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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
寸白(すばく)
70/110

その9

 江戸の町に朝日が差し込み、屋根瓦がきらきらと輝く。

 しかし、人々にはそんな光景を愛でている余裕は無かった。

 化け物の出現にお江戸は上を下への大騒ぎである。

 その化け物、巨大化した寄生虫の灘奴(なだやっこ)は広いとは言えない江戸の通りを、長い身体を波うたせながら進んでいた。時折、苛立ったように毛の生えた紡錘形の頭をもたげ、周囲の家の瓦をはじき飛ばしていく。

「河童ふんどしだっ」

「妖怪だ、きしめんの妖怪が出たっ」

 人々が口々に叫びながら走ってくる。呼び名は間抜けだが、ただならぬことが起こっているという事は血相を変えた人々の様子で一目瞭然なので、人波が到達した界隈の人々がまた玉突きのように逃げ出す。

 すでに不忍池を取り巻く広い通りは、逃げ惑う人の波が押し寄せ大混雑となっていた。大八車に家財をのっけて逃げる者、年老いた母親を負ぶったもの、皆一様に正体のわからない化け物の出現に顔をひきつらせている。

 避難民たちはどんどん膨れ上がり、まるで表通りは濁流が押し寄せる川の様相を呈している。

 しかし、そこにまるで杭が刺さったかのように人の流れに逆らう2人の男の姿があった。

 彼らはかわるがわる一本の望遠鏡で、虫の姿を見る。

「これはケンペル殿の言っておられたという……」

「あの、anus(アヌス)から見ることがあるという、虫の姿にそっくりだ」

 二人は顔を見合わせる。

「anusの虫が、なぜあのように巨大化を」

 彼ら、杉田玄白と前野良沢は首を傾げる。2人の姿を見つけた門弟らしき男が駆け寄って来た。

「先生、あ、あれは?」

「うむ、阿蘭陀(オランダ)から来られたケンペル先生が置いて行かれた図譜を見たことがあるが、anus(アヌス)(肛門)から出ることのある虫と姿かたちがそっくりなのだ」

「anusの虫?!」

 喧騒の中、彼らの声も自然と大きくなる。会話を聞いたらしき人々が次々に虫の正体を伝え始めた。

「あれはアヌスの虫、らしいぞ」

「アヌス、そりゃなんだ?」

吾主(アヌシ)?」

「我が主様かっ」

 伝言が徐々に湾曲し、裏返り、そして……。




「左内様、な、灘奴がそろそろやってきますっ」

 忠助が叫びながら駆け込んでくる。

 美行(みくだり)藩邸の門前にはにキリリと鉢巻を撒き、袖を襷がけにした左内が、刀身が五尺(約150㎝)にもなる大太刀を手に仁王立ちになっている。

「とうとう、決着をつける時が来たか……」

 忠助の言葉に頷くと、左内は残念そうに刀の鞘を撫でた。

「我が藩の秘蔵品『愛染(あいぜん)丸』、質草にできる残り少ない逸品であったが、あのような虫を斬って汚してしまうのは返す返すも口惜しい……」

「頭を狙えよ左内、身体を斬っても奴はそこからまた伸びてくることができるからな」

 右京がまるで他人事のように話しかける。彼の手の中には、何処からくすねて来たやら避難用の菓子が山盛りになっている。

「左内、皆は避難させたか?」

 門前に用意された籠の中から天晴(あまはら)公が声をかける。

「殿、ご指示の通りもうこの屋敷には我々しか残っておりません」

 左内の言葉に殿は深くうなづいた。

 屋敷の前の道にも逃げる人波が押し寄せている。。

「殿、本当に良いのですか?」

 殿は頷いた。

「元はと言えばわしの巻いた種じゃ。尻ぬぐいはするつもりだ、お前達悪いが不肖吉元のため、虫との逢引に付き合ってくれ」

「御意にございます」

 家臣たちが頭を垂れたところへ、偵察に行っていた三羽の鷹娘達が帰って来た。

「いよいよ、不忍池から御成街道をこちらのほうに向かっております」

 美鷹(みたか)が急を告げる。

「神田橋、常盤橋の御門にはすでに鉄砲百人組が配置されています」

 貴鷹(きーたか)も江戸城の物々しい警備を伝える。

 ただ、舞鷹(まいったか)だけが首を傾げながらなにか言いよどんでいる。

「どうした、舞鷹?」

 左内の言葉に、舞鷹がようやく(くちばし)を開く。

「虫の周りで人々が踊って……」

 はあ?

 少々の事には動じない人々の目も点になる。

「ねえ人間って、馬鹿なの?」

 吐き出すように告げる舞鷹。超脳天気娘にも理解できなかった光景らしい。

「逃げもせずに、頭に神垂(しで)を巻いた人々が、虫の周りで踊っているの。虫に跳ね飛ばされながらよ、信じらんない」

「おい、紙垂ってなんだ?」

 右京が小声で左内に尋ねる。

「ほら、神社とかで神主が振る榊の枝にくっついている細い短冊をつなげたような白い紙のことだ」

「なんか、あの人たち踊りながら、あーぬし様、来たれり。あーぬし様来たれりって叫んでたわ」

「あーぬし? 吾主?」

 またなんかややこしそうな事態に左内は頭を抱えた。




 そこでは踊念仏か、と思うような光景が繰り広げられていた。

 頭に白い紙垂れの付いた縄を撒いた人々が、虫の周りを取り囲み激しく三味線や太鼓を鳴らして踊っているのである。

「吾主様、来たれり、吾主様、来たれり。救い主様降臨せり~~」

「あまりの奇想天外さに、し、新興宗教が発生してしまったか」

 到着した左内たち、美行藩一行は常軌を逸した狂乱ぶりに立ちすくんだ。

 「わしらの守り神様が降臨された!」

「どけどけ、これから吾主様の世直しが始まるのじゃあ」

 狂乱する二十名ばかりの人々は、まるで先払いをするかのように虫を守りながら踊っている。

「このまま進めば、彼らまで虫の討伐に集められた鉄砲隊の犠牲になってしまう」

 左内が刀を構える。

 しかし。

「お侍さん、あんた吾主様を斬るつもりかね」

 紙垂を巻いた男たちが、たちまち左内を取り囲む。

「ご神体を斬るつもりなら、まずわしらから斬っていきなされ」

「わしらの屍を越えていきなされ」

 詰め寄る男たちに、刀を下げる左内。

「ど、どうしてあのような面妖な虫が御神体などと思えるのだ?」

「見てごらんなさいお侍様、あの神々しいまでの白い肌。白蛇様のような艶めかしい動き、これは汚職にまみれたこの世を洗い清めんと現れ出でた吾主様に間違いはございません」

 男の目は何かに憑かれたように恍惚としている。

 さすが灘奴、虫と姿を変えてもその魅力は衰えていな……。

「そうか??」

 左内はちらりと不気味な吸盤の付いた紡錘形の頭に視線をやる。

 頭の上に輪状に生えるふさふさとした毛は、まるで伴天連のよう。ここから何か宗教的なものを連想したのかもしれないが。

「やっぱり、不気味ではないかっ」

 左内は全身を走る悪寒に身をすくめた。

3/7 更新して少しだけ書き足しました。本日その10更新して「寸白」編は完結です。

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