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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
37/110

その4

 蒸し暑い風が開け放たれた障子から忍び込むように入ってくる。空はどんよりと曇り、昼過ぎというのにあたりは薄暗い。

「妖気がする」

 自室で書物を読んでいた左内は、妙な寒気を感じて顔を上げた。

 さすがに、武芸で鍛え上げられた彼の勘は鋭い。ほどなく、空気よりもなお湿った低い声が廊下を這って左内の耳に響いて来た。

「あまものはないか~~」

「出たな、物の怪」

 誰の声だか嫌というほどわかってはいるが、どうしても異界の住人としか思えないその気配に、左内は思わず盛ってあった清めの塩を引き寄せた。これは不幸続きの我が藩のため、奥方様が家臣に頂いてきてくださったものだ。

 声がはっきり出ているところを見ると、外れていた顎は治ったらしい。

「入るぞ、左内」

 無遠慮に部屋に上がりこんできた右京の手には、風呂敷に包まれた何やら西瓜大の物が収まっていた。

「なんだ、それは?」

「脳刺激記憶再現装置だ。忘れていようがいまいが、殿が御経験になったことを動く画で再現できる。大体、経験したことは脳の引き出しに仕舞い込まれているのだが、思い出さないというのは何らかの原因でそれが取り出せないだけなのだ。これは適度な刺激を頭に与えて、知りたいことをその引出から引きずり出す」

「ひ、引きずり出すのか……」

 騒動の種をまき散らす迷惑な藩主だが、それでも大切な主君である。手荒なことをして、今より脳が変な嗜好に特化したならば、藩の命運は風前の、いや嵐の中の灯である。

 不安そうな左内の表情をものともせずに、得意げに右京は風呂敷包みをほどいた。

 中からがらがらと、頭にかぶせてちょうどいいくらいの白い椀型のからくりが数個転げ出した。

「これをかぶってみろ」

 右京が放ってよこした白い椀をかぶる左内。それは(もとどり)をすっぽり隠し、眼の上まで覆うくらいの深さがあった。

「今から先ほどの私の記憶を再現してみるからな」

 右京もヘルメットを装着して、取り出した四角い箱に付いている丸い突起をこねくり回した。

「それではいいか、行くぞ。目をつぶって見ろ」

「うわっ、なんだこれは」

 目を閉じたはずの左内の目の前に、何処から調達したのやら、怪しげなガラクタが積み上がっている光景が鮮明に浮かび上がった。ガラクタを眺めまわす視界は、自分の意志とは関係なく高速に上下左右に振り回される。

「き、気分が悪い……」

「ふ、凡人の悲しさ、天才の頭の働きについていけないようだな」

 船酔いにも似た嘔気と戦う左内に、からかうような右京の言葉が降ってくる。

「いや、この視界が……」

「言い訳はしなくていい、貧弱な頭の持ち主と私を比べる方が可哀そうであったな。まあ、もう少しこの私の神のごとき頭の回転を堪能するがいい」

 そうこうしているうちに、ガラクタは奇妙な機械によって成型され、妙な配線が内側にとりつけられ、見る見るうちに今頭にかぶっているそのからくりに変化して行く。

 と、視界が大きく動き、目の前に積み上がった羊羹がいきなり右京の手によってむんずと掴まれる。

「ご、ごふっ」

 一本をそのまま丸かじりする感覚が喉に伝わってきて、左内は咳き込んだ。

「もういい、止めてくれ。私は甘い物が苦手なのだ。この甘どろっとした喉越しで気分が悪い、目を開けてもいいか」

「へへへ残念だったな、一度同調するともう目を開けても見えるのはこの画像のみだ」

 左内の懇願にも耳を貸さず、右京はカラクリを止めようとはしない。

「一体何本食う気なんだ、この物の怪っ」

「ちょっと待て、今良い所なのだ、甘味が喉から、こう首を伝って、脳天に染み渡ってく~~」

 その言葉が終わるか終らないかの時、激しい閃光が左内の目に飛び込んできた。同時に右京の絶叫が響き渡る。

「こ、焦げ臭い……」

 左内は慌てて、頭から椀を外す。

 そこには、総髪をちりちりに焦がした右京が黒目を上転させてひっくり返っていた。

「興奮しすぎて、暴走したのか……」

 左内は呆然と、黒くなった右京のからくり椀に視線を落とす。

「やっぱり、撒いておくか」

 左内は右京に、そっとひとつまみの塩を振りかけた。




「本当に大丈夫なんだろうな」

 正気を取り戻した右京に左内が何度目かの同じ質問をする。

「ああ、今調整したところだ。今度は暴走しないように感度を最低に落としている」

 左内と右京は、藩主が横たわる奥の寝所の入り口にかしこまって声をかけた。

「殿、左内と右京が参りました。御目通りをお許し願えますか」

「おお、入れ」

 朝にお会いした時よりもずっと元気そうな藩主の声に、左内はほっと安堵のため息をつく。二人は椀型のからくりをもってそそくさと藩主の寝所に入った。

 寝ている藩主の足もとには小姓の忠助、忠太郎がかしずいている。

「待ちかねたぞ、右京」

 右京?

 左内は、神妙に平伏する右京をちらりと見やる。殿と右京、この二人が合意する時には、極めて注意が必要であることは今までの経験から、御家老様にはとっくに御見通しであった。

 左内が朝、藩政の話をした時にはどんよりとした目を宙にさまよわせていたはずの殿が、なんと布団から半身を起こしてらんらんとした目つきで二人を出迎えているではないか。

 これは、ますます変だ。

「その快楽再現装置とやらは、できたのか」

 殿の鼻息が荒い。

 ちょっと待て、なんだその快楽再現装置とは……。左内が右京を横目でにらむ。しかし、右京はどこ吹く風とばかり左内を無視して、殿に向かって満面の笑みでうなずいた。

「ははっ、殿からいただきましたる金子で露草堂の甘みを買い占めましたゆえ」

 先ほどの羊羹の出資者は、右京の甘言に釣られた殿か。左内は鼻を膨らませる。

 それでもまだ甘みが食べたりないとは、コイツは本物の妖怪だ。左内は着物の上からそっと懐を押さえた。そこには奥方様の清めの塩が忍ばせてある。

「さっそく、そのからくりを見せよ。我が記憶が無いのは誠に残念。百戦錬磨のこのわしがこのような失態をするとは、毒を喰らっても良いほどの上玉に会ったに違いないのだ。何しろ我が座右の銘は、毒を喰らわば更に盛り手までねぶれ、だからのう、もちろん女性(にょしょう)限定だがな、わははははは」

 上機嫌の殿に左内はおずおずと切り出す。

「殿、先ほどこのからくりは、右京をごらんになってわかるように強い刺激で爆発を……」

「おお、そんなに刺激が強いのか」

 殿は布団の上に仁王立ちになった。

「わしは無くした記憶が早く取り戻したいのだ。うなされていた時もだな、あの甘美な感覚だけは波のように押し寄せてだな……」

「殿が失くされたその快感、この天才右京が取り戻してごらんに入れます」

「おお、任せたぞ、天才右京」

 盛り上がる二人を横目に左内は溜息をつく。

 殿が何処に行って、何をされたのか解明しなければならないのではあるが、彼は胡散臭いこのからくりの能力を、どうも信頼する気にはなれない。

「忠助、忠太郎。お前達は次の間で控えて居れ」

 左内は物欲しげな視線でじっと椀を見つめている二人を追い払った。兄弟は名残惜しそうに、何度も振り返りながら部屋を出ていく。

「さ、苦しゅうない。右京、早くわしを徒然草の吉田兼好のように激しく妖しく物狂おしくしてくれっ」

 殿と同列に思われては、吉田兼好様に気の毒だ。

 左内はそっと心の中でつぶやく。

 右京は三人に、椀を渡し、例の突起がいくつも付いた四角い箱を操作し始めた。

 殿の目がだんだんとろりと垂れ下がり、そして小さいうめき声を上げると床の上にごろりと転がった。

「う、右京、これは?」

「失われていない記憶ならば起きていても鮮明に再現できるが、失われた記憶の痕跡をつなぎ合わせて画を作るのは、雑念が入る起きている状態では難しい。と、いう事でちょっと殿には寝ていただくこととする」

 右京はにやりと左内の方を向く。

「お前、後でお叱りを受けないか?」

「なあに、再現された絵は保存しておけるから、あとから殿の希望されそうなところだけを切り貼りしてお見せすればいいだけの話だ。さ、行くぞ」

 右京は、小箱の上で指を躍らせる。

 と。

「こ、こ、これはっ」

 左内がいきなり小さな叫びをあげて突っ伏した。

 御家老様の弱い鼻腔から赤い血がぽたぽたと……。

 殿の頭から流れ出した画像は、破壊力のある総天然色の濃厚な濡れ場だった。

「何を驚くことがある、こんなものは単なる雄と雌の交わりではないか。そこいらのトンボや、ネズミとなんら変わることが無い生命の営みだ」

 呆れたように右京がため息をつく。

「い、いや、でもこれは……」

 目を瞑っても、初心者にはきつすぎる画像が頭の中に直接飛び込んでくる。

 こういった刺激に極めて弱い左内は、頭を馬の(ひづめ)で激しく蹴られているような感覚に襲われていた。

「ええい、私を貧血で殺す気かっ」

 左内は叫んで右京の襟首を掴んで揺さぶった。その途端、右京の指が小箱に触れる。

「こんなもの見たくは……」

 左内の言葉が止まった。

「お武家様、精力が付きますよ」

 場面が変わって、女が殿に盛り上がった天ぷらを勧めている。

 左内の耳に、少々の事では動じない右京が息を飲む音が飛び込んできた。

「こ、これは……稀代の薬草ヂギターリス」

「なにっ」

 左内は床の間に活けられた、神楽の時に巫女が使う鈴のごとく釣鐘に似た細長い紫色の花が連なっている植物を凝視した。よく見ると花は柔らかい白い毛に覆われており内側には細かな紫色の斑点が浮き出ていた。

 そして、なんと活けられているのと同じ紡錘形の葉っぱが天ぷらになって女の持つ皿に盛られている。

「切れの良い妙薬でもあり、間違えて使うと毒にもなるという。この危うさが、た、たまらない」

 不謹慎な右京のつぶやきに、左内は思わず相手の鼻をつまみ上げた。

ジギタリスの花

挿絵(By みてみん)

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