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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
春が来た来た! 美行藩
30/110

その10

 春の日差しも傾きかけると早い。おけいと忠助、忠太郎は、小伝馬町牢屋敷付近の湯屋を片端から覗いている。人探しだと言って湯銭も払わず覗くものだから番台からはいい顔をされないが、彼らは若年ながらも見かけだけは大小を下げる武士であり仕方なく通す湯屋がほとんどであった。

「あ、兄上。職務とは言え、こ、これは望外の幸運」

「鎮まれ、忠太郎」

 もっともらしいしかめっ面でたしなめてはいるが、兄の忠助もまんざらではなさそうである。

 眼福は得ているようであるが、ここ大伝馬町一丁目に至るまで彼らに本来の収穫は無かった。

「あんたたち、真面目におやり。御家老様に何かあったら美行(みくだり)藩の明日はないんだからねっ」

 抱きかかえられながら、おけいは二人を小声で叱りつける。

 人前で大っぴらに人語を話すことは無用な禍を呼ぶことになるやもしれず、おけいは時々あたりを見回しながらコケコケとわざとらしく鳴いて普通の鶏を装っていた。

「あそこに湯屋がある」

 忠太郎が通りの端っこに、軒から下がった弓矢を見て指さした。

「でも、閉まっているようだな」

 まだ陽も落ち切っていないにも関わらず、その湯屋はしっかりと戸が閉じられていた。忠助は残念そうに首を振る。

「それにしても、なんか騒ぎがあったのか」

 忠太郎の視線の先には、その湯屋の屋根から落ちたらしい真新しい瓦が路上に散らばっていた。

「おい、ここは今日は休みか?」

 御遣いであろうか、近くを足早に通り過ぎる丁稚らしき少年に忠助が声をかける。

「今日は早じまいしたようです。なんでも、昼にこの湯屋がひどく揺れたらしくて。皆火を使っている場所だし、何かがはじけ飛んだんじゃないかって言ってましたが……」

 丁稚は、それだけ言うと一礼してそそくさと走り去っていった。

「妙だねえ」

 おけいが一渡りあたりを見回した時、彼女は自分をじっと見ているひとりの男に気が付いた。粗末な着物を着た、眼が異様に鋭い男である。

 おけいはその男の姿に見覚えは無かったが、男の視線はおけいからするりと抜けると忠助、忠太郎の姿に釘付けになった。

「な、なんだか嫌な予感がするわよ」

 おけいが忠助、忠太郎の耳元でつぶやく。

「え? 嫌な予感」

 忠助が不安そうに聞きかえす。物事を大っぴらにしないようにおけいに言われて二人だけで探索にきたものの、武芸者集団に太刀打ちできる力などないことは二人が一番よく知っている。

「でも、それって本丸に近づいているってことかもしれないけど」

 おけいはかすかに首を傾げる。

 しかし、悠長に構えている暇は無かった。

 その男が何やら目配せをすると、物陰から数人の仲間らしき男たちが姿を現した。仲間達は、町人風だがこの男よりもずっとましな着物を着ている。彼らは、さりげなく二人と一匹に近づき、夕闇に紛れて、あっという間に取り囲んでしまった。




 こちらは占拠された湯屋の中。

 お蝶の横に座っていたお栄が何やらもぞもぞと身体を動かす。ぷっくらとした赤い唇が何度か開いては閉じ、しばらく繰り返したあげく、彼女は意を決したように傍らの世話係に声をかけた。

「お、お蝶……」

「なんですか、お嬢様」

 お栄はお蝶の耳元に口を寄せると白い頬を染めて、なにやら話しかけた。

 世話係は大きくうなずくと、見張りに声をかけた。

御不浄(ごふじょう)に行かしてもらえないかね」

 この湯屋の便所は、外にある。

「お前か?」

 見張りはうるさそうにお蝶に目をやった。

「察しておくれよ」

 お蝶は、傍らで(うつむ)いている少女のほうに尖った顎を向ける。

「仕方ないな、野郎ならそこいらでさせるんだが」

 見張りは仲間を呼んで耳打ちする。

 お栄とともに立ち上がったお蝶に、見張りは抜いたままの刀を突きつけた。

「おっとお前はそこに居ろ。お嬢さん変な真似をしたら下女の命がないぞ」

 お栄は、そっとうなずくと男とともに風呂屋の裏から外に出て行った。

「いや、お前の御主人はしゃぶりつきたいほどのいい女だな」

 どんな時でも自分の趣味を忘れない天晴(あまはら)公がお蝶に話しかける。

「なんか、箱入りのお嬢様のくせして、白くてむっちりとした肌からはむんむんするような色気が立ち上ってくる。傍らにいるだけで、なんだかこちらまで、もう、こう、居ても立っても居られない……」

「お、お蜜様。はしたない」

 見るに見かねて左内がたしなめる。

「あの色気がわからないのか。残念な石頭だな、お前は」

「わかりませんっ、って言うか、それどころではないでしょう」

 左内の目が冷たい。

「ま、女性からは目に見えない気が出て男をひき付けていますから。お若いお栄さんからそういった気が多量に出て殿のお気持ちを迷わしても不思議ではありませんな」

「おお、お京。天才のそなたは儂の心持がわかってくれるか」

 我が意を得たり。殿はうれしそうに声を上げる。

「しかし、女性(にょしょう)とは形態は違えど同じ人間様には違いありません。殿の心持は全然わかりませんがね」

「そなたは(ことわり)という悪鬼に魂を売っておるからな。ふん、どいつもこいつも面白くない奴らだ。人生楽しくないだろう」

「お蜜様が楽しみすぎです……」

 左内が頭を抱えた時、お栄が恥ずかしそうに帰って来た。

 薄暗い中、洗い場を歩いてきたお栄は時々滑りそうになりながらも、無事にお蝶の横に座り込んだ。

「三助、ちゃんと磨いてるのかい、この床」

 新しい造りなのに、予想以上に湯垢の付いている洗い場にお蝶が文句を言う。

「もちろんだよ、終わってからいつも塩と藁で磨き立ててるんだけどさ……、他の湯屋の廃材をもらって作ってるところもあるからどうしても汚れてんだよ」

「ちぇっ、新しいのは見てくれだけかい」

 お蝶がそっぽを向いた時。

 再び、湯屋が揺れ始めた。

 ぱらぱらと落ちてくる天井の埃。

 左内は殿を、そしてお蝶はお栄に覆いかぶさる。

 土砂を巻き上げ、賊どもが出てきた穴の真横にぽっかりともう一つ穴が開いた。

 そこかららせん状の尖った先端を持つ円柱の金属が出て来たかと思うと、再びばらばらと数人の男たちが飛び出してきた。男たちは皆、背中に大きな荷物を抱えている。彼らは床に荷物を置くと手早く広げ始めた。

 何事かと、湯屋の二階から首領が降りてきたが、男たちの到着を知ると満面の笑みを浮かべた。

「お待たせしました、御頭。地上からお迎えに上がるよりも、どうせなら地下に穴を穿(うが)つ方が逃げやすいと思いましたのでな」

 荷物を広げる男たちの後ろから、長方形の布を縫い合わせた頭巾をかぶった男が進み出て首領に声をかけた。男の顔の下半分は頭巾で覆われているが、小ぶりだが鋭い目と細い眉だけが覗いている。

「おお、ここまでおいでくださるとはかたじけない」

 首領が頭を下げる。

「あなたは計画に大切な方だ。むざむざとこんなことで失う訳にはいきませんからな」

「そろそろ退散だ、皆急いで着替えろ」

 賊たちは持ち込まれた着物に着替える。

 首領の命令で天井からつるされた八間と呼ばれる魚油を燃やした八角形の行燈にも灯りがともされる。彼らの着替えは着々と進んで行った。

 もう少しで解放されるかも。

 淡い期待を持って左内は彼らの着替えを見ている。

 しかし、次の瞬間、彼の期待はものの見事に打ち砕かれた。

「お前は一緒にくるんだ」

 首領の左手が殿の腕を掴んだのである。

「お前のようないい女に会ったのは初めてだ。俺の女になれ。お前のあの技があれば、当代一のくノ一になれる」

「馬鹿を言うな。本当は男なんて触るのもけがわらしいのだっ」

 殿が立ち上がって首領を睨みつける。

「その、気の強い所がそそられるのだ。こい」

 首領が殿の手をぐい、と引き寄せる。

 殿の身体がぐらりと揺れた。

 このままにしてはおけない。

「やめろっ」

 左内が首領に当て身をくらわせた。

 予期していなかった攻撃に、殿と首領は離れて床の上に投げ出される。

 しかし、さすが左内と互角に戦うことのできる首領である。すぐさま体制を立て直し、逃げる殿をすくい上げるようにして抱き上げた。

「無駄だ。こんないい女をむざむざ手放し……」

 そのとたん、首領の声が裏返った。

「うわっ、だ、誰だお前っ」

 目の前には、あごひげを生やした不機嫌そうな男の顔。

 おまけに、カツラがとれてザンバラ髪が広がっている。

「あ……」

 左内も立ちすくむ。

 湯屋の時が止まった。

4/13は更新お休みします。

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