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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
90/110

おたこ

「どこに、家臣に薬を盛る藩主がいるんですかっ」

 赤を通り越して顔面蒼白となった左内は、二人を睨みつける。

「どこにって、ここに――」

「茶化さないでくださいっ」

 一蹴された殿は、慌てて台風の過ぎ去るのを待つ虫のように身を縮こませる。

「私は日夜あなた方の身の安全を保つため、意識を張り詰めて生活しているというのに、眠り薬を盛るなんて――」

「いや、魂の詰めすぎは身体によくないからな、たまには良く寝てもらおうと」

「嘘八百もいい加減にしてください!」

 左内のこめかみに青い筋が浮き出す。

「は、恥ずかしい。仮にも一国一城の主が、大奥で小遣い稼ぎの賭場を開くなど冷汗三斗(れいかんさんと)、もし私以外の者に見つかりでもしたら、ほ、本当に我が藩は――」

 最後は震えて声にならない。

 彼の頭の中は、江戸の空に舞う極彩色の瓦版で一杯になっている。

「ははは、ばれたら数百年は歌舞伎にして演じられそうじゃ。『色好大奥賭場華戦いろごよみおおおくとばのはないくさ』とか名づけられて人気演目になったりして」

 お気楽な殿は、にんまりとして続ける。

「訳あって大奥に忍び込んだ城主が大奥の陰謀を解き明かす話じゃ。わしの役は当世一番の人気役者に演じてもらわねばな。人気があるだけではない、女形(おやま)もこなす美形でなくてはいかん」

 すっかり、乗り気の殿である。

「藩主を辞めたら、戯作者でもなるか。人気戯作者になって両手に花で酒の風呂じゃあ」

 お気楽な殿の言葉に、左内はがくりと畳に両手をついて首を垂れる。

「人生そんなに甘くありませんっ」

 手に持った扇子でびしりと畳を打ち据える。あまりの剣幕にさすがの殿もぴん、と背筋が伸びる。

 本当は殿の脳天を打ち据えたいのだが、さすがに殿にそのような狼藉は働けない。

「情けない、最初のあの高邁な目的は何処に行ったのですか」

「あ、ああ。そういえばそうだったな」

 大奥の水面下で動いているとされる陰謀。その真相を探りに来たはずなのだが、この体たらくで進展は一向にない。

「ま、陰謀は無かったということで」

「とのっ!」

 そんなはずはない。

 現に中年寄の月山は失踪し、新たに表使(おもてづかい)の高崎様の御女中が数日前から行方不明という事件も起こっている。

 それにしても、化け物が出るという噂の宇治の間はもしかすると大奥の陰謀に絡んでいるかと思っていたら、まさか身内の阿呆どもの仕業だったとは。

 深夜、二人が居ないので身の上になにか起こったかと、気になっていた宇治の間に直行し障子の隙間からあの光景を見た左内の脱力たるや――。

「ああ」左内は目を伏せて溜息をつく。

「ところでな、左内」

 噴出する怒りが底をついたと見極めた殿が、こそっと話しかける。

「なんですか」

「どうやら、わしら目を付けられているようだ」

「ば、ばれたんですか、正体が?」

 新たな情報開示に、左内の細い眉が釣りあがる。

「いや、そこまでではないのだが、右京の発明の才能が漏れているらしい」

「右京、お前っ。あれほど注意したというのに」

 半眼のまま寝ていた右京は、いきなり矛先を向けられびくりと目を覚ます。

「で、誰にです」

「右筆のお袖とやらいう博才(ばくさい)のある女だ」

 右筆。これは大奥でもかなり位の高い役職である。文章の作成を行うため、字の上手な者が選ばれるがそれだけではない。いろいろな書状の管理や献上品の検査も行う、信頼に足るものが選ばれる御役目であった。

「まずいですね。まあ、いずれ何かの接触があるでしょうから、ここは殿の才気で責任もってごまかしていただきます」

 有無を言わせぬ左内の気迫。しかし、殿はへらへらと受け流す。

「ま、食えぬ相手だが、懐柔とはぐらかしはわしのもっとも得意とするところ、奴も博打に参加したという弱みがあるゆえ、何とかできるだろう」

 殿は任せておけとばかりに大きくうなずく。

「それにしても、だ」

 殿は腕組みをして考え込む。

「あの一橋のガキ、大奥にだれぞ思い人があるようだったが、一体--」

 一橋治済、すなわち一橋家の跡取りである。

 切れ者だが、ひねくれた性格で人に頭を下げるのを良しとしないその少年が、わざわざ殿を頼りに来た。そこまでさせる女性とは。

「あの若造を垂らしこめるほどのいい女には今だ出会っておらぬのう」

 殿は首を傾げる。「まさか、あの博打女ではあるまい」

「まだ、上級の女中たちには全員お会いになってはないでしょうに」

「わしら御三の間は格式の高いお座敷を掃除するのも役回りの一つだが、その時に結構な数の上級女中どもに会っている、おお、そう言えば」

 殿はぴしゃり、と手を打った。

「最近中臈(ちゅうろう)になったという、例の――」

「いくは殿ですか」

「それそれ、お前も目を付けていたか、隅には置けぬのう」

「いえ、毎日のように朝、夕と御膳所に来られて汁に手をかざすのです」

「おお、あいつか。お前が美味しすぎて怖いとかなんとか言って、飲ませてくれぬ汁を作る女だな」

 左内は、腰元たちにかしずかれながら湯気に手をかざすいくはの姿を思い浮かべた。

 あの美味しいのだが、なぜか舌先に刺激を感じる、禍々しい汁。

 目鼻立ちのはっきりした、鋭い目をした娘の顔が左内の頭に蘇える。

 中臈になって権力を持った彼女はますます自信を持って輝きを増しているように思える。だが、左内はその面の下に、なぜだかはかなげなものを感じていた。

 寂しげな、何かをあきらめたような。

「あの娘は際立って美しいのう。わしが家治であれば、すぐに御指名じゃ」

「近づいては、なりません」

 左内は静かに止める。

「なぜだ? 悪い娘なのか」

「いえ、最初私が奥勤めで災難に遭った時に、救ってくれたのは他ならぬいくはです」

 でも……。

 美しい外見と、清い心を持ったあの娘が、何か禍々しい目的を持っているとしたら。

「もしかして、大奥の陰謀に関係しているとか?」

「いえ――」

 根も葉もない推測を話すわけにはいかない。

 毒を持ったわけではない、美味しい汁を作るだけの話なのだ。

「しかし、失踪した月山はそのいくはを中臈にとりたてて自らの部屋を分け与えたのだろう」

 眠たげに右京が言う。

「いくはが失踪に関係しているのではないか、女中たちのもっぱらの噂だ。もちろん当人の耳には入らないようにしているがね。ま、月山を探すのが第一だな」

 呉服の間井戸端会議に仕方なく参加しているのであろう。

「しかし、月山は失踪してすでにひと月以上が経過している」

「だが、死んではいまい」

 右京があくびをしながら言う。深夜に始まった左内の小言であるが、すでにもう辺りが白くなり始めている。

「なぜだ? なぜそう言い切れる」

 隙を見て布団に逃げ出そうとする右京の襟首をはっしと捕まえて、左内が問い詰めた。

「中年寄りが警備を掻い潜って城外には出られまい。城内で死んでいれば、この時期、腐臭がするはずだ」

 ま、木乃伊みたいに干からびていれば別だがな。

 そう言いながら、右京は目を開けたまま寝てしまった。




 その日、左内は眠気と戦いながら御膳所で昼の賄の仕事をしていた。

 午前に右京を捕まえて聞いたところ、特にお袖からの呼び出しもないとのことで、それも左内の張りつめた心の糸を緩める原因となっている。

 料理に関しては全くの素人だった左内だが、ひと月余りたち、苦手だった料理も板についてきた。もともと、刃物の扱いには秀でている左内である、包丁さばきはすでに御膳所の中でも一、二を争う域に達している。朦朧としながらも、その正確な動きは微塵も狂わない。

 とんとんとんとん。

 軽快な音とともに、包丁をくぐった大根がたちまち白い針となってまな板の上に積み重なる。降り積もった雪のようになったところで、大根に負けないくらい白い左内の手がその塊をすくい取って水を張った大きな椀の中に解き放った。

 水の中で、千切りはまるで生き物のように踊りながらくるくると巻いていく。

「ふうん、腕を上げたじゃないか、おさな」

 極限まで薄くかつら剥きされた大根の向こう側から、ぼんやりとおたこの顔が透けている。

 つまみ上げた大根をまな板の上に返すと、おたこは惚れ惚れと左内の指を見つめた。

「最初来たときはどうなるかと思ったけど、こんな短時間で上達するなんてね」

「いえ、こんな事など、どなたでもできます」

 左内は波風立たない簡単な返事を返すと、にじり寄ってきたおたこから逃げるように距離を取る。

「そうでもないさ。この紙のようなかつら向きの薄さ、そして今じゃ、刺身のつまはあんたのじゃなければ食べないという方もいらっしゃるくらいだ」

 今度は水の中からすくいあげた大根を口に入れると、おたこはしゃくしゃくという軽快な音を立てて咀嚼する。

「いいねえ、ぱりっとして、芯が通っているよ。まるでお前のような千切りだね」

 奥の御膳所の実務を取り仕切っているおたこは、陰で折檻を加えていた当初とはうって変わっておさなを可愛がるようになっていた。

 しかし。

「白魚の指って、こういうのを言うんだねえ」

 大きな鍋でもかるがる持ち上げるおたこのごつい手が、いきなり左内の左手首を掴む。

 そのままぐいっ、と千切りの欠片の付いた手はおたこの分厚い唇に引き寄せられた。

 ここ最近、左内が思うにどうもおたこの自分に対する接し方が妙な方向に向いている。

 手取り足取りという表現があるが、料理を教えるその距離が暑苦しいぐらいに近づいているのである。必要以上に――。

 悠長に考えている暇も無くおたこの荒い吐息が指にかかり、そのまま唇に押し当てられた。名前の通り、まさに蛸。吸盤のようなその唇が左内の手に吸い付く。

 眠気も一瞬にして吹っ飛ぶ。左内の背筋に稲妻のような悪寒が走った。

「な、なにを……」

 うろたえる姿がまた面白いのか、おたこの手にますます力が入る。思わず顔をしかめる左内。

「手が折れてしまいます、料理ができなくなってもいいのですか」

 単なる親愛の情にしては、いささか常軌を逸している。

 仲の良い女性(にょしょう)どうしはまるで恋人通りのような振る舞いをすると、殿が言われていたがこれがそうなのであろうか。

 いつもより、さらに激しい接触に左内はどうしていいのかわからず、知らず知らずに身体が硬直する。

 左内がうろたえながら周囲を見回すと、みなにやにやと笑いながらこちらを見ている。なんと、止めるべき仲居頭まで、面白そうに見物しているではないか。 変わり映えの無い毎日を送る彼らにとっては、格好の座興なのだろう。

 正面を見ると、おたこのぎょろりとした目と視線があった。

「まだ、千切りが残って……」

 手を引っ込めようとしても、万力のような力で握り締められた手は微動だにしない。

「痛うございます。お許しください」

 柔らかな言葉とは裏腹に、左内の目は鋭く相手を睨んでいた。

 しかしおたこはひるむどころか、さらに左内を見つめ続ける。それは、今までの意地悪さは抜け落ちて、なんというか恍惚とした快感を含んだ気持ちの悪いものであった。

 おたこはやがて舌なめずりをすると、蛸の触手のような厚い舌を――。

 左内の指に我慢できない感触が走り、頭が真っ白になる。

「何をするっ」

 叫び声とともに左内の左手は円を描くように外に向かって(かえ)される。捻じられたおたこの右手が一瞬緩まり、左内の手はすぽりと抜け出た。

 眼にも止まらぬ早業。人々は、何が起こったのかぽかんと口を開けている。

「失礼します」

 左内は素早く身を翻し、部屋を飛び出した。一刻も早くこの左手に水をかけて、あの気色の悪い感触ごと洗い流したい、その一心であった。

 おたこは痛みの残る右手首を押さえながら顔をゆがめて、その後姿を見送っている。

「また、おたこの悪い癖が始まったよ」

 左内が消えてから、御膳所のあちらこちらでざわざわと噂の花が咲き乱れる。

「まあ、狙いを付けられたらあの娘も時間の問題だね」

「真面目で、腕もいいのに餌食になっちまうなんて不憫なもんさ」

「しかし、ちょっと前までは、おいかが相手だったんだろう。どうしたんだい」

「あきたんじゃないの、おいかは性格悪いし」

 噂の輪からちょっと離れた所で、そのおいかは左内の消えた方向をのっぺりとした冷たい目でにらんでいた。

風邪をひいてしまって、ちょっと文章などぐたぐたです。なんどか推敲のために更新するかもしれません。

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