表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
74/110

青天の霹靂

「嵐の前の静けさに似ている……」

 参勤交代で殿が国元へ出発するのもあと10日、左内は美行(みくだり)藩邸の裏門をぼんやりと眺めている。参勤交代も近いため、この門を行き来する商人たちの数はいつにもまして多い。何かと買い揃える物が多く、お金の出入りも頭の痛いことの一つである。

 しかし、それよりも苦労するのが、江戸の御婦人たちが好きな殿のご機嫌取りである。参勤交代は、せねばならない道中には違いないが、やれ疝気だの、出立の日が悪いのだのとごねる殿をなだめすかして腰を上げさせるのが、毎回ちょっとやそっとの苦労ではないのだ。左内の前任者も国元に送り出した後は、気疲れが祟ってかいつも寝込んでいたと聞いている。

 だが、今年は殿のご機嫌が良い。一向に参勤交代への文句が出ないのである。おかげで支度も順調に進み、後は旅立ちの日を待つばかり。

 なぜだ。

 左内はなぜか悪い予感がしてならない。

「いや、問題ごとが多すぎて、疑心暗鬼になりすぎかもしれん」

 頭を二、三度振って、自嘲気味に笑った左内であったが、その視線がぴたりと一点に留まった。

「お前、何を持っている」

 なにやら大きな荷物を大八車に乗せてこそこそと運び込む右京の後ろ姿。

 いつもならまっすぐに左内の部屋に菓子の無心に来るこの男が、数日前から殿の部屋ばかり入り浸っている。

 詰問された右京はぎくりとばかりに右肩を震わせて、恐る恐る振り返った。

「左内、お前今日は道場に行っている日ではないのか」

「参勤交代の差配でここしばらく稽古は休んでいる、それにしてもお前大きな荷物だな」

「い、いや。ちょっとな……」

 右京は布で覆われた荷物を背中に庇う。その仕草がまた胡散臭くて、左内の頭は嫌な予感ではちきれそうだ。

「それは何だ」

「殿のご依頼だ、お前に見せる必要は無い」

「殿のご依頼だと? 余計怪しい」

 左内の形の良い眉毛がぴくぴくと痙攣する。

 あと10日でいなくなってくれるというのに、この土壇場で騒動を起こされるのはまっぴらごめんだ。

「殿が絡んでいるとなればなおさらだ、お前と殿が二人でつるむとろくなことは無い。是非その荷物を改めさせてもらうぞ」

「よ、止せ……」

「ええい、不審なものを家老が改めてどこが悪いっ」

 ばさりと布きれがはがされ、中身がむき出しになる。

「わああああっ」

 声を上げて、腰を抜かしたのは左内であった。

 そこには、青白い顔でだらりと手を垂らした彼の主君、天晴(あまはら)美行守(みくだりのかみ)吉元(よしもと)が横たわっていたのである。

「とっ、とっ、殿おおおっ」

 口をパクパクしながら、息をしていない殿にすがりついて揺さぶる左内。

「どうしてこんなお姿に、殿っ」

「いや、姿は変わっていないが……」

「馬鹿者、御世継ぎが居ない今、殿に何かあれば、戦国から今まで群雄割拠の中を細々と隙間を縫うようにして生き抜いてきた我が藩はお取り潰し。藩士とその家族は路頭に……。どうして、我慢が出来なかったのですか、殿っ」

「我慢?」

「どうせ、夜遊びでこのようなお姿に」

「ははは、心配するな。これしきの夜遊びでどうにかなる吉元ではない」

「吉元ではない、って殿を呼び捨てにするなっ、わーーーーーーっ」

 振り向いた左内は、横たわる天晴(あまはら)公と同じ顔が目の前にあるのを見て、再び絶叫する。

「殿、御無事だったのですか、ではこれは一体」

「私が作ったからくりに決まっているではないか」

 右京が懐から桜餅を取り出して口に放り込みながら、めんどくさそうにつぶやいた。

「ま、お江戸2号の製作以来、さらに磨かれた私の技術の粋を極めたこの造り、殿の死骸と見誤っても不思議はないがな」

 そう言いながら、右京は殿の人形のちょんまげをまるでネジを巻くように回転させる。途端にからくり天晴公はいきなり立ち上がると高らかに笑って、腰をぐるんぐるんと動かした。

「わははは、女ども寄ってたかってわしに挑んでくるが良い、まとめて天国に送ってやるわ、わはははははっ」

 開口一番、あまりに品の無い言葉。悲しいかな殿そのものである。

 見てくればかりか、言動や行動まで殿そっくりの人形に左内は言葉を失っている。

 しかし固まっている外見とは裏腹に、左内の頭は殿の魂胆を探り当てようと急速に回転していた。

 参勤交代。

 国元には厳格な国家老である左内の父。

 江戸にはご贔屓の女性達。

 殿そっくりの人形。

 もちろん出てくる答えは一つしかない。

「ゆ、許しませんっ」

 両手の拳を握りしめ、左内が殿を睨みつける。

「人形を身代りにして、国に送っておいて、殿はこの江戸で遊興三昧とそういう魂胆ですね」

「甘いわ、左内」

「え?」

 殿は真っ向から左内を見据えると、にやりと口角をあげた。藩主の目は、生き生き爛々と邪悪に輝いている。

 左内の嫌な予感、ここに極まれり……。

「この一年は、わしの人生においてもいまだ経験したことの無い一年になりそうじゃ」

「と、殿。本気で国元に戻られぬ気ですか、国元の皆は殿を待ちわびて……」

 最後の一言は、誇張というか真っ赤な嘘だが、左内も必死である。

「馬鹿者。いつも言っておるだろう、藩主元気で留守がいい、とな。さあ、忙しくなるぞ左内」

 ガラガラガシャーン。

 左内の頭の中は『青天の霹靂(へきれき)』の直撃を受け、真っ白になった。





「わ、私、大反対でございますが、一応殿の陰謀……、いや、御計画もお伺いいたします」

 人払いした殿の居室。

 興奮の余り顔を赤くした左内と菓子を貪っている右京、そして上座に天晴公が悠然と座っている。

「先日一橋(ひとつばし)治済(はるさだ)殿がわが屋敷に参られただろう」

 左内の頭に、陽も暮れてから立派な籠で藩邸に到着された、御三卿のひとつ一橋治済の姿がよみがえる。治済は将軍家に世継ぎがいない場合に後継者を出す役割を担った御三卿の一つ、一橋家の当主である。

 通常このようなみすぼらしい屋敷にお迎えできる地位の方ではないが、訪問するという連絡があってからさほど猶予も無かったため、ご辞退もできないまま、ばたばたの接待となってしまった。しかし、当の治済様は特に気を悪くする様子でもなく、一刻ほど滞在した後、お茶にも手を付けずそそくさと邸を後にされた。

 天晴公は日ごろの素行が極めて悪いにも関わらず、なぜか将軍家治のお気に入りであったり、各所で妙な人気を誇っている。この人気の理由が人生経験の乏しい左内には今一つわからない。が、俗にいう、「ゲテモノ食い」のようなものだろうか、と考えている。

 だから、一橋治済がさしたる理由も無く訪れるのも、またいつもの妙な魅力のなせる業。興味本位の会談としか認識していなかったのである。

「あの時の話、左内にはしていなかったな」

 天晴公の顔が急に真顔になる。

「実は、治済公は最近の大奥に奇怪な事件がつぎつぎと起こっているという話をしに来られたのだ。中年寄(ちゅうどしより)の月山殿が失踪されたり、化け物を見たという噂が流れたり、どうも何かただならぬことが起こっているらしいのだ」

「大奥は、権力を掌握している田沼意次の人気が高く情勢は盤石と思っておりましたが、一体誰が」

「さあ、わからぬ。こちらには大奥の詳しい情報は洩れて来ぬゆえな」

「で、何故、治済公は殿にその話をしにこられたのですか?」

「どのようにしてばれたかはわからぬが、治済公は我が家臣に妙な能力のあるものがいるという噂を聞きつけられたようなのだ」

「そりゃ、ばればれでしょう」

 あれほど派手に事件を起こしていれば、どんなに取りつくろっても美行(みくだり)藩に異能の者がいて、妙なからくりや発明をするということは知れわたっていて不思議ではない。特に隠密を使う大名たちには、右京に関する情報は筒抜けだろう。

「しかし、いずれにせよこれは大奥の広敷役人たちが解決すること、我が藩には関係の無いことでございます」

「左内、お前は義を見てせざるは勇無きなりという言葉を知らぬのか」

 殿の目が吊り上る。

「我々大名は将軍家を中心にしたこの体制を維持してゆかねばならぬ、そのためには家治様の御在所である大奥の安定は必須である。関係は無くても、大奥のために力を尽くすのはわれら大名の義務だ、わかったかこの不心得者」

「ははっ」

 左内は恐れ入って平伏する。

「で、だな」

 き、来た。左内のこめかみがぴくぴくと痙攣する。

「治済公から、大奥に配下の者を派遣して情勢を探ってほしいとの依頼があってだな」

「当家の女性に、とてもそのような用向きに耐えるような人材は……」

 鶏のおけいの姿がチラリと脳裏をかすめたが、まかり間違って鍋にでもされては大変と、左内は頭を振ってその考えを追い払った。

「え……」

 ふと、頭をあげた左内の目の前に、人差し指で自分の鼻を指している殿が。

「居るではないか、ここに」

「ここに、って、と、殿……」

 御家老様の声が震えている。

「右京の薬があるだろう、あの女性に変化する薬が。あれで大奥に潜入すればいいのだ」

「お、御戯れを」

 よりによって、大奥。

 冗談じゃない。

 焦りの余り、左内の額にはびっしりと汗の粒が浮かんでいる。

 大奥に殿。鶏の群れの中に、オオカミを放つのと同じではないか。まかり間違えて、家治公の側室に手を付けてしまおうものなら、お取り潰しどころでの話ではない。

「どうせ、そういう展開だとは思っていましたが、駄目です、絶対に駄目です」

「家治公が無防備で入られる、その場所が何者かの陰謀で荒らされているかもしれないのだぞ」

「で、なんで殿が自ら出向く必要があるんです」

「このような重要な任務は、他の者に任せておくわけにはいかぬ。ここでひと肌脱がねば臣下の名がすたる」

「騙されません、殿は行きたいだけなんでしょう、大奥にっ。別な事でひと肌脱ぎたいんでしょうっ」

 睨みあう、殿と左内。

「第一、あの薬の効果が切れたりしたらどうするんですか」

「それは、心配ないぞ。私が早速改良して長時間作用型の丸薬にしたから」

 空気を読まないのんびりとした声とともに、左内の目の前に濃い桃色の丸薬が差し出された。

「名付けて『女性(にょしょう)(がん)

「ええい右京、お前要らぬことを……」

 左内の額の青筋が浮き出る。

「あっぱれ、右京。お前はわしが大奥に潜入した暁には、付き従ってくれるな」

「御意にございます」

 右京はにっこりと微笑むと、ふところから大きな包みを取り出した。がさがさという音は、あの女性丸が大量に入っているからに他ならない。

「な、なんで右京、お前までそんなに乗り気なのだ?!」

「大奥には各地の美味しい菓子が取り揃えられているというではないか」

「そ、そこか……」

 左内はぐったりと頭を抱える。もうこのふたりにはついていけない。

 霹靂(へきれき)辟易(へきえき)へと姿を変え、左内を打ちのめすのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ