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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
83/110

懐柔

「あんた、見かけによらず優しいのねえ」

 お富はうるんだ目で右京を見つめる。

長襦袢(ながじゅばん)を作り終えたら、また一休みして御菓子でも食べましょう」

「この布を切って、あの桃色の服と同じように縫えばいいんだな。まあ四半刻(30分)の半分もあれば、できあがるだろう」

「はあ?」

 そうつぶやいたきりお富の口はまるで唇の力が無くなったかのように開いたまま。それはそうだろう、目の前で豪語している相手はさっきまで作り方がわからないやらなんやら、ぶつぶつ言っていたのだから。

「まあ、ばらしてみたら見当がついた。同じように縫うだけなら、記憶もさせてあるし、それだけあれば充分だ」

 右京は、ふふん、とばかりに尖がった高い鼻をうごめかせる。

「ま、人の皮よりは縫いやすいはずだ」

 お富は吹きだして笑い始めた。

「あはははは、お京さんってどこまでが本気かどこまでが冗談かわからない人ね」

 まれに見る、立ち直りの速さ。先ほどまでしゅんとうなだれていたのが嘘のようだ。

 もちろん周りはそんな彼女を白い目で見ているが、気が付かないらしい。

「それでは……」

 いくはの長襦袢となっていた端切れをちらりと見ると、右京は迷いなくざくざくとはさみを布に入れていく。見る見るうちに布は裁断されていった。

「見事ねえ」

「まあ、切るのは慣れている」

 さてとばかり布を取り上げた右京だが、横でじっと自分を見ているお富に気が付きふと手を止めた。

「ここの隅で縫うから、どこかに行っていてくれないか? 縫う所を見られたくないのだ」

「え? なぜ?」

 お富は首を傾げる。

「秘密だ。出来上がったら、御菓子を御馳走になるから用意でもしておいてくれ」

「まるで、昔話の鶴のようね。まあ、お手並み拝見といきましょうか」

 右京の目が、真剣なのに気が付きお富は首を傾げながら立ち上がった。

 お富が行ってしまったのを確認してから、彼はそっと懐から取り出した何かを右手の中指にはめる。

 裁縫と言えば、指ぬき。

 しかし、それは指ぬきには似ているが、表面にごつごつと凹凸の付いた明らかに指ぬきとは異なる代物であった。右京はその指ぬきもどきの表面を左手の細い指で撫でたり突いたりしながら、器用に糸を引っかける。

 そして周囲を見回すと、やにわに畳の上に重ねて置いた布にその指ぬきもどきを押し当てた。

 四半刻の半分、しかしさすがに新参者を放置しておいて休憩するのも気がもめたのであろうか、それより短い時間でお富は部屋に戻ってきた。

 そこには手持無沙汰そうに、周りを見ている右京が。

「どうしたの? やっぱりわからなかっ……」

 お富の声はそこで途切れた。

 息を飲んで立ちすくんでいるお富の方を、遅かったなとばかりに見る右京。

 その前には、二つの長襦袢がきれいに畳まれてそろえてあった。

 お富は恐る恐る周囲をそっとうかがう。彼女が放置していた間、誰かが見るに見かねて手伝ったのではないだろうか。しかし、皆自分の割り当てをこなすのに一生懸命で、新参者に手を貸す余裕のあるものは見当たらない。

「あなた、これ本当に一人で?」

 それには答えず、右京は立ち上がってお富の腕をぐっと掴む。その目は血走って、ギラギラと輝いていた。

「御菓子」

「え、ええ」

 お富は、引きずられるようにして今出て来たばかりの休息所に戻って行った。




「美味かった。お前はいろいろな菓子を持っているのだな」

 控えの間でお富が出してきた落雁は、一瞬のうちに無くなってしまった。呉服の間に戻った後も、興奮冷めやらぬ(てい)で右京は落雁の事を話し続ける。

「あれは、和三盆を使った極上品だな」

「あんた、さすがに詳しいねえ」

 自分の菓子を食いつくされてしまったにもかかわらず、お富はにこにこしている。

「ま、御菓子もあんたみたいな人に食べられたら本望だろうよ」

 言いながら、彼女は針箱を開ける。

「あら? 使わなかったのかい」

 針箱はもとのまま、一糸乱れず整然としている。

「い、いや使ったが」

「見かけは大雑把そうだけど、実は几帳面なんだねえ。昨日私が閉まってから全然変わってないよ」

 お富が感嘆のため息を漏らす。

 右京はそっと目を逸らした。

 左内から妙なからくりを使ったり、人から怪しまれるような行為をするなときつく念を押されている。お富に指ぬき型自動縫製装置を使ったとは知られてはならないのだ。あの縫製装置も念のために持って来ただけで、本当は使いたくなかったのだが……。

「でも、菓子が貰えるとあってはなあ」

「え? 何か言ったかい?」

 思わず漏れた右京の言葉に、怪訝そうにお富が反応する。右京は慌てて首を振った。

 お富は右京の作った長襦袢を手に取って、仕立ての出来栄えを調べ始めていた。襟、袖、裾……。

 次第に彼女の顔色が変わっていく。

 それもそのはず、完璧に仕立てられた二枚の着物は、縫い目の間隔も乱れず糸の強さも完璧で、表から糸が見えないようにするくけ縫いの種類も、見事に使いこなされている。

「ごめんなさいな」

 いきなりお富は、三つ指ついて右京に頭を下げた。

「えらそうな顔をしてごめんなさい。お京さんがこんなにお上手だとは思わなかった」

「い、いや。上手いっていうほどでは」

「こんなにすごい仕立てを見たことはないよ。こんなに柔らかくて、こんなにきれいに仕上げるなんて、あんた、いやお京さんは一体何者?」

 お富の興奮に居心地が悪いのか、右京は落ち着か投げに身体を揺らしていたがいきなり前に置かれた長襦袢をお富に押し付けた。

「これはすべてお前が縫ったことにすればいい。いや、そうしてくれ」

「え?」

 突然の申し出に、お富は言葉を失う。

「私は見本が無いとよく縫えないのだ。あんたが見本をくれたからできたこと。私は目立つことが嫌いなんだ。だからこれから縫い方を教わる代わりに、もし気に入ればあんたが縫ったことにすればいい」

「そんな」

「頼む、この通りだ」

 今度は右京が頭を下げる。

「その代り、縫う時は隅っこで小さな衝立を置いてくれるか」

「あんた、本当に鶴になって飛んでいくんじゃないだろうね」

 妙な頼みごとに目を丸くしながらも、お富は頷いた。




 お富と右京が組んで数日。

 呉服の間はちょっとした騒ぎになっていた。

 それもそのはず、不器用で有名だったお富の仕上げる着物が急に神がかってきたのである。数日かかって仕立てるはずの着物が、ほんの半日で、それも完璧に仕上げられている。雑用係に近かったお富に任されるのは、徐々に高位の御女中が着る重要な仕立てに変わってきていた。

「あの、お京って娘が上手いのかしら?」

「まさか、新参者にあそこまで仕立てられるはずはないわ。ちゃんと、着る方の体つきを考えた仕上がりになっているし、あれはやっぱりお富の手柄じゃないのかしら」

 呉服の間の女中たちは、口々に噂し合う。

 たまに物見高い女中が二人を(うかが)いに来るが、右京は隅っこの衝立(ついたて)の向こうに隠れて人が来ると手を止めてしまうため、なかなかどんなふうに仕立てているのかはわからない。

 妙なことにお富は衝立に背を向けて、相変わらずかたつむりのようにゆっくりと手を動かしている。他にすることと言えば、時折背を向けたまま右京にぼそぼそと指示をするくらいだ。

「あんなにのんびりとしているのに、あの着物の出来は不思議だわ」

 女中たちは首をひねるばかり。

 それに、二人が作業するのはそんなに長い時間ではないのである。気が付けばいつのまにか仕事を終わらせて、二人で菓子を食べている。

 その日、お富が呉服の間頭に呼ばれ、控えの間に右京がぽつんと残された時。

「ちょっと、お京ちゃん」

 猫なで声で寄って来たのは、誰あろう、先日お富の肩を指物で打ち据えたあの娘であった。

「あたしはおてい、お京ちゃんは裁縫がお上手なのね」

 おていは、膝が擦れるくらいお京の近くに座ると、にっこりと微笑んだ。

 口元にくっきり凹むえくぼ、市井に居れば目立つであろう整った顔立ちである。しかし、弓月を横にしたような細長い目の端は極端に吊り上り、いくら笑っても隠し切れない気性の激しさを物語っていた。

「い、いや、あれはお富が」

「隠してもだめ、あれはお京ちゃんが縫ったって皆わかってるわ」

 じりじりと右京ににじり寄るおてい。それに伴い、前傾姿勢だった右京の背が後ろに傾く。

「はい、あなた御菓子が好きなんでしょう」

 隠し持って来たらしい籠を右京の方に押し出す。

 そこには、右京が見たことも無い菓子が甘い香りを漂わせてぎっしりと詰まっていた。

「なんだ、これは?」

 てっきり御菓子で簡単にすり寄ってくるものと思っていたのか、おていは右京の反応に眉をひそめた。

「まあ、お京ちゃんはお城の奥勤めの日が浅いから、こんな贅沢な御菓子は見たことも無いのかしら。これは西洋菓子のカステラ」

 右京はむっつりと黙っている。

「珍しくなかったかしら。あ、次は知らないと思うわ。これも西洋の御菓子でね、ビスカウトって言うらしいの。特別にあなたのために……」

 おていは口をつぐむ。

 聞いているのかいないのか、右京が自分の後ろに視線を泳がしているのである。

 まるで、飼い主を待つ犬のように。

 怒りを鎮めるように、おていは一つ大きな息を吸い込むと、右京の手を握って自分の方を無理やり向かせる。

「聞いて、お京ちゃん。私の仕事を手伝わない?」

 右京は何を言っているのかわからないとばかりに、無言で顔をしかめる。

 おていはできる限りの作り笑いを浮かべて、なおも話しかけた。

「お富と一緒に着物を作っていても、貧乏ったらしい御菓子が貰える程度よ。私だったら、ほらこんなに御菓子も豪華でしょ。それに、下手くそに習っても下手なまんま。だからお富とつるむのは止めて、私と着物を作らない?」

「あんたと?」

 おていは、右京が関心を示したことで気を良くしたのか、滔々と自分がこの呉服の間では一番の技術を持っており、仲間達も皆自分の事を慕っていると鼻高々で語り続ける。

「ね、だから、お富となんか仲良くしないで、あたし達と」

「馬鹿かお前」

 一言だけ言うと、右京はそっぽを向く。

「な、なんですって。そ、そうなのね、御菓子好きだけあって、あの図体が大きくて真っ黒なおはぎ女が……」

 それから後の言葉は続かなかった。

 鼻を掴まれたおていは、目を見開いて、口をわなわなと痙攣させている。

 その口に、右京はカステラを突っ込んだ。

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