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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
春が来た来た! 美行藩
31/110

その11

「ええい、この物の怪っ」

 後世、俗に『お姫様抱っこ』と呼ばれる抱き上げ方で殿を持ち上げていた賊の首領だったが、あまりの変貌に衝撃を隠しきれない。

 身体がわなわなと震え始め、首領はその気持ちの悪い物体をおもいっきり足元に投げ捨てた。

 腰を打ち付けたのか、へっぴり腰で逃げようとする殿。だが、その背中は長い足で強く踏みつけられ、さながら潰れたカエルのように手足をじたばたさせている。

「ええい、物の怪の分際でわしを愚弄したなっ」

「馬鹿者、お前が勝手にわしに懸想したんじゃないかっ」

 さんばら髪で、無精ひげを顎に生やした殿がキイキイ声で叫ぶ。

 この姿、まるで四天王に調伏される悪鬼のようだ……。

 左内はふと頭に浮かんだ不埒な想像を、首を振って打ち消す。

 それどころではない。形勢は、極めて、極めて不利。

 首領に今打ちかかると、敵の足下の殿の命が危ない。

 どうしようもできずに左内は、立ちすくむ。

 せめて殿が大人しくして、首領が隙を見せてくれれば。

 しかし、あの鼻っ柱の強い殿が敵に対して従順にできるわけが……。

 左内の心配は的中した。

「このような気持ちの悪いものを、今まで見たことが無いぞ」

 刀を持つ首領の手が、まだぶるぶると震えている。

「その物の怪に接吻されて昇天したのは何処のどいつだ」

 殿の物言いに、首領の濃い眉毛の横にくっきりと青筋が浮かび上がる。

 止せばいいのに、踏みつけられながらも平然と殿は挑発を続けた。

「そういえばお前、さきほど黒星が重なる奴、という言葉に反応したな」

 殿の言葉に、首領の目がギラリと光った。

「黒星を持つ家紋と言えば、望月、千葉、そしてここ最近一段と勢力を増してきた七曜の……」

「ええい、この減らず口の妖怪めがっ。成敗してくれる」

 皆まで言わさず、首領は殿の首に向かって勢いよく刀を振り下ろした。

「ま、まて……」

 いきなりの展開に、左内が右手を広げて走り込む。

 殿までの一間(約1.8メートル)の距離は、真下に振り下ろされる刀との競争において、余りにも遠い。

 彼の目の中では、まるで時間がその歩みを止めたかのように、ゆっくりと進んでいく。

 全力で飛び込んでいるのに、殿との距離が縮まらないもどかしさ。

 振り下ろされた白刃は焦る左内をあざ笑うかのように、主君の白い首筋を両断せんとばかりに容赦なく襲い掛かる。

 ひゅっ。

 その時、左内は何かが自分を追い越していくのを感じた。

「と……のっ」

 首に刀の影が細く映る。

 弾丸のように突進する左内。

 しかし、彼の目前で、刃が首筋に吸い込まれていく。

 さすがの殿も目をつぶった。

 次の瞬間。

 何かが白刃を(くわ)え込んでその軌道を反らした。

 首領が刃先を改める暇も無く、飛び込んだ左内の右こぶしが一閃する。

 狙い過たず、それは敵の顎の下から突き上げるように、流星のような曲線を描きながらめり込んだ。

 体制を崩して首領が仰向けにひっくり返る。

「お逃げくださいっ」

「きゃあ、怖いわ、怖いわ。おさなっ」

 左内の背に隠れて黄色い声を上げる殿。

「もういいです。ばれてますから……」

 左内は早く顔を隠してくれと言わんばかりに自分の半襟を殿に押し付けた。

「それより足手まといなんです、早く皆のところに」

 左内の周りを部下たちが取り囲む。

 彼は殿を人質の輪の中に突き飛ばす。

 彼らの中に手練れがいるようだ。多分味方してくれるだろう。

「私が時間を稼ぐ、何とかしろっお京っ」

 左内は首領に飛び掛かりながら叫ぶ。

 あとは頼りにならないが、右京がなんとかしてくれることを祈るしかない。

「ふおっ、ふおっ、ふおっ。どうじゃ物の怪殿、これが奥義真剣入歯取りというもんじゃ」

 殿の傍らで、入歯の抜けた口の漆黒からくぐもった笑いが漏れる。

「助けてくれたのはお蝶か、あっぱれであるぞ」

 殿は好敵手の手を握る。

「ま、袖振り合うも多生の縁だからね」

 入歯の抜けた皺だらけの口をゆがめて老婆はにやりと笑みを返した。

「乳繰り合うも、多少の艶、とも言うがなあ」

 殿は、好色な目をお栄に向ける。

「言わんッ」

 老婆の鉄拳が殿の頬に炸裂した。

「お京さん、なにかいい案でも?」

 おずおずと尋ねるお栄。

「果報は寝て待て」

 右京は大きなあくびをして目を閉じた。

 その時。

 ぴしっ。

 殿の額から生えてきた透明な芋虫が右京の額を打擲(ちょうちゃく)する。

「痛いっ、殿、何をなさるんですか」

 ドリアンコウの先端は有無を言わさず、右京の額にペトリと吸い付く。

 その途端、右京の脳裏は、険しい顔の白い鶏で一杯になった。

「このすっとこどっこいっ! たまには人のためにその無駄に働く頭を使えばどうなのさっ。御主君と左内様が居なくなったらあんた、桜餅も、羊羹も、きんつばも一生あんたの口には入らないんだからねっ。いいのっ?」

 現れるなり、おけいは頭蓋を揺るがすばかりの剣幕でまくしたてる。

「そ、それは……」

「あの高級な松風も、団子も、芋羊羹も、練りきりも……」

 好物の連呼に右京の瞳がうろうろと左右に揺れ始めた。

 おけいの脅迫が、彼の脳をいたく刺激したらしい。

 眼振はどんどん早くなり、かっ、と開かれた彼の瞳が禍々しい黄金色に閃き始めた。




 

 飛び掛かったまでは良かったが、形勢は簡単に逆転された。

 男の身体であれば、そこそこ付いている筋肉が、女性化したためにごっそりと無くなっている。

 これ以上無いくらいに急所を突いた打撃も、女性の力でしか打てなかったため相手への衝撃はさほどのものではなかったらしい。

 今の左内は馬乗りになって組み敷かれたまま、これ以上接近されないように相手の肩を押しかえすのが、精いっぱいだ。

「ふふん、少々武芸の心得があるからといって生兵法は怪我の元だぞ、娘」

 近寄ってきた部下に、首領は部下に手を出すなとばかり首を振る。

「しかし、お前、どこかで……」

 左内は両手を広げて顔を覆う。

 首領の手が左内の手を外そうとのびた時。

 すかさず、その手を抱え込むと、左内は身体を右に捻じった。

 彼の身体とともに首領の身体も横倒しになる。

 素早く身体を起こした左内であったが、逃がすものかとばかりに首領の手は彼の帯を掴む。

 町娘風に簡単にしか結んでいない帯ははらりと解けて、その一端を首領が引き寄せると、華奢な左内の身体は回転して洗い場の床に崩れ落ちた。

 そのまま激しく帯が巻きとられるとともに、なす術も無く床に転がる。

「おおっ、相手が奴でなければ、わしがやりたいくらいじゃ。いでででっ」

 脳天気な主君の鼻の穴にドリアンコウが突進して、お仕置きとばかりにごっそりと鼻毛を引き抜いていった。

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