その6
「これは、あの有名な怪奇とうもろこしではないか。確かに聞きしに勝る妖異だ。それにしても、なぜ干からびた鶏の頭がとうもろこしから……」
右京は左内の言葉を聞いて、横でがっくりと頭を垂れている。
「落ち着いてよく見てみろ左内、とうもろこしから鳥の頭が出てくるはずがないだろう」
確かに右京の言う通り、よくよく見てみれば、鶏のトサカに見えたのは皺のあるでこぼこした瘤であった。それは、まるでのっぺらぼうの顔がトウモロコシの先端からいくつも噴出しているかのごとく。ばっくりと割れた裂け目からは、粉が詰まったような黒い塊が覗いている。周りには、トウモロコシのひげが絡みついて、その姿は面妖を通り越して奇怪であった。
「なぜ、とうもろこしがこのような形になってしまったのだ。これは何かの霊瑞かはたまた、凶兆か」
右京はこれ見よがしに、鼻を鳴らし首を振る。
「馬鹿か、お前。この世の理に霊異など入る隙間は無い。全てが整然とした説明のつく現象なのだ。わからないから、霊の仕業というのは短絡過ぎる」
小馬鹿にされた左内は、額に皺を寄せて頬を染める。
「悪かったな」
「どこかの親父も『怪力乱神を語らず』が信条だっただろう。私も同じだ」
「どこかの親父ではない、孔子様だ」
子、怪力乱神を語らず、は論語の一節である。左内は、右京の失礼な物言いに心の中で孔子に詫びを入れる。こんな奴に同類扱いされて、さぞかしご迷惑なことであろう、罰が当たらなければ良いが……。
「もったいぶらずに、説明しろ。あれはなんだ」
「あれは、カビが感染することによって起こるとうもろこしの病気の一種だ」
2枚の浮世絵が、弘化2年(1845年)にトウモロコシに起こった奇妙な変化を後世に伝えている。一つは、芝新橋の米屋の庭のトウモロコシに蓮の花が咲いたというもの、そしてもう一つは、品川の九兵衛宅のトウモロコシが、鶏のような変化を見せたというものである。
現代では、これは両方とも黒穂病というトウモロコシの病気、糸状菌の一種である担子菌の感染による変化と考えられている。この担子菌は植物を肥大させ、肥大したところが破れると黒い胞子が飛散する。胞子は地面に落ちて、翌年の感染源となるが、感染しなくてもしぶとく地中で5年程度は生きているようである。
黒穂病のトウモロコシは、化け物のような奇怪な外見となるため、物見高い江戸っ子達の格好の話の種になったことは想像に難くない。
「う~ん、それにしても美味そうだ」
変形して黒い粉をふくトウモロコシを見ながら、喉を鳴らす右京。左内はぎょっとした目つきで、隣の変人を見る。
「く、食うのか、あの不気味なものを」
「珍味だ。キノコのような味がするらしい」
左内から言わせれば、あの外見から判断するにゲテモノの極みである。
「お前のような物の怪なら食えるのだろうが……、カビによる病気なんだろうあの部分は」
ゲテモノ嫌いの左内の顔は心持ち青くなっている。
「左内、お前菰って知ってるだろう」
「ああ。酒樽を撒いたり、編んでゴザや筵にする植物だな」
真菰は河川や池の水辺に生える、2メートルにも及ぶ背の高いイネ科の植物である。日本でも古くから生活に利用され、万葉集にも真菰を詠んだ歌がいくつか見受けられる。
「真菰の根元が膨れてできる真菰筍、って食ったことがあるだろう」
「ああ、素焼きにして田楽味噌をつけて食べたことがあるが、ほんのり甘くてまるでとうもろこしのような味がする……それが何か?」
嫌な予感に苛まれながら左内はチラリと横目でにやにやしている右京を見る。
「実は、あれもこのとうもろこしと同じ菌が感染したものだ」
真菰筍は細いタケノコような清冽な印象の野菜であったが、まさかカビで膨らんでいたとは、美味しい野菜なのになんだか聞きたくなかった話である。左内は黙り込んだ。
「どうせ、お前が食べる真菰筍はつやつやの新鮮なものだろうが、古くなると黒い点々が出てくる。これが出ても食えるが、まあ味が落ちるな。この黒いものが胞子で、お歯黒にも使われることがあるくらいだから毒があるわけじゃない。ま、お前が嫌いになったのであれば、仕方がないから食材を無駄にしないように私が食ってやる、今度から真菰筍が食事に出たら呼んでくれ」
それが狙いか。
左内は、隣の胃魔人を睨む。カビの感染とか何とか言って、左内がひるんだところに付け込んで自分が食べようという魂胆だ。
「断る」
魂胆を見透かされた、と察知した右京の顔が渋くなる。舌打ちをすると、彼はからくりの操作装置を触り始めた。
「次に行くぞ」
右京が画像を進ませると、その次はいきなり殿のお楽しみ場面に変わってしまった。
「この怪奇とうもろこしが最後の手がかりの様だな」
「しかし、これは良い手がかりだ。殿をたぶらかした女性のねぐらは、きっとこの近くであろう」
左内は両手を打ち、隣の間に控えている尾根角兄弟を呼び出した。
「お前達、先日私に怪奇とうもろこしの話をしてくれたな」
何時にもまして真剣な目つきの左内に、さすがのおちゃらけ兄弟も背筋を伸ばして返答する。
「はい。あれは今、江戸中で大評判でございますから」
なぜ、流行に左右されるのが嫌いな堅物御家老様があのとうもろこしの話題を? 意図を汲みかねて、忠助はかすかに小首をかしげる。
「お前達、見にいったことはあるのか?」
左内の問いに、二人とも急に項垂れた。
「行きたいのは山々ですが、先日来の不要不急の外出を禁止するお触れのため、涙を飲んでおりました」
その命を下したのは他ならぬ左内である。遊びたいさかりであろう彼らに、かなりの我慢を強いていることが心苦しく、彼は目を伏せた。
「それに、残念ながらあれを見るためには木戸銭が必要なのです」
忠助が訴える。
「我らが乏しい懐具合では、例え10文といえども簡単には捻出できないのです」
さらに追い打ちをかけるように忠太郎が悲壮な顔つきで迫る。
「実はだな、あの怪奇とうもろこしの場所が知りたいのだ」
「ああ、御家老様。我ら今、重度の金欠のため頭が動きを停止しております」
すかさず、忠助が両掌を揉んで頭を振る。
「ああ、思い出せない」
彼は大げさに頭に手をやってぶんぶんと頭を振った。
「どうすればいいのだ」
「ちゃりん、ちゃりんというあの音だけが、我らの頭をしゃっきりさせるのです」
「私からも、お願いいたします。外出できぬ我らに、せめて危絵を買うくらいの御駄賃を……」
馬鹿正直な兄の口を塞いで、忠太郎が苦笑いする。
「ほら、持って行け」
左内がぽん、と自らの財布を忠太郎の手に渡す。
「よろしいのですかああああーーっ」
いきなり歓喜の表情に変わる二人。
「白状、いえ、ご説明いたします」
二人は、こぞって左内に説明を始めた。
「私どもが聞いたところによると、あの怪奇とうもろこしができた家は、日暮里の諏訪神社から富士見坂を下って行ったあたりとのことでした」
忠太郎がどこからか、図面を持ってきて、忠助が場所を指し示す。
「懇意の瓦版屋によれば、ここだということで」
「そうか、よくわかった。二人とも、大手柄だ」
左内の褒め言葉に対して、二人の表情は急に暗くなり全身が固まっている。
「ご、御家老さまぁ……」
ひっくり返した財布の中からは、数枚の一文銭が転がり落ちてきた。
「すまない、この砂糖魔人のおかげで、それが今の私の全財産だ」
左内が申し訳なさそうに詫びる。右京は口を尖らせて、目をそらした。
「御家老様、お返しいたします」
弟から財布と銭をひったくると忠助が、左内の目の前に差し出した。
「とても、いただけません」
「いや、お前達の手柄に対して、私は何も報いてやれぬ、少ないが取っておいてくれ」
「御家老様。それよりもお願いしたい儀が」
忠太郎の目がキラリと光った。
クレージー右京の発動より、ある意味怖い忠太郎の悪知恵降臨である。
「その、奇天烈なからくりの使い方をお教え願えませぬか」
「お。おお、そうだ、弟よ。私も、その意見に賛成だ」
鼻を大きく膨らませて頬を赤くした尾根角兄弟が、左内に詰め寄る。
「だめだ、だめだ」
右京が大きく首を振る。
「このからくりにはまだ謎が多い。お前らなんかに触らせるわけには……」
「右京様、先日お貸しした十二文、まだ返していただいていません」
忠太郎が、ぼそりとつぶやく。
「あ、ああ。あれは、ちょっとからくりの材料を使うのに消えてしまってな。で、そのからくりが時空を超えてどこかに行ってしまって……」
しどろもどろの右京。兄弟は黙って、首を横に振った。
「いいか、教えた以外の突起は触るなよ」
右京はしぶしぶ、二人に脳刺激記憶再現装置の使い方を教え始めた。
マコモダケを手に入れました。
その、でき方からは想像もつかないくらい美味しかったです。
黒穂菌君、マコモを美味しくしてくれてありがとう。
今回出てきた、とうもろこしの黒穂病の画像は持っておりません。が、もし興味のある方はネットで、とうもろこし×黒穂病で検索していただくといろいろな(ちょっと気持ち悪い)画像が出てきます。江戸時代は僥倖として理解したようですが……。ちなみに南米ではこの黒穂病菌の感染を起こしたとうもろこしをウイトラコチェと呼んで食しているようです。コーン・トリュフ(メキシカン・コーン・トリュフ)とも呼ばれ、珍味として扱われているとか。
江戸時代のトウモロコシの変異についての浮世絵は「見て楽しむ園芸文化 江戸の花 誠文堂新光社」を参考にしました。