面接
面接を行うこの屋敷の主、清川はさすが元大奥の中年寄り。年を取ってはいるがどことなく凛とした艶のある女性であった。
「そなた達、仲がよさそうであったが、お知り合いか?」
手元の身上書を見ながら不思議そうに清川が並んで座る三人の顔を見る。
「どうなのじゃ、お京殿」
まずは旗本の家に養女に入っていることになっている右京に水を向けるが、右京は面倒くさい受け答えはまっぴらとばかり、知らんふりである。
「は、はい。私ども、まーったく偶然にも幼馴染でして」
慌てて殿が割って入る。
「控えよ、お前達は幼馴染とはいえ、お京は戸田様のご養女。話を遮るなどといった失礼を働くではない」
明らかに殿の嗜好を外れている老女の叱責に、殿は渋い顔をする。
ここで面接に失敗してもらえば、殿の花園奇襲計画は頓挫する。そうなれば左内の思うつぼ、彼は期待に胸を膨らませた。
「しかし、およし、とやら。そなた、なかなか利発そうな顔をしている。先ほどから見ていると立ち居振る舞いもきちんとしておるし、見目も良い。大奥の中は入ってしまえば、実力がものを言う世界じゃ。そなた案外周りの思惑をひっくり返すような出世を遂げるかもしれんな」
さすが大奥経験者、眼力が高い。
「お京殿は、無口な様じゃ。それでは、およしからまず目見を始めようか」
「おお、なんでも聞け……」
「え?」
男言葉に清川はきょとんとする。
「いえ、お聞きくださいまし」
殿はにっこりと微笑む。清川もつられて微笑んだ。
「そなた、笑顔がなかなか良いな。思わずこう惹きつけられる」
「そりゃ、女殺しと言われ……、ごほっ」
咳き込む真似をして慌てて袖で口元を押さえる殿。
「今日はどうも耳の調子が悪い様だ」清川が首をかしげる。
「で、本題に戻るぞ。お前様は何が得意なのじゃ」
うっ。今まで滑らかであった殿の口が止まって、目を泳がせている。
如才なさと賢さは特筆すべきものがあるが、これまでの殿の人生「下心の無い努力」というものがすっぽりと抜け落ちている。残念ながら習い事で「得意なもの」は思い浮かばないらしい。
「得意というか、好ましいのは千鳥の曲……」
しばらくたって、絞り出すような声で殿が漏らした一言。
「ほう、筝曲か何かか? 見かけによらず優雅ではないか」
「碁盤攻め、将棋攻め……」
「おお、囲碁に将棋か。なかなか小賢しい趣味を持っているではないか。よいよい、お相手を所望されることもあろう」
清川の好感触に、図に乗ったのか殿の口が徐々に滑らかになっていく。
「後は、流鏑馬に……おお、獅子舞も好きだな」
「ゆ、勇壮じゃのう、そなた」
清川の目が白黒している。
左内と右京も何を言い出すやら、と口をぽかんと開けている。
殿以外の三人は知らないが、これすべて夜の四十八手の技。殿の得意中の得意である。
「大奥では、御台所様をお守りする強い女性も必要じゃ。そなたなかなか才のある面白い女じゃな」
このような受け答えをする女子はいないのであろう。退屈しのぎに楽しんでいるのか清川は上機嫌だが、事実を知ったら泡を吹いて倒れるに違いない。
「まあ、酒井殿の推薦なら間違いはあるまい」
あの早熟少年一橋治済が、八方に手を尽くして書かせた推薦状はかなりの威力を発揮しているようだ。
「大奥でしくじりでもしたら、我が藩どころか一橋家を巻きこむ大騒動となる……」
心の中で呟いた左内の額からつつーっと汗が垂れ、おしろいの上を滑って行く。
殿だけ大奥に御奉公が決まり、自分が失敗したら。
あの、後先考えない野獣を野放ししたら、恐ろしいことが起こる。それだけは何があっても避けねばならない。
斬り合いでも乱れることの無い左内の心の臓が数えられないほどの速さで脈打っている。頭が鳴り、ともすれば目の前が暗転しそうになるが左内は必死で意識を保つ。
「そなた、おさなと申したな。顔が蒼いぞ、気分でも悪いのか?」
「い、いえっ、元気でございます」
「そうか、大奥は壮健でないと務まらぬ場所」
「げ、元気でございますっ」
甲高い声を上げて、左内は清川の目を見据える。
「目が血走っておるが……」
「昨夜、興奮して寝が足りておりませぬ」
「まあいい、そなたは後じゃ。次はお京、そなたからいろいろ聞こうと思う」
面倒くさそうに、右京は清川の方を向いた。なにやら口の中でもごもごとつぶやいている。
「菓子、砂糖、菓子、砂糖、菓子、砂糖……」
右京としてはこのような面白くも無い場所さっさと逃げたいのであろう。菓子、砂糖の呪文がかろうじて彼をここに座らせているのは想像に難くない。
「そなたは何が得意なのじゃ?」
清川はつまらなそうに口を尖らせる背の高い女に尋ねる。
「縫物かな」
彼なりに考えて来たのだろう。
案外まともな答えに、左内はほっと一息をつく。
「ほほう、裁縫か。それで何を縫う?」
「胸とか、腹とか、頭とか」
「は?」質問をした元中年寄りの目が丸くなる。
「な、何と申した?」
「人間様に決まっているではないですか」
「ほーっほほほほほほっ」いきなり左内が、悲鳴に近い笑いを上げる。
「に、人形です。お京様、人形にまで様をつけるなんて、馬鹿丁寧にもほどがありますわっ」
「お京の受け答え、とても丁寧には思えぬが……。まあよい、大奥には子供もたくさんおる、是非そなたの得意な人形を作ってやってほしい」
「だから、人形じゃなくて、にんげ……」
どかっ、右京の頭が音を立てて額から畳にたたきつけられる。
「お、お京様ったら、お辞儀まで丁寧なんだから、ほほほほほ」
右京の後頭部をどついた右手をさっと背中に隠し、左内が引きつった笑いを浮かべる。
脳震盪を起こしたのか、右京はそのまま頭を畳にのめり込ましたまま……。
「元気になって何よりじゃ、おさな。ところでそなたの得意なことは?」
「わ、私ですか」
急な矛先の転換に、左内の笑いが顔面に張り付く。
自慢ではないが、勉学と剣の道一筋。家政に携わったことなど一度も無い。
「なんでもよい、得意なことを申し述べてみよ」
と、得意な事。左内の頭が真っ白になる。
「もしかして言葉では表せぬ芸か、実際にやってみても良いのだぞ、この部屋には琴も三味線もそろえておる」
音曲は聞くのは好きだが、嗜みは無い。
このまま無芸が露呈しては、あの二人は大奥、自分一人置き去りの憂き目に。
たがが外れた殿が、大奥で悲鳴を上げるお女中たちを追い回す姿が目に浮かぶ。いつぞやの湯屋での乱行を思い出し、左内は身を震わせた。
「大奥へ上がりたい娘は沢山おる。何か一つでも得意なことが無いと今回はあきらめてもらうしかないな、おさな」
清川が申し訳なさそうに、首を振る。
何とかしなければ。
宙をさまよう左内の視線が、何か思いついたのか一点に定まった。
「お、お待ちください清川様……お饅頭をお借りできますか」
「お饅頭?」
怪訝な表情の清川だが、傍らに控えた女中に目くばせをする。
ほどなく左内の前には掌に乗るくらいの饅頭が運ばれてきた。
「お饅頭で何をするのだ? 落語か?」
それには答えず、左内は大きく息を吸い込む。
「ご、ごめんっ」
掛け声とともに饅頭をつかみ、天井に届けとばかり投げ上げる。落下する饅頭を片膝立てた左内は頭から引き抜いた玉簪の足で数度切り付けた。
眼にも止まらぬ早業に、口をぽかんと上げる清川。
一瞬の後、左内が持つ菓子皿の上にそのままの形で落ちてきた饅頭は、皿に着くやいなや、まるで牡丹の花が開くように、櫛形に切り分けられてばらりと広がった。
「お、お前……、料理が向いてそうじゃな」
しばらくの沈黙の後、清川がぽつりとつぶやいた。
饅頭はすぐさま右京が美味しくいただきました。
次回、更新は8月になるかもしれません。