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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
89/110

勝負

 女中たちは息を飲んで固まっている。

 まさか、賭場に御右筆が現れるとは、それもたった一人で。

 この大奥でこっそり博打をしていたなどとしれたらどんな咎めを受けるのか、それも立ち入り禁止の宇治の間で……、我に返った女中たちは慌てて乱れた着物を直して座りなおす。

「はん、ちょっくら遊ばせてもらうかね」

 お袖は周囲の重い空気など意に介さない様子で、殿の真ん前に進み出る。

 女中たちは、油の中に水が落ちたかのように素早く左右に分かれてお袖が座る場所を開けた。

「飴がコマ札替わりってことなのかい」

「あ、ああ。しょば代が100文、飴が10個で100文だ。飴は1個10文で払い戻す」

 お袖の事を良く知らない殿は、周囲の反応で何やらまずいことになっていると察知はしたものの、平静を装って説明する。

「はは、可愛いねえ」

 まさか、本当に御右筆は遊びに来られたのか。おそるおそるお袖の顔を窺う女中たち。

 お袖は手慣れた様子で場に陣取ると、周囲を見回す。

「何きょとんとしてんだよ、あたしに来られちゃまずいのかい」

「い、いえ……」

 傍らの娘があわてて首を振る。

 気が付けば、お袖の言葉づかいまで変わっている。

 中年寄(ちゅうとしより)さえ一目置く有能で隙の無い右筆の豹変に、女中たちは目を丸くしていた。

「まず、しょば代だよ」

 お袖は100文を右京に渡す。

「コマは10個単位で、100文から――」

「はん、そんなせせこましい勝負はしないよ」

 お袖は懐からまばゆく光る小判を1枚取り出して、場に置いた。

「胴元とさしで勝負だ」

 いきなり一両(約8万円)。

 娘達からどよめきが上がる。

「この勝負、受けてくれるのかい」

 うぐっ、殿の喉仏の辺りがごくりと上下する。

 殿の目がちらりと右京の方を向いた。右京は目でうなずく。

「お、おう」

 殿の額には汗の粒が浮き出ている。

 今までどんな修羅場も軽くすり抜けてきた殿だが、このお袖という女が醸し出す闘気と向かい合って、めずらしく緊張している様子だ。

 殿の左手がサイコロを持ち、右手が壺をかざす。

「お待ち、改めさせてもらうよ」

 お袖が殿を真っ向から睨みつけた。

 殿は顔色一つ変えず、お袖にサイコロと壺を渡す。

 しかし、殿の横に控える右京の頬がピクリと動いたのをお袖の視線は捉えていた。

 お袖はサイコロを軽く掌の上で転がす。ふたつのサイコロは妙な動きも見せずにころころと警戒に掌を跳ねまわった。

 やにわにお袖は、サイコロを摘まみ上げると奥歯に挟む。

 がりっ。

 音とともに二つに割れるサイコロ。

「な、何をする」

「最初の勝負はあたしの勝ちだね」

 お袖はニヤリと笑って二つに割れたサイコロの断面を殿に差し出した。

 サイコロの奇数目のほうに、針で突いたほどの黒い粒がびっしりと入っているのが見える。

「これはなんだい」

「単なる汚れじゃないのか」殿の額から汗の粒が落ちる。

「これくらいで汗がでるようじゃ、まだまだずぶのとうしろうだねえ」

 鼻で笑うとお袖は懐からおもむろに磁石を取り出した。

 掌に近づけると割れたサイコロはぴたりと磁石に飛びついていく。

 ええええっ。賭場に驚愕の声が上がった。

「障子に耳を付けて聞いていたら、どうもサイコロ両方ともに偶数目が出やすいような気がしていたんだよ。振り手の技量でサイコロの目を操作しているのかと思ったが、まあ壺の構えを見た所ではしろうとさんに毛の生えた程度――」

 お袖は残ったサイコロも歯で割って、白い布の上に放りだした。

 こちらのサイコロの断面にも、奇数目のほうに鉄粉と思しき粒が偏って分布している。

「イカサマかどうか。まあ一か八かの賭けだと思ったが、この勝負はまずあたしの勝ちだね」

 お袖はニヤリと笑った。

「か、仮に鉄粉が紛れ込んでいたとしても、この胴の上では磁石など使っておらぬ」

「畳を返して欲しいのかい?」

 お袖の言葉に、殿が息を飲む。

「調べは付いているんだ。七つ口の飛んだ饅頭事件や、呉服の間での針探しの一件。およしとお京、お前達にはどうも妙なことが付きまとっているようだね。特にお京」

 お袖は獲物を射程内に捕えた猟師のような目つきで右京を見る。

「お前さん、針を飛ばしたと聞いたよ。ひどく強力な磁石を操ることができるんじゃないか、例えば畳の下からでもサイコロを動かせるような。えっ?」

 もはやこれまでといった表情で右京は殿の方を見る。

 殿が溜息をついて、首を縦に振った。

「そうだ。この畳の下には強力な磁石が埋め込んであって、こちらで操作した時だけ磁石としてとして働くのだ」

「およしさん、私達をだましていたのねっ」

 娘たちから口々に非難の声が上がる。

「まあ、待ちなって」お袖は皆をなだめる。

「この者達のしみったれた着物を見てごらん。盆をしいたはいいが、とても繁盛しているようには見えないよ。多分、これは大負けが出ないように上手く調節するためだけに使っていたんじゃないのかね」

 実際は沢山の人数に勝たれた時の資金が胴元にないからであったが、殿はもっともらしくうなずいた。

「ここはうっぷんがたまるお城勤めの皆様がたに楽しく遊んでいただこうと思って立てた場です。大負けして気分が悪くなると、お勤めにも響きますゆえ、心苦しくも操作をさせていただいたのでございます」

 ここぞとばかり殊勝な声で、詫びを入れる殿。

 だが、娘たちからの糾弾の声は止まない。

「まあ、賭場にはイカサマは付き物。およしを責めるんじゃないよ」

 見かねたお袖が口添えした。

「博打はねえ、身をぎざぎざの刀で切られてどろどろ血が出るような痛みがあればあるほど、相手を両断した時の快感は底知れないんだよ。そこまでの覚悟がなけりゃ、こんな遊びはやるもんじゃない」

「おまえ、いい根性してるな」殿がつぶやく。

「御右筆様に失礼ですよ」慌てて傍らの女中が殿の袖をひっぱった。

 殿は、お袖を真っ向から睨みつける。お袖も眼光鋭く殿を見返す。

「水を差しちまったようだね、お詫びに本物の博打ってもんを見せてやろうじゃないか」

 お袖の言葉に、娘達がざわめいた。

 予期していなかった展開に皆、興奮しているようだ。

「さ、気分を治して勝負と行こう。まともなサイコロを出しな」

 お袖の言葉に、殿が袖口から真新しいサイコロを出す。

 それを確かめたお袖は、うなずいてまた殿に返した。

「よござんすね」

 殿がサイコロを壺に入れ、台に伏せる。

 白い布に擦り付けるようにして三度揺り動かすと殿はぴたりと手を止めた。

「丁」

 半眼となったお袖の声が静まり返った部屋に響く。

 殿はゆっくりと壺を開けた。

 目は3と2。

「サニの半」

 皆のため息が一斉に漏れる。

 お袖の目の前から、小判が消えて行った。

 間髪を入れず、お袖は懐に手をやって、場に一両小判を2枚置く。

「倍賭けか――」

 賭場の定石とは言え、何の躊躇も無く大金を置くその所作に殿は舌打ちする。

 再び静まり返った場に、サイコロの音が響く。

「さあ、今度は」

 伏せられた壺をお袖はじっ、と睨むと一言「丁」とつぶやいた。

「勝負」

 声とともに壺が返される。

 出目は4と3。

「シソウの半」

 再びお袖の前から小判が消えて行った。

 そして、当たり前のように新しい小判が8枚並べられる。

「まさか、もう終わりって訳じゃなかろうね」

 にやり、お袖は口角をあげて、殿を挑発する。

 すでに3両いかれているのに、余裕綽々だ。

「今日は運勢に見放されているようだぜ、もう止めようって気にはならないのか」

 殿の言葉にお袖は大きく首を振る。

「まさか、勝負は始まったばかりじゃないか。どちらかが身ぐるみはがれるまでやるのが勝負の醍醐味さ」

「お前、博徒だな――」

「娑婆に居る時は鉄火のお袖と呼ばれたものよ。借金のかたに旦那を盗られ、妹の屋敷に半幽閉の状態だったが、何の因果か大奥勤め。もうサイコロともおさらばかと思ったが、博打の神がここまで付いてきやがった。全く因果な身の上さあ」

 お袖の目が血走っている。

「お、お袖様――」

 いつしか、お袖を見る娘達の眼が、切れ者の右筆様から憧れの姉御に変わっている。

「ふん、賭博の神かなんだか知らねえが、わしにはもっと強いものが味方についてるからな」

 すでに女言葉も忘れて、地が出る殿。

「なんだい、そりゃ」

「悪運って言う、最強の味方さ」

 殿は不敵な笑みを浮かべた。

「と、殿、このままでいくと資金が――」

 熱くなっている殿に、右京が後ろからこそりと耳打ちする。

 今でこそこちらが3両勝っているが、次に負ければ8両支払わなければならない。5両の損である。そんなお金はもちろん持ち合わせていない。

 殿は右京を払いのける。

「売られた喧嘩は買わねばならん」

 殿はらんらんと目を光らせて、お袖を見返した。

「金がなけりゃ、身体で払うってもんだ」

「そう来なけりゃ。この薄氷を踏む思いこそ博打の真の魅力ってもんよ」

 それにしても、お袖のあの懐の中には一体いくら入っているのだ。

 あちらの資金が尽きるのが早いか、こちらの破たんが先か。

 殿の鼻息が荒くなる。 

 これで尽きても本望だ。悪運よ、我に味方を――。

 殿は大きく息を吸って、呼吸を整えるとサイコロを手に取った。

「半」

 お袖の声は、壺が伏せられるのと同時だった。

 てっきり丁で押してくると予想していた場はざわめく。

 壺の上に置いたままの殿の右手の掌には、じっとりと汗が滲んでいる。

「勝負」

 殿が壺を握った瞬間。

「な、何をしているっ」

 バタンっ、と障子を開ける音が響き渡った。

 凍りつく宇治の間。

 障子の向こうには、肩で息を切らせた左内が立っていた。

 ふっ、と行灯の蝋燭(ろうそく)を吹き消す殿。

 と、同時に闇に包まれた宇治の間に嬌声が響き渡る。

 どどどどどどっ、雪崩を打って逃げ去る女性達。

「うわああっ」突き飛ばされた左内は部屋の隅に吹っ飛んだ。

 狂乱の一瞬が過ぎ去ってから、左内が行灯に火を入れる。

 灯りに映し出されたのは白い布とその傍らに(うずくま)る例の二人。

 しかし、さすが女性。逃げる時に自らの前の飴はきれいに回収してあった。

 もちろん鉄火な右筆の前の8両も無くなっている。

 そして殿の目の前には、紅蓮の炎を背負って小刻みに震える左内が。

「あ、あなたって人は――」

「ちょっと待て、小言は後で聞く」

 殿はそっと壺を開けた。

 転がったサイコロには3と6の目。

 すなわちサブロクの半。

 お袖の勝ちである。

「ひとつ借りができたな」

 殿がぽつりとつぶやいた。

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