表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
75/110

花園変態奇襲計画

「それにしても、なぜ御三卿の一橋ひとつばし治済(はるさだ)殿が大奥のごたごたを解決しようなどとお考えなのか」

 左内が首を傾げながらつぶやく。

 御三卿は将軍の血筋を絶やさないために、吉宗が家重の弟たちを別な大名家に取り立てたのがそもそもの始まりである。いざという時はその血族から将軍を出すという重要な役割を担う、と言えば聞こえはいいが、御世継ぎが危ぶまれた家重に男子ができた時にすでにその役目は終わっていた。今となっては次々に跡取りが養子に出されて、あからさまに家としての存続を断たれようとしている。彼らはむしろ幕府に恨みを持っていてもおかしくは無い。

「それがな、色気づいたらしいのだ」

「は?」

「左内、治済公をお前は知っているか?」

「いえ、若いのに大層な切れ者だという噂ですが。確かまだ……」

「今年の正月で17歳になったらしい」

「少年のような華奢な体つきにはそぐわぬ、大人びた顔をしておられました」

 左内は少年の面影を残す青年の、少し垂れ気味だが眼光鋭い鋭い目を思い出した。

 殿は大きくうなずく。

「確かに頭の回転が速い、あれは将来相当な策士になるだろう。しかし、あの年ごろの男子の心を支配しているのは、ただ一つ」

 殿はにんまりと笑った。

「実は治済公、大奥のお女中の中に、意中の者がいるらしいのだ。そのものに危害が及ばないかどうか調べて欲しいらしい」

 左内の目が点になる。

「御政道の一大事とかなんとかもっともらしいことを言ってますが、目的はお女中なのですかっ」

「ま、そう言ってしまえば元も子もないが」

 殿はちらりと左内を見て、これみよがしに大きく溜息をついた。

「石頭のお前にはこの狂おしい男心はわからんだろうな」

「わかりたくもありませんっ」

 それにしても、当の治済公も助力を頼んだ殿自らが女性化して大奥に忍び込むつもりだとは露ほども思うまい。自分の思い人に一番危険な人物が近づくことになってしまうなどとは。

「火遊びもいい加減にしてください」

「残念だな、もう『花園変態奇襲計画』は動き出しているのだ、なあ右京」

「もうばっちりでございます。例の薬の量産も終え、もう後は飲むばかり」

 左内の冷たい視線などどこ吹く風。カステラを頬張りながら右京が答える。

「足掻いても無駄だ左内。多方に手を回し、三人とも別々の家から大奥に推薦してもらう手はずも整えた」

 なんで、こんなことばかりはまめなのだ。

 左内の頬がぴくぴくと痙攣した。




「まだ、希望を捨てたわけではない」

 左内は二日前に伝書を携えた美鷹(みたか)が飛び去った方向に、祈るような気持ちで視線を向ける。

 あの、空の向こうには我が故郷があり、そして厳格な国家老である父上がおられる。殿が幼少のみぎり世話役であった父上なら、このたびの殿の陰謀を一喝して粉砕してくれるに違いない。 

 一縷の望みを手紙に託し、左内は父親に助けを求めたのである。

「左内様~~っ」

 キンキンとともに背後から飛んできたのは誰あろう、美鷹の妹舞鷹(まいったか)であった。

 彼女は、手ごろな松の枝に留まり、左内の足もとにポトリと手紙を落した。

「国家老様から、左内様へお手紙です」

「父上から?」

「ええ。確かにお届けしましたよ、左内様」

 急ぐのか、それだけ言うと舞鷹はさっさと飛び立っていった。

 いぶかしげに拾い上げる左内

「国元への距離を考えるといくらなんでも、返書が来るには早すぎるが」

 封を開けるのももどかしく、中身をばらりと広げると左内はそそくさと中身に目を通す。しかし、徐々に手紙を持つ手が震えだし……。

「や、やられたっ」

 左内は天を仰ぐと目を閉じた。

 手紙は、御政道の一大事、どのような任務であろうと殿をお守りして隠密の仕事を成し遂げよという激励文であった。

 殿に先回りされて、都合よく真実を捻じ曲げた伝書を送られたようだ。

 手紙の最後に、今年は盆栽の手入れもままならぬと思ったが、望外の成り行きに安堵している、と追伸されていた。心なしか、筆が小躍りしている。

「父上、逃げましたね」

 手紙を鷲掴みにして、呟く左内。

 盆栽ばさみを手にしてにやりとほくそ笑む父親の姿が目に浮かぶようだ。

「左内、進捗の方はどうなっておる」

 こんな時に、よりによって。

 天晴(あまはら)公は上機嫌で、左内の方に近づいて来る。その背後からは珍しく奥方様が付き従っていた。

 これは、良い機会かもしれない。

 奥方様に直訴して、大奥潜入などという暴挙を思いとどまってもらうのだ。

いくら一橋(ひとつばし)治済(はるさだ)殿の願いでも、なんとか断るのは可能なはずだ。ここは殿が頭の上がらぬもう一人の女性、奥方様の力を借りるしかない。

「お、奥方様」

「おお、左内。お前にも迷惑をかけますね、聞きましたよ、今度は殿と大奥に行ってくれるとのですね」

 左内の目が点になる。

 まさか、公認か。公認なのか。

 落胆の表情を隠し切れない左内ににっこりと奥方が微笑んだ。

「左内、良い娘が居れば側室として連れてかえってくださいな、御世継ぎがいないと私も妻として不安です。殿に精進していただき、その娘に子供を産んでいただければこれほどめでたいことは無い」

 天女のような奥方様のお言葉。

「お、お前、なんてけなげで、男前な奴なんだ」

 殿が奥方をうっとりと認める。

「大奥には、お見合いにいくのではありません」

 左内が目を吊り上げる。

「左内、そう苛立たずに。はめをはずしがちな殿をお守りできるのはあなただけです。御政道のために働かれる殿をよろしくお願いいたしますよ。動機は不純でも、成そうとすることは立派な事です、どうぞ胸を張って行ってらっしゃい」

 奥方様の言葉に、ぐうの音も出ない左内。

 陰謀渦巻く大奥に潜入するというのに、こんな体たらくで良いのか。

「はははは、胸は張るんじゃなくて、悪戯なこの手で這ってやるぞおおおお」

「殿、人前で何なさるんですか」

 楽しそうな藩主夫婦の声も呆然とする左内の耳には届いていなった。






「いいこと、左内。お前は小間物屋の娘で『おさな』、右京は農家の娘で、旗本の家に養女に入った『お京』という設定になっているの。これで身上書が作ってあるからくれぐれも間違えるんじゃないわよ」

 うきうきとした殿の甲高い声。久しぶりの女性化に心が躍っているようだ。

「はあ……」

 事細かに設定された身上書を思い出し、左内は溜息をつく。この緻密さがなぜ本来の公務に生かせないのか、彼の目が吊り上る。

 しかし、女性化した左内がいくら切れ長の目を尖らせても、艶やかなだけで相手を威圧する迫力は全く無い。

 はた目からは美しい三人娘が仲良く歩いているように見えるのだろうか、道行く人が笑顔で振り返る。

「そうそう、言うのを忘れていたわ。私の名前は『およし』。そんな淫らなことは『およし』なさい、って我ながらぴったりの名前だこと、ほほほほほほほ」

 馬鹿馬鹿しすぎて左内は返事をする気力も失っている。

「殿は、どちらかの大名家の御親戚ということにしておられるのですか」

「お馬鹿さんっ」

 殿は大きく首を振った。

「おさなと同じく町民の娘という事にしているわ」

「なぜですか、やはり大名の娘だと大奥での仕事も楽だと聞いておりますが」

「おさな、旗本の娘だとお目見え以上の仕事につかされることになるのよ。冗談じゃない、家治公と顔を合わせてばれたりしたらどうするの」

 やはり、殿の心にも羞恥心の欠片というものが残っているのだろう。

 外堀から徐々に埋め立てられ、とうとう今日は大奥への第一歩、以前大奥の中年寄をつとめ今は市井に下っている、清川(きよかわ)という女性の面接を受けに行くのである。ここで評価が良ければ、大奥への推薦となる。

「殿っ」

「しっ、これからは『およし』とお呼び」

 殿が右京を叱りつける。

「本当に大奥に行ったら、日本や外国の菓子が食べ放題なんでしょうね」

 先日来、殿から直々に立ち居振る舞いの指導を受けた右京は恨めしげにつぶやく。かなり厳しい指導であったらしい。

「おお、任せておけ。大奥は一日に千斤(約600キログラム)の砂糖が使われる場所だ、甘党のお前にとっては天国以外の何物でもないぞ」

「おおおおおっ、殿、『花園変態奇襲計画』の立案ありがとうございます」

 右京が叫ぶ。

「しいっ、この屋敷よ」

 三人は大きな門構えの屋敷の前で立ち止まった。

「戦いは今からよ」

 殿は唇を赤い舌でぺろりと舐めた。


次回、更新が2週間以降になりそうです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ