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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
92/110

拘束

 左内に油断があった、というのは否めない。

 頭の片隅にちらりと、妙だなという疑念は浮かんでいた。

 片づけも終わり人もいなくなった夜に、なぜ梅干し壺を取りに行かねばならないのか。

 そして、物置に着いてから急にごぼうをとってくるように言われるなんて。

 だが彼には、頬の窪みが陰影となってくっきり映し出されるような痩せた女に自分が負けるはずがない、という自信があった。身のこなしも、武芸をたしなんでいるようには見えない。

「大丈夫だよ、あたしがここから照らしておくから」

 おいかは、手に持った燭台を置くと、床に付いた取っ手を引っ張った、蝶番の付けられた戸板は案外薄いのか、非力に見えるおいかでもなんなく開いた。

 ひと一人が入れるくらいの狭い入口から地下に続く木の階段が伸びている。

 戸板は薄い。

 何かあっても、叫べば外に響くだろう。

「あ、待っておさなちゃん、灯りはあたしが上から照らしておくからね。あ、そうそう、階段は結構急だから転げ落ちちゃいけない、あんたの腰をこの紐で結わえて、戸板の取っ手に結んでおくから」

 おいかは燭台を足元に置くと、袂から腰ひものような物を出して左内に渡した。

 何のつもりだ。正直左内には彼女の意図が読めなかった。

 何か策略があるのか、それとも単純に好意でやってくれているのか。

 左内は、これまでのおいかの振る舞いのいろいろを脳裏に浮かべる。

 いつもおたことつるんでいるが、他に友人はいない。どちらかと言うと底意地が悪い印象はあるが、左内との接点はあまりなかった。

「早くしておくれ」

「まずあんたの腰に紐を結ばせてもらうよ」

 おいかは結構念入りに腰に紐を結ぶ。

「それくらいでいいのでは……」

「赤い糸じゃあるまいし、別に結び過ぎても悪くはないだろう? へっ、あんたと赤い糸だなんて、おたこに殺されちまうよ」

 おいかは、喉から絞り出すような声を出して笑った。

 どういう意味だ。顔をこわばらせた左内の背中をぽん、と叩いておいかは燭台で照らしながら、物置の下に作られた貯蔵室に顎を向ける。

 狭いが、案外深い。

 燭台に照らされた貯蔵庫の壁は石垣である。

 堅牢な造りだ、ただ単に貯蔵用に掘ったという態ではない。

 無言で地下を見つめる左内の思考を遮るように、おいかが右手奥を指さした。

「何をぼんやりしているんだい。ほら見えるだろう、あそこに土の付いたごぼうが沢山」

 確かに暗闇の中、立派なごぼうがぎっしりと部屋の半分ぐらい立てかけてある。

「ごぼうは冷たくて暗い場所に置いておくと結構もちがいいからね、あ、泥がついているから払って持ってあがっておくれ」

「絶対戸板は開けておいてくださいね」

 左内はおいかに念を押す。

「当たり前じゃないか、さ、お行き」

 おいかは深い水底のような印象を与える冷たい目を細めて、笑い顔を作った。

 左内はおいかが照らす燭台の灯りをたよりに細い階段をゆっくりと下りて行った。

 約束通り戸板は開け放たれており、腰の紐もしっかり結ばれている。

 地下室は見たとおり、左内の背よりも深く掘られていた。

 底は土間となっている。薄暗い中、左内はゴボウを二十本ほど数えた。

 十九、二十……。

「一つ一つ、土を払っておくれよ。運ぶ時に廊下が汚れちまうからね」

 おいかが上から左内に声をかける。

 言われた通りに片膝を付いてごぼうの土を払う左内。

 おかしい。

 なぜか、頭がガンガンする。

 階段を下りていくときから妙な息苦しさを感じていたのだが、闇の圧迫感とよどんだ気流によるものだろうと思っていた。

 しかし、それはいまやはっきりとした症状となって表れている。

 急激にに朦朧としてくる視界。

 胸が早鐘のように打ち始める。

 まずい、ここに居てはいけない。

 急いで立ち上がろうとして、左内はよろめくと勢いよく片側の壁にぶつかった。

 ぼこっ、という音。

 左内の身体はずるずると壁を伝って土間に崩れ落ちる。

 身体の力が抜けて立ち上がれない。

 左内は助けを求めるように、おいかを見上げた。

 何をしている、自分の異変は見えているはずだ。

 土の上に倒れた左内は助けを呼ぶように手を上げる。

 しかし、燭台で照らされたおいかは、表情一つ変えず無言でじっとこちらを見つめるのみ。

 苦しい

 いきなり目の前が暗くなる。

 戸板が閉じられた。

 助けを呼ばなければ。左内は胸元に手をやる。

 「お、い、か……」

 彼はそこで声を失った。



 冷たい。

 はっ、と目を開ける左内。

 頭から水をかけられたらしい。

 目の前にぼおっと淡い光。

 それは睫毛から滴る水で、目の中に幾筋もの毛羽立ちを描いて揺れた。

「気が付いたようだな」

「ふん、華奢な小娘の癖して、あのごぼう部屋で息を吹き返すなんて大した幸運の持ち主でございます」

 おいかと、男の声。

 この声は、どこかで聞いた――。

「源内先生がおっしゃっていたが、抜かれたごぼうが息をする時に、人間様の息の元を奪ってしまうということだ。風の流れが無い封じられた深い場所では、とくにそれが顕著になる」

 源内!

 声を上げようとして、左内は口にがっちりと猿ぐつわが噛まされているのに気が付いた。

 横座りの状態で幾重にも柱に括りつけられている。手はその柱の後ろに回されて手首のところで縛られていた。

 足は幸いにして自由だ。

 ここは、先ほどの物置部屋ではない。

 意識を失っている時にどこか別な場所に移動されたようだ。

 左内は顔をそっと上げて、男の顔を見る。

 こ、こいつは――。

 息が止まりそうな衝撃、左内は慌てて顔を伏せた。

 激しい動悸、背中にはびっしょり汗。

 常に冷静な左内でも、取り乱さずにはいられない、その相手とは――。

 唯一、今の左内たちの正体を見破ることができるであろう男。


 ぐらぐらとする左内の頭の中で、過去の忌まわしい記憶が蘇える。

 あれは、陽光で頭の中まで温かくなった殿が、右京とつるんで潜入した湯屋での事件。

 むりやり連れて行かれた湯屋の地下からいきなり小伝馬町からの逃走犯が現れて、湯屋の人々を人質にして立てこもった。そこで女性化していた左内と剣を交えたのは、犯人一味の首領。


 間違いない、あの首領だ。

「寝顔をチラリと見たが、なかなかの上玉ではないか、ま、わしはもう少し凹凸がはっきりした濃い顔の女が好みだがな」

 こういえばこいつは、女性化した殿に懸想していた。

 朦朧とした頭にさらにめまいが加わり、左内はがっくりと頭を垂れる。

 しかし、その細い顎は節だった指に掴まれると、ぐいと引き上げられた。

 顔を背けようとするが、むりやり正面に戻される。

 灯りが目の前に近づけられ、首領の息を飲む音が聞こえた。

「これは、これは、ただの女冠者かと思ったら、ただの鼠とは大違い」

 左内の全身に冷や汗が。

「しかし、お前が女だったとは思いもよらなかったよ、片杉左内」

 まだ誤解したままだったか。左内は溜息をつく。

 しかし、首領はそこで言葉を止めた。

「いや、しかし奴は今主君とともに参勤交代で国元に帰っているはず――」

 首領は首を傾げたまま、俯いた左内の顔を覗き込んだ。

 顔すれすれまで首領の顔が近づく。

 現在の左内の力では、組み合った時にこの男と互角に渡り合うのは不利だ。

 湯屋で組み敷かれて帯を解かれたあの屈辱を思い出して、左内の顔がぱあっと紅潮した。

「もしかしてお前――、奴の妹か」

 首を横に振るが、貫く様な視線は左内を捉えて離さない。

「隠しても駄目だ。虫をも殺せないような顔をしておきながら、お前の内に秘めた闘志が、その瞳から漏れ出している。こんな目、一度見たら忘れるはずがない」

「どう、料理いたしましょうかね」

 おいかがうれしそうに首領に話しかける。

「いろいろ聞きださないといけないことがおありなんでしょう」

「そう言えば、お前にとっては恋敵だったな」

 吐き捨てるように首領が言う。

「おたこをこいつに奪われたのか」

 首領が眉をひそめて、左内のほうをちらりと見た。

「お前も妙な趣味をしているな」

 ちょっと待て。

 どうしてお前はそう明後日(あさって)の方向に誤解をするんだ?

 声を上げて反論したいところだが、さるぐつわがそれを阻む。

「どうもお前らのその性癖は良く理解できんが、まあ死なない程度にしておけ。私は早急に、田沼様にこの報告をしてこなければならない」

 踵を返した首領が、ふと立ち止まる。

「今は我らの計画にとって大切な時期だ。決して逃がすのではないぞ」

 計画?

 一体、何を企んでいる。

 左内は首領の背中を睨みつける。

「時は来たれり、我らの大願成就の日も近い」

 大きな笑い声とともにその姿は闇に消えて行った。

 ごぼうの長期保存庫(かなり量は多いのでしょう)で、ごぼうの呼吸による酸素欠乏と高二酸化炭素状態が起こるようです。穀物の貯蔵庫や種子の発芽やキノコ栽培に使うサイロなども低酸素が起こりやすいようです。

 二酸化炭素は空気より重いので下に貯まりやすいですから、アウトドアなどで穴に降りるときは注意が必要ですね。

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