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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
お江戸に炎の雪が降る
34/110

その1

すいません、今回も下品です~~。

更新は毎週土曜日変更しました。(体調、ネタ切れなどの諸般の事情により変更もあります)不定期に誤字等のメンテナンスを行います。ご了承ください。

「おい、少しは落ち着いたらどうなんだ」

 目の前を、腕組みをしたままあっちにうろうろ、こっちにうろうろ。

 一瞬たりとも動きを止めない左内を、見るに見かねた右京が声をかける。

「檻の中のサルの方がまだ落ち着きがあるぞ」

 左内は藩邸の入り口で眉間に青筋を立てて歩き回っている。右京の声も、聞こえているやらいないやら、固く結ばれた唇からは一言の返事も無い。

 平たい庭石に腰を掛けて、右京は肩をすくめる。

「藩主元気で、留守がいい。って言うじゃないか」

「言わんっ」

 血走らせた目をいっぱいに開いて左内が振り返った。

「今まで御乱行はあっても、2日にわたって館を留守にされることは無かったのだ。今回は違う。3日だぞ、3日」

 ほとんど寝ていない左内の顔色は何時にもまして真っ青である。

「ああ、まさか御登城の帰りに(かご)から抜け出すとは……」

 天晴(あまはら)公の脱走方法も、最近ますます磨きがかかってきている。今回は、いつの間にやら籠からいなくなるという奇術師ばりの技を披露して、忽然と姿を消してしまった。

「心配するなよ。忠太郎によれば、何やら新しい意中の方ができたとおっしゃっていたらしいから、多分、浦島太郎よろしくそこから帰れなくなってるんだろう」

「馬鹿な。いくら殿でも、外泊を続けて万が一の時に江戸城に駆けつけられない事態となってはただでは済まないことをよく御存じのはず。何かの原因で、帰れなくなっているとしか思えない」

「長い梅雨で、脳にカビでも湧いたかな」

 まるで他人事のようにつぶやくと、右京は目を細めて空を仰いだ。

 抜けるように青い空からは、梅雨明けの陽射しがさんさんと降ってくる。

 貧乏藩ゆえ、梅雨の時期はやれカビだ、やれ雨漏りだと騒がしかったが、明けてみるとあれだけ焦がれたその晴れ間さえも、刺すような光がかえって鬱陶しく感じられる。

「殿の場所がわかる何かいい方法はないのか」

 その質問は一昨日から耳にタコができるほど聞いている。右京は黙って顔を横に振った。

 以前、殿の放蕩に閉口した藩士一同が共謀して右京に頼み、殿に電波が出る印籠を贈呈した。しかし、印籠から発される電波が居室から動かないので安心していたところ、ちゃっかり本人はお遊びに抜けだしており、発見されたのは座布団の上にぽつねんと鎮座している印籠のみであった。

 勘の良い殿を縛り付けておく手立ては皆無といっていい。

「もし、殿に万が一のことがあれば……」

 がっくりと頭を垂れる若い御家老様。しかし、その姿を見ても盟友は眉ひとつ動かさない。

「お前のその台詞も聞き飽きたぞ」

 太陽も真上に来ている。空腹と、退屈で不機嫌も頂点に達している右京は頬を膨らませて、口を尖らせた。

「おい。もう、帰っていいか」

「ちょっと待て、お前腐っても藩医だろう。殿にお怪我や御病気があった時はすぐ対処できる場所にいるのが義務というものではないのか」

「今まで立ち会っても、お前からいまいち感謝を感じることが無いんだがな」

 図星の指摘に、言葉を詰まらせる左内。

 いつも何かと呼び出しておいて悪いのだが、彼のしでかす様々な所業にはどうも感謝の気持ちが沸かないのである。

 その時、ばたばたと騒々しい足音が門に飛び込んできた。

「御家老様――っ」

 駆け込んできたのは、藩邸の外で殿を探していたお小姓の双子。忠助と忠太郎である。

「殿が、お、お帰りになりましたっ」

「本当か、御無事なのか」

 安堵の余り、緊張していた神経の糸が切れたのか、左内は手で門柱をつかみ、ぐらりと傾く身体を立て直した。

 双子はチラリとお互いを見て、首を傾げる。

「どうも、御様子が変なのですが」

「変なのはいつもの事だろう、あたたっ」

 不謹慎な右京の耳を左内が思いっきり引っ張る。

「何をするっ」

 右京の憤慨はそっちのけで、左内は門の外に飛び出した。

 藩士に両脇を抱えられ、青い顔の天晴公がよろよろと入ってくる。口をきく元気も無く、眼の焦点も合っていない。

「殿、こちらへ」

 気が回る忠助が戸板を運んできた。

 さっそく、人々が殿を取り囲んでそっと横にする。

「ああっ、その板は……」

 突然左内が悲鳴を上げた。

「これは俵屋の絵師が描いた松の絵で、我が藩唯一のまともな質草になる品だと言うのに……」

 左内の言葉が終わるか終らないかのうちに、殿が激しく嘔吐した。

 ああああ。左内の頭の中ではじかれていたそろばんがさーっとご破算になる。貴重な質草の最期に左内は思わず眼を瞑った。

「さ、左内……」

「殿、いったいどうされたというのです」

 苦しい息の下、殿の目がとろんと虚空をさまよう。

「頭が痛い……、それにしても左内、いつから二人になったのだ?」

「殿、飲みすぎですか?」

 御家老様の顔が曇る。

「ああ、世界が黄色い……」

「遊び過ぎですっ!」

 殿の言葉がすべて遊興の挙句の戯言に聞こえて、左内の語調が厳しくなる。

「いや、待て」

 申し訳程度に腕の脈をとっていた右京が左内を制した。

「脈がえらく遅い」

「それは、どういうことだ?」

 脈をとりながら首を傾げる右京の背中を怪訝な顔つきで見つめる左内。

「黄視、複視、そして嘔吐。除脈とくれば、考えなければならないのは……」

 右京は左内の方を振り返った。

「ヂキターリス中毒だ」

「なんだ、そのヂ、ヂギなんとかというのは」

「西洋の草花だ、外国でむくみに対して民間療法として使われている。まだよくわかっていないのだが、私が長崎で伝え聞いたところによると効きすぎると、嘔吐や除脈など激烈な症状があるらしい。日本には無い草花のはずだが……」

「と、いう事は殿は毒殺されかけたのか?」

「毒殺ならもっと手っ取り早い方法がいくらでもあるはずだ」

 二人は顔を見合わせた。

 ジギタリス(江戸時代はヂギターリス:疾吉答力斯、と呼ばれていたようです)は1823年ごろにシーボルトによって日本に持ち込まれました。欧米ではジギタリスを含むいくつかの薬草を混ぜたものが副作用は強いが良く効く「魔女の秘薬」として水腫むくみによる民間薬として使われていましたが、スコットランドの医師ウイリアム・ウィザーリング(Dr. William Withering)によって初めてジギタリスによる強心作用によるものと明らかにされました。それが発表されたのが1785年ですから、クレージー右京の時代にはまだ薬としては正式に確立されていませんでした。

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