その1
今回は寸白編です。鳥野式マクロの決死圏。
体内に住む白くてなが~い生物が苦手な方にはお勧めしません。
藩邸にある数本の柿の落ち葉が庭を紅く染めている。大きな幹から四方に伸びる枝は寒そうにむき出しになっており、そこには落ち葉と同じくらい赤い実がたわわになって早く取ってくれと言わんばかりに垂れ下がっている。
慢性的な財政難のおかげで食生活が貧相なここ美下藩士達にとってはこの時期この柿を収穫して腹いっぱい食べるのが、待ちに待った年に一度の楽しみだった。
「奴が見当たらないんだが……」
藩士達総出で歓声をあげながら柿の実を収穫する姿を見ながら、左内は首を傾げる。
「昨年は一番に来て、サルカニ合戦の猿のように意地汚く柿にかぶりついていたのに」
「どうされましたが、御家老様」
柿の汁で頬を赤く染めた尾根角兄弟が、両腕に山盛りの柿をかかえた欲深い姿で近寄ってきた。
「右京が、見当たらないんだ」
「ああ、そういえば最近お姿を見ませんね」
「また、何か奇天烈なものを発明して天の彼方でも行かれてしまったのではないでしょうか」
忠助と忠太郎はそう言いながらも柿にしゃぶりつく。
「それならばいいのだが」
左内は軽いため息をつく。
「実は、先日喧嘩をしてしまったんだ……」
忠太郎が御ひとつどうぞとばかりに差し出す一番熟れた柿を受け取りながら、左内はぽつりとつぶやいた。
「あんまり菓子代の無心にくるものだから、お前も発明家ならなんとか自力で菓子を腹いっぱい食べられるようにしてみろと叱ったんだ」
柿の葉が落ちる頃になると年末も近い。年越し前に商人たちが取りに来る掛け売りの清算や正月の志度を考えイライラしていた左内はいつになく棘のある口調で右京を罵ってしまったのだ。
右京が消えたのはそれからしばらくしてからだった。
なんだかんだと数日に一度は顔を出す癖に、すでにもう10日。
発明屋敷と異名をとるあの妙なガラクタが山積みの右京の家にも行ってみたが姿が見えない。
「何か物騒な事件にでも巻き込まれたのでは」
心配そうに忠助が左内の顔を覗き込む。
「いや、しばらく留守にするという書き込みがあったから、奴は自分の意志でどこかにいったと思うのだが」
「ならば、安心です。またドリアンに収穫でも行かれたのでは」
「それは僥倖、柿の次はドリアン。至福の果物三昧が続きますな」
手を打って、忠太郎が妄想に目をとろんとさせる。
「止めてくれ、あの臭いはもうたくさんだ」
山盛りのドリアンに悩まされた忌まわしい記憶が蘇えり、左内は顔をしかめる。
その時、彼は耳元から何やらぴちゃぴちゃと妙な音がするのに気が付いた。妙な音は手に持った柿から聞こえている。
目の前の忠助、忠太郎も左内の手に持った柿を無言で凝視している。
左内はおそるおそる柿に視線落とした。
まじまじと柿を見つめた左内の目が一点に寄る。
そこには一寸(約3cm)の約半分くらいの虫がもぞもぞと動いていた。
いや、よく見るとそれは人型で、半ば身を埋めるような姿で狂ったように柿を貪っている。
その妙な生き物は三人の視線に気が付いたのか、やあとばかりに手を上げた。
「右京――っっ」
左内の叫びが藩邸に響き渡った。
「だってお前が金をくれないから仕方ないだろう」
熟れた柿から顔だけ出した右京は柿色に染まった顔でにんまりと微笑んだ。
「食い物が一定量しかないのであれば、縮んでしまえと思ってな」
左内は目の前に柿を持ち上げ、まじまじと右京を見つめる。
「自らを縮ませるくらいの能力があれば、それをもっと別な方向に使って食料を得ようとか考えないのか?」
「金儲けは興味ないのでね」
さすがに食べ飽きたのか、右京は柿の中でもぞもぞと動く。しかし、熟した柿に埋まった身体は上手く外に出ることができない。見かねた左内は右京の襟首をそっと掴んで柿から引きずり出した。
「ま、食い物には不自由しないのだがご覧のとおり行動がしづらくてな。役宅から、ここまで歩いて7日もかかってしまった」
「元には戻れないのか」
「いや、戻れるのだが、機械の動力を起動させる場所に手が届かなくてな」
「お前……、最初にそのくらい考えておけよ」
よく見ると果汁でドロドロの着物は、擦り切れてぼろぼろである。
この大きさでよくもまあ、無事に藩邸にたどり着けたものである。神仏も己の食欲にしか頭が回らないこの男を哀れと思って、加護したのかもしれない。
「私の家に連れて行ってくれ、そうすれば元に戻れる」
さすがに懲りたのか、右京はせっかく手に入れた小さい身体を早々に元に戻す気らしい。
「わかった。連れて行ってやろう。その前にちょっと相談事があるのだ」
左内は、柿を囲んでお祭り騒ぎの藩士達の姿を眺めた。
ここにもう一人居ない人物がいる。
派手なお祭り騒ぎが大好きで、右京と同じ後先考えないあの方……。
「殿が妙なのだ」
「そりゃ、いつもの事だろう」
右京が間髪入れずに答える。左内の居室で椀に入れた白湯で風呂を使って、適当な手ぬぐいにくるまったその姿はまるで常世の虫の様だ。もう胃に隙間ができたのか、今度は栗饅頭を食べながら、うまそうに茶さじに入れられた渋い茶をすすっている。
「いや、素行というより御加減が悪いようなのだ。顔は青白くなるし、悪さをしに外出もされなくなった。あの健啖な方が腹痛があるとかでめっきり食が細くなっているし。奥方様も、殿の素行がおとなしいのでもう先が長くは無いのではないかと心配されているのだ」
「病に関しては興味が無くてな。悪いがそんなことは医者に相談し……」
不穏な沈黙にふと、右京が顔を上げると口をへの字に曲げた左内が部屋の隅でどす黒い気を漂わせながら睨んでいる。この大きさでは分が悪すぎる。右京は慌てて咳払いをして、栗饅頭から顔を離した。
「そ、そういえば、私は確か藩医、であったな」
「少なからぬ俸禄を頂いておきながら、忘れるな」
左内は右京の襟首を捕まえて、自らの手の上に乗せた。
そのまま、有無を言わさず殿の居室に連行する。
柿もぎに興じている忠助、忠太郎の代わりに、青い顔をした殿の傍らには奥方が座っていた。
「おお、よく来てくれました。左内。……と、その芋虫は?」
「右京でございます」
左内は奥方様の目の前に、手ぬぐいにくるまった藩医を摘まみ上げる。
「お気を付けなさい右京、おけいが餌と間違えてついばむかもしれませんよ」
そう言いながら、傍らに鎮座する鶏のおけいに笑いかける奥方。
しかし、常日頃から右京の左内に対する傍若無人な振る舞いが頭に来ていた鶏のおけいは、真面目に働かないと冗談じゃなくいつでも食ってやるわよ、とばかりに不穏な光を湛えた目で右京を睨みつけた。
「殿、御体調はいかがで」左内が殿に話しかける。
「おお、今朝も腹具合が悪くなって恒例の柿もぎにも顔を出せなかった」
床に臥せっている殿が力無く呟く。先月より明らかに頬がこけている。
「これは、ただ事ではございませんぞ」
右京が脅すように殿を上目使いで見つめた。
「殿、なにかこうなるきっかけと言うか、思い当るところは無かったのですか」
「ううむ……」
「お教えいただけなければ、治せるものも治せませんよ」
右京の言葉に、殿と奥方が顔を見合わせる。
「実はな、精を付けようとイノシシの生肉を食ったのだ」
「子宝に恵まれると言われたもので……。私はさすがに口にするのは無理でしたが」
二人は観念したのか、ぼつぼつと語り始めた。
そろそろ世継ぎをと一念発起した殿が、精をつけるために吉原の幇間に勧められたイノシシの刺身を獣肉を扱うももんじ屋から取り寄せて食べてみたところ、誠に美味であった。その後、数度にわたってイノシシの生肉を口にしたが、そのひと月ふた月後からこのような症状が出て来たらしい。
「殿のお歳から考えて、悪い腫瘍ができたとは思いにくい。多分、寸白でしょう」
「すばく? それは?」
「腸に住む、長くて腰ひもを縦に半分に折ったような虫です。あまり宿主に悪さをしないと言われているのですが、殿とは相性が悪い様だ。まあ、虫下しですぐに……」
右京の言葉が終わらぬうちに、殿が悶絶して七転八倒し始めた。
「いたいっ、いたいっ、こんな痛み初めてだ。何かが腹に刺さった~~」
右京は首を傾げた。
「寸白に歯は無いので、かみつくことはないのだが」
右京が首を傾げて考え込んでいるうちに、殿の腹痛は収まった。
「妙だなあ、まあ、さっさと強い下剤を服用すれば」
その言葉が終わらぬうちに、再び殿が脂汗を流して苦しがり始めた。
「止めた、止めた。下剤は止めだ」
右京が叫ぶと同時に、殿の身体から力が抜ける。
「やっぱり下剤を」
「ひいいいいいっ」
殿が青い顔で畳の上を転げまわる。
「やめたっ」
ピタッ。
「げ……」
「ひいいいいっ」
「バカめ、引っかかったな。下駄と言おうとしたのだ、下駄と」
殿はぐったりと床の上に伸びる。
「遊ぶんじゃないわよ、このうつけものっ。食うよっ」
おけいが、右京の胴体をくちばしでつまみ、数度空中で振り回した。
右京が絶叫している間、左内は首をかしげる。
「声が聞こえているのか? まるで何か意志を持つ者が腹部の中に居るかのようだ」
おけいから解放された右京が畳の上にへたり込みながら返事をする。
「虫か何かが殿の腹部を乗っ取った。下手にこちらが動けば、殿の命はないということだろう」
なおもしゃべり続ける右京を制して、左内がいつの間にか手にした半紙を掲げて見せた。
――――続きは筆談で。