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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
43/110

その10

「おい、起きろ」

 殴打された左内の顔が左右に激しく振れる。

「お待ち、手荒な真似はするんじゃないよ。せっかくの綺麗なお顔が台無しじゃないか」

 お麗の声が耳に響く。

「すいません、コイツには常々痛い目に遭わされているんでつい……」

 霞の向こうからかすかに聞こえていた声が、徐々に大きくなる。それとともに左内の頭の中が脈打つように痛み始めた。身じろぎするが、身体は、後ろ手でがっちり縛られ、肩をおさえるけられているため、頭以外、全く動かすことができない。

 視界が徐々に開けてくるも、そこは暗い部屋で、目の前に数人の人影が見えるのみである。その奥には御簾がかかり、一段高い所に座った、細いシルエットが縞の間から透けて見えた。

 傍らには、呆けたように視線を宙に浮かせている右京がいる。同じように縛られているが、身体能力は全くないということが知れているのだろう、左内とは違って緩く拘束されているようだ。傍らの伏せられた籠の中には、おけいが気絶したまま倒れ込んでいた。

「お、やっと気が付いたようだな」

 御簾の手前、山岡頭巾をかぶった男が口を開いた。身体が小刻みに揺れているのは貧乏ゆすりであろうか、頭巾のため、声はくぐもっているが、それほど年を取っているという風な声ではない。どちらかというとひょうげたような、軽い口調である。

 頭巾の隙間から、小ぶりだが鋭い目が見えた。

「お久しぶり、片杉殿」

 こ、こいつは!

 左内は心の中で叫び声を上げる。

 あの湯屋で、先端が尖ってらせん状になった妙な機械とともに床をぶち抜いてやって来た男ではないか。

「こんな真似をして、私達に何の用がある」

 左内の、いつもより低い地を這うような声からは、激しい怒りが滲み出ている。温厚な人物ほど、本当に怒らすと怖い。

「これは、これは申し訳ない」

 落ち着き無さそうに頭巾の中の目を忙しそうに動かしながら、御簾の前に控えている男が愉快そうに笑いながら左内の方を向いた。

「実は我々、この日の本をもっと住みやすく、より良い国にしたく活動しているものでございます。小さな国に閉じこもっていると見えぬせぬが、我が国の外には強大な武力を持つ国々がひしめいており、虎視眈々と狙われている状況なのです」

 不信感を抱きつつも、左内は男の話す想像もしていなかった内容に、耳を傾ける。興に乗って来たのか、男はかん高い声で滔々(とうとう)としゃべり続ける。

「蝦夷地のはるか向こうには赤蝦夷(あかえぞ)達の住む大きな国があります。その大陸を西へと向かうと今度は清国が。その先には三蔵法師の向かった印度(インド)が広がっている。しかし、その地は今、その西に位置する小さいが強大な国々によって浸食されようとしています。中でも一番有力なのがもともとは我が国よりも小さな英吉利(エゲレス)という国」

「英吉利……」

 大きく頷くと、男はここぞとばかり声を張り上げた。

「その国の力と国の大きさは同じものではないのです。どれだけ統制されているか、どれだけ文化が発達しているかが、その国の力を決めるのです」

 ここまでは正論だ。丸め込まれないように頭の中で咀嚼しながら聞いていた左内だが、相手の情熱的なしゃべりに思わず引き込まれそうになる自分を抗しきれない。

 その日の本の外の話は本当なのだろうか。妙な穴を作って時折国外に遊びに出かけているはずの我が藩の天才なら左内よりよくわかっているはずだ。左内は傍らの右京をちらりと見る。

 しかし、まだ目がはっきり覚めていないのか、右京はぼんやりと宙を眺めているのみであった。

「幕府は国交を阿蘭陀(オランダ)と清国しか商いを行っておりませんから、極めて限られた情報と、彼らを通しての情報しか得られません。しかしそうしている間にも我が国はいやおうなく奴らの標的になりつつあるのです」

「それと我々への狼藉となんの関係があるっ」

 左内の詰問に動じる様子も無く、男はそのしゃべりに一層の拍車をかける。

「貴藩の春信さんとは、絵画がらみでちょっとしたお付き合いがありましてね、右京殿のしでかす奇天烈な噂を耳にしたのですよ」

「春信……、というと次郎兵衛の事か」

 忠太郎たちが、美人画を描いてもらって喜んでいた光景が思い出される。左内自身も、右京に払う金が無い時に自分の女装絵を描かせて版元に売りつけた苦い思い出があった。

 暇な江戸勤め、藩からの給料が少ないため、忍んで絵で生計を潤していたのであろう。

「普通では手に入らないはずの食べごろドリアンを手中にできるその不思議な才能に惹かれましてね、我が主と貴藩の密偵を行いました」

 やはり、全ての元凶はあの果実であったか。

 左内はあの悪臭を思い出し、顔をしかめる。

「そこで私達は天晴(あまはら)公の秘蔵の御家臣、呉石(くれいし)、いやさ、クレージー右京殿の存在を知ったのです」

 別に秘蔵という訳ではない。

 どちらかというと、表沙汰にできない天災を呼ぶ男であるため、火の粉がかかりたくない一心で、皆口を閉ざし知らないふりをするだけである。

「おまけに、天晴公は、女に見境が無く、藩士を顧みない派手好きの浪費家。その最低の素行にもかかわらず、家治様の御覚えが愛でたい、天から妙な魅力を授かった不思議な御仁と来ている」

 ここは何を言われても仕方がない。

 左内は唇を噛みしめる。

「あなた達をお味方にできれば、我らが志は盤石のものとなりましょう」

 志?

 左内の目が急に鋭くなる。

「ここからは、我が国を愛すればこその話だ。ゆめゆめ我らが忠誠を疑って聞くのではないぞ」

 御簾の中から、凛とした透き通った声が響いて来た。

 涼やかであるが、心の中を突き通すような強い意志を感じる声。

 これは、相当な地位にある人物に違いない。

 御簾のなかのどちらかというと華奢な影から伝わってくる強い波動を感じて、左内は思わず身体を震わせた。

「美下藩の飛びぬけた力はその右京と、天晴公によるものだが、それを御して藩の運営を曲がりなりにも正常に行っているのは、貴殿。江戸家老の片杉左内と聞いておるぞ」

「めっそうもない、あの2人を前に私などなんの力も……」

 実際、左内はあの2人から塵芥以下の扱いを受けているような気がしている。

「常識人の貴殿ならわかってもらえよう。このまま国を閉ざして、安穏としていてはいずれこの国は他国から侵略されよう。その前に、我が国からもっと他国へ勉学に出てゆき、この国を強くせねばならない。そのためには……」

「そのためには?」

 御簾の方に左内の目が向けられる。

 返事は無い。

 御簾の奥からは、まるで丹田に気を貯めるような大きい呼吸音が漏れてくるのみ。

 このまま時が止まるかとも思えたその時、いきなり叫びにも似た言葉が静寂を突き破った。

「真に、先を見ることができるものが国の舵取りをせねばならない」

 言葉の意味に、左内は息を飲む。

「な、何を不埒な……」

「家治様を暗愚と言うものも居るが、なかなかどうして侮れぬ賢さをお持ちだ。さすが、吉宗公が将来を期待されただけある」

 この御簾の中の人物は家治公と直に接することのできるほどの地位にある者らしい。しかし、その邪な企てを聞いてしまった左内は、この人物に敵意しか感じられない。

「ならば、なぜ将軍を全力でお支えしようとせぬのだ」

「だがその考えは、吉宗公の政治の踏襲を基本とされており、国の外の急速な動きに素早く対処する柔軟さが欠けている。このままで行くと、我が国は遠くない将来、他国に蹂躙されるのが目に見えている。ここに控えし我が方の天才、平賀源内と、美行藩の天才右京の力があれば、この国の先を変えることも夢物語ではない」

「馬鹿を申すな。徳川様の世はこれまでに無い安定をしている。民ももう戦乱の世は望んでおらぬ。ここは言葉を用いて、方向を転換していただくのが家臣の勤めというものであろう。貴殿の善き言葉の下に、どすぐろい慢心が見えるぞ」

 左内は、御簾の奥をまっすぐに見据えた。

「違うか、田沼意次殿」

 御簾の外で控えている者たちが、びくりと身体を動かす。

 しかし、御簾の中から聞こえてくる声には微塵の動揺も無かった。

「さすが、切れ者と名高い片杉左内。貴殿も我が片腕にぜひ欲しいものだ」

 左内の横で、右京のごそごそ動く音が聞こえる。

「目覚めたか、天才呉石右京よ」

「天才は否定しないが、俺は面倒くさいことに加担するのは御免だからな」

 右京はうるさそうに御簾を一瞥すると、大欠伸をした。

「この左内がどうなってもか?」

 左内の細い首筋に、白い小刀が向けられる。

「こいつは、カチカチの侍頭だから謀反に加担するくらいならすぐ自らで命を絶つだろうよ。俺にできるのは、墓前に菓子を供えるくらいだ」

「菓子は止めろ。死んでからまで胸やけしたくない」

 左内が右京を睨みつける。

「やだね。藩の金で買ってもらって、墓前に供えたらすぐ私が食べるのさ」

「ええい、なんて思いやりの無い奴だ。墓前にはふつう故人の好きなものを供えるものだ」

「おお、いいことを思いついた。お前さんご贔屓のお麗さんの危な絵を次郎兵衛に書かせて供えたら、興奮して墓石が鼻血を出したりしてな。はーははははは」

 後ろで、お麗の息を飲む声が聞こえる。

「ば、馬鹿なことを言うなっ」

 顔を赤くして左内が叫ぶ。

「ええい、お前ら御前で何をふざけておるっ」

 平賀源内とは別の方に控えていた侍が声を上げた。

「よいよい、この状況でじゃれあえるとは面白い奴らじゃ。右京、もう一度聞く。我が陣営に来れば、御菓子食べ放題で優遇するぞ、どうだ?」

「やだね。私に何かさせようって思っても無理。私は私の好きなように、やりたいことしかしないのさ」

「そうか……、時間が必要だな」

 そう言うと、御簾の中の男は立ち上がって姿を消した。

「お前達、穴倉で少し飢えて頭を冷やしてもらおうか」

 肩をすくめて源内がつぶやいた。

「ま、私の頭脳を駆使した洒落た造りになっているから、星空でも見てよく考えるんだな」

 その言葉とともに、左内たちは地下へと通じる階段に引っ立てられていった。

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