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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
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その11

 松明の灯りが足元を照らす中、二人と一匹は黒ずくめの配下によって地下に通じる階段を引きたてられていく。

「いいかね、降参したくなればいつでも叫んでくれ」

 階段の上から、甲高い声が降ってきた。

「誰が、降参なんてするものか」

 左内が叫びながら振り向くと、源内が頭巾から出た目に満面の笑みを浮かべて両手を激しくふっている。

「いいね、いいねっ、その反骨心」

 細身で長身の源内はゆらゆらと楽しげに左右に揺れた。

「私の知力の粋を極めたこの牢獄を破れるか、あなた方のお手並み拝見といこう。ついに右京、お前と勝負ができる日が来たというわけか。実にワクワクするなっ」

 源内はびしりと右京に人差し指を向けた。

 当の右京はうさんくさそうに、妙に盛り上がる相手を眺めるのみ。

「う、右京、何かいう事は無いのか。不世出の天才である私に挑戦を受けるのが名誉なことだとわかっておらぬようだなっ」

 こいつも、変な奴だ。

 天才とはこのようなものなのか、左内はチラリと挑戦を受けた右京を振り返る。

「めんどくさい奴だな。私と勝負したければまず菓子をよこせ」

 不機嫌そうに、右京の黒目が上方に移動した。

 空腹の余り、イライラが募っているのであろう。

「腹が空いているんだよ。こんなことでは、黄金の頭も働くわけがない。いいか、私と真っ向勝負したければ、何か甘い物をよこせっ」

「甘い物を食べないと、動かない頭なのか。それはそれは効率が悪いことで」

「普段は寝て居るが、ひとたび甘い物を食べて動き出せば我が頭はお前など問題にならんほどの働きをするのだ。それにあの孔子だって、甘党に違いない」

 孔子が甘党?

 初耳な情報に、嫌な予感が左内の脳裏によぎる。

 第一、右京は藩校で論語なんてからっきし興味が無かったはずだ。

「家の中に菓子を買い置きしておくのが良く効くって、論語に書いてある。確かにあれなら長持ちするからな」

 こ、コイツは一体何を言っているのだ。

 すべて諳んじている左内には、そのような文脈は一語たりとも思い出せない。

 御家老様の狼狽をよそに、美行(みくだり)藩お抱えの天才は鼻高々である。

「知らないのか? 家に干菓子ってくだりは有名だろ」

 は?

 敵味方、目を宙に泳がしながらシーンと静まりかえる。

 彼らの頭の中には、滝のように論語の文言が流れているのであろう。

 まさか。

 左内の額から、つう、と一筋の汗が流れた。

「お前。もしかしてそれ、口に苦しか……」

 良薬は口に苦し、が、どうやったらそんな理解になるんだっ!

 敵前で、あまりにも恥ずかしすぎる。

 左内の襟から覗く白い首筋が、みるみるうちに真っ赤に染まる。

「あんたも、苦労するな」

 源内が左内に向かってしんみりと、とどめの一言を吐いた。




「で、甘い物をくれるのか? 源内」

「馬鹿を言え。お前は私に破れ、その穴倉の中で寂しく朽ち果てるのだ。左内、お前も一緒にな」

 小さな鋭い目が狡猾な光を帯びている。

 この男、実は配下の手前右京と才能を競うように公言しておきながら、実はその気などさらさらないようだ。二人を味方に引き入れたいという田沼意次の意向に従うようなふりをして、この機会に二人とも殺してしまうつもりなのであろう。

「田沼様の援助を受ける日の本一の天才は私一人で充分なのだ。田沼様の御世は私が居れば十分に実現できる。後からしゃしゃり出た有象無象に邪魔をされてたまるものか」

 全身で貧乏ゆすりをしながら、源内は高らかに笑った。

「ま、私の作った部屋の居心地が良すぎて、いつまでも住みたくなるかもしれんな。まあせいぜい堪能したまえ」

「まだ勝負はついていない、ほえ面をかくのはお前の方だ」

 左内が叫ぶ。

「お前達、やれっ」

 言葉とともに左内は縛られたまま背中を蹴られ、壁の横に開いた四角い暗闇から落下した。

 ばしゃっ。

 足が付いた瞬間、左内の身体に冷たいしぶきがかかる。

 その上から、右京が降ってきて、押しつぶされた左内の身体は五寸(約15㎝)ほどの高さの水の中に勢いよく横倒しになった。

「ぷはっ」

 穴の中にたまっていた水を吐き出し、左内が咳き込む。

 左内のすぐ横に軽い水しぶきが上がった。

 ばたばたという羽音がする。おけいが気が付いたのであろう。

「大丈夫か、おけい」

「左内様は、御無事ですか」

 めんどりは泳いで左内の方にやってくると、さっそく縄をくちばしでついばみ始める。

「ははは、縄から自由になってもお前たちの運命はここで尽きるのだ。手が届くような星空でも見て、せいぜい絶望に打ちひしがれるがいい」

 甲高い笑い声とともに彼らが落とされた四角い穴は、軋むような音を立てて閉じられた。

 そこは真っ暗闇。

 しかし、眼が徐々に慣れてくると、足元から約一丈(3m)と少しぐらいの高さに満天の星が見えた。

 おりしも今日は新月。

 それだけに、空に散りばめられた輝ける砂子が際立って見える。

「切れましたよ」

 有能なおけいは、顔を一振りすると左内を拘束していた縄を放り投げた。

「おい、私のが残っているぞ」

 左内の傍らには、所在なさそうに立つ右京の気配があった。

「バカだね、あんたの縄を噛み切る義理がどこにあるんだよ」

 闇の中で、おけいはそっぽを向く。

「慣れないことをしたから、顔の肉が引きつっているよ。このままじゃ自然な笑みが浮かべられなくなっちまう。あたしの十八番、甘い微笑みができなくなったらどうしてくれるんだね」

「たいそうな言いぐさだな、鶏なんてどんな顔をしても同じじゃないか」

 闇の中で、鶏が激しく羽ばたく音が聞こえ、右京の叫びが響く。

「ま、待ってくれ。右京は今毒にあたって、言葉も選べないんだ。おけいの笑みをまた白日の下で見るために力を貸してくれ」

「さ、左内様……」

 鶏は鼻声でつぶやくと、左内の足元に首を摺り寄せた。

「お前のその美しい顔が引きつるのは可哀そうだが、右京に手伝ってもらわないといけないのだ。どうか奴の縄を噛み切ってくれ。

「ええ、ええ。もちろんですとも、左内様」

 おけいは右京の方ににじり寄った。

「ちっ、このスケコマシ。自覚がないだけ始末が悪い」

 言葉が終わらぬ先に、右京の悲鳴が再び穴倉に響いた。

「あら、縄と思ったら手だったわ」

 おけいは鼻歌交じりにつぶやいた。

「おい、右京。穴の上に手が届きそうだ。肩車をするから乗って探ってくれ」

「ま、下よりはいいかな」

 四苦八苦しながら、右京は左内の肩によじ登る。

「私の肩に立て」

「せかすな。頭が働かない武芸馬鹿のお前とは違うんだ」

 右京は文句を垂れながらそっと肩の上に立ち上がる。

 ひょろ長くて全く鍛えていない身体はゆらゆらと揺れ、不安定極まりない。

 漆黒にひろがる無数の星。

「出られそうか?」

 もどかしそうに左内が聞く。

「いや、だめだ。何もないかのようだが、ここに実は透明な格子がはまっている。イライラさせる水といい、蓋が無いと期待させるギヤマンといい、あの源内いちいち性格の捻じれた奴だな。」

 右京は穴の上端、格子の間を探るようにゆっくりと触った。

 その瞬間、白い閃光が飛び散る。

 右京は声にならない声を上げて、手を振り回しながら左内の肩の上でのけ反った。バランスを崩した左内も、同時に後ろにひっくり返る。

 狭い穴の中、大きな水しぶきが上がった。

 後ろに手を付いて半身を起こしながら、左内が大きく息を弾ませる。

「息が止まりそうになった。なんなんだ右京、今のビリビリは」

「エレキテルだ。上には何か妙な細工が施されている。これは難物だ」

「ほら、言わぬことでない。やっぱり孔子様の罰だ」

「はあ? なんでわかるんだよっ」

 右京が首を振った。

 左内は大きな溜息を付いて天井を指さす。

「格子だ……」





 一方、こちらは美行藩邸。

 控えの間で忠助、忠太郎が、何やら夢中で覗き込んでいる。

「殿の脳内にこのような素晴らしい動画が保存されていたとは」

「殿の脳からの写し取り、見事成功させたお前の手柄ぞ、忠太郎」

「兄上。私、今までの人生のなかで、物事に対してこのように懸命に取り組んだことがございません」

「でかした。でかしたぞ、弟よ。品行方正の御家老様にお仕えする限り、こ、このような経験は無理かとあきらめておったが……」

「兄上」

「忠太郎」

 二人はひしと抱き合った。

「この藩に仕えてほんっとうに良かった~~」

 画像の中では、殿と数々の美女が激しく甘美な夜のお楽しみを繰り広げている。

 その時。

 二人の背後から軽やかな風が吹き込んできた。

「殿の看病、疲れたであろう。甘い物でも食べて、少し休むが……」

 兄弟は真っ青な顔で振り返る。

「お、奥方様……」

 画面には、お館様の夜の奮闘が総天然色で映し出されている。

「あ……」

 息を飲む奥方様。

「い、いや、こ、これは、殿と似た殿方で」

 奥方様はへたり込むように、がばと座り込むと画像に前のめりになった。

「な、なんなのです、これは」

「奥方様、お許しくださいっ」

「いいえ、許せませんっ」

 奥方はまなじりを決して、忠太郎を押しのけた。

「このような面白そうなもの、隠しておくとは不届き千万。ほほう、こんな技もあるのじゃな。」

 奥方様の目はきらきらと輝いている。

「わらわにも、見せてたもれ」

「ご、御存分に……」

 兄弟は青い顔でひたすら平伏するのみであった。

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