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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
寸白(すばく)
63/110

その2

――寸白(すばく)が殿の体内に居るとして、虫下し無しにどう虫を駆除すればいいのだ。

――~~~~~~~~~~

――字が汚すぎて読めん、もっときれいに書け。

 左内は、まるで寸白のような右京の文字に閉口し、筆をおいて溜息を付いた。

 彼なりに努力をしているのか、かろうじて解読できるレベルになった字を左内は必死に解読する。

――虫と戦う。

――どうやって。

――小さくなって、殿の体内に入り直接虫を捕獲する。あの虫は頭を残すと、また増えてくる。それに人語を解すところをみると普通の虫ではないかもしれん。

――体内に入るなど、できるのか?

――私の家に行き、このように身体を小さく縮めればなんとかなるだろう。いろいろな器具もあるから、殿も我が館に連れて行った方がいい。

 体内に入るという未知の冒険に右京も乗り気の様だ。

 さっさと自分を連れて行けとばかりに、左内の袖をひっぱる。

 その時。

「まあ、すごい。殿の身体の中に入るのですか」

 半紙を覗き込んでいた奥方様が叫び声を上げた。

「小さくなって腹の虫と戦うのですねっ」

「奥方様、筆談した意味が……」

 右京と左内はがっくりと肩を落とした。




 ガラクタが積み上がる右京の家では、もうどこが寝室か、どこが台所かもわからない状態である。右京は左内の懐の中に入ったまま、まるで迷路のように改造された屋敷の中を、意気揚々と道案内していく。その後ろから、殿を乗せた籠が忠助忠太郎に担がれて付き従う。

 やがて廊下らしき場所に墨で×が書かれたところまで来ると、右京は自分をそこに乗せろと指図した。罰点の中央にそっと右京を下ろすと、左内は命じられるままに柱から飛び出ている赤い突起をおす。

「ああ、久しぶりの風景だ」

 瞬く間に大きくなると、通常の光景を懐かしそうに見回して右京は背伸びをした。

 洗って乾かしたばかりの着物からかすかに柿の匂いがする。

「こうしてはおられん、すぐ準備に取り掛かるぞ」

 右京は、かろうじて殿が横になれる空間を作り、薄汚い敷布団を引いた。

 煮しめたような薄茶色の染みが全体に散らばる布団を見て、左内が顔をしかめる。

「この布団、殿には失礼であろう」

「案ずることは無いぞ、左内。場末の岡場所に行くとこんな布団はざら。寝慣れてお……」

 左内の厳しい視線に気が付き、殿は慌てて口を閉じた。

「殿には、あらかじめこの薬で寝ていただきます。途中で痛みを感じることがあるかもしれませんから」

 右京は黄金色の薬を縁が欠けた湯呑に入れると殿に差し出した。殿は、自分の薄い腹部を撫でて、悔しそうにつぶやく。

「残念じゃのう、わしも自分の体内で自らの腹の虫と戦ってみたいものじゃ」

「落語の『頭山(あたまやま)』じゃないんですから……」

 忠太郎がぼそりと突っ込んだ。




 寝息を立てている殿の鼻から、長い管が垂れ下がっている。

 先ほど殿が鼾をかき始めてから、右京が柔らかい透明な管を何やらすべりがよくなるような軟膏を付けて鼻から送り込んで行ったのである。

 彼は、目を赤く光らせて旋律にもなっていないような鼻歌を唄いながら何やら長細くて柔らかい管を機械に接続している。

「これは?」

「胃の中に入っている管に空気を送り込んでいるところだ。胃や腸には通常空気はほとんど無い。もしこのまま入ってしまえば、身動きを取ることもできず胃にすりつぶされてしまうだろう」

「ぞ、臓腑の中はそのようなものなのか」

「ま、入ったことはないから、あくまで想像だがな」

「先ほど空気……と言ったが、このような大仰な機械では無くて水鉄砲みたいなもので空気を送ってやるだけではだめなのか」

 右京は、ふん、と鼻を鳴らすと左内の方に向いた。

「空気と一口に言ってもいろいろな種類の性質の気体が合わさっているのだ。実は吸う息と吐く息では空気の構成が違っている」

 こういうと、右京は大きく息を吸って、吐いて見せた。

「呼吸をすると人体に必要な気体が肺臓に取り込まれ、それ以外の気体が吐かれている訳だが、利用しない気体の中の一つに、石灰を溶かした水を白く濁らせる種類のものがある。その気体を今から人工的に作り出して殿の鼻を通して送り込む」

「その気体でなければだめなのか?」

「ああ、こちらの方が良いのだ」

 これ以上聞くな、とばかりつっけんどんに返事をすると、右京は計器の調節を始めた。




 この時代からはるか後世、20世紀に入り、消化管の中に入れた内視鏡や腹腔鏡下の手術が行われ始める。先人の試行錯誤の末、吸収が早く体内にとりこまれても吐く息として体の中から排出される二酸化炭素は、発火のリスクも少ないこともあり、こういった手技の際には頻繁に使われるようになった。

 空気や気体という概念さえも、一般には周知されていない江戸時代。面倒くさがり屋の右京は、途中で左内に説明をやめてしまったのだが、発火しやすい酸素や、血管内で塞栓を作り、閉塞させてしまうリスクのある窒素と違い、この気体を使う利点は大きいのである。




「さ、お前達、そろそろ子離れの時期だろう。そうそう、若造にも初仕事をしてもらおう」

 次に右京が取り出してきたのは、彼が作り出した例の細長い虫、ドリアンコウである。

 右京の細長い指が薬瓶から、ドリアンコウを摘まみだす。やる気無さそうに、指の先からどんよりと垂れ下がっていたドリアンコウだが、左内の姿を見つけるとうれしそうに身体を動かし始めた。

「目には目を、虫には虫を。と、いう訳ではないのだがな。ほら、お前のだ」

 差し出された透明な虫を左内はそっと額にくっつけた。

「むろんのこと、体内の食べ物が通る道は光などない暗黒の空間だ。こいつらに光りであたりを照らしてもらおう。身体の外との会話もこいつを使えば大丈夫だ」

 右京は大きい一匹を額にくっつけると、瓶に残っていた短くて細いドリアンコウを忠助に渡した。

「こいつらの子供だ。お前はそれを額に付けて、私達の指示に従ってくれ」

「は、はいっ」

「お前達、私の部屋の説明をしておくから必要な薬などがあれば、この胃の管を通して入れてくれ」

 緊張して身体をこわばらせる実直な忠助と興味津々で目を光らせる尾根角(おねずみ)兄弟二人を引き連れて右京は、隣の部屋に並ぶ棚の説明を始めた。

「なんか、小腹が空いたんですが、食いものか何かありますか」

「忠太郎、この棚に並べてあるのは、私の大切な劇薬達だ。飲みでもしたら、お前の無事は保証できないぞ」

 自分以上に何をやらかすかわからない忠太郎の発言に、右京は眉をひそめた。

 ひとしきり説明が済むと。右京は取り出した丸いギヤマンの被り物と、ほぼ人型に近い銀色の光沢のある服を取り出してきた。

「いつか、天の彼方の星々に命がけの探索に飛び出す時に使おうかと思っていたのだが、ここで登場となるとはな」

 手渡された左内が、身に着けてみると果たしてぴったりである。

「まるであつらえたかのような着心地だが……」

 首を傾げていたが、はたと顔を上げて右京を睨みつける左内。

「もしや、その星々の探検とやら、私を実験台にしようと思っていたのか」

「人聞きの悪い、初めて星の表面に立つ人間にしてやろうと思っていただけだ」

 否定はせずに、にんまりと笑う右京。

 今は殿の一大事。ここでこの発明家の機嫌を損ねるわけにはいかない。

 左内はごくりと唾とののしり文句を飲み込んだ。

「今から、小さくなって殿の鼻から殿の管腔に侵入する」

「鼻からか?」

「ああ、歯に噛まれてはたまらんからな。それに鼻から通じたこの管が胃までの足掛かりになるし、口から入るよりも舌の付け根に対する刺激が無いため吐き気をおこしにくい。嘔吐が一旦起こると、管腔の中も大荒れでとても探索できる状態ではなくなるからな」

 右京は左内の肩をぽん、と叩く。

「ま、君の人間離れした身体能力を大いに期待している」

「って、ことは先ず私から入れって事だな」

 左内の言葉に返答はせず、右京は尾根角兄弟に縮小拡大装置の説明をするためそそくさと廊下に出て行った。

「空気」の語源は諸説あるようです。調べていくと前野良沢が管蠡秘言かんれいひげんで「空気」と使った例があるようで、ちょうどこの話と時代が同じなのでびっくり。まるっきり江戸時代の言葉をそのまま書く訳では無し、江戸時代の言葉を今風に翻訳、といったスタンスでいつもはそんなに厳密に言葉の使われ始めた時代にこだわっていないのですが、もっと最近だと思っていた「空気」という言葉が江戸時代からあったことにちょっと感動しました。

 ちなみに酸素、水素、窒素は江戸時代後期の科学者(蘭学者)宇田川うだがわ 榕菴ようあんの造語らしいです。こ、こいつらも江戸時代かっ!

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