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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
72/110

毒見

 やっと投稿にこぎつけた「大奥暴走編」、書き手の方もまたまた見切り発車の大暴走です。誤字脱字乱文あまりひどい考証の間違いなどなど、後でこっそり訂正するかもしれません、ご容赦のほどをなにとぞよろしく申し上げまする~~。

(掲載間隔も不規則になるかも~~お許しを)

 

 奥女中が運んできた毒見の膳を覗き込んで、中年寄(ちゅうどしより)深山(みやま)は、そっと溜息をついた。

 湯気の立つ吸い物椀には、ひらひらと数片のわかめが浮かんでいるだけ、寂しいことこの上ない。

 初めて将軍の正妻である御台所と同じ献立を口にすることができた時には、どのような豪華な食事をいただけるかと、ときめく胸を押さえられなかったものだが、それも今は昔。

 将軍家治の好みであろうか、目の前には素材だけは一級品だがいつもと代わり映えのしない質実剛健な料理が並んでいる。もともとが大きな料亭の箱入り娘であった彼女は、食べ物に関しては恵まれた少女時代を過ごしており、簡素な大奥の食事に関しては少なからず不満を持っていた。

 ここより素材は安くても、実家の料亭の料理には、胃の腑をぐっと捕まえられる様な満足感があった。外連味(けれんみ)がある、とでもいうのだろうか、椀一つにしても季節によって様々な趣向が凝らされて、見た目と味で客を驚かそうという心意気があった。

 深山は大好きだった春の椀を思い出した。

 それは、鯛の切り身を桜の香を付けたもち米で包んで蒸したものを、葛でわずかにとろみをつけた汁の中に沈めたものであった。白濁した汁から桜色のご飯が透けて見え、見た目も(かすみ)にけぶる桜の装い。そして喉元をゆっくりと通り過ぎていくため桜の香がふわりと優雅に立ち上り、得も言われぬ美味であった。

 あれは特別としても、少なくともこの椀のようにわかめだけが浮かぶというつまらない料理は決して出されなかった。なるほど出汁は定石通りに取られているが上品をさらに透き通らせたような味で、心躍るものではない。

 だが、この試食の本来の目的は味見ではなく毒見である。

 深山は雑念を払うかのようにそっと顔を振ると、手に持った椀にそっと紅の際立つ唇を寄せた。

 ところが。

 一口吸い物を口に含んだとたん、椀を傾ける彼女の手がぴたりと止まった。伏せられていた深山の睫毛は、朝の光を受けた花のようにぱっちりと開く。

 こ、これは……。

 まさか、毒を盛られたのか。

 しかし、彼女の身体にはなんの異変も起こってはいなかった。

 なんだ、この味は。

 彼女は戸惑いながらも、もう一口汁を飲み込む。普段は上品な中年寄の喉が、待っていたかのようにごくりと鳴る。

 最初と同じ、頭の芯に稲妻が走るほどの衝撃が彼女を包み込んだ。

 塩辛くも無い、甘くもない、しかし口に入れるのが止まらなくなるほどの何とも形容しがたい味が舌の上から顎にかけて広がっていく。

 毒を思わせるような禍々しい味ではない。ただひたすらにおいしいのだ。

 信じられない。

 たかがすまし汁で、このような法悦に浸ることができるなんて。

「御台所頭が出汁の取り方を変えたのかしら」

 大奥の料理は、隣接した御広敷と呼ばれる場所で台所役人と呼ばれる男性の料理人によって作られていた。それを御錠口で受け取った奥女中が、ここまで運んでくるのである。

 深山は衝撃の冷めやらぬ味覚のまま、次々とほかの料理にも箸を伸ばす。

 だが、他の料理、だし巻きも煮豆も相変わらずの薄味で、このすまし汁のような幸福感を得ることができなかった。

 しかし、これだけでも充分だ。

 これを飲めば、きっと御台所様もびっくりなさるに違いない。

 深山は御台所の驚く顔を思い浮かべて微笑んだ。




 数日後、汁の味が神がかり的に美味しくなった件は、御台所が食べなかった膳の御流れをいただく女中たちの間でも評判となっていた。

 しかし、不思議なことにその原因がわからないのである。

 憶測が憶測を呼び、まことしやかに、狐狸の仕業だと噂するものさえ出始める始末。

 あまりの評判に捨て置けなくなった中年寄たちは、各方面との職務の打ち合わせの際にその話題を持ち出した。

「望外の美味だと、御台所様は喜んでおられます」

 御台所付の御中臈(ちゅうろう)の報告に、深山は溜息をつく。

「でも、台所役人が変わったわけではなし、調理法を変えたかと人づてに尋ねても料理人たちは首をかしげるばかりだったようです。試しに残りの汁を飲んでもらったところ、配合の妙でこのような味に変化することがあったかもしれないが、もともとの味とは違っていると申しておりました」

 何しろ、御台所の口に入る料理である。美味しくなったがその理由は見当がつかない、ではすまされない事態なのだ。

 皆が口をそろえて美味しくなったと話すなかで、自分は美味しい時に当たらない、と中年寄の月山(つきやま)が嘆いた。

「こたびの噂、私には全く実感できません。手前のような味のわからぬものが、御毒見役など務まるか不安でございます」

 生真面目な月山は額に皺を寄せる。

「不思議な事よ、私はずっとお汁の味が変わっているが」

 深山が首を傾げた。

「まさかお汁を入れる椀に何か細工が施されているのでしょうか」

 御中臈の言葉に、深山が首を振る。

「御台所様がお召し上がりになる膳は初めに10ほど作られる。まず、御広敷番頭による毒見を済まされ問題が無ければこちらに運ばれてくる。大奥の毒見役は残りの9の膳の中からどれか一つを選んで、味を取ることとなっている。毎回どの椀に当たるのかわからない。よって器に細工をするのは無理というものでしょう」

「もしかして……」

 たまたま話の輪に入っていた右筆(ゆうひつ)のお(そで)が口を開く。彼女は聡明なことで有名であった。

「確か、月山様は猫舌、と聞いております。御広敷から運ばれてきたお料理は温めなおしておられますか」

「いや、時間がたって冷たいくらいの方が私にはありがたいので、温めなおしは命じておらぬが」

「深山様はいかがなさっておられます?」

「私は大奥の御膳所(ごぜんしょ)で温めなおしてもらってから、食しておる」

「御台様がお食べになる前にも必ず膳を温めなおしております。月山様だけが、美味を感じないという事は、膳を温めなおしているものに何らかの鍵があるのではないでしょうか」

「まさか」

 月山が眉をひそめる。

「確かに御膳所で温めたり、いくつかの料理を加えて御台様にお出しすることはありますが、御広敷で作った料理に手を加えることはしないはず。それに大奥御膳所は人の目も多く、やすやすと何かを混ぜることはできません」

「それに何かを混ぜた、としても単なるしょうゆや酒や塩ではあの味は出ません。濃く取った出汁ならどうしても出汁の素材の風味も強まるはずですが、それもない。もっとこう透き通った、直接味覚に訴えてくるような、不思議な味なのです……」

 深山が元料亭の娘ならではの味覚の鋭さを発揮して分析を行う。しかしさすがの彼女もその味の実態にまでは思い当たらないようで言葉を濁した。

「温めなおしをしているお仲居の者達を呼んでみては、いかがでしょうか。幸い皆様方への身体の影響はないようです、毒をもったわけではないのですから恐れずに来いと言ってやれば逃げ隠れせずに参るでしょう」

 お袖がぱっちりとした目で中年寄たちを見回す。

「そなたはもう、お仲居が原因だとわかっているような口ぶりですね」

 お袖のはっきりした物言いに、深山が苦笑する。

「確信しているほどではございませんが……、私はお仲居が何らかの細工をしたという方に駒を賭けますわ」 

「コマ?」

 深山と月山が怪訝そうに首を傾げる。

 思わず出てしまった博打用語。お袖は慌てて口を手で塞いだ。




 呼び出されてきたのは、いくは、と呼ばれる大奥に上がって間もないお仲居だった。聞いてみるとここ最近は彼女が汁の温めなおしをしていたらしい。

 普段、口をきくことも無い上役が居並ぶ中、いくはは身を固くして進み出ると畳にへばりつかんばかりにして頭を下げる。

「面を上げよ、いくは」

 深山の声に、いくははおずおずと頭を上げる。

 下っ端と言えども、大奥に召し抱えられるほどの女、目鼻だちのはっきりした美しい顔をしている。なかでも澄んだ大きな瞳は、何かを射るような鋭い光を発して見る者を惹きつけた。

「今日は、そなたに聞きたいことがあって来てもらった」

 いくははびくりと身体を震わせて、深山から視線を外すように顔をうつむける。

「最近、妙に汁ものの味が良くなっているのだ、何か知っていることはないか」

「調べたら、汁ものはそなたが温めなおしていることが判明した」

 同席したお袖が横合いから、もう逃げられないぞとばかりに口を挟む。

 しばらくの沈黙の後、

「お、お許しくださいっ」

 いくはが額を畳に擦り付けんばかりにして頭を下げた。

「何をしたのだ、面を上げて正直に申し述べてみよ」

 月山が冷徹に言い放つ。

「わ、私は生まれつき、奇妙な手を持っているのでございます」

「奇妙?」

 月山の額に皺が寄り、細い目が吊り上る。

「私が手をかざして温めなおすと、汁ものが美味しくなるのでございます」

「たわけたことを申すでない。そのようなこと、あるわけがないではないか」

 叫ぶ月山の袖を押さえて、深山がじっと、いくはの目を見つめる。

「そなた、それでは皆の前で作っていただこうではないか。あの汁の味が再現できるかどうか」

 いくはは、こくりとうなずいた。

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