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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
ドリアン騒動
3/110

その3

「ご、五十両だと。そんなムダ金、今の我が藩は逆さまに振っても出てくるはずがない」

 細い目を見開いて、思わず立ち上がる左内。

 その前で平然と座ったまま、ずずずーっ、とばかりに茶をすすっているのは、忠助達に呼び出されてきた右京である。

「あいかわらず、露草堂の栗饅頭はうまいなあ。いや、頭を使うと甘いものが欲しくてなあ」

 自分の菓子を食べ終えた彼は、無遠慮に左内の前に置かれた茶菓子に手を伸ばす。

「栗饅頭くらいなら、好きなだけ買ってやる。しかし、五十両はないだろう」

 右京が守銭奴ではないことを左内自身も良くわかっている。この破天荒な発明家は俗にいう金銭感覚が無く、実験や発明となると深く考えもせず湯水のごとく金を注ぎ込んでしまうのである。日々細かなやりくりをして何とかこの江戸藩邸を支えている左内としては彼に金を渡すのは、底なしの井戸に放り込むのと同じこととしか思えない。今の美行(みくだり)藩には、そのようなムダ金は一文たりとも存在しないのである。

「私は聞き違えたようだ。ドリアン献上の件でなんとしても私の力が借りたいと、御家老様が切望していると思ったのだが」

 ちらり、と意味ありげな視線を投げかける右京。

「そ、それはその通りだが」

「献上を約束した品が用意できなければ、一大事。だなあ」

 左内の額から汗が浮き出る。

「そんな大金、な、何に使うんだ……」

「紅毛達に頼み込んでこっそりと異国の薬品や鉱物を持ってきてもらうのには金がかかるんだよ。おい、私の発明が藩の役にたってないとは言わさないぞ」

「確かにお前のおかげで知能の高い鷹を献上することができて、殿に対する将軍の御覚えがめでたくなったというのは確かだが」

 しかし、その前に実験台になった鶏が賢くなってしまい、わが身を嘆く詩をつぶやいたりし始めたものだから食べるに食べられなくなってしまったというおまけ付である。これは余談だが、忠太郎は鶏に算術を教えてもらったらしいともっぱらの評判であった。

「金日照りで私の好奇心を日干しにすれば、残されたわずかな希望の糸も断ち切るなるぞ。お前ドリアンが欲しいんだろう」

隧道(ずいどう)は壊れたようだが、本当に手に入るのか」

「それは一か八か。やってみなければわからない。ま、とりあえずは先立つものだな」

「くううううっ」

 端正な顔に青筋を立てて、左内は右京の申し出を飲み込んだ。




「また、アイツらいったい何を始めやがったんだ」

 隣の屋敷からいきなり聞こえ始めた、土木工事らしき音。

 何事かと庭に出てきた池津(いけず)曽根美濃(そねみの)(かみ)はしなをつけて鼻を袖で防ぐと、うりざね顔の上の細い眉をひそめて、隣の館を睨みつけた。

「埃がこちらにまで流れてくるではないか、あの阿呆ども。すぐ止めさせろ」

 曽根美濃(そねみの)藩も美行みくだり藩と同じ2万石。同じ2万石でも、実は肥沃な土地を多く持つ曽根美濃藩のほうが、潤沢な資金を持ち歴史も古く格も高い。

 にも関わらず、何ひとつ優れたところの無い隣の藩主が再々、将軍家治から直々の呼び出しを受けて登城するのが池津公にとって悔しくてたまらない。彼は事あるごとに隣の主従を目の敵にしていた。

「あの、先ほど隣の片杉様からご迷惑をおかけする故とすでに頂き物を……」

「うるさい、つっかえせ」

 怒鳴られた配下の者は、おずおずと上申する。

「奥様が対応に出られて工事の件を快諾されておられます。それに頂き物の露草堂の栗饅頭はすでに奥様の臓腑の中に……」

「ふん、どこがいいんだか、あんなうらなり家老」

 いちいち卒のない仕事をする隣の留守居役家老だが、実は彼の存在も池津公の勘に大いに触っている。なぜなら、池津公の奥方が彼の大ファンで、彼の姿が見えるたびに黄色い声を張り上げるのである。そればかりではなく、例の錦絵まで買い込んで日々にやにやと眺めているのもさらに気に食わない。

「いいか、よく監視しておけ。何か妙な動きがあれば、わしが大目付様に申し出てやる」

 のっぺりした蛇系の顔をにやりとゆがめると、性格の曲がった池津公は鼻を鳴らした。

「そうすれば、あんな貧乏藩すぐにお取り潰しだ」




「ドリアンは約6から15(けん)(約10から30メートル)にまで成長する。ドリアンがすっぽり入るくらいの建物を建ててくれ」

 右京の指示で縁側で庭に急遽しつらえられた足場に、ねじり鉢巻きの人足風いでたちとなった美行(みくだり)藩の武士たちが、下手な大工より慣れた手つきで急ごしらえの細長い小屋を建てている。なにしろ、そうそう建て替えもできない貧乏藩であるから、藩邸が壊れるたびに常に彼らが立て替えているのである。これで上手くならないはずがない。

「よいよい、太平の世は剣術よりも、こういう実際に役立つ技術が大切じゃ」

 美行藩主は庭に下りてきて、目を細めながら立ち働く彼らの姿を見ている。

 ちょっと茶色がかった悪戯っぽい瞳、キリリとまっすぐに伸びた眉。すらりとした無駄の無い体格で、三十路というのにまだ二十代と言っても通りそうな若々しさである。

 お洒落で名高い殿の本日の服装は、初代尾上菊五郎が好んだとされる、「梅幸茶(ばいこうちゃ)」と呼ばれる茶色がかった黄緑色の着流しに艶のある臙脂(えんじ)の帯を巻いたお洒落な取り合わせ。髪型は無骨な大銀杏ではなく、月代を大きく剃ってわざと髷を短くしその先端を広げる、町方風の銀杏髷に崩している。これは与力などが結うことの多い粋な髪形であるが、左内に言わせればこの髪型は藩邸を抜け出して悪さに行く際に、町方のふりをするための擬態に他ならない。

 国元を離れて江戸に付いてきた武士たちは、暇を持て余すことが多かった。他の藩は勉学や武芸の鍛錬を奨励したりするのだが、剣術と努力が嫌いな天晴(あまはら)様は武芸よりも内職を奨励したため、美行藩の江戸藩邸には妙な技術を持つものが多く存在する。浮世絵の名手や、井戸掘り名人、果ては着付けや髪結いが趣味というものまで、多種多彩だ。

「我が藩の者達は、いつお取り潰しになっても、生きていけますわよねえ」

 殿の傍らで口に手を当てて、おっほっほ、とばかり朗らかに笑いながら物騒なことを言うのは、天晴様の奥方である。垂れた目にふっくらとした桃色の頬を持つはんなりとした女性で、歳は殿よりも2歳年上の姉さん女房であった。しかし、外見とは違ってこの奥方、実は豪胆で大雑把。さっぱりとして細部にこだわらぬ性格のため、美行藩の奥向きは奉公し易いともっぱらの評判である。

「左内、左内がおらぬが。何処へ行ったか知らぬか、忠助」

 こういう藩を上げての大仕事には必ず小姑のように顔を出し、細やかに差配する家老の姿が居ないのに気が付き殿が首を傾げる。

「は、先ほど金の工面に行かれました」

「それは申し訳ないことですねえ」

 奥方が目を伏せる。

「ここに賭場でも立てられれば、荒稼ぎできてよいのですが」

「奥方様、そ、それは……」

「おや、忠助、馬鹿におしではない。こう見えて私には賭才があるのですよ」

 いや、そういう問題では……、幕府が禁じておるのです奥方様。とお小姓は頭を抱える。

「遅くなりました」

 今しがた帰宅したらしい左内が藩主夫妻に挨拶に来た。

「おお。左内、泥餡はうまく調達できそうか」

「は、こればかりは何とも。右京によればあの小屋の中だけ時間をすすませるなどと言っていますが、誠にそのようなことができるかどうか」

 左内は不安そうな目で小屋を見つめた。突貫工事のお陰で、二時(ふたとき)(約4時間)ほどでほぼ出来上がっている。

「お金の工面はうまくいったのですか、左内?」

「何とかなりそうです、奥方様」

「あら、そのくちびる……」

 左内は奥方の視線に気が付き、血相をかえて踵を返す。そして挨拶もそこそこに唇を腕でこすりながら立ち去って行った。

「どうした?」

 天晴様は怪訝そうに小首を傾げて見送っている奥方の顔を見る。

「まるで紅をさしたかのような、唇だったので」

「奴も、職務が激烈だから、たまには妙な遊びがしたくなるのかもしれぬな。その気持ちはわからぬでもない。ほうっておいてやれ」

 左内の職務を激烈にしているのは、当の藩主であるがその自覚は全くないようである。

 そろそろ陽が暮れようとしている。暗くなる寸前にやっと小屋が完成したのか、普請をしていた者達から歓声が上がった。

「さあ、それでは機材を運び入れるぞ」

 血走らせた目をらんらんと輝かせて憑かれたように右京が叫ぶ。自らの発明を作動する時、彼は興奮のあまり忘我の境地に入ってしまうのだ。

「ああ、とうとう右京様が発動した」

 忠助は不安な面持ちで、藩の誇る大天才、いや天災……を見つめた。

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