その7
「禍根は早めに断たねば。さて、行くぞ」
左内が立ち上がる。藩主が毒殺されかけたのは、日暮里の諏訪神社のあたり。陽のあるうちに探索をして、どの屋敷なのかを探さねばならない。
眉間にしわを寄せる左内の背後で、何やらうめき声が聞こえる。
「ん?」
傍らの右京を振り返って、左内は目を剥く。
「何をしているっ」
赤い顔で唸りながら、あの氷砂糖を小さい矢床で砕こうとしているではないか。それも何も敷かない畳の上で。
「やめろっ!」
左内は慌てて矢床を取り上げる。
「お前はこの部屋をアリだらけにするつもりか」
「か、かえせ~っ、もう腹が空いて脳がひからびそうだ」
氷砂糖を恨めしそうに見つめながら、右京が呻く。
「昼飯は食べたのであろう」
「午後に甘い物を食べぬと胃のざわめきがおさまらぬのだ」
「この、物の怪が……」
左内は矢床を取り上げると、懐に仕舞い込んだ。
「せめて外に出てやってくれ」
不満そうに頬を膨らませる右京。ここでへそを曲げられてはたまらない。
「この一件が片付いたら、露草堂の菓子を買ってやるから……」
まるでどこかの子供をなだめすかすような台詞。しかし左内の目の前には焦がしたちりちり髪を後ろで束ねた妙な髪形のいい大人が、拗ねて目を瞑り口を尖らせているだけである。黙って普通にしていれば、女性の一人も振り向こうかと言うくらいのそこそこ整った顔立ちだけに、残念としかいいようがない。
「いやだ、それくらいでは私は動かん」
天才の頭に幼児のワガママを宿らせた青年は鼻を膨らませる。
「じゃあ……」
「家を建ててくれ」
御家老様の目が点になる。
「は?」
「御菓子の家だ。塀はおこし、窓は飴細工、廊下は羊羹、屋根はボーロ、庭石は金平糖……」
「ええい、無理なことばかり要求しおって!」
頭の中が煮えくり返った左内が右京の首を腕で抱え込み締め上げる。
「いいか、肝に命じておけ。我が藩は、び・ん・ぼ・う、なんだっ」
「うぐぐぐぐーーっ、風呂には冷やし飴を満たしてくれーーっ」
「殿が心配ではないのか」
「庭の池は、金玉羹!」
完全に平行線をたどる二人の会話。
あきれ返った左内が右京の首から腕をはずす。
「本当に、お前という奴は……」
幾多の困難を潜り抜けてきた苦労人の御家老様に、半ば自虐的な笑いがこみあげてくる。
「一つの事を思い始めると一直線。ま、それが天才の所以かもしれないが」
怒りを通り過ぎ、笑い始めた相手を今度は右京がきょとんとして見つめた。
「全く、気の合う二人組だよ」
言葉とともに障子の隙間から入ってきたのは、鶏のおけいである。
「おお、おけい」
藩邸の中で、唯一の頼りになる相棒の出現に左内の顔がぱっと明るくなる。
「殿の一大事だってあの子ネズミ達が騒いでいたもんでね、ちょっと話をきかせてもらいましたよ」
鉄火な姉さんは左内の横にちょこんと腰を下ろす。
「何か、お手伝いすることはありませんか、御家老様」
「今、殿の毒殺を図った女の探索に同行してくれないかと、右京に頼んでいるところなのだ」
「いやだね、めんどくさ……」
その言葉が終わらぬうちに右京の悲鳴が上がる。
見ると、おけいの足爪が右京の腕にめり込んでいる。
「この砂糖男、日ごろからお世話になっている左内様のいう事を聞けないとは、なんて恩知らず」
「い、行きますっつ」
さすが、おけい。一発で話がついたようだった。
殿の世話を尾根角兄弟に頼み、右京は大きな椀に似た脳刺激記憶再現装置を抱える。
「これがあれば、いつでも画像の再現が可能だからな」
一応やる気にはなったのであろうか。
「及ばずながらあたしも参りますよ、左内様。右京がちゃんと働くように」
右京が顔をしかめる。
頼りない藩士よりも役に立つおけいが付いて行ってくれることに安堵しながら、左内は身支度を始めた。
毛利様のお屋敷の前を行きすぎる三人。
右京が手に持った柑橘にかぶりつき渋い顔をする。
「うえっ、まずっ。こりゃ夏みかんかと思ったら柚子だ、すっぱい」
「だから、止せといったのに」
他人のふりをすべくなるべく離れて歩きながら、左内は肩をすくめる。
右京の手の中にあるのは先ほど、塀から道の方に張り出している枝に残っていた柑橘を失敬したものだ。この柑橘は多分、鳥のために主がすべてを収穫せずに少し木に残したものだと思われる、
「鳥の上前をはねる奴があるか、浅ましい」
「背に腹は代えられん」
「武士は食わねど、高楊枝という言葉を知らぬか」
「腹が減っては戦はできぬ、のほうが正しく身体機能を表していると思うがな」
珍しくまともな慣用句で応戦する右京。柑橘のビタミンが効いたのであろうか。
「おっ、露草堂だ」
小さいが清楚な構えの和菓子屋を見つけると、右京は走り出した。
「待て、先立つものがないのだっ」
左内が慌てて追いかける。
「お、おい」
店の中に駆け込むと、右京が氷砂糖で顎が外れた件を主に話していた。
これをネタに何かお菓子をねだろうとしているようだ。
まるで強請ではないか。左内は血相を変える。
「恥ずかしいことをするな、右京。あれは主が好意でくださったものだ。顎が外れたのは浅ましくがっついたお前の落ち度だ」
右京に平身低頭で謝っている露草堂の主に、今度は左内が赤い顔をして頭を下げる。
「本日はすべての菓子が売り切れてしまいまして、お詫びに差し上げる菓子がございません。明日、新しいものができたら……」
へなへなと座り込む右京の姿を見た主は、事が切迫しているのに気がついたらしい。
「それでは、代わりと言ってはなんですが、当方で用いている極上の小麦粉を差し上げましょう。水と小麦粉を混ぜて薄べったく広げて焼いたものに、しょうゆとか味噌をつけて食べると美味しゅうございます。そうそう、ネギを混ぜても香味が高まり、小腹が空いたときの良い慰みになりますよ」
主は右京に小麦粉の入った紙袋を渡した。
「甘党の美行藩の皆様のおかげで、わが露草堂は成り立っております。なにとぞ今後もご贔屓のほど……」
主はあの大量の和菓子がすべて、右京の胃袋に収まっているとは思っていないらしい。それはそうだ、あの量を一人で食べるのは物の怪の仕業としか言いようがない。
「甘党の美行藩……そう思われているのか」
聞くだけで胸やけがするような気がして、左内は天を仰いだ。
小麦粉を早く焼きたいという右京におけいが一発喝を入れ、一行は殿が歩いた道をたどっていく。
日本堤を越えると景色は一変し、田畑が広がる長閑な光景が遠くまで続く。
田畑の脇にいくつか集落があり、青々とした稲の間で雑草を抜く農民たちの姿がちらほら見え隠れする。カエルを追う子供たちの歓声が風に乗って届き、殺伐とした左内の心を和ませた。
「良いな、稲穂が広がる風景は」
「飯、飯になってからではないと興味が無い。ああ、この田圃一面の米で作ったお握りに押しつぶされながら食べてみたいぞ」
「お前なら、食ってしまいそうで怖いよ」
青々とした田圃の澄み切った雰囲気をぶち壊しにされて、左内は憮然とした。
一行が日暮里の諏訪神社についたのは、夕刻であった。
天気の良い日には富士山が見えるという場所だが、あいにく雲にけぶり富士は拝めなかった。そこから富士見坂を下っていくと、人のたかっている一軒家がある。 左内が尋ねると、はたしてそこはお化けとうもろこしの家であった。
「さて、件の家はこの近くに違いない」
一年の内で一番日が長い時期である。
夕刻と言えどもまだ陽は高い。
三人は、そのとうもろこしの家を起点に徐々に捜索範囲を広げて行った。
右京が田んぼに面したわりと大きな一軒家の門の隙間から中を覗き込んだ時である。彼は小さく叫び声を上げた。
「どうした、右京」
「これは凄い……」
目をらんらんと光らせて、まるでマタタビにつられた猫のように門に顔をめり込ませる右京。
「宝の山だ、鳥兜、毒空木、毒セリ、マンダラゲにハシリドコロ、そして……」
左内もそっと、別の隙間から中を窺う。
右京のいう所の宝の山。
そこにはあの映像で見た、ヂギターリスの花が咲き乱れていた。