、お京」

 後ろから聞き覚えのある声が。

 ふと、振り向くと背後にあのお袖が立っていた。賭博の時に見せた修羅の形相は何処へやら、冷静で切れ者と噂のすました御右筆の顔に戻っている。

「さ、砂糖だ」

 お袖の眉間に皺が寄る。

「砂糖? あの甘い砂糖のことか?」

 右京は面倒くさげに首を縦に振った。

「お前も妙な奴だな。大奥を嗅ぎまわる冠者にしては、やることに間が抜けているし。ただの変わり者、にしては非凡な才能を持ちすぎる――」

 半眼に狭められた目がじいいっと右京の全身を舐める。

「ここ何日かお前達の挙動を探らせてもらったが、およしの方はお気楽に日々を過ごしているようだが、お京、お前は何やら嗅ぎまわっている様子」

「だから、言っただろう。砂糖、砂糖だよっ」

 右京は目の前に列をなす、アリの行列を指さした。

「この先には絶対、貯め込まれた砂糖があるに違いない。いや、砂糖でなくても良いのだ。食べ残されて、カビの生えた饅頭でもいいっ」

 目を血走らせて叫ぶ右京に、さすがのお袖も思わず一歩後ずさった。

「私も人生経験は豊富な方だが、お前のような奇天烈な女子(おなご)は初めてだ。希代の磁石遣いであり、奇態の甘もの食い」

 なあ。

 と、お袖は右京の傍らにしゃがみこんだ。

 目の前には右京の言うとおり、横幅一寸にも達しようかと言うアリの大行列が延々と続いている。

「お京、私に協力せぬか」

 ちらり。いぶかしげに右京はお袖を見上げる。

 普段は、自分の殻からあまり出てこないどちらかと言うと人嫌いの傾向のある右京だが、それだけに人に対する嗅覚は鋭い。

 じっ、とお袖を下から見上げる。

 まるで犬が近寄ってくる相手を、敵か味方か判断するように。

「いいだろう」

 右京は、うなずいた。

「何を協力するか聞かないうちから、そんなことを言っていいのか」

 あっさりと返答した右京に、お袖は目を丸くする。

「ああ」短く右京が答える。

 この決断は賭場でお袖がさらけ出した素顔を見ているせいかもしれない。賭け事は人の性を丸裸にする。恥も外聞もかなぐり捨ててのめり込んでいたお袖は、悪い奴ではない、と右京に認識されたようだ。

「ところで、ここの鍵の融通はつかないか?」

 右筆は、首をひねった。

「さあ、ここが開いたのを見たことが無い。鍵も調べてみたことは無いが、宇治の間同様開かずの間になっているようだ」

「おかしいじゃないか、アリを見かけたのはここ最近だ。毎日菓子が落ちていないか舐めるように床を見てまわていたのだから間違いない」

「そんなことをしていたのか」

 早くも味方にならないかと声をかけたのを後悔しているのか、お袖が眉をひそめる。

「急にアリの行列ができたのは変だ。何か新しく食べ物が無いとアリは行列を作らない。密閉された部屋に急にこんなに行列ができるのは、何か、あ、あ、甘い物が置かれたに違いない」

「甘い物とは限らんだろうに」

 お袖のつぶやきは耳に入っていない様子。右京は戸板に張り付くと愛しそうにその板目を頬ずりしていた。

12月は掲載が不定期になりそうです。冬休みに入ったら更新期間を短くする予定……です。


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