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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
ドリアン騒動
6/110

その6

「忠太郎はどうした、左内」

 はっきり覚醒したことを確認したあと、恐る恐る右京が近寄ってくる。

「どうやら、忠太郎が最後の一つを持っているらしい。あいつがドリアンの種を懐に入れるのをおけいが見ていたらしいんだ」

「何、本当かっ」

 左内の顔が輝く。

「忠太郎は私の遣いをしてもらったのだが、帰りが遅いので忠助に探しに行かせたところなのだ」

 そこにバタバタと駆け込んできた忠助。

「泉屋を無理やり起こして尋ねましたが、紙ばさみを渡した後、すぐに忠太郎は帰ったらしいのです」

「金は受け取ってないのか」

「はあ、代金はまだそろわないとのことで当座の10両だけ前金として受け取ったらしいですが」

 忠太郎はちゃっかりはしているが、金を着服して出奔するような奴ではない。

「どこかで強盗にでも襲われてなければいいのだが……」

「金っ! 私の実験資金を持っているのか?」

 急に右京が色めき立つ。

「ああ、お前の事だ、前金とか言い出さないかと思って金の工面もあらかじめしておいたのだ。これは奴の身になにかあったとしか考えられないな」

 居ない、とは思っていたのだが火事騒ぎなどでついつい対処が遅れてしまった。

 今回の件はなにかと後手後手に回っている、と左内は自分の至らなさに唇を噛みしめる。

「忠太郎がいないのかい」

 おけいが物陰から顔を出すと、首を振り振り歩いてきた。愛弟子の失踪に動揺を隠せない様子だ。

「こうなればあの娘達に頼むしかないね。確か、千駄木にいるはずだよ」

「え、アイツらか……」

 右京が顔をしかめる。

 少々の事には動じないこの変人がこれだけ渋い顔をするのを見て、左内の顔に不安の影が走る。

「あんたの脳改造からこっち、なぜかあの娘たちとは離れていても頭の中だけで話せるようになったんだよ」

「ああ、脳を同期させているからな。これは我ながら画期的な発想だった。この世を構成する極小の物質は面白い性質を持っており、因果関係を付けた片方にある作用を加えると、離れたところにあってももう片方が変化するのだ。いわば状態を転送……」

 そこから滔々と右京の自慢が始まるのだが、話し続ける彼は放置しておけい、左内、忠助は忠太郎の探索に取り掛かった。




 さて、話は戻ってこちらは神田明神近くの小さな料亭に入った忠太郎と謎の武士。数年前にできた枡屋のような立派な料亭ではないが、最近流行りだした、料理を出す小ぶりの店であった。

「本当に、いいんですか」

 きょろきょろとあたりを見回す忠太郎。変えたばかりなのか、青い畳の清々しい臭いが鼻腔に広がる。擦り切れた藩邸の畳を見慣れている忠太郎は、自分の足袋の方が汚れているのに気が付いて、おっかなびっくり歩を進める。

 仲居の案内で通された6畳ほどの部屋には、簡素ながら床の間もしつらえてあって、水盤には洒落た花など飾ってあった。

 忠太郎がいまだかつて経験したこともない個室での接待である。この時代、茶屋から発達した簡単な料理を出す飲食店はあったが、まだ本格的な料亭の数は少なく、さらにそのほとんが飲食は相部屋であった。

 日々の寒い懐事情では決して入れないであろう、憧れの料亭での食事。

「兄上、御馳走になります」

 忠太郎は心の中でぺろりと舌を出す。生真面目が服を着ているような兄では例えこんな機会があったとしても固辞しているに違いない。それに、泥餡(どろあん)のこと、自分だけ埒外(らちがい)にしていたくせに、知らずに食べた後あんなに怒って締め上げるなんてひどすぎる。どうせ捨てる幸運なら、自分がさっきのお返しにもらっておいてもいいだろう。彼はなんとか正当化する理屈をつけるとうんうん、と一人で頷いた。

 そこそこ繁盛しているのだろうか、階下から活気のある仲居達の声が聞こえてきた。

 その男は座敷に座るとゆっくりと山岡頭巾を取った。太い眉に、ぎょろりとした大きな目と太い唇を持つ迫力のある顔立ちである。

 この顔から推測すると、娘の小夜は期待薄かもしれん、と忠太郎の下心はしぼんでいく。

「さ、何を注文されますか。ご遠慮なさらずに」

「え……」

 正直、田舎育ちの忠太郎にはここで何が食べられるのか想像もつかない。料亭とは漠然と何か美味しいものが食べられるところ、という程度の認識しかなかった。

 武士はこの店を使い慣れているのであろうか、お品書きも広げようとせずに数品を頼んで、そっと仲居に目配せする。

 豪快な顔には似合わずその一つ一つの動作が洗練されていて、忠太郎はうっとりと見とれてしまった。

「さ、さ、どうぞ」

 すぐに運ばれてきた酒を男が勧める。

「あ、は、はい……」

 正直、藩邸では元服前の者の飲酒は禁じられている。若衆髷を結い前髪を垂らしている子供にふつう酒は勧めないが、今回は御礼ということで大人扱いしてくれているのかもしれない。第一断るのは無礼だ、と忠太郎は注がれた酒をぐいと飲みこむ。

 その酒はヒンヤリと口にすんなりとなじむと、ころころと鈴が音を奏でるように胃の腑に滑り落ちていく。喉元に広がる余韻に浸りながら、忠太郎は大人の仲間入りをした気分で鼻から逃げていく酒の残り香を楽しんだ。

「お、貴殿いける口ですな」

 御返杯しようと、銚子を持った忠太郎の銚子を取り上げて武士はさらに酒を注ぐ。

「今日は、私があなた様を接待させていただくのですから」

 そう言えば、朝泥餡を食べてしまってからまともなものは何一つ口にしていなかった、と忠太郎は思い出した。久しぶりの来訪者が酒だなんて、さぞかし胃の腑も驚いていることだろう。いい気分で二杯目を平らげると忠太郎は目を細めた。

 しばらくして酒の肴と思しき皿が何枚か銘々の膳の上の上に載ったものが運ばれてきた。焼き鳥と卵焼き、それに刺身が盛られた皿が一枚。

 侍はゆっくりと杯を口に運びながら、じっと忠太郎を見つめている。当の忠太郎はそんなことに気が付かないくらい有頂天になって杯を抱えている。

 今日はいろいろなことがあった。泥餡に続いて、右京様のところで変な縦穴に落ち込んでしまうし……それにそれに、めったにというか、前代未聞の見ものをしてしまった。

 くすりと思い出し笑いする忠太郎。

 頬を赤らめながらいつの間にか手酌で酒を注ぐ若衆を見ながら、武士はふと思い出したように口を開いた。

「そう言えば神田のお屋敷のあたりは何やら騒がしいようであったが、何かおありになったのか」

「ええ、南蛮から取り寄せた、っていうか採ってきた泥餡(どろあん)っていう果物を私が手違いで食してしまって、それが献上品だったんで大騒ぎなんです」

 真っ赤な顔正座もすでに崩れている。

「ほう、初耳ですな。泥餡?」

「ええ、泥餡」

 膳の上ににゅっと突き出された武士の顔に突き合わせるように、忠太郎の首も伸びて大きく頷いた。




 どれくらいたったであろうか

「お武家様、そろそろ起きてくださいませ」

 目をあけると、見慣れない天井が目に入ってきた。心配そうに覗き込むこの料理屋の主と思しき初老の顔が忠太郎の視界にいっぱいに広がる。

 酒を飲んでいたのは覚えているが、そこからの記憶が無い。

 何やら半鐘ががなり立てていて、侍が立ち上がったのを覚えているが……。

「何度か起こさせていただいたのですが、なかなかお目覚めにならなくて」

 忠太郎があたりを見回すと膳の上には銚子と空の皿が転がっていた。一緒にいたはずの男の姿はすでにそこには居ない。あたりは暗く、彼はとんでもない時間をここで過ごしていたことに気が付いた。

 彼は挨拶もそこそこに料亭を出た。とくに呼び止められなかったところを見ると勘定は済ませてあったに違いない。懐に入った金も無事であることを確かめると、あの男は物取りでは無かったようだと忠太郎はほっと胸をなでおろした。

 この騒動の最中にどこにいっていたのだと叱り飛ばされるに違いない。気鬱になりながらとぼとぼと藩邸に向かって歩き出す忠太郎。

 人っ子一人いない夜更けの道だが、袢纏を着た町火消らしい二人組が手を擦り合わせてこちらに向かって来る。

「今度は火事かよ」

「ったく、あの屋敷はいつも変だぜ。なんか物の怪でも住んでんじゃねえのか」

 忠太郎には目もくれずに、足早に行き過ぎる二人の会話を聞いて、思わず忠太郎は立ち止った。

 物の怪、変な屋敷とくれば、この界隈では我が美行藩邸以外に考えられない。そういえば、夢の中で半鐘を聴いた……。さすがの楽天家の背筋にもひんやりとした汗が流れる。

 こうしてはいられない。

 我に返って、忠太郎はふらふらと走り出す。

 すべての元凶は自分だったことを今更ながらに思い出して、彼の頭は後悔の念でいっぱいになった。

 その時。

「おい、小僧。美行藩の者だな」

 振り向いた忠太郎の口を大きな手が塞ぐ。

 気配を消して近づいていた黒ずくめの男たちに引きずられ、彼は籠の中に放り込まれる。

 チャリーン。

 夜も更けて、静かな道にかすかに高い音が響いたが、それには気が付かずに籠は少年を詰め込んで、闇の中に消えて行った。

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