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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
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その12

「この近隣は田畑に囲まれているが、それでも誰か通らないとも限らない、叫んで助けを呼んでみるか」

 左内の方を冷ややかな目で見ながら、右京が首を振る。

「無駄無駄。あの世迷だか玄米だかいう男、音が外に盛らさないくらいの細工はしているだろう」

 物は試しに……とばかり叫ぶ御家老様を横目に、右京は何やら懐をごそごそ探り始めた。

「おい、左内。こう暗くては何もできん。灯りをつけたいから、水がかからない台を作ってくれ」

「って……、どうすれば」

「人知を超えたことは私の頭で考えてやってもいいが、そんな些末なことはお前が何とか考えろ」

 暗闇の中で、御家老様は身を震わせながら拳を握りしめる。

「あほ右京っ、左内様になんて言いぐさだいっ!」

 鶏が身を震わせて右京につっかかる。

「いや、いいんだおけい。奴にはここから脱出する方法を考えてもらおう」

 今、彼と喧嘩をしてへそを曲げられでもしたら、たまったものではない。左内は大きく息をして自らを鎮めると、穴の底に落ちていた木切れを手探りで拾い集めた。そして自分の羽織を丁寧にたたんで木切れの山に乗せると、何とか水に浸かっていない台のような場所を作ることに成功した。

「できたぞ」

「なんか、不細工な台だな」

 むっとする左内を尻目に、右京は懐から数枚の懐紙を取り出して何やら瓶に入った液体に浸す。

「なんだ、それは?」

「油だ。からくりの動きを良くするためにいつも携帯している」

 右京はそう言いながら、手際よく火打石で紙に火を付けた。通常、火打石では簡単に点火できないがなんらかの細工を施しているのであろう、淡い光が懐紙の上に踊り始める。短い蝋燭(ろうそく)にその火を移すと、穴の中はぼんやりと明るくなった。

「安心しろ。ここは空気が揺れている。どうやら換気されているようだから火をつけても大丈夫だ。消火の水は沢山あるしな」

「よく火打石を持っていたな」

 左内が目を丸くする。

「当たり前だ。煮炊きは食事の基本。いかような時にでも食事が可能なように準備はしているのだ」

 右京はどうだと言わんばかりに鼻の穴を膨らませる。

「で、脱出する算段はできたのか?」

「もう一度、肩車をしてくれ。あの天井を塞いでいるギヤマンの蓋を退けることができるか、見てみたい」

 左内は、蝋燭を持った右京を持ち上げる。

「なるほど。凡人にしては結構考えてあるではないか」

 蓋を眺めながら右京は、ふふん、と鼻で笑う。

「ま、エレキテルを通してある以外は原始的な造りだな。反重力を使えばこんな蓋ひとたまりもない」

「なにか、手があるのだな右京、あつっ」

 垂れてくる蝋を頭に受けて、左内はしかめっ面をする。

「ああ、敵の小細工を逆手に取る。このエレキテルを動力にして反重力装置を動かせばいいのさ」

 右京は、鼻歌を唄いながら再びゆっくりと格子を調べ始めた。

「そろそろ、いいか?」

 蝋に閉口して左内が右京に尋ねる。

「おお、さっさと回路を作ってここから出るぞ」

 右京はばしゃりと穴の底に降り立つ。

 彼は、左内の眼前に蝋燭を突き付けると、血走った赤い目で詰問した。

「いいか、この脱出に成功したら、露草堂の御菓子の家。きっと建ててもらうからな」

「わ、わかったよ。早く取りかかってくれ」

 藩の財政のことがちらりと頭をかすめたが、相手の剣幕に押され左内は慌ててうなずいた。

 あの赤い目。どうやらクレージー右京が発動しているらしい。

 そうなればしめたものだ。ここから出て一刻も早く藩邸に帰り、田沼意次の魂胆を殿に申し上げねば。左内は、焦る心をなだめるように胸に拳を当てた。

 右京は懐から例の脳刺激記憶再現装置を取り出す。薄く折りたたまれたそれを広げると、彼は内側にびっしりと貼り付けられた細い配線をひとつひとつはがし始めた。

「ふふふ、これを持って来たのは正解だった。この中に使われている配線とからくり金属でなんとかあの蓋を浮き上がらせることができるだろう」

 右京は左内に再び肩車をさせると、人が変わったかのように勤勉に穴の壁に配線を沿わせていく。

「あの似非天才野郎に吠え面かかせてやる」

 どちらかというと他人には無頓着な彼が、むきになっているところを見ると実は右京の方も無意識のうちに奴を好敵手扱いしているのかもしれない。

 という事は、あの平賀源内の技術もなかなかの水準に達しているということなのであろう。

 油断大敵、この縦穴以外にもきっと罠が仕掛けられているに違いない。

 右京が言うほど簡単に物が運ばない予感がして、左内は唇を引き締める。

 その時、左内は水面を目を瞑り漂っているおけいに気が付いた。

「どうした、おけい」

「いえね、先ほどから千駄木(せんだぎ)の鷹娘たちに繋ぎをとろうと、頭の中で読んでいるのですが、あの蓋のからくりが邪魔をしているのか、上手くいかないんですよ」

 右京の脳手術のせいか、おけいと美鷹(みたか)聞鷹(きいたか)舞鷹(まいったか)の鷹三姉妹とは近くに居なくても、頭の中で通信することができるのである。

「あの娘たちが来てくれれば、いろいろと役に立つでしょうに」

 赤い鶏冠(とさか)を振り、おけいは悲しそうにつぶやいた。

 その時。

「あーー、止めだ、止め」

 声とともに右京がへたりこみ、大きな水しぶきが上がった。

 放心状態で、宙をさまよう視線。今まで血走っていた目が、普通の白目に戻っている。

「どうした?」

 肩を掴み揺さぶる左内を、うるさそうに払いのけながら右京は大あくびをした。

「もう止めだ、止め。配線の長さが足りないんだよ」

「配線?」

「ああ、エレキテルなどを通す道の事だ。もちろんこの泥水だって、いや実は泥や土だってエレキテルは通すさ、でも、もっと通しやすい道が必要なんだ。それにこの縦穴に沿わせるのに液体は使えない。お前何かエレキテルが通りそうな金属を持ってないか?」

「もちろん刀は取り上げられたし。あとは、お前が氷砂糖を割るために使おうとしていた矢床(やっとこ)くらいかな」

 左内が取り出した矢床を一瞥して右京は首を振った。

「あ~、残念。これは物を潰すことにも使えるように私が改良した矢床で実は磁器と似通った原料で作っている。とても固いが、エレキテルは通さない」

 そうか……、と左内は矢床を懐にしまう。

「あきらめてくれ。もう私はげ~んかいっ」

 大きく伸びをすると、濡れるのにも構わずに右京は足と尻を水につけたまま、もうしりませんとばかりに眼を閉じた。こうなるともうこの男には手が付けられないことを、長年の経験で左内は良く知っている。

 事態を打開する策がない……。

 しかし、ここでこのまま手をこまねいていることは断じて許されない。なんとかしなければ。

 腕を組み、左内は立ったままで静かに瞑想する。

「この上は、神仏だのみか……」

 つぶやいた左内の鼻になにやら香ばしい匂いが飛び込んできた。

 ん?

「お前、何やってるんだ」

 ふりむいた左内は目を丸くした。

 彼の羽織の上に置かれた紙がちろちろと燃えており、その上には木切れで作った三脚で固定された脳刺激記憶装置の御椀が吊り下げられている。中には濁った水と何やら白い物がぐつぐつと煮えていた。

「左内、これは私が露草堂からもらったものだ。お前にはやらんぞ」

「よ、よくこんな時に食欲が沸くな。それも泥水と混ぜて……」

 右京は木切れで、うれしそうに椀をかき混ぜながら鼻歌を唄っている。香ばしい匂いは練られている小麦粉の匂いだったのだ。

 そういえば、行きがけに露草堂の主が小麦粉を恵んでくれていた。

「小麦粉を練って、お前の持っている氷砂糖で味をつければきっとカステラのごとく美味いに違いない」

「そりゃ、よかったな」

「ああ、子牛(こうし)(こうじ)か、とにかくお前のご贔屓親父と同じく神仏に祈る気はしないが、露草堂に礼拝しろと言われたらするな」

 一転ご機嫌になった右京に背を向けて、左内は神仏に祈る。

「こんな罰当たりな奴ですが、なにとぞお許しください。神様、仏様、孔子様」

 いや、今までの非礼が過ぎる。こんな付け焼刃の祈りでは、神仏のご加護など得られるはずがない……。

 左内は溜息を付いた。

 八方塞がりの今。いっそ、厄払いでもしようか。

「あ、そうだ」

 左内は、奥方様がお祓いのために持ってきてくださった清めの塩が懐に入ったままになっていることに気が付いて、手を打った。

「我が藩は殿をはじめとして疫病神が沢山いるゆえ、普通の量では足りるはずがない。しかし、疫病神や貧乏紙などの祟り神をすべて払ってしまったら我が藩にはお前以外誰もいなくなるかもしれないのう」

 ずっしりと大きな包みに入った塩を左内に渡しながら、カラカラと笑う奥方様の姿が目に浮かぶ。

 左内は、懐から出した大きい包みを開くと即席の台の上に盛り塩をした。

「ん、なんだそれ。食い物か?」

 木で練った小麦粉を混ぜながら、右京が左内の手にある包みを指さした。

「お前、神仏へのお供えにまで手を付けるつもりか。これは塩だよ、塩っ。ええいっ、払いたまえ、清めたまえっ」

 左内は一掴みを災厄の元締めに投げつけた。

「ぶはっ」

 顔に付いた塩を舐めた右京の目が、再び輝き始めた。

「確かに塩だ。さっさとよこせ、それを」

「馬鹿者、これはただの塩ではない、お清めの塩なのだぞ。小麦粉に味を付けるためのものではない」

 左内と右京は顔を突き合わして、睨みあう。

「馬鹿はそっちだ、凡人め。今、我々に何が足りないのだ、言ってみろ」

「足りないもの……ううん、忠義の心か?」

 右京はやれやれとでも言うように肩をすくめた。

「違う」

「じゃあ……か、金かっ」

 本音を叫ぶ左内の頬が紅潮している。

「これだから貧相な侍頭(さむらいあたま)はどうしようもない」

 右京は大げさにため息を吐くと、穴のてっぺんを指さした。

「足りないのはこの縦穴の壁を沿ってエレキテルを流す道だ」

「ああ。先ほどお前があきれるくらいさっさと匙を投げた命題か」

「だが、道が作れるんだよ、その塩があればな」

 活路を見出してまた頭が働きだしたのか、右京の白目が赤くなってきた。

「いいか、小麦粉と水、油と塩と……」

 右京はにやりとして袂から歯型の付いたしなびた柚子を出した。行きがけに毛利様の御屋敷からくすねた柚子である。

「この柑橘の汁があれば、エレキテルを通す回路ができるのだ」

 蝋燭の火が揺れる縦穴の中、ひきつけを起こしたような右京の不気味な笑いが響いた。


 今回右京が作る電子回路は、アンマリー・トーマス(AnnMarie Thomas)氏の電子回路に使える小麦粉粘土のレシピを参考にしました。最初は簡単に考えて、塩と粘土を混ぜてやってみましたが、電球を灯すには至らず、いろいろ試した後で、素人はレシピ通り作るに越したことはないという結論に至りました。アンマリー・トーマス氏がTED(Technology Entertainment Design)のプレゼンテーションでも言っておられるように、普通の小麦粉粘土(実はこれも電気を通す)の2倍も電気が通しやすいというのが実感できました。テキトーにやるとなかなかうまく行かず、やっと豆電球がかすか~に灯った時には、涙が滲みました。四苦八苦死屍(こむぎこねんど)累々の様子は、活動報告にて。

 後日、再実験してみるとまた豆電球が灯らず、これはショートサーキットにしなくてはならないのかと一旦第12話を取り下げてまたたび再実験しました。結論から言うとショートサーキットにしてもうまく点灯しませんでしたが、電流計で測ると確かにこのプロトコールで作った小麦粉粘土は良く電気を通すことがわかりました。豆電球が灯らないのは残念ですが、微量の電気を流す回路としては成立すると思います。

 小麦粉はしばらくもう見たくありません~~。

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