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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
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その21

「殿、聞かれているのではそのようなことではありませぬ」

 遠く離れた美行(みくだり)藩江戸藩邸から、ぼそりと奥方が突っ込みを入れる。

 右京の額に潜っているドリアンコウを経由して、殿の状況は逐一すべて奥方の脳に送られてきていた。

「と、殿は?」おけいが心配そうに奥方を覗き込む。

「相変わらずの御戯れじゃ」

 奥方は困ったように首を傾げる。

 (つぶ)られた眼の奥では、殿が世界中の女を語らんとばかり、周りの迷惑を顧みずしゃべり続けている。




「も、もう良い、天晴(あまはら)殿」

 閉口したのか、田沼意次は整った顔をゆがめて口を挟んだ。

「これはしたり、今からが佳境、世界の中でも(ほり)が深く極めて美しい天竺の女性達について語らせていただこうかと思っていたのに……」

 殿は残念とばかり肩をすくめる。

「貴公、自らが置かれている状況をお分かりか?」

 殿と右京の背後で咳払いが聞こえる。咳の出所は、小さい目をきょろきょろとせわしなく動かしている細面の男、平賀源内だった。

「我々はこの日の本を諸外国に負けぬ強い国にしたいのだ。そのためには今後少々強引な手段で、幕閣をまとめて行かねばならない。という訳で、あなた方をお味方にしたいのだ。むろん天才は私一人でも充分なのだが、毛色の違った異能者右京殿が加わってもらえればなおさら心強い」

 源内の目が、二人を交互にじっと見つめる。

「仲良くしたいならなぜもっと友好的な手段を使わん。わしをおとし入れ、右京と左内を無理やりおびき寄せるなど、やり方が汚すぎるとは思わんか」

 女性談義とは一転、天晴公は、地を這うような低い声になる。

「我が藩の事を調査したのだろう、右京には菓子、わしには女ですべて事足りるのに、なぜ危害を及ぼした?」

「そ、そうなのか……」呻くような意次の声。

「家治公のお気に入りであるわしがなびかない場合には穏便に亡き者とし、左内を使って右京を思い通りに操ろうと目論んだのであろう」

「ははは、貴公それは考え過ぎというもの」

 しかし、意次の目は笑っていなかった。

「お前はなにやらきな臭いことを考えているのであろうが、今回の事でわしは相当に頭に来ている。簡単にいくとは思うな」

「さきほど源内が言ったことが聞こえていなかったようだな」

 意次の薄い唇から、かまいたちが飛び出してきそうなくらいの冷気を帯びた声が響いた。

「お前達は今われわれに取り囲まれている、言うなれば四面楚歌の状態。そして貴公の大切な片杉左内殿はこちらの手の中にある」

「待て、わしが大切にしている訳ではない。だが、奴を連れて帰らないと我が藩の女どもが暴動を起こすから、仕方なく引き取りに来ているだけじゃ。わしという極めつけのいい男をないがしろにして、全く我が藩の女どもは見る目が無い」

 女性に人気があるという点で、左内に対してはどうも敵対心があるらしい。殿は、幼児のように口を尖らせる。

「殿、そろそろ真面目にお返事を聞かせてもらえまいか。もう一度聞く、我が方につくか、それとも……」

 ここで意次がかっと目を開き、殿を睨みつける。

「白刃の露と消えるか」

「馬鹿者、露と消えるなら、(むつみ)ごとの最中と決めて居るっつ」

 居直る殿。

 地下の部屋はしん、とした沈黙に包まれる。

「殿、それはいったいどういうお返事なのでしょう」

 仏壇の前で奥方がぽつりとつぶやいた。

「こ、こいつ、わしを愚弄するか……」

 意次が拳を震わせる。

「ええい、後の事はなんとか揉み消せる。この大うつけ者を切りすてろ」

 片手に持った扇子が一閃すると、殿と右京の周りを取り囲む人影が一斉に立ち上がった。

 その時。

「待てっ」

 叫び声とともに、激しく刀と刀の打ち合う音と床を蹴る足音が部屋に響いてきた。

 幾人かがそちらに向かい、殿を取り囲む敵の輪の一画が崩れる。

 しかし揉み合う声は大きくなり、周囲に敵をまとわりつけて団子のようになった左内が部屋に走り込んできた。

 さすがにいつもの軽快さはないが、それでも鋭い太刀筋は健在。これしかないという軌道を刀が走り、次々に敵を床に沈めていく。

「よくぞ御無事で。お助けに参りました、殿っ」

「それは、こっちの台詞じゃわい」

 殿は不機嫌そうに言う。しかし言葉とは裏腹に強張っていた顔の筋肉をゆるめ当然のように左内の後ろに身を隠した。

「なぜ、片杉左内がここにいるのだ。お麗はどうした、源三は何をやっている」

 源内が叫ぶ。

「お麗……だと」

 殿の耳がぴくりと動いた。

「田沼様、ひとまずお逃げください。片杉左内の戦闘力は、鬼神並です」

 源内が叫ぶ。

「天晴殿、冥途の主によろしくな。さらばじゃ」

 御簾の向こうにしつらえられた出口から田沼意次と、平賀源内が逃げ去っていく。出口は二人を吸い込むと、跡形も無く消え去った。

 左内は助けに来たはずの二人を背後にかばい、髷を振り乱して奮戦するが、敵は際限なく数を増やしていく。

「おい、右京。左内は限界だ。あとは、任せた」

 殿は右京の肩を叩く。

「殿、報酬をまだ聞いておりません」

 右京は首を振る。

「栗饅頭、三十個」

「まだまだ」

 右京は話にならないとばかり目を瞑る。

「栗饅頭、百個」

「いただきましたっ!」

 かっ、と開かれた右京の目が赤く血走り、眼が金色に輝き始めた。

「奥方様、それではよろしくお願いします」

 ドリアンコウを額に躍らせた右京がつぶやく。

「おい、他人任せかっ。それもわしの妻ではないか」

 殿の呻きには耳を貸さず、右京は奥方になにやら早口で話し始めた。




「おけい、来た、来たわ、私の出番が」

 仏間で口に両手をあてて、目を丸くする奥方様。

「あの、殿の睦事(むつみごと)の動く画を思い出せって……、きゃああっ」

 奥方様の目には、右京を通して眼前の修羅場が見えている。状況は、のんびりと卑猥な動画を楽しんでいたあの時とはまた別である。

「奥方様、なんとかして興奮して、奴らの戦闘能力を奪ってください」

 右京の声がドリアンコウを介して頭に響く。

「って、無理、だめよ、できないわ右京っ」

 左内の腕に敵の刃が一閃し、血しぶきがあがる光景を目の当たりにして、お嬢様育ちの奥方は思わず叫びを上げる。

「奥方様、落ち着いてください」

 右京の叫びももはや耳に届いているかどうか。

 蟻が最後のひとかけらの砂糖に群がるように、敵が三人を追い詰め始めた。

「おい、ニワトリ、そこにいるんだろう、ニワトリっ」

「よ、呼んでるわ、右京が」

 奥方様はドリアンコウをそっと額から外して、おけいの頭に付ける。

「なんだよ、馬鹿うきょ……」

 と、言いかけておけいもその光景に悶絶する。

 いとしい左内様が、絶体絶命ではないか。

「いいか、どうやってもいい、奥方様を異常に興奮させるのだ。わかったな」

 おけいは考えこむ。

 この状態で、異常に興奮しろと言っても、ねえ。

 女が情念を過剰に湧き立たせる状況って。

 愛される場面と、そして……。

 おけいは目を見開く。

「女は仮面をかぶるものよっ」

 彼女は足早に部屋の隅に行くと、羽で嘴を隠して何やらごしょごしょと右京に伝え始めた。




「そこまでだよ」

 澄み切った声とともに部屋に入ってきたのは、お麗だった。彼女が三人に近づくと、取り巻いていた敵の輪がさっと道を開ける。三人の目の前に立った彼女の手には何やら藁の束のようなものが握られている。

「おお、お麗、会いたかったぞっ」

 駆け寄ろうとした殿を左内と右京が寸でのところで抑える。

「ダメです、彼女の手に握られているのはおそらく阿芙蓉を改良した強い薬。火を付けるとあたりに薬がまき散らされます」

 右京の言葉に、左内がはっ、と息を飲む。

 自分が囚われていた部屋に倒れていた侍達。あれは、彼女の仕業か。

「ふふ、よくお解りだね。クレージー右京。あんた達三人、安らかに寝たまま冥途に送ってやるよ」

 源三の容態が悪いのであろうか、お麗の目には憎悪の炎が踊っている。

「お麗、会いたかったぞ。お前の闇もすべてひっくるめて愛することができるのはわし一人じゃ。わしの腕の中に飛び込んで来い」

「でも、あいつは多分左内の事が好きなんですよ」

 右京は殿の袖をひっぱって、耳元でささやく。

「なんだって――っ」

 逆上した殿が左内の胸倉を掴む。

「臣下の癖して、主君の女を盗むとはどういう了見だ」

「な、なんのことですか」左内は狼狽するばかり。

 おほほほほっ。

 お麗の高い声が部屋に響く。

 いつの間にやら左手にはちろちろと赤い炎を上げる火口が入った器が握られていた。

「はん、馬鹿におしでないよ。そんなうらなり侍、好きになるわけがないじゃないか」

「わ、私を愚弄するかっ」左内の顔が赤くなる。

「殿は……、いい男だったわよ」

「おおおおっ、わしもお前との夜は体がとろけるようだったぞ」

「でもね、身体の快感なんてどうでもいいの。私は……憎いんだから」

 お麗が手に持った藁に火を付ける。

「眠ったまま、あの世に行けるんだよ。感謝おし」

 左内が斬りかかろうとした瞬間、煙が彼の鼻先に届いた。

 刀をお麗に振り下ろそう、として寸前で力尽きる左内、そのまま彼は床に倒れ込んだ。

次回でこの章は終わりです。

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