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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
87/110

不穏

「おい、なんでわしらはこれなんだ?」

 朝餉の汁椀を持った、殿の目が吊り上る。

 汁椀の中には、湯気を立てた味噌汁――ではなくて、白湯が揺れている。

「ご説明したはずです」

 左内はすまして、白湯を喉に流し込んだ。「温かいだけでも十分ではないですか」

「お前の鼻は節穴か? この廊下から漂う味噌の香りを嗅いで悲しくならないのか。わしは最近朝餉の時になると、なんだか両方の鼻の穴に指を突っ込まれて胃の腑まで調理場に引きずられるような気持ちになるのだ」

「なんという下賤な表現」左内は顔をしかめる。「牛ですか、あなた様は」

「こんな貧相な朝餉では、食べてからすぐ寝ても牛にはなれん。だいだいこの大奥ってところは飯がまずすぎる」

「食事の文句は御見苦しゅうございます」

 小声でたしなめると、左内は平然と玄米と漬物を口に運ぶ。

 問答無用、とばかりに閉じられた口から、ぽりぽりという小気味いい音だけが漏れて殿の鼻先を通り過ぎていく。

「しかし、何が悲しくてほかほかの飯にただの湯なんだ? なあ、右京」

 右京に水を向けた殿だか、いつもなら食べることに関して執着が強い右京がぼんやりと天井を向いている。もちろん返事なんかない。

「ちっ、恋煩いか」

 援軍が機能しないと解った殿は鼻を鳴らすと、腕組みをした。

「他の女中達から聞くと、料亭からの仕出しも頼めるとの事だったなあ。大奥の食事よりよっぽど美味しいらしいが」

「確かな筋の料亭であれば止めませんが……」左内が口ごもる。「一介の女中がそこまでして周りに睨まれないかどうか」

 しかも、御用商人達の足元を見た値段はふざけているとしかいいようが無い。

「そうだなあ、第一金が足りぬか」

 殿は残念そうに首を傾げていたが、はた、と手を打った。

「そうじゃ、手をこまねいているばかりでは物事は進展せん。金を儲ければいいのじゃ」

「は?」

 余りにも方向違いな前向きさ。左内は不穏な成り行きに眩暈を覚える。

「殿、ここに来た目的は他にあるはずでしょう。第一あなた様は、毎日箒で叩かれたと言って喜んでばかりいて、目的である陰謀の探索は進んでいるのですか? 金儲けなんか考えずに――」

 いきなり、殿と左内の間に、ろくろっ首かと見まごう白い顔がにゅっと伸びてきた。

「金……儲け?」

 先ほどからぼーっと朝餉を口に突っ込んでいた右京が目をらんらんと光らせている。

「不気味なんだよ、お前はっ」

 左内が顔を押し戻すも、そのひょろ長い胴体から伸びた首はするりと逃げて2人の間をゆらゆらと揺れている。

「金儲け、って言いましたね、殿」

「おお、右京。お前の才能と、わしの悪知恵があれば、初心(うぶ)な女が集まる大奥での金儲けなど、息をするより簡単」

「お富の(かんざし)、どうも私の菓子代に消えたようなのです。それで自分の菓子代くらい自分でねん出したいと――もしできればお富に簪の一本でも買ってやれれば」

「あっぱれ、右京! 好きな女に尽くし倒す、それぞ男の本懐だ。この甲斐性無しの堅物とはえらい違いだ」

「悪かったですね、甲斐性無しで」左内は口をへの字に曲げる。

 ちらりと様子を窺うと、それまでどんより濁っていた殿の目がギラギラと輝いている。

 また良からぬことを思いついてしまったのに違いない。

「ゆ、許しませんよっ」

 口をわなわなとふるわせて、左内が2人を睨みつける。

「もし、目立つ行動をして、正体がばれでもしたらどうするんですか。藩主が女装して大奥に潜入しているなんて知れたら美行藩(みくだりはん)はお取り潰し、末代までの大笑い者です」

 聞いているのかいないのか、殿と右京の視線は完全に宙を浮いている。

「軽率な行動は、ゆめゆめ許しませんからね」

 左内の声など、夢見心地の二人の耳にはもちろん届いていなかった。




高岳(たかおか)様、お呼びにより参上いたしました。右筆のお(そで)にございます」

「おお、よう来た。これへ」

 老女の高岳は周りの腰元に下がるように伝え、広い間取りの奥にしつらえた小さな小部屋にお袖を招き入れた。

 聡そうなぱっちりした目を閃かせ、お袖は改めて頭を下げる。

「堅苦しい挨拶はもう良い。今日は、頭が切れると噂のそなたの考えを聞いてみたくて呼んだのじゃ」

「滅相もございません。私など――」

 謙遜はしているが、表情には期待に応えられるのは自分しかいないという自信がみなぎっている。彼女は物腰は柔らかいが、実は相当な自信家で負けず嫌い。ということでも有名であった。

「お前様も知っておると思うが――」

「月山様の一件でございますね」

 最後まで言わさずに、お袖が答える。

 頭の回転が速いだけに、せっかちな一面もある。聞いたとおりの反応に、高岳は苦笑した。

「そこまで察しておるなら、話が早い」

「下々のものまで、皆噂をしておりまする」

「そうか、もう猶予はないな」

 高岳は目を伏せた。

 中年寄(ちゅうとしより)の月山が突如失踪してから早三月が過ぎようとしている。

 自殺したのかと、井戸や屋根裏を探索するも見つからず。出ていったのではないかと、失踪前後の大奥の出入りもすべて調べたが、出奔(しゅっぽん)した形跡は微塵も見つからない。

 恐れ多くもこの大奥で、それも中年寄といった重要な役職に就くものが、いきなり失踪したとあっては大問題である。

 大奥の脆弱性を喧伝しているようなもので、決して表ざたにはできない。と、そこかしこに緘口令をひいていたのだが、やはり人の口に戸はたてられず、最近は下級女中までが声高に噂する始末。

御広敷向(おひろしきむかい)も頼りにならぬ。女の園に入りずらいのか、粗相を恐れているのか、どうも探索に腰が引けておる」

 大奥は女性第一、御不興を買おうものなら左遷もありうる職場である。いくら大奥警備の役人でも月山失踪を伏して、女中達の顔色を窺いながらの探索では、十分な捜索ができるはずも無かった。

「それにこの数か月。大奥に不穏な気を感じておる」

 苦々しげに高岳は口を結ぶ。

「田沼派と、反田沼派の女中たちの水面下での争いや、事故死。そして、大奥の内部にどうやら隠密が派遣されたとの情報も届いておる。益の無い争いは止めて早く以前の平穏な大奥に戻ってほしいものじゃ」

 高岳の言葉に、お袖は首を傾げる。

「失礼ですが、高岳様は田沼様の陣営かと――」

「遠慮のない奴じゃな」

 高岳は袖で口元を隠し、くっくっと笑う。

「御無礼を」さすがに口が滑ったと感じたのか、慌てて頭を下げるお袖。

「謝らなくても良い、まあそう見えても仕方がないだろう。しかし実のところ私は田沼派でも、反田沼派でもない。ただ、ひたすら徳川の世と大奥の安泰を願うものなのじゃ」

 高岳は、何かを想うように目を細める。

 顔を上げたお袖は、高岳の身体から発される気が炎のように揺れていきなり小さな部屋を満たすのを見た気がした。その息苦しいほどの威圧感は彼女から言葉を失わせる。

「この大奥に仇を成すものは、私が許しませぬ――お袖」

「ははっ」びくりと身体を震わせたお袖は、再び頭を畳に擦り付けた。

「月山の行方を探るのです。そして、この大奥に暗躍するすべての闇を暴くのです」

 高岳の気配が消えたその後も、声も出せずにお袖は頭を下げ続けていた。

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