その2
「本当に朝顔なのだろうか」
左内は首を傾げる。朝顔の種にしては、つるつるとしており光沢が強い。
「気になるなら試してみればいい」
右京はひょいと種を取り上げる。
「ドリアンを育てた時に使った、時間を進めるからくりをまだ解体していない。あれでこの種を育ててみればいいのだ」
「そうか」
「頭を使え、頭を」
右京は唯我独尊の金食い虫でどうしようも無い奴だが、居てくれるとやはり役に立つ。
左内は、腐れ縁の幼馴染のすました顔をちらりと見上げた。
いつ来ても右京の実験室は瓦礫の山、といっていいほどの散らかり様だ。
「少しは片づける……、とかしないのか。この状態だと探し物も見つからないだろう」
けがをしないように、突き出ている金属や散乱する鉱物をさけて床をそろそろと歩きながら、左内が苦言を呈する。
「馬鹿な、失せ物は出てこないが、そのかわりこの混沌の中から人知を超えた発想が浮き上がるのだ。言ってみればこの場所は我が脳の一部と言っても過言ではない」
そう言いながら、右京は土砂崩れを起こしたガラクタを後ろに放り投げて空間を作っていく。ようやく結界を作る場所の確保ができると、彼は当たり前のように、左内を使役して機器を設置した。
「左内、種をここに撒け」
藩邸から持って来た植木鉢に入った土に、言われるがまま左内は指で軽く穴を開けると件の種を落とし、そっと土をかける。
「覚えているだろう、動力を発生させるためにそこの回転増幅機の中で走ってくれ」
左内は言われたとおりに水車の外枠だけを持って来たようなからくりの中に入ると、勢いよく駆け出した。
結界が光り始めてすぐ、植木鉢の中の土がぴょこりと盛り上がる。
盛り上がったところから種を被った芽が出て、すぐに背伸びをするかのように双葉を広げ始めた。
「やはり、朝顔か」
典型的な姿に、走りながら左内がうなずく。
しかし、その視線が双葉の下に隠れている軸にたどり着くと、左内は眉をひそめた。
軸の根元は花の色を反映していることが多い。園芸が好きな左内は幾度か朝顔を種から育てており、花の色が違うとこの根元の色も違ってくる事を経験で知っている。
その茎の根元は、今まで左内が見たことも無い光沢のある黒い色をしていた。
本葉を出し、蔓を出し始めた朝顔は、鉢に立ててある棒に巻き付く。
左巻きの螺旋を描いて棒を登っていく朝顔の蔓から、つぼみが現れた。
固くひき絞られたつぼみは、まるで女性が着物の帯を解くかのように緩み、じらすように徐々に開いていく。
「これは珍しい」
左内が思わずため息を漏らす。
開ききったその花は、覆輪と呼ばれる花弁の外周が金色に輝く見事な真紅の大輪朝顔であった。
特筆すべきは、曜と呼ばれる花の中に縦に走る5本の太い帯が光沢のある漆黒であったことである。
「このような黒い曜が入った朝顔は見たことが無い」
左内は魅入られたようにうっとりと花をながめる。
彼はしばらく前から、結界の中の時間の進みを遅くするために、右京の指示で走りを止めていた。
が、朝顔は開いたかと思うと見る見るうちに枯れていくではないか。
「なんと、美人薄命とは言うが、花の世界でも同じなのか」
左内は残念そうに溜息を付いた。
「なにはともあれ、めずらしい朝顔だ」
右京は花の美しさなどどうでもいいらしい、しぼんで縮れてしまった花弁を摘まむとしげしげと眺めまわした。
左内は藩邸に戻ると、今回の一件を殿に報告するべく藩主の部屋に直行した。
さすが、情報に敏い花柳界の人々と親密な親交をしているだけある。早耳の殿は、すでにこの事件の概要を知っていた。
「屋敷が押し潰された様だったらしいな」
「は、残念ながら屋敷の中には入れませんでしたが、しかし不思議なことにその時周りに住んでいるものが聞いたのは、瓦の砕けるような音と、柱が折れるような鈍い音。そして、何かが吠えるような低い声だけだったようです」
「音を出さないように何かに包まれてぐしゃりと潰されたのではないか」
殿は、自分の手の中で丸めた半紙を潰して見せる。たしかに手で覆った分、音が外に漏れない。
「ま、人間業ではないことは確かだな」
この二人は近くに右京が居るため、人知を超えた出来事にさほど抵抗を覚えない。
「屋敷が潰された時に、偶然見ていた男がおりまして、なんでも屋根の上に月光に照らされた大きな円形の輪郭が浮き出ていたとのことでした」
左内が見る限り、隣の家に奉公していると言ったあの男のいう事に嘘は無いように思う。後で近所の者に男の事を聞いたところ素性を偽っている様子は無く、その話にも辻束が合わないところは無かった。
「それで何か、痕跡はあったのか?」
「群集に混じって外から見る限りにはありませんでしたが、早朝、潰された屋敷の前の道にこれが落ちていたようです」
左内が白い薬包紙を開くと、中から例の黒い種が現れた。種の一部が削り取られたかのように、茶色くなっている。
「これは……」
「朝顔の種です、先ほど例の時間を進ませる装置で育てて見ましたら美しい大輪の朝顔が咲きました。しかし、この朝顔とても珍しい……、というか私は見たことも聞いたことも無い、内側に5本の黒い筋がある逸品でして」
「この事件に関係ない誰かの落し物ではないのか?」
「先ほど話に出た男が、前日の夕方その屋敷の前の道を通ったところこのようなものは無く、早朝に道に散らばっていた、との事でした」
もちろん、無関係かもしれないが、関係が無いとも言い切れない。
「もしかして、屋根の上で咆哮を上げていた、というその楕円は開花した朝顔か……」
天晴公は左内に渡された種をしげしげと見てつぶやいた。
「しかし、そんなお化け朝顔が存在するのでしょうか」
「不可能、ではないだろうな」
我が藩の右京、そして田沼側の平賀源内であれば。
左内はじっ、とその種を見つめる。
「実はな、左内」
藩主は声を潜めて左内に小さく折りたたんだ文を見せた。
「家治様から、この一件を調べるように先ほど文を頂いたのだ。将軍も意次の関与を疑っているらしい」
将軍は殿と年が近いと言うせいもあろうが、美行藩がドリアンと鷹を献上して以来、殿を傍に召していろいろ相談をされるようになっている。かなり親密にお話しをされる様子だが、江戸城内では将軍と臣下が二人になる機会はほとんどない。そのため、時々将軍から鷹を使いにしてこのような私信が殿に送られて来ていた。
「田沼意次の事を重用されて政策を任せきりにされていると諸所から不満が出ている家治様だが、なかなかどうしてあの将軍はやり手だ。わしに意次を牽制させようとしている」
殿は傍らの脇息に肘をつき、不満げに口を尖らせる。
指図を受けることが嫌いな殿だが、さすがに将軍からのお達しとあれば腰を上げねばなるまい。しかし、左内が不思議に思うのは、口を尖らせながらも殿はまんざら嫌そうではない事である。
左内の表情から疑問を読み取ったのか、殿は肩をすくめる。
「悔しいことに将軍はあの穏やかな笑顔で、褒め上手と来ている。さすが賢君と名高い吉宗公の薫陶を受けただけあるわい。この私でさえ頼まれると嫌とはいえないのだ」
この誰の言うことも聞かない唯我独尊の殿を丸め込み、使いこなしている家治公の魅力とはいかなるものなのだろうか。左内は首を傾げる。もしかすると、意次ですら、将軍に操られている可能性もあるのだろうか。
「おそらく田沼の奴がせっせと政策を立案し実行に移しているのも、将軍の巧みな話術に乗せられているのであろう。しかし、元来育ちの良いわしと違って、意次は雑草のようにしぶとく今の地位を得た男だ。その政策には括目するものもあるが、このまま増長させて野放しにしておくとついには家治公ですら奴を御することができなくなる日が来るかもしれん。能吏であればあるほど使い方を間違えれば、天下に深刻な禍をもたらすからな」
左内の疑問に答えるように天晴公が答える。
「ま、そこでわしの登場という訳だ」
殿は得意げに鼻を天井に向け、にやりとほくそ笑んだ。
「左内、この事件の真相を突き止め内々に処理するのだ。いいか、将軍は事を荒立てるのを望んではおられない」
家治様はどれだけの魅力を持つ男、なのか。左内はここまで天晴公をやる気にさせている家治という将軍をなんだか空恐ろしく感じていた。
「ところで、これからどう調査していく左内?」
「私に思う所があります。朝顔の作り手のところを片端から当たってみようと思います」
ふうん、と殿はちらりと左内を見る。
「お前は花好きだから、この探索は苦になるまいが……。ひとつ言っておく、きれいな花に魅入られて魂まで奪われぬようにせよ」
ははっ、と左内が頭を下げる。
自分の事を棚に上げしかめっつらしく訓示を垂れた殿は、一つ大きな咳ばらいをした。