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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
38/110

その5

 天ぷらを差し出したのは、切れ長の目をした若い娘であった。細面の顔は透き通るように白いが、頬だけがほんのりと赤い。少し上向きのすらりとした鼻と桜のつぼみのようにキリリと結ばれた唇が、この娘の気の強さを垣間見せている。

 台所に向かう後姿が殿の視界の中に映し出された。柳腰とはまさにこのような体型をいうのだろうか、細い肩から続く曲線は、腰のあたりで滑らかにしなるものの留まることなく裾に流れてゆく。薄鼠色の小袖に淡い薄紫の縞模様、後ろで吉弥(きちや)結びにされた薄い臙脂色の帯、その地味な出で立ちとは裏腹に、その立ち姿は、少女から若い娘への過渡期特有の初々しい色気に溢れ、まるで脳内に直接秋波が押し寄せてくるようであった。

 ひとしきりおかずを運び終えると、今度は娘は殿のそばにぺったりと吸い付くように座り、食事の世話をし始めた。

 娘が、どう? とでも言いたげに顔を動かす時、緩やかに跳ね上がった後ろ髪がゆらりと揺れる。細い(まげ)鼈甲(べっこう)の串で止め、後ろに突き出た(たぼ)を緩やかに反らせたこの髪型は、セキレイの尾を想像させることから鶺鴒髱(せきれいづと)と呼ばれている。紺紙を重ねて作られた髱刺(たぼさし)が髱の形を絶妙に整え、殿の視線は揺れる髱から舐めるように、その下のはっとするほど白いうなじに移る。まるでゆれる髱は男を誘う釣竿のごとく、この髪型はその効力を存分に発揮していた。

「こ、この娘が、殿のお相手か……」

 先ほどの痴態が脳裏に蘇えったのであろう。ちり紙を鼻に当てたまま、左内が呻く。

「年甲斐も無く、こ、こんな若い娘と……」

「ああ、尾根角(おねずみ)兄弟が見たら、興奮しすぎて心の臓がとまるかもしれん」

 右京が笑う。

「トンボやチョウと変わらぬ行為なのに、不思議なことよ」

 いや、全く動じないお前も奇天烈だ。左内は心の中で絶叫する。

 急に娘の顔が接近し、恍惚とした表情になる。

 帯の解かれる音と、袷が緩む画像が……。

「と、止めろ。ここから危険地帯だ。もっと前、殿がここを訪れる頃にしろ」

「ちぇっ、お前の狼狽する姿が面白かったんだがな」

 左内は無言で右京の首を締め上げた。




「ここでいいか?」

 筋を違えたのか、右京が首をコキコキ言わせながら左右に傾ける。

 二人の眼前には、左内の裏をかいた直後であろう、足取りも軽く(画像がそんな揺れ方をしている)藩邸の前の道が映ってている。

「時間は不正確だが、多分これが今回失踪する直前の記憶だ」

「これは、藤堂(とうどう)和泉守(いずみのかみ)様の御屋敷だな、北方向に向かっている」

 美下(みくだり)藩邸とは比べものにならぬ豪奢な門構えの前を通ると、これもまた大きな毛利様の御屋敷の前を北に進む。

「他の御領主たちは、皆勉学や武芸に励まれ、領地のために心をくだいているというのに、ああ、我が殿ときたら」

「ちり紙の詰まった鼻声で嘆いても、深刻そうには聞こえんな」

 おそらくこの愚痴は何百回となく聞いているのであろう、右京がふふんと鼻で笑う。

「お前、その女性に対しての、過剰反応はどうにかならんのか。殿の爪の垢でも貰ったらどうなんだ。このままでは嫁の一人も迎えられんぞ」

「五月蝿い。私は今、一家を構えられるような心の余裕はないのだ」

「そんな、大げさなものでは無かろう。妻を迎えて、ほら、チョウとかトンボとかと同じことをするだけの……」

「大きなお世話だ、ほっといてくれ」

「お、もしかしてお前、人間の女にはその気がないのか? 鶏が好みなら、何とかしてや……」

 左内に両頬を引っ張られた右京が悶絶する。

「わからないのだ。どんな女性が好きかも」

 口を少し尖らせて、左内がつぶやく。

「私は男兄弟しかおらず、母上も早くに亡くなり、女性といえば祖母のみ。周りに妙齢の女性など居なかったから、女性を意識したことが無い」

「ま、それに加えて、女難の相があるからな」

 右京がお手上げとばかりに肩をすくめる。

「あきらめろ、お前の子供はおけいに卵で産んでもらえ」

「しっ」

 左内が右京を制する。

「左手に五重塔が見える。これは浅草寺のあたりだな、殿はひたすら北上しているようだ」

「この道筋は……」

 二人は顔を見合わせる。

「やっぱり日本堤の新吉原」

 るんるんの殿の行先は、通い慣れたる浪費の館であったという訳か。

 ならば、ジギターリスの天ぷらを盛った女はここの遊女であろうか。

「先日あれほど、藩の財政についてこんこんと御説教いたしたものを……」

 御家老様はがっくりと頭を垂れる。

「いや、待て左内」

 殿は日本堤から吉原へ入る衣紋坂の方には行かず、橋を渡ってひたすら北上する。

 やがて、あたりは川沿いに一面の菖蒲の紫が揺れる場所に出た。全盛期はすぎているようだが、まだまだたくさんの花が美を競うように花びらを広げている。

 あたりには菖蒲を見に来たのであろう、娘たちの黄色い声が聞こえてきた。その娘たちを当てにしたのであろうか、飴細工の屋台まで出ている。

「ここは堀切だな」

「左内、お前こんな花だらけの絵でよく場所がわかるな」

 右京が首を傾げる。

「ここの菖蒲は見事なので有名だ。花には二心が無い、見ていると心が洗われる」

 どうやら、左内はここに菖蒲を見に行ったことがあるらしい。

「それにしても、殿はここで、お相手を見繕うおつもりだったのか」

 新吉原は金がかかる、左内の苦言を思い出したのか、殿は一般女性へと趣向を変えたに違いない。

 早速、飴屋の屋台に殿の視線が向かい、がさりと大量の飴を購入する。そして、美醜を問わず、娘たちの一群にどんどん飴が配られ始めた。はっきりと言葉までは聞こえてこないが、姿の良い男性に飴をもらった娘たちのはしゃぐ声が脳内に響いてくる。見目のよし悪し関係なしに配ることで、標的達の警戒心を解こうという殿の狡猾な作戦であろう。

「撒き餌投下か」

 右京がつぶやく。

「ある種の鳥は、異性に餌をやるのが求婚の意思表示だ。まあ、やっていることは人間様も鳥や虫けらどもも一緒だな」

 若い娘たちに誘われたのか、場所がまた動き始めた。

「今度は何処に行くつもりか」

 さすがに日本堤を超えたあたりから大きな屋敷がぐっと少なくなり、あたりにはのどかな田園風景が広がっている。

「ここまで来たら土地勘が無いな」

 捕まえたと思った手がかりが、無情にもすり抜けていく。左内に焦りの表情が出始めた。

 残念ながら画像はところどころ途切れてしまったり、急に場面が変わるので、ここが堀切から近いのかどうかすら推測できない。

 視界は娘たちのにぎやかな声を引き連れて、小さな一軒家の前に来た。花や野菜が植えられたその家の庭に、何やら薄い板で囲まれた場所が設けられている。そこには板の隙間から覗き込もうとする人だかりができている。

 どうやらその板で囲われたところに入るには、木戸銭が必要らしい。

 娘たちの分も大盤振る舞いしているのであろうか、財布からじゃらりと小銭が木戸銭の番をしている百姓らしき男に渡された。

 殿は、薄い板で作られた戸を開けて女性達と中に入りこむ。

「こ、これは」

 左内が声を上げた。

 目の前には、トウモロコシから鶏の頭が突き出ていた。

明日出張のため、少なくてすみません。6/21は更新お休みします。

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