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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
42/110

その9

「毒天女……の館」

 目の前に現れた幼さを残した娘はまさに天女の趣、しかしその笑みは底なし沼のような禍々しさを湛えていた。

 左内は、娘を睨みつける。しかし、頭の中では娘の淫らな夜伽の画像と声が反響し、彼のこめかみは半鐘がなっているかのようにガンガンと激しく脈打ち続けていた。

 立っているのがやっと、戦闘態勢どころではない。

「雑念を払うには、ぜーんぜん別の事を考えたほうがいいぞ」

 まるで他人事のように、阿片でいつもよりもさらに常軌を逸した右京がうれしそうに忠告する。

「饅頭とか、水羊羹とか……」

 左内をからかうように右京はどんどん言葉を続ける。

「借金、とか……さ」

 ぴくっ。

 右京の言葉で、左内の全身が震えた。

 常に苦しい財政をやりくりしている江戸家老の彼には、もっとも身につまされる言葉だったのであろう。

「借金、利息、お家断絶……」

 左内は常に頭から離れない言葉を声に出してみる。

「借金、利息、お家断絶……、おお、少し頭がはっきりしてきた」

 左内の頭を思考停止に追い込んでいた妖艶な光景が徐々に消え、借金の証文が脳裏に浮かんできた。

「こんなことに気を奪われている場合ではないっ」

 左内はすらりと刀を抜き、娘に向かって構える。

「お麗様」

 娘を庇うように源三がほどいた鎖鎌を構えて前に出た。

「次の間で控えておおき」

 お麗はにっこりと微笑むと、懐から細い小刀の形をした手裏剣、飛苦無(とびくない)を取り出した。

 先日の夢を彷彿とさせる光景に左内は息を飲む。

「左内様と右京様を生け捕りにせよとの我が主からの仰せ、本当なら傷一つもつけたくはないが、一流の剣客の左内様をそう簡単に捕獲できるとは思えませぬ。殺さない程度には手加減しますゆえ、ご容赦を」

 そう言うとすらりとした柳腰をひねり、娘は左内に向けて飛苦無を乱射した。

 素早く繰り返される動作は、残像が残りまるで娘が千手観音になったかのようにに見える。

 しかし。

「借金、利息、お家断絶っ」

 悲哀の滲む掛け声とともに、飛苦無はまるで左内の前に見えない壁があるかのようにことごとく火花を散らして落ちていく。

 左内たちの前方の畳は無数の飛苦無で埋め尽された。飛苦無の色が変わっているのは、何等かの薬が塗ってあるせいだろう。

「ほほほほほ、さすが左内様」

 娘の目にはますます狂喜の色が宿り、飛苦無の数も増え、飛来するルートも様々に変化する。

 しかし、頭の中の猥褻画像を一掃した左内にとって飛苦無を叩き落すことなど、児戯に等しい。

「お麗とやら、なぜ、我々が必要なのだ」

「正確には、我が主が求めておられるのはお前ではない、そこの奇天烈な発明をするからくり男だ」

 からくり男……。きっと、殿が右京をそう評したのであろう。

 右京は自分の事が話題に上っていると、知ってか知らずか、壁に寄りかかってうつろな目を娘に向けている。

「悪いことは言わぬ、止めておけ。こいつの扱いを誤るととんでもない災害に見舞われるぞ」

 飛苦無を刀で弾き返しながら、左内が叫ぶ。

 空を飛ぶ天守閣。いきなり天から降ってくる海。

 左内の頭の中に、国元で起こったさまざまな事態が去来する。

「それに、コイツの発明は基本、人の役に立つような真っ当なものではない」

 殿の御乱行の穴埋めに彼の発明を利用することはあっても、それは毒を持って毒を制する的な使い方である。

「右京は気の向くまましかからくりを設計しないのだ。ましてや戦の道具や、人を傷つけるものは一切作らない。お前達の思っているようにはならぬぞ」

「だから、左内様が必要なのですよ」

 飛苦無が効いていないにも関わらず、娘は三日月の目をなおさら細くして、微笑む。冷酷な笑みだが、深い山の湖水のように美しい。

「右京様は、きっと私達のいう事など聞いてくださらないでしょう。殿だって、聞いてもらえない願いが山ほどあるとぼやいておられましたもの。でも、ただ一人、例外がある……」

 飛苦無の手を止めて、切れ長の瞳がじっ、と左内を見つめた。

「幼馴染の腐れ縁。江戸留守居家老の片杉左内様」

「無理だ、この唯我独尊の右京など私の手綱では御することなどできぬ」

 は~い、そのとおり。とでも言うように、今度は畳に寝転がりながら右京が左手をひらひらと振って見せる。

「でも、いう事を聞かないと左内様に危害が及ぶとなったら……どうなんでしょうね」

「まさか、こいつは私など……」

 左内は傍らの右京に目をやって息を飲んだ。

 先ほどまで手をひらひらして上機嫌だった右京が喉を押さえて悶絶している。

 おけいも身をくねらせて苦しがっている。

「お、お前、何を……」

「火花の熱で解けた薬がやっと広がってきたようね……」

 気が付くと左内の身体も痺れが周り、刀を握る手に力が入らなくなっている。

「毒というのはいろいろな投与法があるわ。飲ませる、身体に刺す、貼り付けて身体に染み渡らせる、でも、手練れのあなたにそんな手は通用しない。先ほどの湯呑に入った薬もあなたには2回も通用しないでしょう。だから、気が付かずにここに足止めさせながらそっと吸入させるには、手裏剣に塗った薬を揮発させるしかなかったのよ」

「な、なぜお前は……」

 左内の手から刀がすとん、と落ちる。

「私? 私は幼いころから毒とともに生きて毒と暮してきたわ。折檻ばかりする怖い義母をいなくしてくれたのも、裏山の毒草。売られた女郎屋で初めて好きになった人に褒めてもらえたのも、毒草の知識だったわ。屋敷やお金をくれたのも毒。私の人生はみな毒が切り開いてくれたのよ」

 左内の細い眉がかすかに動く。

「毒は私の身体の一部。だから、私の身体には毒なんて効かないの」

 お麗は足元からゆっくりと飛苦無を拾うと、これ見よがしに赤い舌でその刃をちろり、と舐めた。

 邪悪な微笑みを浮かべる娘だが、彼女の壮絶な人生を垣間見た左内には娘の周りに漂う痛々しいほどの哀しみしか感じられなかった。

 娘の姿が徐々に歪んでくる。

 そしてそのまま、左内の意識は深い闇の中に沈んで行った。

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