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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
46/110

その13

 右京は水と小麦粉を混ぜていた鍋の中に塩と油を入れた。

「この柑橘を絞れ」

 当たり前のようにに差し出された柚子はずっしりと重い。

 固い柚子に左内は細い指を突き立てた。

 暗い穴の中に爽やかな香りが立ち上り、左内はしばしこの窮地を忘れて匂いを嗅いだ。皮を剥くと、四分割する。そして鍋に姿を変えた脳波刺激装置の中に、両手で潰すようにして果汁を絞りいれた。

 まるで森の妖婆のように、血走った赤い目の右京がほくそ笑みながら小麦粉の入った液を火にかけながら掻き混ぜている。

 ドロドロの液は、やがてぷつぷつと泡を出し始め、次第に粘土のような塊に姿を変えていった。熱くなった小麦粉の塊からは、先ほどとは違った、鼻を刺激するつんとした香りが立ち上る。

「左内、これをこねろ」

 右京は鍋の中の塊を木に刺して左内の鼻先に付きだした。

「熱いだろ、これ。もっと冷めてからじゃだめなのか」

「鉄は熱いうちにたたけ、小麦粉もまた然りだ」

 単にせっかちなだけかもしれないが、今はコイツのいう事を聞くしかない。

 しぶしぶ左内は熱い小麦粉の塊をお手玉しながら、お結びを作る要領でこねていく。

「もっとだ。中のものがまんべんなく混ざるようにな」

 右京のえらそうな物言い。

 左内はまるで内側からの不平の噴出を止めるかのように、口をへの字に曲げた。

「ようし、いいだろう」

 左内がこねている横合いから塊をつついて、右京がうなずいた。

 油が入っているせいだろうか、塊は柔らかく伸びが良い。しかし、手に残るねっちゃりとした不快感が何とも言えず気持ち悪い。右京に塊を渡してから、左内は懐紙で手を拭いた。

 右京は残り少なくなった蝋燭の火が揺れる中、左内に肩車をさせて細く伸ばした小麦粉を穴の壁面にくっつけていく。足りなかった回路が徐々に埋められ、壁面にはまるで迷路のような模様が出現した。

「この回路の中に、脳波刺激装置の中のからくりが埋め込まれている。これで反重力装置として働くはずだ」

 右京は左内とおけいに目配せした。

「いいか、蓋をあけるぞ」

 右京が最後の小麦粉の塊をくっつける。

 天井が、数度軽く揺れると蓋がゆっくりと持ち上がった。

 そして、ごろん、と穴の外に転がっていく。

 その瞬間。

 小さな爆発音がして、穴の中が白くなるほどの光が飛び込んできた。

 左内がおけいにかぶさるようにして伏せる。右京は慌てて鍋を頭にかぶった。

 先ほどまで火にかかっていた鍋である。

「ぎゃーーーーっ」

 爆発音から一瞬遅れて右京の叫びが穴の中に響いた。

「孔子様の罰よ」

 おけいがつぶやく。

 穴の中で彼らの影がゆらりと揺れて、蝋燭の火が消えた。

 爆発の光も無くなり、辺りは真っ暗に変わる。

「左内、早く出ないと奴らが来るぞ」

 右京が頭を撫でながら叫んだ。

 しかし、左内は腕組みをしたまま穴の中に立ちすくんでいた。

「まて、右京。この家に入った時、地面の一画に掘り返したような色の変わった部分があった。もしかするとこの穴はその真ん中に掘られているのかもしれない。そしてその周りは……」

「地雷原か」

 右京がつぶやいた。

 その時。

「よくぞ、その電磁バリアを巡らせた蓋を外したな」

 穴の中に、源内の声が響いた。

「お手並みは監視装置で拝見したよ。なかなかやるではないか。しかし、ご明察のとおりその周りはびっしりと地雷が埋めてある。ひとたび足を踏み入れればお前らは木端微塵だ」

 穴の中の三人は拳を握りしめて、源内の声を聞く。

「お前達にはまだまだ使いようがありそうだ。気が変わるまで穴の底で大人しくしておれ。泣いても叫んでも無駄だ、蓋はなくとも声は穴に吸収されるようになっている。ふぁはははははは」

「おのれ、源内。おぼえておれっ」

 左内が叫ぶ。

「そうそう左内殿には、お麗がなにか用事があると言っておったな」

 暗闇の中で息を飲む左内。

 何か感づいたのか、おけいが横目で左内を睨んだ。

「毒婦の深情けにはご用心召されよ、ふっふっふっふっふっ……」

 源内の声はそこで途切れた。

「地雷原はこちらにも不利だが、あちらにも穴の周囲から多勢で攻められないという欠点がある。直接攻撃してくるとすれば、我々をここに投げ込んだあの壁の扉だろうがあの入り口は一人しか通れない。となればむしろ挟撃できるこちらに有利。どうも敵は我々を利用したいようだから、簡単に殺すような真似はするまい。すぐにここに攻め込んでくることはないだろう」

 左内が冷静に分析する。

「右京、なんとか地雷原を飛び越えて出る方法は無いか……」

「無いね」

 もう自分の仕事は終わったとばかりに、そっけない右京の返答。

「左内様、お耳を」

 おけいの声に、左内は鶏をそっと抱き上げると自分の耳元に寄せる。

「実は、鷹姉妹と連絡が取れました」

「よくやったぞ、おけい。それで彼女達は」

「急げば約半時(はんとき)(約1時間)ほどで、来るようです。なにか縄になるようなものを探して持って来るように申し伝えました」

「よくやった、おけい」

 左内は白い雌鶏を抱きしめた。

 彼の腕の中で、うっとりと目を閉じるおけい。

「しかし、この闇の中。我々の正確な位置を知るのは容易ではあるまい。縄を垂らすにしても場所がわからなければ……」

 左内が蟻の溜息のように小さい声でつぶやく。

「地雷を爆発させてあたりを明るくするっていうのはいかがでしょうか」

「それでは敵を呼ぶことになってしまうし、鷹達の姿が見えてしまう、右京……」

「知らぬ。もう頭が働かん」

 右京の冷たい物言いに左内は腕組みをして黙り込む。

 そのままずいぶんの間、穴の中には重い沈黙が垂れこめた。

 しかし頼るものはこの物の怪しかいないと心を決めたのであろう、左内はもう一度声をかける。

「右京……」

「知らぬ。もう私の頭は空腹で働かん」

 不機嫌な右京はそっぽを向く。

「そんなこと言わずに……」

 言いかけて、左内ははたと手を打った。

「こ、これがあった。非常用にと思ってとっておいたのだか」

 左内が取り出したのは、あの右京の顎を外した大きな氷砂糖。

「露草堂からもらった氷砂糖でも舐めて……」

「私の顎をまた外す気か」

「だから、お前が作った特製の矢床(やっとこ)もあるではないか。あれで挟んで氷砂糖を潰せば……」

「今、何と言った」

 右京の目が光った。

「氷砂糖を潰せ……」

「それだっ」

 その時、おけいが歓喜の鳴き声を漏らした。

「彼女達がこの屋敷に到着しました」




 上空では、あの鷹三姉妹が屋敷を見下ろしながら飛び回っていた。

 抜群の視力を誇る鷹だが、さすがに夜間の視力は低下する。しかし、右京に脳の改造をされ視力を強化された美鷹(みたか)だけは、夜間も昼同様に地表を走査することができた。

「お姉様、左内様たちの場所は見えて?」

 貴鷹(きーたか)が恨めしそうに月の無い夜空を見上げる。

 曇って来たのか、星の光さえ遮られている状態だ。

「まだ、合図はないわ」

 美鷹が首を振る。

「いいこと、舞鷹(まいったか)。縄を垂らしたら、すぐ持ち上げるのよ。あなたのその鳥並み外れた顎の力と飛翔力が必要なのよ、頑張ってね」

「お任せください、お姉様」

 舞鷹は羽の付根の筋肉ををぐいぐいと動かした。




 地上では右京の言うとおりに左内がすばやく氷砂糖を矢床で挟んだ。

「おけい、上に連絡したな」

 右京の小声におけいがうなずく。

「つぶせっ」

 右京の声とともに左内が渾身の力を込めて特製の矢床を握る。

 ばしっ。

 音とともに、かすかな光が暗闇の中に走った。

「氷砂糖は潰すと蛍光を発するのだ。ふふん、だてに砂糖を食べてはおらんよ」

 右京は割れた欠片を噛みくだいた。




「ここだわっ」

 縄の先端を持った美鷹が急降下する。

 穴の中に突入した美鷹は、しぶきを上げて着水した。

「左内様、お姐さん、よくぞ御無事で」

「すまない、美鷹」

 その時、敵の警戒音が穴の中にも鳴り響いた。

「敵にも感づかれたようだ、急げ」

 礼もそこそこに縄を受け取ると、左内はおけいを抱えた右京の腰に素早く巻きつける。そして余った縄の端っこを掴んだ。

「上げてくれ、耐えられるか」

「我が妹はおそるべき怪力。お三人など軽々で運べましょう」

 鷹がピンと張った縄を二度引っ張ると、二人と一匹の身体は勢いよく宙に浮いた。

 だが。

 ぎりぎり、という不穏な音が縄からしているのに左内は気が付いた。

「こ、この縄……」

 藩邸で使っている縄ならば、値切りに値切り倒した安物である。

 左内の顔色が変わる。

 身体は浮いていくのに、小刻みな振動とともにわずかづつだが下がる感覚。

 縄が、切れかけている。

 荷重に耐えられないのだ。

「右京っ」

 左内が叫んだ。

「殿をよろしく頼むっ」

 声とともに、左内が縄を離した。

「馬鹿、お前っ……」

 右京の叫びが暗闇に吸い込まれて行った。

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