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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
48/110

その15

「俺はちょっと、外す」

 あまりに凄惨な状況に堪えがたくなったらしい。お麗の後ろで左内を見張っていた侍が、額に汗の粒を浮かべながらかすれたような声で言った。

「お麗、楽しむのもほどほどにな。殺すのではないぞ」

「お任せくださいな」

 血しぶきの飛んだ頬でお麗は艶然と微笑んだ。

「では、お麗、源三、後は任せた」

 そそくさと立ち去る侍を二分相(にぶんそう)の源三とお麗は頭を下げて見送った。

「焦ることは無い。生かさず殺さず。こうやんわりと苦痛を与え続けると、人間はいう事を聞くようになるもんだよ」

 お麗は、ふと思い出したように源三を振り返る。

「源三、北の納戸から塩を持ってきてくれないかい。もう少し、傷口に塩水を垂らして痛がらしてやろうじゃないか」

 源三が部屋を離れる、軽い足音がした。

「広がった傷口に塩水はしみますよ。色白のお顔と言い、まるで因幡の白ウサギですね、左内様」

「殿を殺しかけたお前を私は一生許さないぞ」

 苦しい息の下、左内は顔を横に向けてお麗を睨みつける。

「おお怖い。いつまでその強気が持ちますか」

 ざくり。

 お麗の言葉とともに背中に何かが付きたてられたような激痛が走り、左内はたまらず絶叫した。

「おや」

 左内の顔を覗き込んだお麗が、小さく溜息をもらす。

「残念だねえ、ちょっと痛みが強すぎたようだ。気を失ってしまわれるとはね」

 毒天女はそっと左内の顔を窺う。

 もともと貧血に背中からの出血が加わり、左内の顔色は蒼白になっている。先ほどまで握り締められていた手はぐったりと力が抜け、静まり返った部屋に左内の荒い息だけが響いた。お麗は首を傾げると血だらけの背中に手を当てる。

「熱が出ているね」

 彼女は机の上に並んだ様々なギヤマンの瓶から一つを取り上げた。瓶の中で緑の液体が揺れる。

「どんなに恨んだことか、お前にあったことを」

 毒天女は何か遠くを見るような目で蓋を取った。




 芍薬の香り。

 伯母上の屋敷には毎年、何十本という芍薬の花が咲き乱れた。

 左内は夢うつつの中でその庭を散歩している。花びらの塊はふうわりと丸く膨らんでおり、それが風に揺れる様子は天女が手毬遊びをしているかのように美しい。

 不意に花の間から、少女が飛び出した。

 ()ぎの当たった赤い着物を着たおかっぱの少女。頬には泥はねが数か所くっ付いている。

 少女は何か物言いたげに左内の方をじっと見た。

「泥が……」

 拭いてやろうと左内が近づくと、少女ははにかむように小首を傾げて後ずさりする。

「まて、危害を加えようとしているのではない」

 左内が手を伸ばすと、少女はくるりと身を(ひるがえ)してまた花の間に走り去っていってしまった。

「顔に泥が付いている……」

 少女を追って林立する芍薬の中に分け入った彼は、少女に追いつくと肩に手をやった。

 びくりと身体を震わせて、おかっぱの少女が振り向く。

 その時、左内は不意に冷たい手で頬を掴まれるのを感じた。

 少女のものにしては長くて細い指が、強引に顎を引き寄せる。

 目の前で悪戯っぽく微笑んだ切れ長の目の少女。

 幼かった少女はいつの間にか、背が伸びて柳腰の美しい娘に変化していた。

「左内様、会いたかった」

 何が起こったのか理解できず、呆然とつったっている左内の顔に大人になった少女の紅色の唇が近づいてくる。

 まるで、磨き立てられた白磁のような冷たさ……。

 自分の唇に押しあてられた滑らかな唇の感触に左内はたじろぐ。

 思わず身を引こうとするが身体は金縛りにあったかのように動かず、女の手は彼の顎を離さない。

 細い舌が彼の唇を巧妙にこじ開け、なにか苦い液体が口の中に流し込まれた。

 咳き込むと同時に苦い液は喉の動きとともに胃の腑に落ち、それから彼の身体は突然重さを失ったように軽くなっていった。




「一体どうすればいいのよっ、こんな大変な事態になったというのに他に頼れる藩士は無し……。あのすっとこどっこいの右京に何ができるっていうのよ」

 邸内に付いてから、号泣する鶏を鷹達が口々に慰める。

「大丈夫よ、姐さん。左内様は虚弱に見えて芯は強いお方。敵をなぎ倒してきっと帰ってくるわよ」

 年長の美鷹(みたか)が黒光りする羽でおけいの背中を撫でる。

「そ、そうかしら」

 涙に濡れた顔を上げておけいは美鷹を見つめる。

「それに、左内様はあのお美しさだから敵の女が惚れて解放するってことも考えられるわよ」

「でもお姉さま、その女毒師(どくし)とやら、殿が籠絡(ろうらく)されただけあって結構可愛いんでしょう。う、わ、き……、ってことは無いのかしら」

 いぢわるそうな目でちらん、とおけいを見た貴鷹(きーたか)がつぶやく。

「あ、あの方に限ってそんなことは無いわ」

 おけいの目が吊り上る。

「そうよ、左内様はどなたにでも優しいお方。その毒天女も一緒にみーんな愛してくださるわっ」

 脳天気な舞鷹(まいったか)がうれしそうに叫ぶ。

「嫌よ、左内様は私だけのもの」

 鶏の発言に、鷹たちが色めき立つ。

「ちょっと待って、冗談じゃないわ。左内様は私のものよ、美しさでは私が勝っているもの」

「左内様は御家老様よ、血筋的には私が釣り合うわ」

「お姉様たちではだめよ。明るい家庭は笑いから。左内様の固い頭は、私がやわらかくして差し上げるわっ。あちょーっ」

 舞鷹(まいったか)は貴鷹に頭突きをかます。

「この馬鹿。頭はどつけば柔らかくなるってもんじゃないのよ」

 貴鷹が舞鷹に飛び蹴りをお見舞いする。

「ぶほっ」

 ふっとんだ舞鷹は美鷹にぶち当たる。

「ぎゃああ、羽が乱れたっ。あんたたち、もう許さないわっ」

 三羽が乱闘を繰り広げる中で、鶏は目を閉じて坐っていた。

「まさか、左内様が浮気だなんて……」

 お麗をみて鼻血を出した左内の姿を思い出して、おけいの眉間に深い皺が寄った。




「殿、殿に重要な報告がある」

 朝日を浴びながら藩邸に飛び込んだ右京は、そのまま、人々の制止を振り切って殿の居室に走る。

 しかし、彼は殿の部屋に行く前に突然歩みを止めた。

 彼の目の前に、ふうわりと(くし)が浮かんでいたのである。

 空腹の余り幻覚を見ているのか。

 右京は目をこする。しかし、再び目を開けた時も櫛は彼の目の前に揺れていた。

 おりしもそこは殿の寝ている部屋の隣の間。

 忠助・忠太郎が控えている、脳刺激記憶再現装置を置いて来た部屋である。

「何が起こっているのだ」

 右京はそーっ、と障子を開いてみる。

 そこには忠助と忠太郎が、畳の上に大の字になって鼾をかいていた。

 そして、その奥にはなんとヘルメットをかぶった奥方が目をぎんぎんに光らせて坐っているではないか。

 しかし、その姿はいつもの優雅な奥方では無かった。結い上げられていたはずの髪の毛はざんばらになって逆立ち、顔を中心に同心円状に広がっている。髪は時々揺れながら青い火花を散らしている。それはさながら物の怪の様相。

 右京は言葉を飲んで立ちすくんだ。

 気配に気が付いたのか、奥方が廊下の方をふりかえる。

「きゃあああああああっ。見たわね~~、右京」

「きょ、興味深いことが起こっています、奥方」

 右京は奥方の方に目を輝かしながら近づいた。

 驚くべきことに、部屋の中にあった掛け軸や、花瓶、香炉がふわふわと宙を浮かんでいるではないか。

「すばらしい……」

 歓喜の余り、右京の声が震えている。

 ゆっくりと奥方が、ヘルメットを外して立ち上がった。

 その途端、空中の物が畳の上に落ち、花瓶の割れるくぐもった音がした。

 彼女の髪もほどけたまま、肩に垂れ下がる。

「ちょっと興奮しすぎたようじゃ……」

 二人は朝の光を浴びながら、立ちすくんでいた。

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